第26話 対真路製薬
試合外での私闘があったため闘龍試合運営は、真路製薬に事情を聴いている最中であった。
オリオの反則負け以外にもペナルティを考えているとのことだった。
そんな中、真路愛聖はホテルを訪れていた。
南八郎が療養しているホテルである。
夏が終わり気持ちのよい秋風の吹いているころであった。
側溝から生えているセイタカアワダチソウが、黄色い花弁をふわりと揺らした。
ぽつぽつと赤トンボも飛びはじめていた。
オリオ・マッサークロとの闘いで傷を負った八郎は、部屋にこもり医師の診察を受けながら身体を休めていた。
特にほおの傷が深く数針ぬっているくらいだ。
今後このようなことを起こさないために、千年原重工のボディガードがそこらに立ち、サングラスの奥から鋭い眼光を放っていた。
一般の利用は客はいまや一人もいない。
愛聖は正面玄関に進みボディガードの一人に八郎の見舞いに来たことを告げたが、
「ダメだ。誰一人通すなと凛子さまからの命令だ」
「えーいーじゃん。ぼくと八郎は友達なんだからさー。真路愛聖が来たって伝えてくれない?」
「し、真路!? お前まさか真路製薬の人間か!?」
「うんそうだよ。真路豪聖の息子だもん。どうかしたの?」
「帰れ! 帰れ! 真路のオリオ・マッサークロの策略で八郎さまは寝込んでおられるのだ! しかも豪聖の息子だと! そんな危険人物一歩たりとも通さんぞ!」
「えーそんなあ」
「うるさい! おいみんな来てくれ! 真路の人間が――」
「わーごめなさい! ごめんなさい! 帰ります!」
あっけなく追いかえされた。
フルーツのバスケットを抱えていたが信用されなかったようである。
愛聖は物事を考えるのが得意なほうではなかった。
まるで子供のように純粋で馬鹿であった。
来た道をトボトボと引き返しながら愛聖は幼少の頃を思い出していた。
八郎と歩いたアーケードの下である。
忘れられない思い出であった。
◆
毒々しいまでに真っ白い壁。
愛聖が真路製薬本社、計測ルームで最初に見たものであった。
長いあいだ城のような自宅で暮らしていたが、ある日突然ここに連れてこられたのである。
大画面のテレビやさまざまなオモチャで囲まれた部屋にはもう帰れない。
仲のよいメイドたちにも、もう会えない。
なぜだかそんな気がしていた。
計測ルームはだだっ広く無機質な空間がどこまでも続く場所であった。
ちょうどビルのワンフロアと同じスペースの部屋である。
床はウレタンでできており指で押すと簡単にへこみをつくった。
上を見上げると五メートルくらいの高さのところにガラスがあり、その向こう側から白衣を着た初老の男性が愛聖を見ていた。
すぐとなりには同じ格好をした人々がならび、父親である豪聖の姿もあった。
みな手元のタッチパネルにせわしなく指を走らせ、何か言い合っていた。
防音機能があるのか声は、会話の内容は愛聖に届くことはない。
だが何か自分にとって良くない話をしているのだと愛聖の直観が告げていた。
そして直観は的中し愛聖はそれからずっと部屋で暮らすこととなった。
この部屋の目的は薬物の効果をさまざま生き物で試し、データを計測することにある。
実際に使ってみることが最短で最善のやり方だと、豪聖が信じ作り上げた部屋である。
高いシェアを誇る真路製薬の医薬品は、ここで生まれていたのであった
ただ人道的に禁止されている違法な実験もおこなわれることがあり、ごく一部の関係者以外はここへ立ち入ることはできない。
真路製薬が抱える暗部の一つであった。
だがなぜ真路豪勢の息子である愛聖がここにいるのか。
実の息子をモルモット扱いなど普通の家庭ではありえないことだろう。
それは愛聖は生まれつき身体が弱く、同世代の児童と比べて半分程度の筋力しか発揮できないことが大きな理由であった。
