【15オーダー目】 やっぱり耶枝さんは耶枝さんでしかなかったことを忘れていた自分が残念過ぎて泣けてくるオープン二日目
時刻は八時二十五分。
大きなあくびをしながら愛車であるビッグスクーターを駐輪所に止めると、店の入り口へと回り込んだ。
せっかくの日曜日だというのに、この早起き具合は泣けてくる。
店に立ち、労働に勤しむという一日の使い方にはさほど大きな違いもないが、そこに睡眠不足が伴うのは居酒屋と喫茶店の営業時間の違いだろう。
ただでさえ筋肉痛を若干引き摺る体ということもあって愛車を飛ばしてきたのも虚しく到着は勤務開始五分前という体たらくだ。いかんいかん。
延べ十三時間に及ぶ労働が始まるのだ。別に俺一人だけが大変な思いをしているわけでもない。今日も気合いで乗り切るしかねえ。
「おはよざーっす」
そんな決意と共に入り口を開くと、フロアにはすでにメイド服に着替えて朝礼待ち状態の音川とリリーさんが居た。
「あ、来た」
「ユウ、オハヨ! 大変だヨ」
「おはよーっす」
全然遅刻じゃないですけど何か? 的な態度で返事をしつつ、エプロンを取りに二階に上がろうとすると奥から現れた相良が駆け寄って来た。
どういうわけか、やけに焦った感じだ。……大変?
「おい、優! 遅せえよ、お前ちょっと来いって」
有無を言わさず腕を掴まれ、厨房まで引き摺られる俺。まだ着替えもしてないし、怒られることもしていないはずなのに何でキレてんだこのヤンキー。
「ちょ、着替えぐらい先にさせてくれてもいいんじゃないの!?」
「んなもん後でいいんだよ! 店長がお困りなんだぞ」
「お困り?」
耶枝さんが? どうせ寝坊して仕込みが出来なかったとかだろ。今から二人でやればなんとかなるだろうに。
思いつつ、されるがままに厨房に入ると、目に入ったのは所狭しと積まれた小振りの段ボールの山とそれを眺めながら絶望的な顔をしている耶枝さんだった。
「え……なにこれ」
思わず呟くと、耶枝さんはバッという音が聞こえてきそうなぐらい勢いよく振り向くやいなや半泣き、いや全泣きともいえる程の泣き顔と泣き声で俺の腹に顔を埋める様な格好で腰に縋り付いてくる。
「うえ~ん、優く~ん……どうしよ~」
「ど、どうしたんですか……ていうかこの段ボールは一体」
「ぐすっ……数……間違っちゃった」
「……うそーん」
これ全部発注ミスなのか……二、三十箱はあるぞ。しかも、よりにもよって箱に精肉店の名前入ってるし。
元々メニューが多いせいで肉やら魚やらで生もの用の冷蔵庫なんて余裕で埋まっているがゆえに入りきらずに外に積んであるんだろうけど、さすがに使い切れないだろこれ……。
「ちなみに……なんの肉がどれだけあるんですかこれ」
二日目にして早くもやらかしちゃったのかよ、ボロが出るのはえーよ。
と思う気持ちがないでもないが、今はそんなことよりもどうすりゃいいかを考える方が先決だ。一箱開けてみれば手っ取り早いんだろうけど、絶望するのが怖くて開けたくない。
「豚ロース……テキカツ用が、ぐすっ…………五百枚」
「五百枚!? な、なにをどうすればそんなことに……」
「四十枚のつもりだったの! でも打ち間違ったことに気付かなくて……朝届いてみたらこんなことに」
「こんなことにって、おかしいでしょそれ。一億歩譲って一桁間違っちゃったのはいいですよ。いや、よくはないけどいいですよ。だからってなんで頭の数字が五になるんだよ」
「ふえ~ん、優君が怒る~!」
そう言いながらも俺の胸に顔を埋めるのは色々と間違っている気がするが、んなことを言っている場合じゃない。
「耶枝さん、別に怒ってないですから泣きやんでくださいって。それよりもどうするかを考えないと」
「うん……でも、どうしたらいいかな?」
「………………」
丸投げかい……最初から期待なんてしてなかったけど、だからって思考放棄ってどうなの?
