【5オーダー目】 自由人の巣窟
りっちゃんを拾いにバイクを走らせ、店に帰り着いたのは四時半になろかという頃だった。
一度遠回りをして隣の市まで行っていたのだ、四時に帰れとかどう考えても不可能である。
いくら耶枝さんの許可が下りているとはいえ某女王がいたなら人格否定の雨霰を浴びせられていたであろうことは容易に想像出来るが、幸運にも今日は奴はシフトに入っていない。
本日のメイドさんは音川、リリーさんの下宿コンビだ。
しかしまあ、何だって靴だかサンダルを買うのにわざわざそんなに遠くまで出掛ける必要があるのだろうか。
若者好みの店が並んでいるアーケード商店街があるらしいことは知っているけど、最近の中学生ってのはアグレッシブだなぁ。
流石はどう見ても陽キャ側のりっちゃんだと言わざるを得ないね。
「とうちゃ~く。ありがとね、優兄」
裏手の駐輪所にバイクを止めると、脱いだヘルメットを返すりっちゃんは上機嫌な風で素直に感謝を述べた。
一緒に俺の到着を待っていた友達の女の子が『大きなバイクでお迎えに来て貰えるお友達』を大層羨ましがったためか、謙遜という名の俺Sageをしつつも鼻高々だったせいだろう。
だからといってドヤるためというだけの理由でこの先またこんなことに巻き込まれても困るのだが……親子共々その場のノリでオーケーしちゃうんだろうなぁ。
「はいこれ」
さーって、仕事仕事。
とか考えながらメットインに入っていたショッピングの戦利品を差し出すと、どういうわけかりっちゃんは慌てた様子で俺の腕を押し戻した。
「ちょっとちょっと優兄っ、乱暴に扱わないでよ」
「へ? 普通に持ってるだけだよ? 中には触ってないし」
「中身じゃなくて、その紙袋のこと!」
「か、紙袋?」
確かに商品は真っ赤でなんかツルツルテカテカした肌触りの派手な紙袋に入っている。
が、俺にしてみりゃ『それが何?』という感想しかない。
「この袋が重要なんだから、丁寧に扱わないと駄目でしょ」
「……紙袋が重要?」
「そうだよ? むしろこっちが買い物のメインと言ってもいいぐらいなんだから」
「紙袋がメインなの!?」
どういう世界観?
言っていることが全然分かんないよ?
「こういうお洒落な紙袋をバッグとかポーチの代わりにすんの。昔流行ってたんだって、それを今の中高生が真似してるって感じ?」
「へぇ……」
りっちゃんの言う昔っていつ頃の話なんだろう。
今も昔もそんな流行は知らんぞ俺は。
「優兄もそういうとこちゃんと把握しておかないとモテないよ? あたしに恥掻かせなたら承知しないんだからね」
さ、行こ。
と改めて紙袋を手に取ったりっちゃんは背を向け入り口へと歩いていく。
ごめんよりっちゃん、たかだか紙袋に価値を見出す感性なんて一生身に付かないと思うんだ。
○
少々いつもより遅くはなっているが、今日も勤労の時間が始まる。
一緒に帰ってきたりっちゃんはエプロンを纏った俺が厨房に立つなり飲み物を入れさせるとサッサと部屋に戻ってしまったため店内にその姿はない。
何でも本来なら買い物に行った友人達とカラオケに行きたかったらいしのだが、一人が塾だかで都合が悪かったために仕方なく解散したのだとか。
中学生で塾に通うってのも現代っ子という感じではあるが、逆に親の金で遊び呆けているだけのりっちゃんは果たしてちゃんとした大人になれるのかね。
「ま、俺が言えた義理でもないけど」
んなことを言っている間にも未着手のオーダーがまた一つ増えた。
たっぷりきのことベーコンの和風パスタ、クラブハウスサンド、カフェラテ、大盛りポテトフライ、チョコレートサンデー……この時間にしちゃ珍しく混み合っているせいで開始早々に激務っぷりがハンパないなおい。
ただでさえ今日は金曜日なので夕方以降はマジで一週間で最強クラスと言っていい程に地獄ウィークエンドなんだぞ。
まだ夕方なんだから飯食うより先にもうちょっと遊びに行くとかしろよ。まずは腹拵えってか? ったく、これだからリア充ってのは。
こんなことならもう少し落ち着くまで耶枝さんにいてもらえばよかったぜ。
遅れた手前そんな申し出も遠慮してしまった俺の馬鹿! そもそも遅れたこと自体あの親子の都合なのに!!
