【1オーダー目】 非リア充過ぎる日常の分岐点
運命の分かれ道というものを避けて通れる人間はいないだろう。
例外なく、生きていく上で、大人になっていく上で、あるいは何かを志し、目指し、欲し、追いかける中で人生という自分が自分である長い時間に影響を及ぼす岐路や分岐点というのは幾度となくあったはずだし、この先も幾度となくあるはずだ。
それは進学先や就職先であったり、部活だったりバイト先の選択でもそうだし、例えば進級して新クラスで誰と交友関係を築くかというような小さな事であっても大いにその後の人生を大きく左右する問題であるといえる。
そのほとんどが人間関係や自己の形成、或いは自らが身を置く環境に関わることなのだろうし、何もしない、ということもまた、選択肢の一つなのだと思う。
一つ選択を間違ったせいで一生後悔することもあれば、たまたま選んだ道が大きな財産をもたらすことだってある。
かと思えば自らに選択権が無い、つまりは他人や運に委ねられるものもあるわけで。
何気ない日常に潜む無数の分岐点は、例えその瞬間に大した意味を見出せていなくとも、深く根強く、そして確実にその後の人生という名の道の足場となってゆくのだ。
とまあ、なんとなく堅苦しい感じになってしまったが、結局何が言いたいのかというと、人生って難しいよね的なことなどでは一切なく、その自らが干渉出来ない分かれ道が続く先は運に、天に、委ねるしかないということが言いたかったわけだ。
自らが切願する結果になることを夜も眠れないぐらい祈ってしまう程に、神に祈ってしまうほどに、自分に取って重要な分岐が目の前に来ている。
幸運だから良い結果を得られるのか、運命で決まっているからその結果に導かれるのか、そんな事はさらさら知ったことではないが、それでも俺に出来るのは祈ることだけであることに間違いはない。
そういう局面に、今の俺は直面しているのだ。
○
ゴールデンウィークも間近に迫った四月の末日。
俺はいつものように起きがけのパジャマ姿のまま居酒屋のカウンター席で朝食を待っていた。
というのも、別に学生の身分でこんな時間から居酒屋に食事に来たということなどあるわけもなく、そもそもこんな朝っぱらから開いている居酒屋なんてあるはずもなく、ただ単に実家が居酒屋だっただけの話だ。
秋月という名字から取って『一杯呑み屋 アキ』というお世辞にも大きいとは言えない居酒屋である我が家の一階には勿論他の客など居らず、テーブルを挟んだ調理場で母が仕込みついでに俺の朝飯を作っているだけの静かな空間だった。
ちなみに父親はこの時間は市場に行っているので家に居ない。
とまあ誰に対してかも分からない解説をしつつ寝不足で重い瞼をどうにか閉じないように耐えているうちに、
「はい、出来たわよー」
と、母がどうやら完成したらしいお盆に乗った卵焼き定食風の朝食をカウンター越しに差し出してきた。
定食と言ってはみたものの、ただ卵焼きとご飯と味噌汁だけなのだが朝はこのぐらいの量が丁度良い。
「ふぁ~……いただきます」
ノロノロと惰性で手を合わせて箸を取る。
そんな俺を怪訝そうに見ていた母だったが、敢えて話題にするほどのことでもないと判断したらしく全く関係ない話を振ってきた。
「二年生になって一ヶ月ぐらい経ったけど、新しいクラスには馴染めてきた?」
「はっ、俺がこれまでに何かしらの集団生活に馴染んだことがあったかね?」
「まーたそんなこと言って。根暗なんだから」
「根暗とか言うな。別に友達はいるし、クラス会にだって行ってないけど呼ばれたし、ぼっちってわけじゃない。ただガラじゃないんだよ、大勢でワイワイやったり、いかにも一致団結とか和気藹々とかって雰囲気を壊さない空気読めます風を装ってる奴らの輪の一部になるのがさ」
「どんだけ卑屈なのよ……せっかく社交性だけはあるのに勿体ないわねぇ」
「その社交性はこの店で身に着けたもんだろ。別にクラスの雰囲気を悪くしてるわけでもないし、ただ積極的にその輪に入りたいとは思わないってだけなの。その都度人間関係を形成するのも面倒だしな」
そしてサラっと社交性だけとか言うな。もっと他にもある……はずだ。
「俺には一つの輪があれば十分。それが叶うか否かが今日決まるのだ」
「今日? なんかあるの?」
「修学旅行の班決め」
「へぇ、もう修学旅行に向けて動き出してるのねぇ。行くのは十月なのに」
「その前に遠足やらなんやらあるからな、一緒くたにするつもりなんだろ。ちなみにこの一週間、今日のために俺は寝る間も惜しんで千羽鶴を四本も作り上げたんだぜ?」
「なんでドヤ顔なのかは全然分からないけど、それで今日も寝不足全開だったのね。ていうかなんで千羽鶴なのよ」
「なんか願いが叶いそうな感じがするかなーって」
「そんないい加減な認識で千羽鶴を折る人初めてみたわ……ていうか、そもそも何を願うのよ」
「白咲さんと同じ班になる」
「白咲さんって?」
「クラスの女子」
何気なく答えたつもりだったのだが、母は途端にニヤつき始めた。しまった……喋り過ぎたか。
「ほう! ほ、ほ、ほう!」
しかもなんかすげー嫌な笑みを浮かべている。何その声、バルタン星人?
