【11オーダー目】 吉田
不覚にもまた連絡先が増えたことで心なしかポケットが重たく感じる今日この頃。
この店で働き始めた頃には両親と松本、山本の四人しか登録されていなかったのに、身内だからという理由で耶枝さんが増え、りっちゃんが増え、更には不可抗力というか業務上仕方がなかったとはいえリリーさんと相良が増え、とうとう全然関係無い二人のピンクまで増えてついに大台の十人に達してしまった。
最後の二人に関してはこっちが頼み事をしている手前やむを得ない部分もあったし、そうでなくとも連絡を取る手段が無ければ困るのは俺なので目を瞑る他あるまい。
そもそもリリーさんや相良と連絡を取り合うこともないのでこっそり消してもよさそうなものだが……リリーさんは配達に行ったきり帰ってこなかったり買い出しに行ったものの買う物を忘れてしまったりする前例が何度もあるので消すのも憚られるのが本音である。
少々話が逸れてしまったが、そんなピンクの中の一人である華から連絡があったのは翌日の夕方だった。
放課後、店に着くのと同時に受信を告げたスマホの画面には調査完了の知らせと詳しい話は本人から直接させるので仕事が終わったら連絡下さいッスとか何とかと記されている。
随分と仕事の早いスパイだなと感心しながらも、現実を受け入れる準備が出来ているかと言われると正直微妙なところで、何とも言えない気分のまま厨房へと向かうのだった。
それでも心とは裏腹に体に染みついた動作に淀みはなく、目の前のモニターに並んでいく注文を順に完成させていく。
沈んでいるとまではいかなくとも落ち着きはしない気分を和らげてくれているのはきっとリリーさんの無邪気な元気さが店内に蔓延しているからだろう。
まあ、もう一方は邪悪の権化如月大魔王なのだが……奴は忙しい時間で皆が手一杯にでもなっていない限り自分から話し掛けてきたりはしないのでこの夕方前の時間帯の何と平和なことか。
惜しまれるのは相良が居ないことだけど、どのみち店内でそんな話が出来るわけもないのでそう変わらない、か。
「や、優君ただいま」
作業着のおっさん二人組の食後のコーヒーを如月が持っていった所で、入れ替わるようなタイミングで音川がレジ前に現れた。
出勤日ではない今日は寄り道をしてきたらしく、本屋の袋を持っている音川は俺に気付くとすぐに微笑を向け、気さくに片手を挙げる。
お前は……一体どんな気持ちでその笑顔を浮かべているんだ。
どんな気持ちで、どんな理由で。
「優君? どしたの?」
「ああいや、ちょっと寝不足でボーッとしてただけだ」
「たまには休みをもらったら? 店長も言ってたでしょ?」
「いつでも言ってね、って言われると逆に言い辛いだろ普通に……来月からパートさんが来る分なんか月六回休みくれるらしいし、それまでの辛抱さ」
思い返してみればオープンから今までほんとよく頑張ったよ俺。
耶枝さんしか褒めてくれないから自分で自分を褒めちゃうよ俺。
いや、そんなことは今はどうでもよくて。
「弁当どうだった?」
「いつも言ってるじゃないか、優君が作ってくれる物が不味かったことなんてないよ」
「そりゃ何よりだけど、たまにはリクエストの一つぐらいしてくれた方が作り甲斐はあるんだけどな。ま、お前はまかないで好き放題言ってるからチャラみたいなもんか」
なんて軽口を交しつつ、耶枝さんが買ってきた可愛らしいポーチに入った弁当箱をいつものように受け取る。
ズキンと胸が痛くなるのは、しらばっくれることを心が拒否し始めているせいか、はたまたその遣り取りの空虚さを自覚してしまっているからか。