「はい、パスタとポテト終わり。次」
あと一日だ、今日一日を凌げばパラダイスなんだ。
そんな思いが肉体を動かす……というのは正直ただの思い込みで、純粋に無茶ぶり耐性が着いてきただけな気がする。
とはいえ、金曜日の夜のみならず土曜日だって昼過ぎと夜は込むんだけど、俺にしてみりゃ朝ゆっくり眠れるだけ耐えられる感が生まれたのはせめてもの救いだろう。
今週初めからパートさんが来ているため土日のは昼からでいいという新システムってマジ天国すぎる。
といっても俺はまだ会ったことないんだけどね。平日は俺が学校に行ってから来るからぶっちゃけ明日が初対面です。
当初はまた面接俺がやらされるのかとビクビクしていたけど、何でも耶枝さんの知り合いの知り合いらしいのでそこは端折ってくれたのだ。
そのせいで無駄に身構える羽目になると思うと、どっちがよかったのやらという感じではあるが……一体どんな人なんだろうね。
浅井さんって名前しか聞いてないわ。
「ユウ、三番テーブル片付いたヨ♪」
進級初日もそうだったけど、初対面という難関に直面すると大抵俺みたいな人間はもう前日ぐらいから緊張してくる。
何を隠そう見ず知らずの誰かと人間関係を形成する術を持っていないからだ。
と、そんなネガティブに若干気が滅入り始めてきた時、リリーさんが厨房まで戻ってきた。
次の客を案内出来る状態であるという意味の報告と同時に、別の席から引き上げてきた空きグラスと皿を洗い場まで持ってきてくれる気の利きっぷりはありがたい。
何でも如月がやっていたのを真似てそうし始めたとのことだが、わざわざディシャップに溜まっていく洗い物を回収しに行かなくてもいいというだけでこちらとしては随分と助かるのだ。
言うまでもなく、楽したがりの音川は決してそんな彼女達を模倣することはない。
「というわけで、そんなリリーさんにご褒美です」
「ゴホービ?」
言葉の意味が分からなかったのか、単語の意味が分からなかったのかは差ダイアではないが、不思議そうに首を傾げるリリーさんへキューブ状になったベーコンを差し出してやる。
ただのパスタの余りではあるが、火を通しているため中々に香ばしく空腹を掻き立て食欲をそそられるせいで俺まで腹減ってくるレベル。
実際には俺の口にも入っているのでお裾分けという話でしかないのだけど、爪楊枝に刺して差し出してやるとリリーさんはそれを受け取らずそのままパクッと食べてしまった。
途端に笑顔になるその様は、何だか餌付けしているみたいで萌える。
「おいしいネ♪ やっぱりユウの料理も大好きダヨ」
「料理っつーかただの焼いたベーコンですけど、そう言っていただけると作り甲斐もあります」
このバイオレンス喫茶において唯一の良心であるリリーさんはただ一人素直に感謝やお礼を口に出来る人間なのだが、率直過ぎて逆にその態度に若干照れちゃいつつ、それを悟られないために手を洗うふりをして目線を逸らしてしまう。
そして『お地蔵様だヨ♪』とか言い残して去っていく背中を目で追い、次のオーダーに取り掛かろうとしたところでその目が固まった。
どういうわけかレジの方から音川がこちらを覗き込む様に見ていて、しっかり目があってしまったからだ。
「……何してんだお前」
その不自然なジト目に思わずツッコむ。
そこでようやく音川はゆっくりと厨房に入ってきた。
「いいな~、リンリンだけ特別扱いだなんて。断固として異議申し立てるよ僕は」
そんなことを言いながら俺のそばまで進んでくると、茶化している風ながら言い逃れは受け付けませんみたいな抗議めいた笑顔が俺を見上げる。
経験則から言って、こういう時の音川は誤魔化そうと拒否しようと確実に屁理屈とこじつけで論破してくるため逃れようがない。
「特別扱いじゃない。ただの余った切れ端だし、食器をここまで持ってきてくれたお礼だよ」
「なら僕も次の皿は持ってくるからご褒美ちょうだい?」
「……次だけかい」
相変わらずいい根性してるわ~……毒気の無さが逆に質悪いよね。
敵意と暴力の権化であるあの二人よりは身の危険が少ないとはいえ、逆に奴等と違って年下なのにこういう態度を取られるとムキになって反撃し辛いんだよ。
「しゃーねえなったく、ほら。食ったらしっかり頼むぞほんと、今日は忙しいんだから」
「勿論さ、僕が優君との約束を破ったことがあったかい?」
「…………」
もうツッコむ気のも面倒くせえわ。
お調子者なのは結構だけど、こいつの場合は計算が含まれていそうで素直に受け入れられないんだよなぁ。
思いつつも、毎度のことながら口で勝てないのが分かっているので渋々ながらベーコンを差し出してやる。
予想はしていたけど、やっぱり音川も受け取ることはない。
「あーん」
「だからあーん、じゃねえっつの。それ恥ずかしいからやめろ」
「そろそろ慣れてくれてもいいのに」
俺をからかって遊ぶいつもの流れになりそうな空気を察した俺は言葉を返す代わりに再び小さな口を開いてまっている音川へ爪楊枝ごと肉片を放り込むことで黙らせてやった。
咀嚼し飲み込むと、リリーさん同様に笑顔が浮かぶ。