「あの、そこまで深刻にならなくても普通に返品させてもらえばいいのでは?」
どうせ選択肢なんてほとんど無いんだけど。と、提案とも言えないような提案をしようとすると、いつから居たのか後ろに立っていた如月が言った。
腕を組み、平然とした表情でどこか呆れたような物言いだ。
心の内を推測するなら「どうしてそのぐらいのことすら思い付かないの? やっぱり副店長の座を以下省略」といったところか。
だが、ことこれに関しては如月の方が安易な発想をしていると言える。商売というのは理屈だけでは成り立たないということをこいつは知らない。
「それは駄目だ」
言うと、一転して「お前に言ってんじゃねえよ」的な鋭い目で睨まれる。
「どうしてよ」
「取引をし始めて何日も経ってないんだぞ。なのにいきなりこれだけの量の商品をやっぱり要りませんでした、で返品できるわけないだろ。初っぱなから信用を失ったら本当に困った時に助けてもらえなくなるぞ」
「馬鹿で間抜けで救いようがないわね。今がその困った時なんじゃない」
「そうだとしても信頼関係を築く前に迷惑掛けたら意味無いって言ってんだよ。そういうのは積み重ねで得るもんなんだ。それが店にとってプラスになることも多々あるしな」
「例えば?」
「グラムあたり何円であっても単価を下げてくれたりするし、良いところを優先的に回してくれたりもする。急な発注にも融通を利かせてくれたり、本来の配達とは別で無理して届けてくれたりな。そういうのはどこの取引先にでもやってくれることじゃない。本当にやばい時っていうのは余る時じゃなくて足りない時だ。そういう時に力になってもらえないような関係しか作れないようじゃ商売なんて上手くいきやしないんだって」
これは肉に限らず言えることだと俺は思う。
勿論、喫茶店経営においてはその限りじゃないのかもしれない。
今言ったことは俺がうちの店で、この目で見てきたことを述べたにすぎない。
経営学や経営術なんざ微塵も知らない俺の言い分なんて断言出来る要素などない。それは分かっている。
だけど俺はそうやって商売をしてきた父親を見てきたのだ。
なにか急場に直面しても電話一本で手を回してくれる。代わりに向こうが余りそうな物があれば相談を持ち掛けられ安価ではあるが引き取ってあげたりしていた。
そうやって方々と良好な関係を気付くことで余計なトラブルやハプニングに邪魔されることなく毎日店を開いてきたのだ。
「それだけ偉そうに講釈を垂れるからには秋月にはさぞ革命的な案があるんでしょうね? 無いなんて言ったら沈めるわよ、この役立たず」
「おいおい如月、いくらお前でも店長に向かって役立たずはねえだろ」
「か、神弥ちゃんも怒ってる?」
「おい神弥、店長の悪口はウチが許さねえぞコラ」
「店長に言ってるわけではないわ。こいつに言ってるのよ」
「そうか、なら良し!」
「よくねえよ!」
滅茶苦茶だなお前ら。こんなんでも結構頑張ってるよ俺? 少なくとも文句言うだけのお前よりはさ。
「ユウ」
とっくに就業時間も過ぎているというのに罵り合っている場合かと脱力していると、リリーさんが俺の肩を叩く。
「リリー考えたヨ。困るのは変身も出来ない、でも余ったら勿体ないだよネ?」
「まあ、大体そういうことですけど……ていうか返品ね、変身じゃなくて」
「だったら簡単だヨ」
「何かアイディアがあるんですか?」
「食べればいいヨ!」
「………………」
「きっと美味しいヨ?」
「うん……余ったら好きなだけ食べていいから余らないようにする方法を考えてもらえます?」
期待した俺が馬鹿だったのさ。
「余らないようにする方法なら簡単じゃねえか? ウチも思い付いたぞ」
「却下で」
「まだ言ってねえだろコラ優てめえ」
一日ぶりぐらいに胸ぐらを掴まれる。だってお前ある意味リリーさんより期待値ないし。
「人は学習するもんだし、今は時間も惜しいから仕方ないだろ」
「オイそりゃ遠回しにウチの意見を聞くのは時間の無駄だって言ってんのか? おお?」
「遠回しというかほぼ直球だったけど」
「如月! 余計なフォローするんじゃねえ」
意趣返しってわけかこの野郎。返される理由が一つも思い当たらねえよ。
「優、お前に選ばせてやる。聞くか、死ぬか……どっちがいい?」
「聞きたいッス。実はすっげー聞きたかったッス。俺調子こいてたッス」
言うと、もとい言わされると、それでも相良は満足げに腕を組み、
「そうだろそうだろ。しゃーねえな、ったくお前はよ。つまりだ、余るとマズいんだろ? だったら余らないようにすりゃいいんだよ」