「あ、そうだ。優君、僕は今から読書に勤しむからカフェラテを部屋まで届け……」
「甘えるな、図に乗るな、お前まで俺をパシリにするな。何でオフのお前の為に働かなきゃならねえんだ」
「えぇ~……ケチ~」
「ケチで結構。作っておいてやるから自分で取りに来い」
「ふふっ、分かったよ。ありがとう」
「……何だよ急に」
「いやあ、やっぱり優君は名前の通り優しいなあと思ってね」
じゃあよろしく、と。
それだけ言って音川は階段の奥へと消えていく。
出来る男ならここで優しい態度の一つでも見せてやれるんだろうけど、俺にそんなスキルは無い。
だからこそ、俺は俺が出来ることをやろうと思ったのだろう。
正しいか否かなんてどうでもいい。俺が悩まずに済むようにするため、ただそれだけだ。
返ってきた弁当箱を開く。
最初に持たせてやってからというもの、いつも綺麗な状態で戻ってくる当初と違って女の子用のサイズになった弁当箱。
洗った後であるかのように、米粒一つ残っておらずバランとかいう緑のギザギザすらもない。
せめてもの礼儀なのか、それとも何かそうせねばならぬ理由があるのか。てめえが飲んだコーヒーのグラスなんて洗ったこともないのに何故そうするのかと初日から不思議ではあった。
今となってはそれが何を意味するのか、今日この場の遣り取りで邪推するには十分な確証を得たのに……それでもお前が微笑を湛えるのなら、俺も何も知らない振りを続けるよ。
知らないまま全部終わらせて、知らないまま元通り。それでいいじゃないか。
○
すっかり夜になった。
大急ぎで片付けだけ終わらせると、耶枝さんとリリーさんに頭を下げ早めに退店させてもらうと俺はすぐに待ち合わせ場所である住宅街の一角にある公園へと向かう。
如月一人が何か嫌味を言っていたが、まあこれは別にいつも通りなので大して気にもならない。
何ならあいつも有能な従業員である自分アピールの良い機会だと思っている節さえあるのでWin-Winだと言えよう。……うん、言えるわけないね。
とまあ、結局留まることを知らない愚痴を胸に店から十分程の距離にある住宅街の一角に広がる小さな公園へとやってきた。
入り口の傍にチャリを止め、厳重に鍵を閉めて中に足を踏み入れる。
静かな夜の住宅街らしく人気はなく、周囲を覆う外灯だけが内部を照らす中で人影らしき物は一つ。
遠目に様子を窺うまでもなく、そのピンクのジャージ姿の三人組が目的の人物達だと察した。
三人はコンクリートの地面に座ってわいわいやっている。教室でもそうだったが、なぜこれだけベンチやら遊具やらがあるのに敢えて地べたに座るのか。
ヤンキー気質も大概にしろと言いたい。
「あ、兄貴っ」
「ちわっす、アニキ」
三人組は近付いていく俺にすぐに気付き、やはり慌てて立ち上がると首だけで一礼を寄越す。
同じ学校の後輩である華、香織、そして見知らぬ眼鏡の女の三人であるところを見るに、あれが例の諜報員だと見てよさそうだ。
とまあ、そんな事の前に一つ。
「こんな時間に悪かったな。お礼と謝罪はいくらでもするけど、おいこら……取り敢えず煙草を消せ」
眼鏡以外の二人は普通に片手に火の点いた煙草を挟んでいる。
改めて、こんな奴等を頼りわざわざ会いに来た自分はどうかしていたのではないかという後悔が尋常じゃなく脳裏を過ぎった。
サッと二人の手から煙草を抜き取り、地面に放ってぐりぐりと火を消すキングオブ常識人こと俺である。
「ったく、補導されたらどうすんだ」
「別にどうもしねえッスよ。学校と警察に呼び出されるだけっしょ?」
と、平然に言うのは悪びれる様子の欠片も無い華だ。
「だけで済む問題かっての。親が悲しむだろが」
