【3オーダー目】 振り返ればそこにはピンク
なんとも幸せな五限目を終え、休憩時間になった。
見ているだけでも十分に癒されるというのに、僅かとはいえ直接会話しちゃったからね。初会話が成立しちゃったからね。
そりゃあもう密かに緊張してたし、何なら赤面してたんじゃねえかぐらいに照れ臭かったさ。
休憩時間が終わればやってくる残り一時間のそんな時間に備えて気持ち的にちょっと落ち着かなければとトイレにやってきた程だ。
特に尿意も無いのに便器に向かい、鏡の前で平々凡々な己の顔を眺めながら一度大きく深呼吸をしてあんま意味無いことに気付いたところで諦めて教室へと戻っていく。
その道のりである廊下はいつだって友達同士の触れ合いに溢れていて、そういうものを求めていない人間であってもどこか疎外感を味わわされている気になるのはどうしてなんだろう。
そんなことを考えながら、それでいて特に山本や松本が恋しくなったり奴らに感謝する気持ちがしたりするわけでもなく教室に戻ると自分の席に座っている二人の横に誰だか他のクラスメイトがいるのが目に入った。
何か話をしているらしいことは遠目から分かるが、どうにも良い雰囲気には見えず山本や松本はあからさまに迷惑そうな顔をしている。
少なくとも俺は面識が無い奴だということは分かるが……なんだろう、あいつらの顔見知りか何かだろうか。クラスメイトなのに顔見知りじゃない時点でどうかとも思うけど、会話をしたこともなければ名前も知らないのだからそう言うしかない。
当然ながら知らない奴が含まれている時点でさりげなく自分からその輪に入っていく術などもっていないので俺は黙って自分の席に座ることにした。
しかし、どういうわけか向こうから俺をその輪に引きずり込んでくる。
声の主は山本だ。
「あ、アッキー」
「ん? どした?」
無視するわけにもいかず、さも『ああ、そこに居たのか。全然気付いてなかったわ』みたいな演技をしつつ視線を向けると山本はどこか気まずそうに俺を見ていた。
その原因は恐らく見慣れない三人目にあるのだろう。
ちらりと横目で窺うと、どうにもいけ好かないタイプのまさに俺達みたいな奴を見下していそうなクラスメイト代表格みたいなチャラい雰囲気をした男子生徒だった。
「東城君が……」
なるほど、東城というのがそいつの名前らしい。
どう考えてもまともな用事で俺達に絡んでくる人種ではないだろう。
俺を見る山本の目がどこか助けを求めているように見えるのも単に気弱な性格だけが原因ではあるまい。
女子と違って主に物理的な身の危険に繋がりかねない男子生徒相手だと先程のギャル相手みたいに勝手に克服されているということもないようで、恐る恐る東城というらしいロン毛と目を合わせてみるとなぜかこちらに寄って来るなり強引に肩を組まれた。
「戻ってくんのおせぇよ秋月~。ちょっとお前らに頼みがあってさ、こいつらに先に話してたとこなんだけど」
「た、頼み?」
接近したことで凄まじい香水の匂いが鼻を刺激する。
やはりというか、どうにも馬鹿にした様な口調の東城の言っていることはよく分からないが横から山本がそれを補足した。
「東城君が修学旅行と社会見学の班を交換してくれって言ってるんだけど……」
「……はい?」
修学旅行の班?
交換というのは、つまりはそういうことか。
「いや、そんなの無理だって。大体今更言ったって許可されるわけが……」
ほぼ見知らぬ男子相手とあって目を合わせることも出来ず、俯き加減のまましどろもどろになってしまう。
だけどそれでも、俺にとってそれは受け入れることは出来ないと拒否する意志をどうにか口にしていた。
しかし、東城は簡単には引き下がりはしない。
「いいんだよそんなのどうにでもなるから。先生には俺らから言っておくからいいだろ?」
「そうだとしても、駄目だって。駄目駄目、もう打ち合わせも大体終わってるしこっちにも事情が……」
「オイ、俺がこんなに頼んでんだからよ。ちょっとは察しろよお前」
そう言った東城の声は唐突に低くなっている。
同時に肩に回された腕の力が明らかに強くなっていた。
締め付ける様に力強く、半ば脅しているような口調も含め苛立ったことが分かる。
「そう言われても……というか代われっていう理由は何なんだよ」
「んなもんこれに決まってんだろ?」
東城は小指を立てる。
チャラい割に表現方法が古くさい気がしないでもないが、それはつまり女ということか?