「うん、やっぱり優君は僕の嫁に……」
「うるせえ」
「あはは、まーた照れちゃって。それじゃご馳走様」
相手にしないスタイルも当然の如く通用することはなく。
音川は俺の肩をツンツンしながら愉快そうに笑い、その上すぐ前の棚に置いていた俺のウーロン茶を勝手に一口飲んで厨房を出て行った。
どうやったら俺をナメ切っている後輩女子に一矢報いることが出来るというのか。
恐らく答えを見つけられる日は来ないんだろうな。
腹が立つとかじゃなく、純粋に言いくるめられるのが悔しいというか弄ばれる己が情けないというか。
どうにか一杯食わせてやろうとは思ってるんだけど……中々達成は難しそうだ。
「優君お待たせ~」
「あ、おかえりなさい」
三つ同時に来たドリンクのオーダーを済ませたところで二階から耶枝さんが下りてきた。
もうしばらくするとメニューが夜間用の、つまりは居酒屋風の物に入れ替わる頃合いである。
実際問題どこまで耶枝さんが当初思い描いていた姿を再現出来ているのかは分からないけど、この仕様が夜の繁盛っぷりに繋がっているのかと思うと発想の勝利というか嗅覚が優れているというか、いつまで経ってもよく考えているのかノリと勢いで突き進んでいるのかの判断が難しい人だ。
「さって、今日も忙しくなりそうだし皆で頑張って山場の華金を乗り切ろう~」
「ういーっす」
そう、耶枝さんの前では比較的自重してくれる如月や相良と違って音川は店長様の眼前でも何ら変わらぬ振る舞いなのが厄介なんだよなぁ。
そんなことを考えているとは知るはずもない耶枝さんの激励に惰性で答えつつ、夜の修羅場へと向かうのだった。
○
約五時間後、精魂尽き果てた俺は二階のリビングでソファーの上に転がっていた。
疲労困憊であっても手は動くという嫌な性質を身に着けてしまったためそんな状態でも売り上げの計算を終わらせている。
理由は簡単、チンタラやっていたって帰る時間が遅くなるだけだからだ。
伝票と現金を金庫に入れると再びソファーにダイブ。
明日はゆっくり眠れる日なのでここで夕飯を取ることもなければ泊まっていくこともない。
「優君ご苦労様。もうすぐに帰るの?」
「そっすね。腹も減ってますし」
「そっか、じゃあ明日は十時ぐらいにお願いね」
「了解っす。例の考案会っすね」
「うん。言ったと思うけど神弥ちゃんも来るからよろしくね」
「……いらなくないっすかあいつ」
「そんなこと言わないの。最近はわたしに料理を習いたいって頼みに来たぐらいだし、やっぱり最初に言ってた通り厨房に入りたいみたいだからさ。店長としては後押しぐらいはしてあげなきゃね、その第一歩ってことで。作り手が増えると優君も助かるでしょ?」
「それは、まあ……」
それは遙か昔、オープン前の段階から憂いていたことだけどね。やっと気付いたのかなこの人。
パートさんの件も含め店を開く前に気付かないといけないと思うんだ。
「まあ耶枝さんがそう言うなら従いますけど、最悪心療内科に通うことになった時は労災適応してくださいね」
「そんな大袈裟な……」
割と大袈裟とも言えない気もするが、奴の本性をあんまり知らない耶枝さんは苦笑い。
俺の打たれ弱さをナメちゃあいけない。すぐに反撃を諦めるのが悪い癖なんだろうけど、そんなもんどうやって克服するんだか。
つーか新メニューの考案が目的なのに俺何一つ考えてないんだけど……やべえな、帰ったら何か間に合わせで候補を探そう。
「じゃ、俺は帰りますね」
「うん、今日も一日お疲れ様」
笑顔で手を振る耶枝さんに見送られ、廊下に出て階段を下りる。
はずだったのだが、
「あ、優君。お仕事終わった?」
「ユウ、遅いゾ~。リリー達は街冒険だヨ」
廊下の電気を点けたところで下宿組二人が部屋から出てきた。
かと思うとおかしなことを言いながら寄ってくる。
「仕事は終わったし、リリーさんそれを言うなら待ち惚けです。ていうか、遅いって?」
「決まってるじゃない、仕事が終わったらゲームの時間だよ」
「ダヨ!」
「えぇぇ~……毎日毎日よく飽きないね君達も。つーか俺全力で眠いし腹も減ってるんだけど」
「大丈夫大丈夫、明日は昼からでしょ。ぐっすり眠れるよ」
「……何で知ってるし」
「それに今日はレースゲームだから安心してよ。リンリンのリクエストでね」
「どこに安心出来る要素あんのそれ」
「きっとコハクにも勝てるヨ、リリー得意なやつだ」
「いつ俺が勝敗の心配をしたんですかね」
「ほらほら、そんなに遅くまではやらないからさ」
「アラホラサッサー」
「いや、マジで待て待て。俺は帰……」
抗議の声もどこ吹く風。
強引に二人に背中を押され、音川の部屋へと連行される哀れな子羊その名も俺。
いつから俺はこのゲーム同好会に名を連ねたのか。
真っ当な疑問も通じることなく、そしていざプレイしてしまうとジャンル柄俺もちょっと熱中しちゃったり意地でも俺包囲網を突破してやんよとか対抗心を燃やしたりしちゃったせいで結局店を出る頃には十二時半を過ぎていた。
え? 結果?
言うまでもなく全敗だったでござるが何か?




