【3オーダー目】 こんなに包丁が似合う奴は他にいない
「じゃあさっそく始めましょうか。材料は前に揃えてあるから各班取りに来てね」
席の移動が終わり、大凡の作り方だったり段取りの説明が終わると先生は最後に火や刃物を扱うため悪ふざけや軽率な行動を慎むようにと付け加えてにこやかに言った。
ここからは言葉のまま調理に入る。
昨今の高校生というのはあまり料理に縁がないものなのか、周りの生徒は挙ってテンションが上がっているようだ。
そうなる理由には少なくとも同姓の仲の良い者同士での組み合わせになったこともあるのだろうが、仕事柄……というのか家柄というのか、毎日料理ばかりしている俺はどうしても浮き足立つ気分にはなれない。
料理ばかりというか、むしろ料理しかしていないぐらいだ。テンションなんて上がるはずもない。
勿論これが調理実習じゃなかったとしてもテンションは上がらないんだけど。
「あやっち、かぐや、行こ~」
ぞろぞろと先生の元に生徒が集まっていく中、俺達の班でもさっそくギャルことギャルが立ち上がる。
そういやギャルって名前なんだっけ? うーん、思い出せん。
「私は調理器具の用意をしておくわ、材料の方はお願い出来るかしら」
なぜか如月だけがそう言って同行をやんわりと拒否し、この場に残ろうとする。
ギャルは特に気を悪くした様子もなく、笑顔でそれを了承していた。
「おっけー、じゃあ男子手伝って」
視線を向けられた松本、山本は素直に付いていく。
白咲さんが行くなら俺も行かねばと遅れて立ち上がりかけるが、「アッキーはかぐやの手伝いよろしくね」とか言い残して去っていかれたので追い掛けることも出来ず。
どこで何をどう間違ったのか如月と俺だけが調理台に残された。
如月と二人で残るとか既に拷問なんだけど。
思いつつ、足下にある収納スペースからボールやらまな板やらを用意することに。
言うまでもなく俺達が言葉を交し連携を取るなんてことはない。
炊飯器は始めから置いてあるのであとはどんぶりやらしゃもじやらか……どこにあんだ?
なんて思っていると、
「ちょっと」
屈む頭上で声がする。
この声、このワードで呼ばれるのはここ最近で随分と多くなってきているが、ほぼ百パーセントの確率でろくなことにならない。
警戒しつつ体を起こして振り返ると、予想通り過ぎて泣けてくるがやはりいつの間にか傍まで来ていた如月が俺を見下ろしていた。
なぜか……片手に包丁を持った状態で。
「な、何だよ……とうとう俺を殺すのか?」
何でこいつは俺を呼ぶ度に包丁持ってんだ。
こえーよ、そして似合いすぎだろ。エプロンより似合ってんぞ包丁。
「はあ? 何をわけのわからないことを、まだ殺すつもりはないわよ」
「……いずれはそうするつもりであるかのような言い方やめてくれる?」
「いい機会だから、よく見ておきなさい」
「見とけって……何を?」
ていうか俺の生死に関わる話はいつ終わったの?