察しろという言葉を踏まえるならば、要するに女子三人組の中に彼女がいる、ということのようだ。
そうだとすると……それは一体誰だ。
まあ、如月はありえない。
そして白咲さんは俺の嫁とくると消去法で残るは一人。なるほど、ギャルか。
見た目もチャラいし、すげーお似合いだな……。
「とにかく、いくら彼女がいるからって俺達は嫌だし、もうギャルに直接言ってくれよ」
直接交渉してあっさりOKされても困るのだが、恐らく俺達がどう言ったところでこいつは引き下がらない。
東城にとって俺達の存在などパシリ以下の雑魚キャラという認識ぐらいしかないはず。そんな俺達に反抗されるというのはクラス内で一定の地位を持つこの手の人種にとってはカチンとくるのも無理はない。
そんなリア充のプライドなんざ俺には何の関係も無いんだけど……流石にそれを口にするといよいよ暴力がチラつく気がするのが難儀な問題だ。
「はあ? ギャル? 何言ってんだお前」
この状況を脱する方法を必死に考えている中、東城は完全に馬鹿にした口調で俺をガン見していた。
何がそうさせたのかはよく分からない。
「えっと……ギャルと付き合ってるからとかそういう理由なんじゃないのか?」
「誰だよギャルって、つーか付き合ってねえよ。俺はマジで如月狙ってんだよ、他の奴らと違ってな。おら分かったろ? だから黙って代われ」
「き、如月……」
そっちかよ。しかも付き合ってるとかじゃなくて片思いときたか。
俺も人のことは言えないのでそれは別に何だっていいが、だからといって俺がその言い分を受け入れられないのも全く同じ理由なのだ。
だったら如月だけ持って行っていいからそれで勘弁してくれ。
なんて、それはそれで身勝手なことを口にしようとした時、ふと廊下の方でざわつきが起きた。
何事かと思わず肩を組まれたまま視線を向けるが、開いた窓から見える廊下の様子を見ただけではその原因は理解出来ない。
「おい、あれ今朝言ってた上級生を病院送りにしたっていう一年の女じゃねえのか?」
同じく廊下を見ているのは東城も山本や松本も同じだったが、唯一それを把握したらしい松本がボソリと小さな声で俺達に言った。
そして、よく見てみると確かに金髪の女が二人廊下を歩いている姿が目に入る。
今朝の話。
それは確か一年の女子が三年の男子と喧嘩して病院送りにしたということだったか。
その一件が校内に知れ渡っているとするならば、そんな狂暴な生物が堂々と二年の教室の前を歩いているのだからざわつくのも無理はない。
そもそもそんな事件を起こした奴がなんで平然と校内に居るんだよ、停学とか処分が決まるまで自宅待機とかになるのが普通だろ。
大体だな、明らかに二年の連中の方が道を空けるってどうなってんの……この先この学校は奴らに支配されるの?