「な、なにかね?」
「まさかあんたがそんなことを言い出す日が来るとはねぇ。何? 好きな子なの?」
「そ。百人の友達よりも一人の恋人と少しのおっぱいがあれば俺は満足なの」
「おっぱい……」
すげえ悲しい目で見られた。母親に。
こんな目をされるのは女子の制服基準で高校を決めようとした時以来だ。惨めになるからやめてくれと言いたい。
「俺は愛とおっぱいに生きる!」
「おっぱいに生きるってどんな生き方なのよ……」
「もし白咲さんと同じ班になれたら俺……修学旅行で告白するんだ」
そんなシチュエーションを妄想して遠い目をしていると、母さんは不思議そうに首を傾げた。
「何? あんた死ぬの?」
「死なねえよ」
死亡フラグとかじゃねえよ。恋愛フラグなら立てたいけど。
「なんでもいいけど、告白するなら最終日にしときなさいよ? 残りの時間どんより過ごすんだから勿体ないわよ?」
「なんで振られる前提なんだよ!」
「そんな馬鹿な事ばっかり言ってる奴に恋人が出来るわけないでしょ」
「ほっとけ、ごちそうさん、行ってきます」
必殺朝の挨拶三段活用をかまして立ち上がる。
どうしてこう母親って年頃の息子の思考を理解出来ないのか。高校生男子なんて考えてる事の八割は好きな子の事とおっぱいの事だろが。
「あ、そうそう」
と、部屋に戻ろうとする俺を呼び止める声がした。
振り向くと、またなんかニヤニヤしている母がいる。母ガイル。
「耶枝があんたに話があるんだってさ」
ヤエ? 誰? と、一瞬考える。
幸い脳内に登録されたメモリーが少なさ過ぎてすぐにヒットした。
「伯母さんが? つーかそれ母さんにじゃねえの? 俺個人にじゃないだろ?」
「あんた個人によ。今日の三時半に駅前のなんたら言うファミレスで待ってるって」
「今日!? 急すぎるだろ……なんで当日の朝に。ていうか俺に何の話があるんだよ」
年に数回しか顔を合わさない叔母が甥っ子に個人的な用事なんてあるだろうか。
「さぁ、何かしらね~」
このムカつく顔……絶対内容知ってるな。
だけど、どうせ問い質しても答える気ないパターンだこれ。
意図的に当日まで黙っていた感じが丸分かりだし、なんか企んでること山の如しだもの。
もし放課後に友達と遊ぶ予定とかあったらどうするつもりだよ。……うん、前例ゼロだから心配いらないですね。分かります。
「はぁ……行けばいいんだろ行けば」
拒否ったら説教されそうなので渋々了承しておく。
あの人マイペースだからあんまり得意じゃないんだよなぁ。そもそも面倒くせぇし、三時半って学校終わってすぐじゃねえか。
「耶枝のことよろしくね。あ、あと帰ったら店手伝って」
「はぁ? なんで今更手伝いなんか……」
「しょうがないじゃない。バイトの莉子ちゃんが今日お休みなのよ」
「莉子ちゃんだかリカちゃん人形だか知らんが俺をクビにしてまで雇ったバイトのくせに役に立せん奴だな。第一、その事に関しては俺はまだ怒ってんだからな」
「年上の莉子ちゃんに奴とか言わない。大体クビにしただなんて人聞きが悪いわね。あんたには他にやることがあるの。母さん達だって仕方なくそうしたんだから」
出たよ出たよ。「学生の本分は勉強」パターン。その文句で納得出来た奴が過去に一人でもいたのかよ。
「もういい。俺は行く! 仕事着用意しとけい」
拉致が明かないので返事を待たずに自分の部屋に向かった。背後で「行ってらっしゃーい」という暢気な声が聞こえてくる。
どうにもこの一族には自分本位な主義主張がデフォルトで備わっているらしい。
○
校門を潜ると、途端に人の列に囲まれる。
私立松葉坂高校は学力中堅、特に名の知れた部活無しという平凡な学校だ。