「あなたや店長がみくびっている私の腕を、よ。この前のパン作りの時も考えてはいたのだけど、あれは趣向が違いすぎるから敢えて黙っておいたの。だから今日をその日とするわ」
「えーっと……腕って、料理の?」
「そうよ。このままホールでウェイトレスをしていてもそう簡単に今以上の待遇にはならないでしょう、例え他三人とどれだけ大きな能力の差があろうとも」
「…………」
またすげーことを言い出したぞ。
何が何でも人の上に立ち、人を見下したいらしい。こいつ怖っ。
「だからこそ私は調理担当を兼ねる。いつまでもあんな遊び半分の連中と同じ扱いは嫌なの。客に提供した経験がなかったとしても、それは技術を磨いて知識を得れば到達する領域であるはずでしょう。素人の分際で無理を通そうとしているのとは言い分が違っていると思うのだけれど?」
「言いたいことはまあ……分かったけどだな、それとこの調理実習で俺を脅すことに何の関係が?」
「被害妄想はやめなさい間抜け面」
「今顔関係なくねえ!?」
「煩い、さっきからストーカーがチラチラこっちを見ているんだから気持ち悪い声は慎んで頂戴」
「あのな……せめて文句は声の大きさに対して言ってくれない? 気持ち悪い声ってお前の生理的嫌悪感を持ち出されたらどうしようもねえだろそれ」
「そんなことはどうでもいいわ。とにかく私の料理の腕を見て、それを客観的に批評するのよ。そして店長に推薦しなさい、勿論今日に限り上下関係は無いものとして見たままを感じたままを述べることを許可するわ。仮にもその域に達していなかった場合、私に遠慮して事実に反する評価を伝えられたところで恥を掻くのは私なのだから」
「まあ……元々上下関係とかないけどな」
「分かったの? 分からせて欲しいの? いつも言っているでしょう、それ以外の返答は必要としていないからうだうだと文句を言うのはやめなさい。時間の無駄」
「…………」
お前がそうやって偉そうに命令するから不平不満が口を突くんだろうが。
と言いたいのは山々だが、言ったところで何の効果もないし、どうせ聞く気もないだろうし、確かに時間の無駄ではある。単に俺が納得するかしないかだけの問題だ。
大体の場合納得出来ないまま話が進むんだけど……それはさておき、
「別に俺を使わなくても……ハナっから自分で店長にアピールすりゃいいんじゃね?」
「それが出来たらあなたなんかに話を持ち掛けるわけがないでしょう。不条理も甚だしいけど、今はまだ店長の信頼度に大きな差がある。今の私が厨房に入らせてくれと言っても無理だということは誰にでも分かる理屈じゃない」
「それで俺を脅そうってのか」
「別に脅してはいないでしょう、何を聞いていたのよ愚図。全身の皮を剥くわよ」
「……脅してんじゃねえか、今まさにリアルタイムで」
「それに関しては正当な判断でいいと言ったはずよ。実力が伴っていないのに厨房に立ったって無能を晒すだけだもの。だからあなたも私が格上の相手だからといって遠慮する必要はない、思ったままの感想を述べることを許可するわ」
「念のために聞いておくけど……何が格上?」
「品格とか外見、頭の良さ、社交性、将来性、性格、その他持って生まれた物全てぐらいかしらね」
「人間のとしての全てじゃねえか。ていうか大半は認めざるを得ないとしても、性格と社交性だけは絶対に認めんぞ。きっと俺とお前は二人揃って人類の底辺レベルだ」
「煩い黙れ。とにかく、そういうことだからしっかり見ておきなさい。周りに見ていることがばれないように気を付けながら」
「……無茶を言うな、って聞いてねえし」
材料その他を取りに行っていたメンバーが戻って来たからか、如月は勝手に会話を打ち切り、さも一人黙々と準備をこなしてましたみたいな態度を取っている。
そして人数分の材料が調理台に並ぶと例によって男子をそっちのけで女子連中だけがハイテンションできゃっきゃし始めるという毎度のシチュエーションが出来上がっていた。
対照的に特に舞い上がるでもなく、というよりは人前ではしゃぐメンタルを持っていない男衆にあって米の入ったビニール袋を雑に置いた松本が寄ってきた。
「おいアッキー、今すげえ如月さんと喋ってなかった?」
かと思うと、声を潜めてそんなことを言う。
昨日も似たようなことを聞かれたような気がするんだけど、どんだけあいつと誰かの会話が気になるんだよ。
「別に雑談してたわけじゃないって。単に調理器具の準備の話だよ」
面倒なのでそういうことにしておこう。