などと思いながら四人で廊下を見たまま固まっていると、その金髪二人組の視線が不意に教室の中に向いた。
かと思うと、なぜかこちらを指差し一言二言耳打ちを交わすとズカズカと教室に乗り込んで来る始末である。しかも、真っ直ぐに俺達の席へと向かってきていた。
何これ、誰か知り合いでもいたのか。
絶対違うよね。『何見てんだコラァ!』みたいなことになるんじゃねえのかこれ。
何でこう金髪の奴ってのは荒くれ者が多いんだ。と、嘆く気持ちはあるもののダッシュで逃げたいのに東城に肩を組まれているせいでタイミングを逃したため慌てて目を逸らす作戦しか選択肢などない。
明らかに警戒心を抱いたことで、それでいてそれに気付かれて要らぬ反感を買わぬように何気ない風を装って談笑の続きをしている奴らだらけになった教室の端でどうにか絡まれるのが俺じゃありませんようにと願いながらその時を待つ。
しかし悲しきかな、二人組は完全に俺か東城のどちらかに用があるらしく、二つの足音は真っ直ぐに俺の席へと向かってきていた。
さっきまでの威勢はどこにやら、東城もビビっているのか肩に回した腕を外し心なしか後退っている。
次の瞬間聞こえてきたのは、こんな声だった
「アニキ!」「兄貴!」
「…………」
「…………」
「…………」
山本も松本も東城も無言で固まっている。勿論俺もだ。
アニキと確かに聞こえた。
その単語が何を、そして誰を指しているのか。
それを確かめるべく目を合わせないように伏せていた顔を恐る恐る上げてみると、目の前に立っていたのは金髪の女子が二人という当初の認識と何ら変わりないものだった。
一人は髪の毛全部が金色で、一人は黒髪の中に金色のメッシュで黒と金が半々な感じの馬鹿みたいな頭部をしている。
そして、そんな馬鹿みたいな髪に俺は確かに見覚えがあった。それはどこだったかと考えるまでもなく、続けて顔を見たせいですぐに思い至る。
ああ……制服を着ているから分からなかったけど、こいつらアレだ。
「お前ら……相良んところのピンクか?」
相良。というのはシャルール デ ラファミーユ略してファミーユの同僚でもあり、どこだかのレディースチームで総長を務めるアルバイトその名も相良巴総長なのだが、俺の記憶が間違っていなければこいつらはその相良の舎弟だ。
いつ見ても上下ピンクのジャージー姿で、土日や放課後によく相良に会うためにやってきてはダベっている数人組の中にいる二人である。
ジュース数杯で二、三時間を過ごされるのは鬱陶しいことこの上ないが、こいつらのチームには【店と耶枝さん、ついでに俺に迷惑を掛けたらぶっ殺死】というルールが出来たらしく、夜間用のメニューに切り替わる前にはちゃんと帰るので中々文句も言えない難儀な連中とでも言えば分かりやすいか。
勝手にそんなルールを作られたせいで俺は奴らに『相良に認められた唯一の男』という扱いと認識をされてしまい、顔を合わせるたびにアニキアニキと馴れ馴れしく絡んでくるのである。
そのおかげで初対面の時以来威圧的な態度を取られることもなくなったという点では俺の肉体や精神は大いに助かっているが、アニキと呼ぶなと何度言っても聞きやしない。
俺が二人のことを思い出したからか、ピンク二人(今日はピンクではないが)はやっぱり馴れ馴れしく絡んできた。
「ピンクって、そりゃ無いッスよアニキ~。いい加減アタシらの名前覚えてくださいよ」
勝手に前の空いている椅子と机に座ると、二人は友達みたいな雰囲気で勝手に輪に加わる。
「いや、覚えるも何も一回も聞いたことないんだけど」
「つーか兄貴学校同じだったんスね。全然知らんかったッスよ」
「うん……そうみたいね」
悲しいことに。残念なことに。
「ていうかね、もうほんとアニキって呼ぶのやめてくれない? 俺にも立場ってもんがあるからさ。大体何しに来たの君ら」
ただでさえ衆人環視の中、しかも自分の教室で謎のピンク(今日はピンクではないが)に兄貴とか呼ばれるとか……最悪だ。
もうほんと白咲さんいなくてよかったわ。
「兄貴がいるのが見えたから挨拶しに来たに決まってんじゃないッスか」
「つーか、横の野郎がアニキに絡んでんのかと思って殴りに来ただけッスよ」
「殴りに来たって……」