それなりに進学校と化していることに加え、意外と真面目な奴が多いせいか成績上位に食い込むのは結構大変だったりする。常に赤点を回避するだけで精一杯の俺には関係ないけどね。
とまあ、好きな制服で選ばせてもらえないのならせめて。
と、家から一番近いからという湘北高校の十一番っぽい理由で決めた学校は俺の学力では辛いものがあるのだった。
別に成績が悪くてもいいし、バスケ部のエースじゃなくていいからああいうイケメンに生まれたかったぜドアホウめ。
靴を履き替え教室に入ると、フレンドリーさ全開のクラスメイトの誰だかの挨拶に軽くキョドりながら答えつつ自分の席へと向かうと横の席と後ろの席には馴染みの顔が二つ、いつものように先に座っている。共に俺に気付くなり控え目に片手を上げた。
「おはようアッキー」
「ようツッキー」
「はよっす」
同じく片手を上げて二人の挨拶に答えると俺も自分の席に腰を下ろす。
呼び方を統一してくれ、という主張は十回目ぐらいで諦めた俺。
秋月の『秋』から取るのか『月』から取るのかいい加減ハッキリして欲しいものだ。
そのうち三段活用で『八代亜○』や『もんじゃ焼き』と続けられるのではないかと危惧する毎日である。誰がラッキーマンだ。
そんな山本と松本というこの二人はクラスでは比較的一緒にいることが多い数少ない学友だ。というか、ぶっちゃけこいつらぐらいしか談笑出来る相手なんていない。
だからといって親友などではないし、俺もどっちが山本でどっちが松本なのかいまいち自信もないし、特に今後の学校生活に深く関わってくることもないだろうから容姿や性格についての解説は割愛することにしよう。
馬鹿な奴と大人しめの馬鹿な奴ぐらいの認識さえあればそれでいい。
「オイ」
「ちょっと待とうか」
すかさず抗議の声が飛んだ。ガッチリと二本の腕に左右の肩を掴まれる。
「なんだよモブキャラ共」
「そりゃないでしょアッキー。そんなことされたら巻頭の人物紹介に載らなくなっちゃうじゃないか」
「絵師さんに優しい俺マジパネェだろが」
「そんなことよりも名前の区別が付かないってどういう事だよゴルァ」
「悪意はない。この学校で俺の脳内メモリーに登録する名前は一人だけでいいと思ってるだけだ」
言うと、二人はジト目で俺を見る。
「……悪意はなくても悪気はあるよね、それ」
「ていうかお前白咲さんに拘りすぎじゃね?」
「ばっか、お前個人名出してんじゃねえよ!」
誰かに聞かれたらどうすんだ。
松本に詰め寄ると、二人は焦った表情で立てた人差し指を口元にあて「シーッ」と、すなわち静かにしろ、というジェスチャーを取った。
「こ、声が大きいよアッキー」
「周り見ろ周り」
「……あー」
おおう……完全にやらかしてるよ。つい興奮して声を荒げてしまった。
一瞬で教室は静まり返り、クラスメイト達の視線を一身に集めていた。
見事に「クラスの地味軍団が朝からはしゃいじゃってるんですけど。ウケる」的ないたたまれない空気が充満していた。
嘲笑とヒソヒソ話をやめろオイ。割と本気で恥ずかしいんだぞ。
手元にデスノートがあれば白咲さん以外を皆殺しにしているところだ。ほぼ全員名前知らんけど。
「もう、気を付けてよアッキー。変に目立っちゃったじゃない」
元来気の強い方ではない山本が拗ねるような顔で抗議の一言。同じ事をされたら俺も怒っているだろうからここは素直に謝っておくほかあるまい。
「いや、まあ……すまんかった」
「それより話の続きだけどよ、なんで白咲さんなんだよ」
逆にあまり人目を気にしない性格の松本は茶化すように話を戻す。こいつは割と色恋ネタが好きなやつだった。
