第27話 対アルマ・マッサークロ
貧民街を横切るの高速道路があった。
富裕層の人間専用に造られたものである。
アスファルトが滑らかに敷かれ、パーキングエリアのなどの設備も充実していた。
そこを一台のスポーツカーが走っていた。
バラのように真っ赤に塗装され遠目でも高級車だとわかった。
運転席が左側にこしらえてあることから、日本ではなく海外製の車であると思われた。
その座り心地のよい運転席に座り、アルマ・マッサークロはハンドルを握っていた。
服装はいつもと変わりない白のスーツである。
クリーニングされピカピカに輝いていた。
だが表情にはいつものような落ち着きはない。
こめかみや口角に苛立ちが混じりしきりにガムを噛んでいた。
あせりや恐怖の感情が見て取れた。
原因は闘龍試合運営の追求である。
弟であるオリオ・マッサークロの行動にアルマも関与していると、ハディソンが突き止めたのだ。
その報告を受けた豪聖は、すぐにアルマを副将の座から引きずり落とし、真路製薬の格闘者からも除外したのである。
この件に真路製薬は一切かかわっておらず、この件は兄弟の独断だと言い切ったのだ。
せめて南八郎を殺し切れていれば話は違ったかもしれないが、オリオの行動はいたずらに真路の立場を悪くしただけである。
億単位のペナルティを課されかねない状況で、豪聖が兄弟を切り捨てたのはしごく当然の判断であった。
闘龍試合運営もその弁を聞き入れ、ペナルティは兄弟だけが支払うこととなった。
この場合は「死」である。
それほどルール違反は重い罪なのだ。
すでにオリオは死体になっていた。
表向きは病院での心臓発作となっていたが、兄であるアルマにはハディソンの仕業だと理解できた。
このままに何も手を打たなければ自らもまた霊安室送りになるだろう。
上記の事情によりアルマは今全力で逃亡しているのである。
目的地は空港だ。
そこから海外に逃げるつもりであった。
一時間ほど走っただろうか。
アルマは前方で渋滞が起こっていることに気付いた。
「グチ……チッ。ついていませんね……」
思わず舌打ちする。
貧困層ならともかく富裕層が使う高速道路でこのような事態は、大変珍しいことであった。
通行できる車両の絶対数が少ないからであった。
気分を鎮めるために上着のポケットらガムを取り出し口に入れた。
包み紙にくるまれた長方形のガムである。
今日実に十回目の動作であった。
オリオが噛んでいるアメと同様の効果が、思考がクリーンになり物事の動きが良く見えるようになる効果があった。知らない人間が見れば、未来を予知しているように見えるだろう。
グチグチと噛んいる内に苛立ちが治まり、気分が晴れていった。
少し楽観的になりいつもの表情が戻った。
喫煙者がタバコを吸うようなものである。
「そうだ今まで切り抜けてこれなかったピンチはない。今回もきっと上手くいくはずだ。まずハワイにでも行って貯めたファイトマネーで休暇を――」
自分に言い聞かせている最中に、アルマは察知した。
フロントガラスの向こう側から殺気をである。
アルマの判断は素早く、シートベルトを外し運転席から転がり出た。
一秒後、フロントガラスに風穴を空け、運転席に銃弾が突き刺さっていた。
防弾使用のガラスを貫いたことからかなりの威力だと推測された。
姿勢を低くし前を見ると、ハディソンがゆっくりとした調子で歩いてきたのが見えた。
コミカルな手品師の衣装が死神の装束のように思えた。
右手に握った拳銃は熊でも狩るつもりなのか銃身が太い。
怜悧な殺意があった。
ハディソンは口を開くと、
「アルマ・マッサークロ。闘龍試合ルール違反により処分します。何か言い残すことは?」
「待ってくださいハディソンさん。グチ……だから誤解だと言っているでしょう? あれは弟が単独でやったことです。わたしは関係ありません」
「ではビルの死体も関係ないと?」
「ええそうですよ。それにわたしは――」
アルマはできる限り会話を引き延ばしながら、懐の拳銃を取り出そうとしていた。
隙をついてハディソンを射殺するつもりであった。
だがトリガーに指をかえる前に後方から声がかかった。
良く知った声である。
「ごめんハディソンさん。それぼくの獲物なんだ。邪魔しないでくれるかな?」
真路愛聖の声であった。
ハイキングでもしているように車体の間を、徒歩で歩いて向かってきた。