優秀な四人の兄たちと比べるレベルに達していない、落ちこぼれであったのだ。
金と勝利を第一に考える豪聖からすれば、愛聖は生まれた時点で敗北していたのだ。
そこで豪聖は新薬の実験台に使うことを思いついたのである。
骨や筋肉の性能を高める薬であったが、副作用がひどく動物実験はこれまですべて失敗に終わっていたからだ。
具体的に言うと細胞が変化に追いつかずに自壊をはじめてしまうのだ。
廃棄された者たちは一様にコールタールめいた姿で絶命していた。
しかし完成させることができれば、あらゆる国の軍事産業に売り込める魔法の薬である。
ヒーロー映画のような超人を量産することも可能であった。
はじめての人体実験で愛聖を選んだのは、上手くすれば息子を常人以上のスペックに引き上げられるからである。
失敗しても厄介者が一人減るだけ。
豪聖は本気でそう考えていたし、実行しようとしていたのだ後に会愛聖は知った。
そして実験当日、計測ルーム。
普段は何もないこの部屋に今日は大勢の人間と機材が集まっていた。
ちょっとしたカーニバルのようである。
そしてメインである愛聖は、部屋の中央でベッドに体を固定されていた。
激痛で暴れることを防ぐための処置であった。
周囲には豪聖やその他の科学者たちが集まり実験の開始をいまかいまかと待ちかまえていた。
みなバッタの足をもぎとって遊ぶ子供のような笑みを浮かべていた。
当人たちにとっては純粋な好奇心だろうが、解体される者からしたらたまったものではない。
そうとも知らず幼い愛聖は、
「パパこれから何をするの……? ぼくこわいよ……」
「何も気にすることはないぞ愛聖。お前は生まれ変わるんだ。超人にな」
「ちょうじん? どういうこと?」
「もう黙っていろ。さあはじめるぞ!」
付き人と思われる黒服が、愛聖の口に枷をはめ発言の自由を奪った。
途中で舌を噛み切らないようにするためである。
豪聖は緑色に光る液体を注射器に込めると、愛聖の腕に押し当て注射した。
血管の中を得体の知れない薬液が流れていき、獣のような絶叫があった。
声が発せられたというわけではないが、拘束された手足の動きや形相が、この世のものとは思えない苦痛を物語っていた。
絶叫はまるまる一時間は続き、終わった頃には皮膚がただれた廃人が出来上がっていた。
実験は失敗したのである。
しかし幸か不幸か愛聖の心臓は止まっていなかった。
まだ実験動物としては利用価値があるということであった。
豪聖は笑って薬が完成するまで実験を続行すると言った。
凶器のさたであった。
並みの人間ならばとっくに心臓が止まっていて当たり前の状況である。
しかし愛聖は生き延びた。
いや死ぬことができなかった。
豪聖たちのバックアップによって。
それから十年間数多の薬品をテストするための人形となり果てた。
そうしてようやく薬が完成した時愛聖の肉体は人を凌駕していた。
夢物語にいる超人が現実に現れたのである。
試しに真路の格闘者と闘わせてみたが、結果は愛聖の圧勝だった。
一方的な試合運びで相手を追いつめたのだ。
愛聖はとどめの瞬間、
「パパこの人殺していいの? 人殺しはダメだってテレビで言ってたよ?」
「いいんだ愛聖。わしが許そう。ルールなどというものは無能な愚民どもに守らせておけばいい。真に力ある者は自由だ。好きなように食い散らかせ」
「でもパパ……」
「なんだ一体? ためらうのは弱者のすることだ」
「この人ぼくと同じ顔だよ?」
「――」
真路愛聖は人の顔を認識できなくなっていた。
薬の副作用である。
どの人間も自分と同じ顔に見えるのだ。
この世に自分しかいない狂気の世界を愛聖は生き続けてきた。
ただ一人顔の見える男、南八郎と出会うまでは。




