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ファミーユの副店長戦線  作者: 天 乱丸
【第三話】
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【7オーダー目】 僕っ娘の正体




 二十分ほどの羞恥プレイを経て、ようやく【chaleur de la famille】へと帰り着いた。

 それはもう行き交う多くの人々の視線を集め、指を差されたりヒソヒソされたりもう恥ずかしすぎて泣きそうなレベルの時間だったさ。

 ついでに言えば普通に体力的な面でも疲労困憊で限界が近い感がハンパない。

 そんな二つの意味での罰ゲームみたいな帰り道もようやく終わりを迎えたことへの安堵と純粋な酸素供給を含めて大きく息を吐き、ドアベルを鳴らして屋内へと入っていく。

 つーか、ここまで来たはいいけどこの状態のまま階段を登るのか?

「きっつ……」

 どんな体育会系トレーニングだよこれ、殺す気か。

 そう言いたいのは山々なのだが、耶枝さんは起きる気配ゼロだし、起こしたところで足下も覚束ない状態で階段を登らせるのは少々怖い。

 しゃーねえ、最後の気力を振り絞るか。

 そんなよく分からない場面で発揮した謎の覚悟を胸にゆっくりと一段一段慎重に登り、どうにか二階まで足を進めるとそのまま耶枝さんの部屋へと向かうことに。

 ぜぇぜぇ言いながらリビングの脇の廊下を歩くその最中、奥から音川が歩いてきた。

 風呂上がりらしく髪は湿っており、肩からタオルを掛けている。

「やあ、おかえり優君」

 俺に気付いた音川はにこりといつもの微笑を浮かべ、片手を挙げる。

 耶枝さんを背負っていることに触れないのは絶対にわざとだ、また俺をからかって遊ぼうとしているに違いない。

「お、おう……」

 とはいえツッコむ気力も無いのでそう返すのがやっとだった。

「どうしたのさ、そんなに息を切らして」

「見りゃわかんだろ、人一人背負って駅から歩いて来たんだぞ。その上階段もあったしもうヘトヘトだっつーの」

 スルー出来ませんでしたとさ。

 そりゃそうだ、わざとらしすぎて元気な状態だったらアイアンクローでもかましてるぐらいにはイラっとしたもの。

「ご苦労様、だね。我が家のお父さん」

「誰がお父さんだ。んなことはいいから、ちょっと耶枝さんの部屋のドア空けてくれ」

「はいはい」

 と、まるでノリが悪いなぁとでも言いたげに肩を竦めながらも音川は俺の進行方向へと先に歩き、一番奥にある耶枝さんの部屋の扉を開けてくれた。

 ひとまずベッドに下ろそうと中へと入ると、中心にあるミニテーブルを避けつつ小綺麗な室内の奥へと進んでいく。

「おい音川、ちょっと水持ってきてくれ」

「その様子じゃ酩酊していそうだし、そうした方がよさそうだね。とはいえ、君も世話焼きだねしかし」

 背後から聞こえる半ば呆れたようなそんな声。

 焼きたくて焼いてるんじゃねえ、ただ神懸かり的に貧乏くじだけを引き続ける運命を背負っているだけだ。

「ったく、俺はこの家の住人じゃねえんだぞ。本来お前等がやるべきことなんだからな」

「おっと、やぶ蛇だったか。すぐに水を持ってくるよ」

 音川は逃げるように部屋を出て行った。

 相変わらずのらりくらりとこっちの文句や指摘を躱してくる奴だ。

「……耶枝さん、着きましたよ」

 呆れながらもそろそろ腰とかが痛くなってきたのでひとまず耶枝さんをベッドに下ろし、肩をソッと揺すって名前を呼ぶ。

 終始寝息を立てっぱなしだったもののそこでようやく意識を取り戻したこの家の家主はピクピクと瞼を何度か動かしたのち、薄めを開けた。

「むにゅ……ん~。あ、優君だ~」

 何がそうさせるのか、目の前にいる俺を認識するなり甘ったるい声を漏らしトロンとした目のままやけに嬉しそうなふやけた笑顔を浮かべる。

 ……さっき店で会った時も同じリアクションだったでしょうに、もう覚えてないのか?

「わ~い、優く~ん」

 未だ酒臭い息が鼻腔を擽ったかと思うと、伸びてきた両腕が首の後ろに回されていた。

 何やってんだ?