この場所は高速道路であるが、特に乗り物を用意したふうには見えなかった。
なぜ今この場にいるのか、アルマもハディソンも理解できなかった。
愛聖はクラスメイトと話すような気軽さで、
「盗み聞きは良くないんだけどね。ハディソンさんの通話を盗聴させてもらったよ。走ってきたから時間かかっちゃったけどね」
「グチ……」
「愛聖さま……」
アルマもハディソンも頭の中に浮かぶ疑問符をかき消して、話を進めることにした。
突っ込どころは多々あるが、それよりも愛聖の対応を間違えると、この場にいる無関係な人間も含めた全員が殺されそうな気がしたからだ。
ハディソンが冷汗を流しながら、
「しかし愛聖さまペナルティによる粛清は我々の仕事なのですが」
「だからごめんって言ってるんだよ。ぼくが仕事を奪っちゃうからね」
「ですが――」
「いいよね?」
「……わかりました」
愛聖の迫力に押されハディソンはしぶしぶ承諾した。
仕事と命どちらが大事か論じるまでもないだろう。
「というわけで闘おうかアルマ。八郎に手を出したら殺すって言ったよね?」
「やれやれ仕方ありませんね。弟が勝手にやったことなのですが、ですがもしわたしが勝った時には豪聖さまに便宜を図ってくれませんか」
「べんぎ? なんで?」
「真路製薬最終戦力であるあなたに勝ったとあれば、豪聖さまもわたしの価値を認めざるを得ないはずです。まさか副将、大将を同時に失うわけにはいかないでしょうから」
「んーまあいいよ。きみが勝ったらパパにお願いしてあげる。ただぼくが勝つってことはきみが死ぬってことだからね?」
「ええ理解していますよ」
「オッケー。じゃあはじめようか。いつでもかかってきていいよ」
「ええ」
「あっでも銃は捨ててね。素手で勝負だよ」
「……はい」
オリオは苦虫を噛み潰したような顔で懐の拳銃を捨てた。
愛聖の観察力はさすがであった。
真路製薬〈副将〉オリオ・マッサークロと、〈大将〉真路愛聖の闘いが急遽はじまった。
ハディソンはどうにか普段のペースを取り戻し、二人のなりゆきを見つめていた。
オリオはこの状況に内心ほくそえんでいた。
粛清から逃れられる可能性が上がったからである。
愛聖一人と闘龍試合運営すべてなら前者に決まっていた。
(チャンスですね。真路愛聖は闘龍試合で闘った経験が一度もありません。強い強いとは言っても所詮身内びいきの格闘者でしょう。幾度となく修羅場をくぐり抜けてきたわたしの敵ではありません!)
オリオ・マッサークロ。年齢は二七歳。闘龍試合戦績は五五戦、五二勝、四敗。身長一八八センチ。体重一○一キロ。戦闘スタイルは〈陳式太極拳〉。
弟アルマよりも勝率の高い格闘者であった。
戦闘スタイルは同じであるが、オリオに陳式太極拳教えたのがアルマである。
技の熟練度ははるかに上である。
さらにアルマはガムを三個取り出し包み紙ごと口に入れて、噛みしめた。
天国のような幸福感に全身が包まれ感覚が日本刀のように鋭く研ぎ澄まされた。
今なら敵から飛び散る血しぶき一滴一滴も見切ることができそうである。
誰にも負ける気がしなかった。
(世間知らずのお坊ちゃんに教育してあげましょう)
アルマは両足を平行にして腰を落とした。
両腕は腰の左右に構えている。
太極拳の基本的な〈馬歩〉の立ち方であった。
いつどこから攻撃がきても受け、反撃を叩き込める自身があった。
一方愛聖は無防備立ち普通に歩き出した。
まったくの素人の動きであった。
喧嘩を知らない女子供動きである
さらにアルマの中で確信が強まった。
愛聖は豪聖の親ばかで大将になった格闘者だと。
心の中の喜悦を押し隠してアルマは待った。
相手から飛び込んできてくれるなら手間がはぶけるからだ。
近づいた瞬間陳式太極拳の技をフルコースで味あわせるつもりであった。
愛聖が一歩二歩と進み、アルマの顔面に拳が突き刺さった。
(……!?)
とっさのことに思考がフリーズした。
何の前触れもなく強化されたはずの自らの知覚でもまったく動きを捉えることができなかったのである。
まばたきなどしていないが、フィルムのコマが飛ぶように気付いたら愛聖が目の前にいたのだ。
身体か浮いた。
おびただしい量の鼻血が噴き出し、背後にある自分のスポーツカーで頭を打った。
もがき起きようとするアルマに向かって、愛聖の蹴りが飛んだ。
ただのケンカキックであった。
それでアルマの頭蓋子は砕けた。
意識はそこで途切れた。