「……その方法は?」
「売る」
「…………その方法は?」
「売るのに方法もクソもねえだろマヌケ。売るっつったら売るんだよ」
「はぁ……案の定時間を無駄にしたところで、どうするの?」
如月が俺の気持ちを代弁してくれたところで気を取り直すとしよう。
「神弥テメエもいつまでも言いたいこと言って無事で済むと思うなよコラ」
とか言ってる相良と、それにウザそうな顔で対応している如月は放置し音川にも聞いてみる。ちなみに耶枝さんは完全に俺達の決定待ちみたいな雰囲気だった。
「音川は? なんか思い付いたこととかないか?」
「うーん、モエモエじゃないけどやっぱり売るしかないんじゃないかなぁ。この際利益を度外視してでも安売りするとか、それをお店でプッシュするぐらいしか思い付かないというか、そもそも方法なんて無いと思うけど。保管さえ出来ればいいのであればどこかの冷蔵庫を借りれればいいんだろうけど、じゃあどこで借りるのかと言われると難しいというか、探す時間だって無いよねきっと。あとは優君の実家がお店をやっているなら多少でも引き取って貰うという手もあるけど、これだけの量じゃ焼け石に水だろうし」
「ま、それしかないよなぁ。耶枝さんもうちに連絡するの嫌でしょ?」
「ヤだ。姉さんに怒られるもん」
耶枝さんは拗ねたように唇を尖らせる。こうなれば説得なんて意味を持たないだろう。
「じゃあどうにかして捌く方向でいくしかないですね。とにかく利益無しでいいから店の一押し品って扱いにして少しでも多く消費しないと。耶枝さん、ポップとか作れます?」
「うん、任して。デザインだけは得意だから」
「店長が事業と無関係な能力で誇らしげにしないでください……」
しかも『だけ』なのかよ。もうデザイナー事務所でもやりゃよかったのに。
「とにかく、それは耶枝さんにお任せします。各テーブルの分と、あと壁にも貼って、外の立て看板にも大きい目のを」
「了解だよっ♪ でも、値段とメニューはどうするの?」
「テキカツ用って用途が限定されてるんで普通にトンカツセットと、ポークチャップでいいかと。値段は……そうですね、三百八十円がギリギリのラインか」
全く関係無い話だが、この店でいうポークチャップというのは本来のものとは若干違う。最近の洋食屋と同じようにほとんどトンテキという意味で使っている。解せぬ。
「三百八十円でいいの? 利益ゼロでいいならもうちょっと下げても大丈夫じゃない?」
「原価で言えば三百円切ってますからね。極限までいけば三百円でもいけますけど、妥協点というか、無茶をしすぎると状況が悪化しかねないので三百五十円とか三百八十円ぐらいがギリギリなんですよ」
「んでだよ、この状況で儲けがどうとか言ってらんねえんじゃねえの? 余ったら余っただけ損するんだろ」
「そうね、こればかりは残念ながら巴さんに同意だわ。目先の小銭を追っても逆効果よ」
「だーかーらー、理屈だけ考えてたら駄目なんだっての」
これだから素人ってのは。と、思いきや、
「どういうこと?」
そう首を傾げたのは他ならぬ耶枝さんだった。……あんたは理解しとけよ。
「売れれば売れるだけ他で出るはずの利益が減る分結局赤字になりかねないってのがまず一つ。緊急時だしそこを諦めたとしても、ご近所さんの目があるからな」
「ワケ分かんねえ奴だなお前は。ご近所さんがなんだってんだよ」
「こういう繁華街じゃ周りとの関係も無視するわけにはいかないんだよ。一食三百円でばらまいて客引きしてるなんて近くの店がやってたら印象悪過ぎるだろ。近辺のファミレスや弁当屋なんかの競合店やスーパーなんかから嫌われたら商売やりにくくなるからな」
「ふーん、そういうものなんだ。優君は難しいこと色々考えてるんだねー。よく分かんないけど、とにかくわたしはポップ作ってくるからみんなは開店準備よろしくね」
暢気に言い放って、耶枝さんは二階に上がっていった。
耶枝さんの指示通り女性陣も理解してなさそうだったり、理解しつつ何も言わずに開店準備に向かう。
俺も段ボールのせいで狭い厨房で下準備をしつつ、母さんに電話を掛けた。
この失態をチクるためなどではなく、この豚肉の山を少しでも減らすために一つ思い付いたことがある。
決して助けを求めたわけではない。
耶枝さんには悪いが、チクらないことも耶枝さんのことを思ってではなく、両親に迷惑を掛けたくないというだけの理由だ。だから助けは求めない。
一つ聞きたいことがあった。ただそれだけだ。