 と疑問に感じた時には既に遅く、そのまま抱き付かれる状態で耶枝さんと密着するように引き寄せられていた。

「ちょっ、耶枝さん!?」

 何やってんだ!?

 ていうか誰と間違ってんだ!?

 何にせよこんなところ誰かに見られたら不味い。

 とにかくこの体勢を脱しなければと、力を入れすぎないように腕を掴んでどうにか解こうともがく必死な俺。

 思いの外あっさりと外れたのは聞き分けてくれたからというわけではなく、俺とか関係無しに耶枝さん自身の意志で別の行動に出たからだった。

 自身のお腹の辺りに手を添えると、耶枝さんは顔を歪め苦しそうな息を漏らす。

「や、耶枝さん?」

「んん……お腹、苦しい」

 まさか……ここでリバースとかないよね?

 と内心冷や汗が流れるが、その後の行動に全く違った焦りが生まれる。

 何をお考えなのか耶枝さんはスカートのボタンを外し、今にも脱ぎ始めようとしているのだ。

 さすがに慌てて背を向ける。

「ちょ、耶枝さんっ。せめて俺が出て行ってからにしてくださいよっ」

 いっそこのまま出ていった方がいいのかとも考えたが、その瞬間に後ろから伸びてきた手が俺の腕を掴みそれをさせてくれない。

 ここまで泥酔している耶枝さんを見るのは初めてということもあって対処法が不明なのが厄介過ぎる。

「耶枝さん、離してくださいって。着替えるなら俺出てますから」

「やだ~、着替えさせて~」

「いやいやいや……」

 何を言い出すんだこの人は。

 と、あくまで背を向けたままツッコミを入れようにもどう理解してもらえばいいのかと頭が痛くなってくる。

 その言葉を探す一瞬の油断がそうさせたのか、背後から「えいっ♪」と声が聞こえたかと思うと掴まれた腕が力強く引っ張り込まれた。

 目を逸らした状態での不意打ちに踏ん張ることも出来ない俺はそのまま体勢を崩し、ベッドの縁で足を引っかけた挙げ句に耶枝さんの上に倒れ込んでしまう。

「いって……」

 打ち付けた膝は確かに痛い。

 しかし、口ではそう言っていても頭はそれどころではなかった。

 耶枝さんと密着しているせいで何か申し訳なさとドキドキする気持ちが混ざって脳みそ働かねえ。あと顔が近い、めっちゃ恥ずいんだけど。

「えへへ~、優君だ~」

「…………」

 耶枝さん自身は全く気にしていなさそうな上に手も離してくれず、それどころかまた同じこと言ってるし。

 いくら存在感が薄いつってもそりゃねえっしょ。

「……耶枝さん?」

 どうあれこんな場面を誰かに見られでもしたら俺が耶枝さんを押し倒したように見えんじゃね? とか思っていると、なぜか耶枝さんの両手が俺の頬に添えられる。

 今一度ドキリとしたのも束の間のこと、こういう時にどうすればいいのかが分からず固まる隙に首を起こした耶枝さんの顔が近付いてきたかと思うと、トロンとした目や表情のまま唇と唇を触れ合わせた。

「ん~……ちゅ」

 密接する顔と顔。

 固まったままの困惑する頭と耳に聞こえてきたのはそんな声と擬音。

 未だ口と口は繋がっていているまま、すなわちキスをしている状態であることを遅れて理解すると急激に鼓動が早くなる。

 顔が赤くなるのを感じると同時に、ようやく思考が追い付いた。

「あshどふじゃもsdjl!?」

 な、な、ななななななな何してんだあぁぁぁぁぁぁ!!!!!

 ていうか何してんだあああああああああああああああああああ!!

 慌てて顔を離し、立ち上がる。

 息は乱れ、煩いほどに心臓の音が脳裏に響き、もう何だか今すぐにでも顔面が爆発しそうな勢いだった。

 それでもこの半生で培った危機管理能力は失われていないらしく、まず最初に思い浮かんだのはまさか誰かに見られていないだろうなというある意味では人生を左右しかねない要素だ。

 祈る思いで振り返る。

 その先には、無情にも片手にグラスを持った音川が立っていた。

「あ、あはは……どうやらお邪魔のようだね。ごゆっくりどうぞ~」

 気まずそうな笑顔を無理矢理浮かべる音川は水の入ったグラスを扉の脇にあるチェストの上に置き、こちらの反応を待つことなく去っていく。

 やべえ、これは絶対やべえ。

「ちょ、おい待て音川っ」

 廊下に消えていく背中に声を掛けるも音川は戻って来ない。

 遠ざかる足音を慌てて追い掛けようとするが、知らないうちにまた服を掴まれていてそれすらも封じられてる始末である。

「行っちゃやだ~」

「ちょっと耶枝さん、そんなこと言ってる場合じゃないですって。どうすんですかこれ」

 そもそも全部あんたの暴走のせいだからね!?

