教授とイノシシ
●1
座学にも慣れ、二人との距離も縮まったかなと思っていた五月のこと。
私はいつも通りに登校した。
そんな私を出迎えたのは、ダルシュ助教授だった。
ブラムゲット教授は、授業と他のちょっとした用事がないときはほとんど留守にしていた。代わりに、ダルシュ助教授が、わが物顔で研究室にいるのだけど。
何か耳に当てて机に広げた石に向かって何かしゃべっている。
私が来たのに気づくと、そこでまてと合図された。
何をやっているかさえわからない私は、言われるがまま入り口で待つ。今日のサンドイッチは、ハムです! と早く言いたかった。厚切りのハムはダルシュ助教授のお気に入りだ。
しばらくして耳に当てたものを外せば、それも同じ石だった。石を耳に当てて石に向かって話す?
「何してたんですか?」
素朴な疑問として聞く。ダルシュ助教授は表情のわかりにくい糸目を逸らして広げていた石を片付けた。
「ほんとになんも知らないんですね」
嫌味でもなんでもない、事実を語られ、私は肩を落とす。
「今、ブラムゲット教授と話しました」
背筋を伸ばす私。ここにいないということは、どこかに行っているということだ。
「サントゥルーさん」
「は、はい」
じっと糸目で見つめられる。迫力がない。
しばらくの間のあと、ダルシュ助教授は静かにいう。
「フィールドワークにでます」
私は唾を飲み込んだ。
危険と言われたフィールドワーク。フィールドワークでふるい落とされる新人。何人もの人を退学に追い込んだフィールドワーク。
その第一関門に、私はついに立つ。
「なんて、ちょっとした捕獲作業なんですけどね」
「何を捕獲するんですか?」
肩をすくめてなんてことないという風に言うダルシュ教授。そりゃあ、あなたは慣れてるでしょうから。
さっとメモを取り出した私の手元を見つつ、ダルシュ助教授は続ける。
「場所は、最近立ち入りが許可されたヘル・ヴァリーです」
「は!?」
ヘル・ヴァリーは未開の地とされていた危険な山だ。草木も生えない焦土の地らしい。と聞いたことがある。
噂をすると不幸になるとまで言われたところだ。
「捕まえるのは、イノシシ型のモンスターですね。しかし新種です」
「新種!?」
ヘル・ヴァリーの新種!? それってかなり危ないのでは!?
「ヘル・ヴァリーで最近発見されたというか。個体自体が強化されてるやつです」
「き、強化!?」
強いの決定じゃないですかーーー!?
情報過多に、がくりと膝をつく私。
「大丈夫じゃなさそうですねぇ」
「話がぶっ飛びすぎで、チャイティーだけじゃ復帰できそうにないです……」
ぜぇはぁと荒い息を吐く私の傍に、寄り添うようにダルシュ助教授がひざまずく。
──と、抱きしめられた。
「は?」
頭が追いつかない。何してるのこの人?
「人はハグをされるとメンタルが回復するらしいですよ」
「かっ」
ダルシュ助教授の胸板を思い切り突き飛ばした。
「回復するわけないじゃないですか!!! 逆にメンタル削れますよ!」
「そうですか?」
「~~~!!!」
ドンドンと床板を叩きつける。恥ずかしい、けどダルシュ助教授が鈍感鈍いのと、乙女の心を踏みにじられたこの感じ!!!
でも。
不思議と。
「落ち着きました」
「でしょう」
怒ったことで、乱れたことで。納得いかない方法で乱され、落ち着けさせられたけど。ダルシュ助教授ってこういうことする人なんだ。
「フィールドワーク、行きますか?」
ダルシュ助教授に再確認される。
私は両手でパン! と頬を叩くと、大きく頷いた。
「行きます!」
ダルシュ助教授はニヤリと笑って、手を差し出してきた。その手を取って、立ち上がる。
「ツラさんのそういうとこ、かっこいいと思いますよ」
「かっこいいって……私は女です」
ってこの人今何ていった? ツラさんって、名前で!
爆弾ぶっ込みすぎじゃないですか!?
「名前で呼ばれているのはこの際スルーしますけど、次ボディタッチしてきたらぶっ飛ばしますよ」
「はーい」
わかってるのかこの人は!
●2
私は着の身着のまま。ダルシュ助教授は大きなリュックを背負って、ヘル・ヴァリーの入り口までやってきた。
闇がとぐろを巻くような、ずぅんとした暗さが風景全体を覆っている。
リュックを持つ手が震える。これから、ここに入るん……だ?