「生憎と悲しむ親なんていねえんで」
「んなこと言うなっての……」
どこまで歪んでんだこいつは。
そればかりは系統が違うだけで俺も人のことは言えないかもしれないけども。
「ほら、とにかくゴミ片付けて場所変えようぜ。せっかくベンチがあるんだから」
火の消えた吸い殻を空き缶に放り込み、返事を待たずに歩き出す。
それをゴミ箱に放ると、黙って付いてきた三人は暢気な顔で俺の横に並んだ。
「アニキ、ジュース奢ってください」
とてとてと寄ってくるなり顔を覗き込んでくるのはオール金髪こと香織だった。
どうでもいいけど、金髪にピンクのジャージってすげえ色合いだな。
「まあ、こっちの用件で来て貰ってんだしそれぐらいはいいけどさ……その代わり煙草吸うなよ、少なくとも俺の前では」
こいつらが自爆して人生を棒に振るのは勝手だけど、俺を巻き込むなと声を大にして言いたい。
勿論あんまり物事を真面目に考えていなさそうな連中なので言っても無駄な気しかしない。
そうして正面の公道にある自販機で四人分の缶ジュースを購入すると、改めて俺はベンチに座った。
横には眼鏡が、そして残る二人は結局地面に座っている。ワケ分からん。
「自己紹介をしたことがないので改めまして、私は大宮由佳と言います。この二人ともどもよろしくお願いしますあにき」
どう切り出そうかとプルタブを開く最中、眼鏡が勝手に始めてくれてまじ助かる。
唯一煙草を吸っていなかったことが関係あるのかどうかは知らんが、赤い縁の眼鏡をかけている幼い顔立ちのニューピンクはチームでお揃いのジャージこそ着ているものの普通に頭が良さそうというか、こんな服着てこんな奴等とツルんでなければ優等生に見えるレベルに大人しそうで普通そうで真面目そうで、それゆえに金髪二人と並んでいるのがどうにも不釣り合いで場違いな感じがした。
そういえば、昨日の昼にも眼鏡掛けた知らん奴と会ったな。確か吉田とか言ってたっけか。
「俺は秋月優、別に二人の真似して兄貴とか呼ばなくていいんだけど……それはさておき、ひとまず呼び出して悪かったのと、面倒な事を頼んでごめんな。あと覚えやすいように吉田って呼んでいい?」
「いや、誰ですかそれ」
眼鏡、改め吉田は思いの外鋭い突っ込みスキルをお持ちのようだ。
多少なり付き合いの長い華がすかさず追い打ちを掛ける。
「つーか、いい加減言わせてもらいやスけど兄貴の中で吉田ってどういう扱いなんすか」
「扱いっつーか人の名前を覚えるのが苦手なんだよ。覚える必要の無い学生生活ばかりを長々と送ってきたからな。それよりも、音川のこと調べてくれたんだよな? さっそく聞かせてくれるか?」
言うと、眼鏡こと吉田は『はい』と一言告げ、事の次第を報告してくれた。
出来ることなら聞きたくなかった、嫌な話ばかりを。
「主だってるのは中原、浅木、及川って三人組なんですが、暴力も結構あるみたいですし、昼休みなんかはしょっちゅう連れ出されてるみたいですね。何されてるかまでは把握出来ていませんけど、まあろくなことじゃないのは想像に難くないでしょう」
「……そうか」
五分に満たない話が終わると、無意識に天を見上げ大きな溜息が漏れた。
予想通りの結果、想像通りの現実。
だけどやっぱり、否定の材料を失うとやるせないものだ。
「それで、どうすんすか兄貴」
言葉を失う俺に、華が言った。
答えは決まってる。そう、それこそ最初から。
「一応まずは相良に相談して許可を得るつもりだけど、お前達も協力してくれるか? 巻き込んで申し訳ないとは思うんだけどさ」
「「勿論ッス」」