どうやら俺が困っているのが目に入ってわざわざ止めにきたらしい。
その辺りは義理人情に厚いというか、仲間意識が強いヤンキーらしいというか、いずれにしても助けにきてもらった立場で責めることは出来ないのかもしれないけど、挨拶と人を殴るのが同列なのかお前らにとっては。
呆れるやら、一年の女子に助けに来られて虚しいやらという微妙な感情が一層テンションを下げる。
その隙に、二人はきっちり東城に詰め寄っていた。
「オイ、てめえアニキに喧嘩売ってたろ? 文句あんならアタシら通してから言えやゴルァ」
「どっかで見た顔だと思えば、お前も病院送りにすんぞオリャア」
「い、いや俺は……」
方やさっきまで俺がやられていたように力尽くで肩を組み、方や胸ぐらを掴み、ものすっごい至近距離で東城を睨み付け威圧している。
「おい……やめろって。クラスメイトとちょっと話してただけだから」
「え~、アニキ学校に友達いないって言ってたじゃないッスか」
「そりゃいないけどだな、友達じゃなくてもクラスメイトなら話ぐらいするだろ。それにお前等だって喧嘩ばっかしてたら不味いことになるんだから、もうやめとけって。ただでさえ上級生の教室なんだぞ」
「喧嘩っつーか一方的にボコっただけッスけどね」
「うちらのチームって大体の奴が空手とか合気道経験者なんで喧嘩とか負けねえッスから。まあ、アニキがそう言うなら今日は引いときますけど。やいテメエ、今度アニキにふざけた真似したら校舎裏行きだかんな!」
「兄貴が大人しいからって舐めてたら痛い目みっからな!」
最後に恫喝を一つして、二人は東城から離れた。
なのに、なぜか再び前の席に座り今度は俺の方へ寄ってきた。もう帰れよマジで……。
山本と松本がいつもの五倍ぐらい空気になっちゃってんじゃねえか。東城も完全にビビってるしよ。
「それでッスけど、アニキどうやって姉さん落としたんすか? ずっと聞きたかったんスよね~」
「は? 落としたって?」
「え? だって姉さんと付き合ってるんしょ?」
「いや、付き合ってないから。全然そういう関係じゃないから」
相良と俺は間違っても付き『合って』などいない。
ただ一方的に『突かれた』ことなら何度もある。主に頭突きとか正拳突きとか。
そんなことはさておき、こやつら何を勘違いしているのか。
というか教室でそういうこと言うなっつーの。白咲さん帰ってきたらどうすんだお前。
「あの男嫌いな姉さんが認めた野郎なんて他にいたことねーんスから、サッサとくっついてくださいよ」
「そうッスよ、大体姉さんのこと名前で呼ぶ男なんてアニキぐらいしかいないッスよ」
「そうかもしれないけど、別に俺は男として好かれてるわけではないからね? 同僚としては認めてもらえてるのかもしれないけどさ」
店の中では強制されている上にミスると鉄拳制裁だから『巴』って呼んでいるけど、今は完全に相良って呼んでたろ。
そもそも何故仮にも副店長の俺が新人バイトに認められなきゃならんのかは未だに謎だし。
「なーんか上手く誤魔化されてる気がするッスけど、その辺は追々詳しく聞かせてくださいよ」
「今日も放課後お邪魔するんでその時にでも」
頭上にチャイムが響いたからか、二人は半ば一方的に言い残すと「そろそろ失礼しまッス」と去っていく。
四人が四人とも、呆然としながら教室を遠ざかっていくその背を見送るしかなかった。
これは余談ではあるが、あいつ等の名前は金髪の方が石崎香織でメッシュの方が大城戸華というらしいことを後から聞かされた。
例のチーム内のルールからか、それぞれ香織、華と呼んでくださいッス。とか言われたが、誰が呼ぶか。
そしてもう一つ。
朝の上級生と喧嘩した一件に関してだが、その上級生が一方的に付きまといナンパ的なことをした結果揉め事に発展したというのが事の真相なのだそうだ。
要するに向こうの非が大きいからこそお咎めが少なかったということらしい。
ちなみに、その上級生というのがこの東城の兄で、その時一緒に居たんだとさ。道理で奴らにビビってたはずだ。
兎にも角にも、班を交換するしないの話が有耶無耶なまま終わったので少しだけは感謝しておいてやるとしよう。
たまには役に立つピンク。しかし、二度と学校内では会いたくねえ。




