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助教授と謎の影


●1

 木々を分ける足音と走る音、ざわざわと人の囁き声に私は目が覚めた。

 火は消えていた。

 まだ暗い。何時だろう。

 ダルシュ助教授も、ブラムゲット教授もいない。

 寝ぼけた頭で探さなきゃと動き出そうとして、ダルドボルドさんの声にハッとした。

『動いてはいけない』

「ダルドボルドさ……」

『人が、大勢いる』

 ぞくりと肌が泡立つ。

 不気味な嫌な予感が体を覆う気がした。

(人が? なんで)

 言葉に出さず、私は外していたナイフふた振りを腰に素早く装着して、ダルドボルドさんのそばに足音を潜ませて駆けた。

 こんな辺境までくるのは、相当骨が折れる。場所を探さなきゃいけない。何より、この森に入る方法がわからないはず。

『ツラ、隠れていなさい』

「いいえ、ダルドボルドさんを守ります」

 二人はどこに行ったんだろう?

 それに森に渦巻く大勢の人の気配は?

 疑問は解決されることなく。私は不安と恐怖を押しつぶして、森の中に意識を向ける。

 ごくりとつばを飲み込む。

 がさりと正面の木々が分けられた。ナイフに手をかける。

 現れたのはダルシュ助教授だった。

 ほっとした私は、ナイフから手を離す。

 しかしその背後から黒い服に身を包んだ十人くらいの人影が、ダルドボルドさんから少し離れて包囲していく。

 何が起きたのかわからない私は、再びナイフに手を乗せる。

「ダルシュ助教授! この人たちなんなんですか?」

「……」

 ダルシュ助教授から応えはない。俯いていて表情もわからなかった。

「ダルシュ助教授!」

 私が再び声をかける。と、ダルシュ助教授から放たれた火の魔法が鋭く私の頬をかすめていく。

「……!!」

 その言葉を合図に、ダルドボルドさんと私を取り囲んだ十人が一斉に動き出す。

(全員は対処できない、ダルドボルドさんを守らなきゃ)

 一番ダルドボルドさんに近い黒い影に飛ぶ。ダルドボルドさんを踏み台にしたことを内心謝罪しつつ、私は黒い影に飛びかった。

 ここからどうすればいい?