「ダルシュ助教授?」
「どこ行くんですか?」
入り口から脇にそれ、南に進路をとったダルシュ助教授の背に声をかける。言い忘れてたのか、言わないつもりだったのか進路を指差したダルシュ助教授。
「こっちから安全な道に入れるんで」
「……」
だったら最初からそういってくださいよ! という言葉を飲み込んで、渋々後をついていく。
一時間ほど歩いたところで、巨大で重厚な扉が現れた。ぼうっとしてそれを見上げていると、ダルシュ助教授に中に促される。
ゴトンと大きな音を立てて、門は閉まった。
中は外と同じくらい、それ以上に何かが渦巻いているような気配がした。めまいのするような気配に、私は思わず口を押えると、ダルシュ助教授が言う。
「ちょっとすれば慣れます。行きましょう」
「は、はい」
そこからさらに三十分ほど歩いたところで、ダルシュ助教授は背負っていたリュックを下ろして、中から何かを取り出し始めた。
覗き込んでそれを眺める。
香炉だった。
古くもなく、新しくもない普通の香炉。そこにパラパラと茶っ葉のようなものを入れ、中のランプに火をつける。
「それは?」
「モンスターをおびき寄せる"匂い"です。教授がここまで引き寄せてくれてのを……」
ふわっと草の香りが漂う。それに加え、どこか獣臭いのも。
そういうと立ち上がりダルシュ助教授は、何事かブツブツ呟きながら周囲に円になるように石を一定間隔で置いていく。
「何をしてるんですか?」
待て、と手で合図を受ける。ダルシュ助教授はまだ何事か呟いていた。はたから見たら怪しい儀式の真っ最中って感じ。
最後に円になったそれから離れるように手で合図される。石に当たらないように避けて、ダルシュ助教授の元に走る。
「これ、なんですか? ただの円に見えますけど」
「簡易魔法陣の罠ですね」
「罠? 匂いでおびき寄せて、これで捕まえるんですか?」
「そうです。お、」
そういうとダルシュ助教授は、腰のポケットに入れていた水色の石を二つ取り出して、一つを耳に当てる。
「こちらダルシュ。準備できました。いつでもいいっすよ」
『あーーー助かったーーーー今からーー向かいまーーーす』
石からブラムゲット教授の悲痛な叫び声。楽しそうなのは心にしまっておこう。
遥か向こうの地平線からドドドドと地鳴りと音が響いてくる。並々ならない気配。
ダルシュ助教授は、バッグから小型のナイフを取り出すと私に投げてよこした。
慌てて受け取った私は、戸惑う。まさかこれを使って私も参加しろと!?
「行かないようにはします。ただ無手はまずいので」
私はこれが使いこなせない、つまり無手と一緒! 構えて待つ。
「死ぬ気で頑張ります!!」
「死なないように頑張ってください」
冷静なダルシュ助教授のツッコミが入る。
『ダルシュくーん! 言い忘れたけどーー予定より三匹くらい数がー多いでーーーす』
「四匹ですね。対応します」
『あとちょーーー興奮してる!』
それは石には語りかけず、ダルシュ助教授はぼそっとつぶやく。無表情なのがこわい。
「でしょうね」
「あの、気をつけておくことってありますか?」
「死なないこと」
当たり前かなーーー?
そうじゃなくて!
「魔法陣には入らないとか、ナイフを振り上げるのではなく、振り抜けとか!」
「だいたいそんな感じのことです」
わああああこの人教える気ない!
混乱する私は、せめてもと、ナイフを握って地鳴りと音を待つ。
「きました」
見えた! 地平の先、先頭にブラムゲット教授が走ってる。必死の形相だけど、ぎりぎり追いつかれてない!
「教授、頑張ってください! あとちょっとです!」
教授の後ろに見えたのは、イノシシ型の赤黒いモンスターが四匹。モンスター初めてみるんだけど!? 怖い。
ダルシュ助教授をみると、魔法陣に手を添えて何かぶつぶつ呟いている。
ブラムゲット教授が走り抜く! それを追ったイノシシが魔法陣に入った。
その瞬間!
ふわっとまばゆい光を放ち、魔法陣が輝く。
私はハッとした。一匹遅れていたイノシシが魔法陣からはみ出てる!
ナイフを構えてイノシシの前に躍り出る。
「サントゥルーさん!」
「ツラ!」
ナイフは振ればいい? 突き立てればいい? えーいどうせ倒せないんだから、どうにかなれ!
思い切り振りないだ一撃は、なんとイノシシの立派な角に引っかかって、振りないだ私の体重と共に、私の体とイノシシは一緒に魔法陣内に倒れこむ。
な、なにこれ、痺れて、動けない……!
魔法陣に倒れこんだ瞬間、全身が痺れて動けなくなった。
「ナイスプレイです! かっこよかったですよ、サントゥルーさん!」
教授が興奮した様子で話しかけてくる。わ、私としては、早くこの状況助けてほしいかなって……。
「この魔法陣を解除するまで待ってください、ちなみに四匹分かかります」
ダルシュ助教授がしれっと言う。うう、鬼、悪魔……。
私はそのまま、教授と助教授が片付けるまで鼻息荒い怖いイノシシとにらめっこして過ごしたというのは、みんなに愚痴りたーーーい!!!
●3
捕獲したモンスター四匹は“転送魔法”というのを使って研究室に直接送られた。なんでもパスが直接通っているとかどうとか。
「あれ? お二人って魔法使えないんじゃ?」
自由になった身で体をふにゃふにゃ動かす私を見て、ダルシュ助教授がしれっという。
「ああ、俺は使えるよ」
「え、いつか使えないって……」
「吹聴されても困るんで」
「……」
信用されてるのか信用されてないのか全くわからない。
半目で睨み付ける私を気にした様子もなく、ぼろぼろのブラムゲット教授が近づいてきた。血が流れてるんですが大丈夫ですか!?
「サントゥルーさんのおかげで無事に捕獲することができました! しかも四匹も無傷ですよ! 素晴らしいです。ありがとうございます」
とろけた笑顔のブラムゲット教授に両手を掴まれてぶんぶんされる。
「お役に立てて嬉しいです。お怪我は大丈夫ですか?」
「ああ、これくらはいつものことですよ」
それより、と目を輝かせるブラムゲット教授。
「先ほどの剣さばき、サントゥルーさんはきっと剣術の才覚があるんでね。僕もダルシュくんもそのへんはからっきしだから嬉しいです」
今なんていった?
私に剣術習えっていったのかな? と嫌な予感がふつふつと湧く私を放っておいて、ブラムゲット教授はダルシュ教授と話にいってしまう。
モンスターに持っていかれそうになった両手を見る。
(私で役に立てるなら)
剣術覚えるのも、ありかな。
運動神経は悪くないはずだし、魔法が使えないならこの際剣術の道にいくのも。
なんて、また両親に反対されそうなことを思いつつ。
一仕事終えた私たちは、束の間の休息を味わっていた。