この調子じゃ適当に茶を濁しても引き下がらなそうだ。
納得したのかどうかは分からないが松本はそれ以上何も言わず、丁度そんなタイミングで先生の号令が飛び、それが調理開始の合図となる。
それぞれの調理台に班で分かれてはいるが、共同作業というわけではなく各自が自分の分を作るということになっているらしい。
とはいえ同時に六人が調理するのはさすがに無理がありそうなので、
「全員一緒にやっちゃうと狭いだろうし、俺は先に米を炊いとくわ」
「オッケー」
松本と山本に言ったつもりが、なぜか向かいにいるギャルから返事があった。
不意打ち過ぎる謎プレイに咄嗟の反応が出来ずに返す言葉を探してどもりそうになったが、ギャルはギャルで全然こっちを気にしていないどころか見てもいなかったので助かったやら虚しくなるやらである。
それどころかそんな遣り取りなどなかったかのように、
「料理とかこの前のパンのやつ思い出すくない?」
とか言いながら、食材を物色しているのでもういいや。
「はぁ、んじゃ俺達もぼちぼちやろうぜ」
毎度のことながら女子に混ざっていく度胸のない二人は調理手順やら何やらが載っているプリントを見ながらあーだこーだ言ってるだけだ。
目の前には米、鶏肉、ネギ、卵、タマネギと各種調味料が並んでいて、あとは炊飯器やら包丁、まな板などの調理器具と皿や箸が別に用意されているといった具合。
同じ班でありながら既に二組に分かれている感が否めないが、どうあれ時間内に作り終えないといけないとあってそれぞれが野菜や鶏肉を手にし料理を始める。
宣言通り、俺はどうせ誰もやらなそうだからということで一人ひっそりと米を洗うことに。
まあこいつらと必要とする時間も違うだろうし、最後でいいだろう。
「ちょ、見てこれ! 黄身二つあるんだけど!」
「ほんとだ、すごーい」
いわゆる双子卵を見つけたらしく、如月を除く女子二人はボールを覗き込んで騒ぎだした。
相変わらず楽しそうな女性陣、そして可愛い白咲さん、浮いている如月。なんだかこれも社会見学の時と同じだ。というか卵割るより先にやること山ほどあんだろ、プリント読めプリント。
「写メっとこ、インスタ映え系でしょこれ」
馬鹿だからゆえか、ギャルは授業中だということなどお構いなしに携帯を取り出しピコンピコン鳴らしながら卵の黄身を写真に収めだした。
……時間までに終わるんだろうなこれ。
「おっと」
そんなこと言ってる場合じゃなかった。
如月の料理の様子をチェックしとかないといけないんだ。
よく見ていませんでした、なんて言おうものなら確実に血祭りに上げられる自信がある。
手元で米をしゃこしゃこ洗いながら視線を向けてみると、白咲さんやギャルに混ざることなく一人淡々と包丁を手にまな板を叩いていた。
皮剥きであったり包丁の使い方はまあ、それなりに手慣れている感じはするけど……所詮たまねぎオンリーだからな。
親子丼の出来映えで料理の腕とか判別出来ない気がするんですよね、正直言って。奴には正論なんて通じないので手遅れ感しかないんだけど。
「…………」
あからさまに凝視していては周りにどう思われるやら分かったもんじゃないので隙を見ての観察を続ける。
ちょいちょい山本達が迷走しているのを止めないといけないのが若干邪魔だけど、そう工程も多くないので問題はないかなといった感じだ。
如月はフライパンに水、しょうゆ、みりん、酒、砂糖にだしを順に投入していく。
バイトの時と同じく要領よくテキパキと計量カップに移してはフライパンに流し込んでからタマネギを足し、火に掛けている間に鶏肉を切ってと手順としてもまあ別段おかしなところはない。
俺がひっそりと全員分の米を洗い、早炊きセットをして米が炊けるまでの二十分を待たずして他の班員を残し一人だけ完成させてしまっていた。
「うっそ、もう出来たの? かぐや早くない?」
「パンの時も思ったけど料理上手いよね」
「ほんとそれ、マジ女子力ハンパないし」
女性陣からは賞賛の嵐である。
当の如月は「このぐらい普通よ」と、表情一つ変えることなく平然としているあたりどこまでも鉄面皮な奴だ。
その後は白咲さんやギャルの手助けをしつつ、若干迷走しながらも形だけは出来上がった松本と山本も調理の終わりが見え始めた頃、洗い物をする振りをして流しに立つ俺の隣まで来たかと思うと前を向いたままやや抑えた小さな声で言った。
「どうだったかしら、あなたから見て」
「うん……まあ、料理に慣れてるってことは十分に分かったよ」