 気絶させるには。喉を詰めて気絶。

 思い切り両腕で首を絞めた。無我夢中だった。その間にも、ダルドボルドさんに群がった影は、ダルドボルドさん自身を、岩を剥いでいく。

 私は思わず声を張り上げた。暗闇にこだまする。

「やめて!!」

『おお……』

 ダルドボルドさんの痛む声。ダメだ。もっと手際よく、素早く敵を排除しなければ。間に合わない。

 絞めていた首をあらぬ方向へ思い切り捻る。ゴギリと嫌な感触がした。力なく倒れる影を無視して、ダルドボルドさんの肌を剥ぐもう一人の肩に手をかける。

 腰から抜いたナイフを影の首に思い切り刺す。嫌な感触。

 抜くときに生暖かい何かが頬を濡らす。乱暴に拭う。

 夢中だった。

 ダルドボルドさんを、優しくて暖かいダルドボルドさんを守るために。

 肌を剥ぐ黒い影たちを、ナイフを振り回して追い払う。ナイフを両手で構えて、ダルドボルドさんの前に立ちはだかった。

「それ以上近づくな!!」

「やめなさい!!」

 鋭い声が響いた。森の中から傷だらけになって現れたのは、ブラムゲット教授だった。

 黒い影を押しのけて私の隣に立つと、私の手からナイフを強引に取り上げた。

「神聖な精霊の森でなんてことを……! ダルシュくん、君はなぜこんなことを!」

「金になるので。あとモンスターを通報するのは市民の義務でしょ」

「土の国はゴーレムを幻想種と認めてくれていた!」

「ええ、だから雷の国の方にお願いしました」

「ツラくんにこんなことをさせて、君は、君はモンスター学科の助教授じゃなかったのか……!?」

「モンスター学科の助教授ですよ。でも幻想種は専門外です」

 冷静なダルシュ助教授と、激昂したブラムゲット教授の言い争い。

 私はどこかそれを遠く聞いていた。だって、振り向けば、ダルドボルドさんが。

「ダルドボルドさん」

『ツラ、守ってくれて、ありがとう。辛いことを、させてしまったね』

 辛い? 肌を剥がれたダルドボルドさんに比べれば、私は無傷だ。

 剥がれた岩肌にそっと手を乗せる。守れなかった。

「陽が登れば援軍が来ます。モンスターの巣の討伐に」

「ダルシュくん……!」

 私はどこか、それを遠くに聞いていた。

 ダルシュ助教授は悪い人じゃない。ずっとそう思っていたし、今でも思う。

 振り返る。ブラムゲット教授が持っている私のナイフを取り、距離をとった黒い影たちとダルシュにナイフを向けた。

「誰も通さない」

「ツラくん」

「ダルドボルドさんを傷つけるやつは、私が許さない!」

 肩に手を置かれる。辿っていくと、ブラムゲット教授だった。傷ついたような顔で、じっと私を見つめてくる。

 にこりと笑ってから、厳しい視線をダルシュに向けた。

「ここのモンスターや幻想種はダルドボルドの味方だ。これ以上害をなすようなら、彼らが黙っていない。他の場所の幻想種も異変を感じ取れば、すぐに現れるだろう」

 だからこれ以上無駄なことはやめるんだ。

 私にはそう聞こえた。

 ダルシュの表情は暗くて見えないけど、笑った気配がした。

「今をしのいでもいずれ見つかりますよ」

「そう。だから今度はずっと奥に住むことになるだろう」

「諦め悪いなぁ」

「君こそ、なぜこんなことを」

「だから、金になるのでって言ったでしょう。モンスターは大きければ、年を重ねていれば金になります」

「知っているはずだろう? それだけ年を重ねたモンスターは幻想種と並ぶ意思と感情を持っている」

「知ってますよ」

「ダル……」

「やめましょうブラムゲット教授。この人はお金のために価値あるものを売れる人です」

 私は静かに言う。驚くほど冷静だった。

 彼はモンスターを売る。私は、私とブラムゲット教授はモンスターを守る。ただそれだけの違い。

「ツラくん……」

「なんか勘違いされてるみたいですが、俺はモンスター事案を報告しただけですよ。金は二の次です」

「どっちでも同じです。あなたはブラムゲット教授の信頼を、ダルドボルドさんの信頼を裏切った!」

 蠢く十の影にナイフの先を向ける。

 私がやることは決まった。決まってる。

「キャラ変わりすぎじゃないですか、ツラ」

 からかうような声音に、私はただ無言でナイフの先を向ける。言葉なんていらない。

 怒ってる? そう怒ってた。こんなことをした人たちに。こんなことを巻き起こしたダルシュ助教授に!