 ああああぁぁぁぁ!!!

 どうすんだこれええぇぇぇぇ!!

 ていうかマジで耶枝さん何やってんだぁぁぁぁぁ!!!!!!!

 酔ってるからって普通甥っ子にキスとかするか!?

 いや、普通に考えたら身内だからノーカンだろ?

 こんなのキスしたうちに入らんないだろ?

 頼むから誰かそうだと言ってくれ!!!!!

「ああもうっ」

 今は耶枝さんに何を言ってもどうにもなんねえ。

 とにかく先に音川に釘を刺しに行こう。

 そう思っているのに、服を掴んでいる耶枝さんが離してくれない。

 どうにか説得せねばとひたすらに理屈と屁理屈を並べ(呂律が回っていないので会話は全く成立していない上にこちらの話などほぼ聞いていなさそうだったが)、一人で必死になっている内に耶枝さんは再び寝息を立て始めてしまったので布団だけかぶせてダッシュで音川の部屋に向かった。

 キスの件は置いておく……というかもう忘れたいとして、着替えを手伝っていれば生乳でも拝めたのかもしれないと思うと今後一生後悔する気がしてならない。

 いくら叔母とはいえ、子持ちアラサーと言っても誰も信じない二十代前半を自称しても余裕で通じるぐらいのキレカワ系の童顔な若い見た目でおっぱいも大きいとくれば見たくないわけがないだろ?

 いやいやいやいや、酔っているのをいいことにそんなこと出来るか。

 しかも他人とはいえ実質身内相手に……そこまでいったらただの変態どころか最低野郎じゃねえか。

 りっちゃんやうちの両親の耳にでも入ったらどうなるんだよこれ。

 誓って俺は悪くないけど、それでも気まずすぎて死ぬわ!

「今はとにかく誤解を解かねば。おいっ、音川」

 部屋に戻っているはずだと踏んで直行してみたものの、やや乱暴に扉をノックしても何ら反応が無い。

「おーい、音川~」

 繰り返し名前を呼ぶがやはり返事がない、ただの屍のようだ。

 じゃなくて、あいつめ……さてはまたヘッドフォン装着してゲームでもしてやがるな。

 こうなりゃ仕方がない、諦めて出直してくる余裕はんざ今の俺にはないんだ。

 ということで奴には悪いが勝手に入ることにした。

 普段から飲み物を届けさせられている俺にとってはしばしばあることなので今更文句も言われまい。

 自分で部屋まで持ってきてと言うくせに無視される切なさハンパねえんだぞあれ。

「入るぞ~……って、あれ」

 と普段通り一応の断りを入れて扉を開いてみるも、中に部屋の主の姿はなかった。

 案の定プレイ中の画面のまま放置されたテレビとヘッドフォンが床に転がっているが、当の本人はどこにもいない。

 どこに行ったんだあいつ……トイレか? それともあいつも気まずくて逃げたのか?

 後者の線はまずなさそうだが、この場合俺はどうすればいいんだろう。

 いやいや、出直してくる余裕はないんだって。明日まで待ってたら大変なことになってる可能性があるんだから。

「しゃーねえ、ちょっと待ってるか」

 何してんのか知らんけど、すぐに戻ってくるだろう。

 なんて気楽に考えたのが災いだったのか、或いは結果的に知らないままでいるよりはいくらかマシだと言うべきだろうか。

 女子の部屋でただジッとしているのもどうかとコントローラーに手を伸ばすその最中。

 カーペットの引かれた床に腰を下ろすための補助にテレビの横にあるデスクに手を添える。

 ノートパソコンやら文具やらコミック本やらと並んで置いてあった通学用と思しきショルダーバッグの肩紐に指が引っ掛かってしまった。

 引っ張られて落下しようとするバッグを慌てて受け止め、デスクの上へと戻そうとしたその時。

 チャックが開いたままの中身が露わになった。

 意図せずそこから見えたのは、予想だにしない物の数々だった。

 入っていた教科書はほぼ全てがマジックで落書きされたりグシャグシャに折れ、中には破れているものまである。

 それだけではなく丸めて詰め込まれた体操着も……同じく黄色やピンクのチョークで見るも無惨なペイントが施されていた。

「なんだよ……これ」

 頭がその光景の意味を理解することを拒否している。

 それでもただ固まることしか出来なかった。

 駄目だろ……これは、駄目なやつだろ。

「っ!?」

 思わず嗚咽が漏れそうになる。

 が、その混沌とする思考回路を現実に引き戻したのは、外から聞こえた足音だった。

 やばい!