「そんな軽々しく二つ返事するなって。結構まじで言ってるんだ俺は……目には目を、って手段も辞さないぐらいに」
「要するにそいつ等シメりゃいいんすね?」
「まあ言い方はアレだけど……俺だって馬鹿じゃない、そんな奴等が話し合いでどうにかなるなんて思ってもいないし、何の報いも無いというのも我慢ならない。だけど俺一人じゃどうにも……」
「関係無いッスよ。兄貴がその後輩を助けてやりてえってんなら、うち等が協力しないわけないじゃないッスか」
「そうですよ、あにきは私を助けてくれたんですから。御恩に報いるのは当然ですよ」
付け足された吉田の一言に疑問符が浮かぶ。
「ん? 助けたっけ?」
「ほら兄貴、あの日うち等の無理を聞いてくれて姉さんを送り出してくれたじゃないですか。そのおかげで由佳を無事取り返せたんスよ」
「はい、姉さんに後からそれを聞いて……実はいつかちゃんとお礼を言わないとと思ってたんです。私は華や香織と違ってあんまり接する機会もなかったんで言えずじまいでしたけど」
「別に改まってお礼を言われるようなことはしてないから気にしなくていいんだけどな。そうだったとして、あんまり危ないことはすんなよって言いたいのが本音だけど……警察沙汰なんて若気の至りで済むのは今だけだ、それこそロクなことにならないんだから。仲間とか友達のためって言えるのは素直に羨ましいと思うけどさ」
「はい、二度と同じヘマはしないように肝に銘じておきます」
「うん、いや……別にもっと上手くやれって言ってるわけじゃないからね?」
見た目だけで実は全然頭良くないんじゃねえかこいつ。
「まあ何でもいいけど……とにかく、だ。吉田、主犯格の奴等って名前だけじゃなくて顔も分かるんだよな?」
「……結局私は吉田なんですね」
「由佳、落ち込むなっ。これこそが兄貴に名前を覚えて貰うための第一歩だ、うち等も高橋から始まって最近やっと名前で呼んでもらえるようになったんだぞっ」
「そうそう、ずっとよし子とかピンクとか呼ばれてたんだから気にすんな」
「そうなんだ……」
華、香織の謎フォローに吉田はただ複雑そうな顔をしていた。
敢えて会話の流れを無視し、俺は両膝に手を当て深々と頭を下げる。
「助けたいとか守りたいとか、そんな烏滸がましいことを言えるような人間じゃないけど……俺は、俺はそれをやめさせてやりたい。だからお前達の力を借りたい。悪いが力を貸してくれ」
「任せといてくださいッス」
「何の問題ねえッスよ」
「私も勿論」
「先生にチクろうが、言葉で釘を刺そうが、その程度のことで良くなるなら世の中にイジメなんざ存在しない。それが俺の考えだ。自分がやられる側に回れば人の痛みを知ることも出来るだろ、暴力ありきというわけでは勿論無いけど……その前に、お前達の力を借りるならまず相良に断っておかないといけないわけだが、相良ってこんな時間に外出てきてくれるかな?」
「ん~、厳しいと思うッスよ。一度家に帰ってしまうと外出れないみたいッスから」
「そうなの?」
「ああ見えて良いところのお嬢さんらしいんで」
「うそだぁ……」
世も末だなおい。
良いところのお嬢さんが暴走族の総長て。
その上メイドて。
「なら明日バイトの時に時間作ってもらうわ。お前達も来れる? 飲み食いは常識の範囲内なら俺が出すからさ」
「「ゴチになりまっす!!」」
無駄に元気な二人と新たな面子である吉田の返事が響いたところで、時間も時間なので今日は解散する流れとなった。
気を付けて帰れよと最後に一言投げ掛け、別れた瞬間に煙草を咥える馬鹿二人にげんなりしながら俺も帰路に就く。
悩んで、へこんで、むかついて。
そして最後に決意と覚悟を新たにして。