 ブラムゲット教授はそれでも、私のナイフの切っ先を手で収める。

 優しく強い視線が私に向けられていた。

「言葉で説得できるうちは、言葉で通じ合うものです。それができるのが人間ですよ」

 そう言ったブラムゲット教授は、一歩、ダルシュ助教授たちのほうに進む。

「この辺りは土の国の管轄だ。雷の国が介入することが知れれば大きな問題となるよ。その前に退いてくれないかな。これは後日の話でもある」

「──」

 後日の話。後日、土の国内でのモンスター討伐が知られたら。それが雷の国のものだと知れたら。

 ダルシュ助教授はタダでは済まない。

 集まっている十人ほどもうろたえたようだった。

「土の国の精霊の森に、雷の国のものが許可なく立ち入った。これだけでも十分問題になるね。土の国は精霊信仰の篤い国だ。彼らの怒りは確実に買うだろう」

「──」

 ダルシュ助教授は微動だにしなかった。でも集まっていた十人ほどは、波が寄せるようにダルシュ助教授の後ろに下がる。

「君が彼らを手引きをしたことは、君の出方次第で報告するか決める。下手をすれば国の問題にもなるだろう」

 そこでやっと、ダルシュ助教授は肩をすくめた。暗がりだから表情は最後まで見えず。

「甘いですね。ここで断罪すれば後片付けは楽なのに」

「君は仮にも僕の教え子だ」

「ああ、甘い」

 ダルシュ助教授はその言葉を残して、森の中に消えていく。集まっていた十人程度もダルシュ助教授の後を追って消えた。

 森に静寂が訪れる。

 私は、ナイフを持っていた手の震えを抑えきれず、地面に落とした。

「──」

 怖い。怖かった。

 人を殺めてしまった。夢中だったとはいえ、ダルドボルドさんを助けるためとはいえ。

 いいや、言い訳にならない。

 震える私の肩を抱き寄せ、ブラムゲット教授はダルドボルドさんの元に私を導く。

『ツラ、助けてくれて、ありがとう』

 言葉が出なかった。ダルドボルドさんの岩肌はところどころが剥がれ痛々しい。

 守りきれなかった。礼を言われるなんて。

 視界が歪む。

「ダルドボルド、もう少しだけここにいさせてほしい。朝になって僕たちが出て行ったら、ここを移動させて──」

『わかって、いるよ。お別れに、なるね』

「──生きていればいずれは会えるよ」

『そうだね。長生きには、自信がある』

 ブラムゲット教授とダルドボルドさんが笑う気配がした。

 俯いていた私の目の前にダルドボルドさんの手が伸びてくる。顔を上げると、ダルドボルドさんの優しい目が見つめてきていた。

『何かを守るとき、何かを失うこともある。それが正しいか、間違っているか、決めるのはツラ自身だ。そして、それは今じゃない。時間がかかるけど、見つかる。慌てないで』

「……はい」

 何も、言えなかった。

 ダルドボルドさんの言葉はただ、ぽとんと心の泉に絵の具を落としたように、やがて溶けて馴染んだ。


 翌朝。

 日が昇る前、まだ霧がかかる中、ブラムゲット教授に起こされた。

 体は重く、鉛のようだった。それでもここから一刻も早く出なければ。

 朝には援軍がくると言ったダルシュ助教授の言葉を思い出せば、体は動く。

 手早く準備を済ませているブラムゲット教授の背中を一瞥して、私も少ない荷物をまとめてダルドボルドさんの元に行く。

「お別れですね」

『生きていれば、いずれ会える。また、おいで』

「──はい」

 そんなことできないとわかっていながら。

 そんなこと、夢物語でしかないと思いながら。

 私は努めて笑顔で頷いた。うまく、笑顔になっていただろうか。

『ツラ』

「?」

『モンは、悪い人間ではないよ。間違っても、いない。ツラたちとは、選ぶ道が違っただけ。彼は、人に優しいひとなんだよ』

「また交わりますか?」

 ふざけたことを聞いたと思った。だけど、ダルドボルドさんは笑わず真面目に答えてくれる。

『生きていれば、いずれ。人の生は短いけど、濃密だからね』

 ダルシュ助教授が許せない。

 それは本当だった。

 でも今までのやり取りを思い出せば、ダルシュ助教授は私に危害を加えたことはない。(食堂の一件は経験として私の身になっているけど)

 だから、人の味方ではあるのだろう。

 モンスター学科にいたのも、人の役に立てればと思えばこそ。

 ……と長々と私が予想しても、ダルシュ助教授が本当のところどうかはわからない。

「さぁ行こうか」

「はい。ダルドボルドさん、また会いましょう!」

 だから今は笑顔で別れを告げる。

 いつか、いずれ、会えることを願いながら。

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