ちなみに俺も含めて先程までより声のトーンは随分抑えられているのだが、それはそれで隅っこの席に固まってヒソヒソやっている気持ち悪い奴ら扱いされる気しかしない。
「確かに白咲さんは見た目可愛らしい感じだけど、喋った事もないのに一途に思い続けるようなタイプじゃなくね? アイスドールぐらいのレベルなら分かるけどさ」
松本は不思議そうにそんなことを言う。
白咲さん。フルネームは白咲彩芽。そして俺が密かに恋する女の子。
確かに飛び切りの美少女という感じではないが、小柄な体躯に人当たりの良い性格、可愛らしい笑顔は話したことがなくとも見ているだけで癒される。
俺が恋人に求めるもの。それすなわち癒しor巨乳。
巨乳ではないが、白咲さんのあのほんわかした雰囲気は癒され女子№1(俺調べ)なのだ。
家庭に癒しを求める既婚男性の本能を高校生にして抱いている俺は間違いなく大人の男。
というか、そんなことよりも。
「アイスドールって如月だろ? 嫌だよあんなの、素で怖いじゃねえか。目とか言葉遣いとか。あれ絶対何人か殺してるぞ」
学年で男子人気一、二を争うクラスメイト。アイスドールこと如月神弥の事は同じ学年であれば誰もが知っている名前だった。
外見の良さは確かにズバ抜けているが、ほとんど人に、特に男子には気を許さず、関わりを持ちたがらず、ましてや笑顔を見せることはない。
冷たい表情で辛辣な言葉を投げつけるばかりの如月はいつしか、その名前をまんま取って『氷の国のかぐや姫』とか、感情を表に出さず表情に変化を見せない事から『アイスドール』とかって呼ばれるようになった……らしい。
当の俺も、少し前に立っているだけで「邪魔」と冷たく言われたことは記憶に新しい。
人を人とも思わぬあの冷たい目はアイスドールどころか雪女だ。だって背筋がすげー寒かったもん。
いくら顔が良くてもそんなのはただの嫌な奴でしかないし、何よりも俺にとっては白咲さん以外の女子などどうでもいい。
美人だろうが巨乳だろうが勝手にやってろって感じだ。いや、巨乳ならちょっとは関わりたいけども。
そんな如月と愛しの白咲さんはよく一緒にいるのが目下の俺の悩みである。白咲さん、友達は選んだ方がいいぜ……選べる友達も居ない俺の台詞じゃなけどさ。
○
六限目を迎える。
本日のメインイベントであるLHR。すなわち修学旅行その他のグループ決めである。
グループ単位での行動やプログラムが多く、また予め選択するのではなく生徒自らがプロデュースした活動プランなどもあるため誰とグループになるかということは修学旅行という一大イベントそのものを左右すると言っても過言ではない。
グループの決め方は簡単なもので、男女別で一組三人に別れ、クジによって男女一組ずつを合体させて六人組のグループを作る、というものだ。
「はい、じゃあ代表で一人ずつクジを引きに前に。引いたらその場で開けるようにね」
担任の斉藤先生(化学担当・三十歳・女。ついでに格闘技マニア)の号令によって各組の代表がクジを引きにいく運命の時間を迎える。
特に理由もなく俺達の組の代表は松本だ。
俺は席を立とうとする松本の腕を掴み、半ば睨み付けるようにしながら全ての祈りを託した。
「頼むぞ森本。かつて神の左手と言われたあのドラフト会議を思い出せ」
「もはや二者択一ですらなくなってんじゃねえか。そもそもドラフト会議に出席したことなんてねえよ!」
何が気に入らないのか、松本は腕を乱暴に振り払うなり教壇の方へ向かっていってしまう。
残された俺は一人自分の席で目を瞑り、天を仰ぎ祈りを捧げながら運命の時を待つ。
黒板に書き出されたその結果によって、俺の高校生活は、青春は、今確かに始まった。