 と咄嗟に感じた俺は慌てて床に腰を下ろしゲームしてるふりをしようとコントローラーを握り、無造作にボタンを押す。

 背後の扉が開いたのは画面が動き出したのとほとんど同時だった。

「あれ? 優君じゃないか」

「なんだ、今日は自分で用意したのか」

 何気ない風を装うのに必死ながらも、手に持たれた氷入りのグラスを見て飲み物を調達しに行っていたことを察する。

 意味があるのかどうかなんて全く分からないけど、なぜかデスクに目を向けないことを自分に言い聞かせていた。

「優君はそれどころじゃないかと気を利かせたんだよ僕なりに。それよりどうしたんだい僕の部屋を尋ねてきて、もうお楽しみは終わり?」

「それだよ、それ。絶対おかしな誤解をされたと思ったから言い訳しにきたんだ俺は」

「わざわざそんなことしなくてもいいのに。おおかた酔ってる店長がじゃれてやったんでしょ?」

「……それが分かっててあのリアクションするか普通? 一瞬人生終わったかと思ったぞ」

「ははは、そうやって慌てる優君が可愛いからついね」

「良い根性してんなお前……」

「でもさ、キスされて嬉しかったでしょ?」

「いや嬉しかったというか……耶枝さんは身内だし」

「僕もしてあげようか?」

「…………え?」

「初めてだから上手く出来るか分からないけど、優君がしたいなら……いいよ?」

 やけに神妙な顔で傍に腰を下ろす音川はそのまま俺の顔を覗き込むように近付いてくる。

 あれ……なんだこの状況。

 音川が俺にキスしてくれんの?

「ま、マジで? いや待て……お前それまた俺をからかおうとしてやがるな。俺は騙されんぞ」

 落ち着け俺、これはハニートラップだ。

 ぎりぎり気付いたからよかったものの社会的に抹殺するための罠か、或いは一生強請られるネタにされる率百パーセントだろこれ。

「ありゃりゃ、そこはもう少し乗ってもらわないとからかい甲斐がないじゃないか。でもまあ、そういう反応をしてくれるってことはまんざらでもないのかな?」

「ば、ばっかお前まじ違うから。俺の純潔は愛しの白咲さんのためにのみあるんだぞ」

「出たよ白咲さん。ちょいちょい名前が出てくるけど、姫以外誰も知らないからねそれ。君が口にする度に結構みんなドン引きしてるよ」

「うるせっ。とにかく、あれは事故みたいなもんだから言いふらしたりすんなよ。話がややこしくなるし、耶枝さんだって自分を責めちゃうんだから」

「分かった分かった、言う通りにしますよ。その代わりと言っちゃあ何だけど、一緒にやるかい?」

 やれやれと首を振る音川は一転この手にあるコントローラーを指差した。

 どうにか口止めは成功した、と思っていいのだろうか。

 しれっと交換条件を持ち出してくる辺り相変わらず抜け目ない奴ではあるが、まああのハプニングを握りつぶせたことに今は安堵しておこう。

「またそのうちな。俺もまだ風呂入ってないし、帰って明日の用意もしなきゃならねえんだ。今日は勘弁してくれ、明日以降なら付き合ってやるから」

 それだけ言って、音川の反応を待たずに立ち上がる。

 後ろから『約束だからね』とか聞こえてはきたけど、特に引き留められることなく俺は部屋を後にすることが出来た。

 当然ながら、心には太く長い針が突き刺さったままだ。

 どうにか態度に出ないように誤魔化せただろうか。

 あのボロボロの教科書やノート。

 チョークの色が着いた体操着。

 それらが何を意味するかなんて、考えたくもなかった。

「何なんだよ……くそ」

 嫌な物を見た。

 という後悔と、払拭できない不安に酷く後味の悪い嫌な気分のまま、かといって今どうすることも出来ないことがもどかしくてモヤモヤとした心持ちのまま風呂場に向かった。


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