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赤手空拳  作者: ういすき
28/33

第28話 対夜

 ホテルの最上階、そこに南八郎はいた。

 他の人間は誰もいない。

 一人きりであった。

 本来一般客には解放されていない場所ではあるが、そこは凛子が金の力でどうにかした。

 ヘリコプターが十、二十台ほど止まれる広い空間には、芝生がずらりと敷き詰められエメラルドグリーンの若葉をぴんと伸ばしていた。

 八郎は着古した紺のジャージを上下に着ていた。

 何年もトレーニングに使い、汗や垢が染みついた服だ。

 着の身着のままという格好であった。

 アルマ・マッサークロとの闘いから一週間が経過しすでにあらかたの傷は治っていた。

 毒のダメージはまだかすかにあるが、試合に影響があるようなものではなかった。

 時刻は十時を回っており夜の闇を冷たい風が吹き抜けていく。

 あいにく天候は曇りで星は見えなかった。

 分厚い雲を見上げながら八郎は物思いにふけっていた。

 つい三十分前のことであった。





 ハディソンから人のいない場所で話がしたいと連絡があったのだ。

 八郎と凛子両方にあった。

 そこで凛子がこの場所を指定したのだ。

 自分のホーム以外で外部の人間とは話さないと言っていた。

 真路製薬のことを考えれば当然であろう。

 闘龍試運営の名を語っているとも考えられるからだ。

 先に八郎と凛子が屋上に上がり、数分後に身体検査を受けたハディソンが上がってきた。

 銃やナイフ類はすべて取り上げられたいた。

 出入り口のドアの後ろには屈強なボディガードたちが待機していた。

 何かあればすぐ突入する手はずになっていた。

 三人はドアの十メートル先で向かい合っていた。

 八郎のすぐそばに凛子が立ち、正面にハディソンがいるという格好だ。

 ハディソンはカールした髭を人さし指でピンと弾くと、いつになく真面目な調子で言った。



「今日来ましたのは闘龍試合の予定に変更が生じたからでございます」

「予定? どういうことですの?」

「先日アルマ・マッサークロが粛清により死亡しました。よって真路製薬は副将不在となります」



 八郎は無表情で話を聞いていた。

 アルマの件に関しては運営からの追及が厳しいと凛子から聞いて知っていた。

 地下闘技場のような裏の世界ではよくあることで、特に驚くようなことではなかった。

 凛子は息をのんでいた。

 眼差しは鋭くハディソンをにらんでいたが、少し手が震えていた。

 覚悟しているとはいえ人の死に耐性のある年齢ではなかった。

 八郎はぶっきらぼうに、



「ならどうする。おれのように代役を立てるのか?」

「いえ。それはありません。豪勢さまがオリオのことも加味して、副将は不戦敗という形をとって下さりました。

 まあこれは凛子さまによる抗議の影響が大きいと思いますが」

「ということは次で決まるということか」

「はいその通りでございます八郎さま。次の試合は大将真路愛聖さまと闘っていただきます。そしてこの試合に勝ったものが闘龍試合勝者、百億やその他さまざまな権利を獲得することになります」

「泣いても笑ってもこれですべてに決着がつくわけですわね」

「そうです凛子さま。そして試合開始の時期なのですが、規定の二週間より長い一か月後を予定しております。豪聖さまが八郎さまのまだコンディションが、まだ万全ではないでしょうと言われまして、それぐらいは待つと言われました。。もっとも早く始めたいというのであれば、一週間後に変更することも可能ではありますが」



 一か月あれば十分に体勢を立て直せる。

 そう凛子が考えていた時であった。

 八郎が口を開き、



「一週間後でいい。おれは問題なく闘えるぞ」

「ち、ちょっと何言ってますの八郎! まだ休んでいたほうがいいですわよ! 傷だってまだ――」

「あまり時間を置くと緊張の糸が切れ技がなまる。恐らく豪聖の狙いもそこだろう。すぐに再開するべきだ」

「わかりましたそうおっしゃるのなら一週間後に試合を予定しましょう。凛子はそれでよろしいですか?」

「……いいですわ。八郎の経験を信じますわ」

「助かる」



 そうして闘龍試合最後の時が決定された。

 ハディソンは要件がすむとすぐにドアを開き、屋上から退場した。

 これから会場の用意などが大変なのだろう。

 凛子も学校の課題があると言って、先に階下へ降りた。

 こんな時に授業も勉強もないと思う八郎であったが、その生真面目さが彼女であった。

 だから八郎はいま一人でたたずんでいた。

 落下防止柵にもたれかかり夜景を眺めていた。

 何万ドルかは知らないが明かりの灯る街並みを眺めていると、なぜだか頭の中でこれまでの闘いが思い出されていった。

 みな強敵であった。

 一度も楽に勝てた試合はなく、常に紙一重の勝利であった。

 手順がずれていれば自分と相手の立場は逆になっていただろう。

 初参加の自分がよくここまでやれたものだと思う。

 そしていよいよ次は愛聖との試合だ。

 少し抜けたところもあるが気の良い好青年である。

 アニメや漫画の話などで何度かメールをやり取りした相手なのだから、できれば闘わずに酒でも飲みにいきたくはある。

 もちろんそういうわけにはいかず、一週間後互いに命を削り合うことになるだろう。



(おれはあいつに勝てるか……)



 真路製薬が大将に据えるからにはかなりの実力者であることは疑う余地がない。

 闘龍試合戦績がまったくないのも不気味である。

 手のひらに目をやると震えているのがわかった。

 恐怖で震えているのかそれとも武者震いなのかはわからなかった。

 ただ確実なのはどちらかが勝者となりもう片方が敗者となるそれだけである。

 夜風が冷たさを増し八郎は出口に向かって歩き始めた。

 身体が大分冷えていた。

 だが胸の中にはマグマのように煮えたぎったものがあった。

 格闘者が内に秘める熱であった。





 ◆





 八郎は部屋に戻るとベッドに腰を下ろした。

 あとは風呂にでも入って就寝しようかと考えていると、コンコンとドアをノックする音が聴こえた。

 誰かと思い覗き穴を見るとそこにいたのは凛子の姿であった。

 かわいらしいピンクのパジャマに着替えていた。



「どうした。こんな時間に」

「話がありますの。入れてくれません?」



 八郎がドアチェーンを外すと凛子はしずしずと中へ入ってきた。

 飲み物はいるかと訊いたが「お気遣いなく」と返された。

 二人でベッドに座る。

 時間帯もあって妙な空気が流れて言った。

 ややあって凛子が薄くリップクリームが塗られた唇を開き、



「あ、あの八郎……あ、ありがとうですわ」

「まだ礼を言われるようなことはしていないぞ。悪いものでも食べたか」

「もう茶化さないで下さい。ここまで連れてきたことですわ。正直四連敗したときは目の前が真っ暗になりましたもの。あなたを選んだのは間違いではなかったですわ」

「そのセリフは愛聖に勝ったときにとっておいてくれ。絶対に勝てるとは限らん」

「……やっぱり強いんですの?」

「殺気がないタイプだから難しいが、かなりの腕前だと感じる。もちろん負けてやる気はないがな」

「勝って下さいね。応援していますわ」

「ああ。文字通り命を賭けて闘おう」

「……」


 そこで何やら凛子は言いよどんだ。

 どうしたのかと八郎が思っていると、



「……今晩は眠れそうにありませんの。その……あなたが眠るまでここにいてもよろしいかしら?

「いいぞ……うむ……」



 穏やかに夜は過ぎていった。

 なぜだか部屋の香りが甘くなった気がした。




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