「時間の無駄だから含みのある言い方をしないで。思ったことがあるならはっきり言いなさいよ」
「いや別にそういうわけでは……頑張ればすぐに上達すると思うしさ」
「私がいつ将来性の話をしたのかしら? 今の能力で飲食店の調理場に立つに値するか否かを聞いているの。イエスかノーか、答えはそのどちらかしかないはずよ」
せっかく気に障らないように言葉を選んでやってるのに……何が気に入らないんだこいつは。
こんなんどう答えても俺が割を食うパターンだろうに。
後が怖いしなぁとか思ってオブラートに包んでみた俺の配慮を無駄だというのなら、はっきり言ってやろうじゃないか。
いい加減その偉そうな態度にもイラっとするしな。
「あれ? アッキー全然作ってないじゃん、もうすぐみんな完成するよ?」
そんなタイミングで、ようやく元から極限まで細微な存在感を消していた俺に気付いたらしい山本が心配そうにこちらを見た。
敢えてそれを無視し、他の連中の視線が集まる中で同じく周りに聞こえないぐらいの声で俺は告げた。
「だったら率直な感想を言ってやろうか。味云々以前の問題だ、計量カップなんて使ってる時点で論外なんだよ」
「…………」
「完成させる技術があればいいって話じゃない、だからといって早いだけじゃ何の意味もない。俺だって偉そうに言える程の腕があるわけじゃないけど、それを両立させるために無駄を削って、効率化を図って、体で覚えるまでにどれだけの時間と努力を必要とすると思うよ? 分かっていないから、知らないから軽々しく待遇が良いからそっちにする、なんてことが言えるんだよ。料理なんて日頃家でやってるから調理場にも立てるって? 馬鹿じゃねえのか、料理舐めんな」
開き直りの境地とでもいうのか、もう抑えることが出来ずに言いたいことを全部言ってしまっていた。
反論を聞かされるのを拒否する意味を込めて、そこで初めて俺は調理台に向かい合う。
米が炊けている状態で親子丼を作るんだぞ? そんなもん五分そこらの作業だろうが。
のちに後悔することになるなどと考える余裕はなく、山本の前を強引に通り過ぎると半ば感情的なままに俺は材料と器具を手にしていた。
残っていた半分程のタマネギの皮を剥ぎ、手早く一人分だけを切り分け、一人用のフライパンを火に掛け水を流し込むと次々にその上から調味料を足していく。
しょうゆ、大さじ1杯。
みりん、大さじ1杯。
酒、大さじ1/2杯
砂糖、大さじ1/2杯
和風だし、小さじ1/3杯。
ちなみに水は80ccほどだ。
如月とは違い、全てをボトルから、或いは袋から直接投入している。
そしてタマネギを放り込み、少し火を強めて待つ間に鶏肉を一口大に切って一分後にこれまた放り込んだ。
中火で三分ぐらいが相場だが、時短のために敢えて強めの火にしておくのは癖みたいなもんだ。
強すぎると煮詰まって辛くなってしまうけど、少々強いぐらいなら二分程度の時間ならそう大きな違いはない。
そこに溶き卵を入れ、そのまま蓋をして三十秒で完成というのが普通の作り方らしいんだけど、俺は昔母さんに習った方法をそのまま使っているので卵は2/3だけ入れて、火を止めてから残りを入れるようにしている。
そうすることで半熟になってちょっとふんわりするのが気に入っているだけだけど、「ちょっとしたプロの技なのよ?」とか言われて舞い上がっていた部分もないとはいえない。
その三十秒の間に米をどんぶりに注ぎ、蓋を開けたところで残りの卵を足して盛りつければ今度こそ完成だ。
このぐらいやってから初めて挑戦状を叩き付けて来い。
という意味で見せつけてやったつもりでいたのだが……そこで初めて顔を上げると如月ではなく、他の全員が唖然とた顔で俺を見ていた。
「…………えっと」
あれぇ~……俺、もしかしてやっちゃってない?
挑発に乗ってやってはいけないことをやってしまってない?
くそ……目立つのとか一番嫌いなのに、俺の馬鹿野郎。
「すっげ、てかはっや」
ぼそりと、ギャルが呟く声が胸に突き刺さる。
さすがに昨日俺が喫茶店で働いていることを知ったばかりの松本山本コンビは驚いてはいても引いてはいなさそうだが、女性陣はそうもいかないらしい。
「うん、ほんとにすごいね秋月君」
「もしあかしてアッキーって料理出来る系男子系?」
だから……系って二回言うな。
そんな言葉も飲み込み、どう誤魔化すかばかりを考える。
そして、その視線の向こう側で如月が悔しそうに唇を噛んでいた




