第25話 対陳式太極拳Ⅱ
「遅せえ! 遅せえ! 遅せえ! 遅せえぜオヤジ!」
オリオの攻勢はさらに勢いを増していた。
〈懶扎衣〉、右腕を時計回りや反時計回りに回転させることによって、相手の攻撃を受け流し反撃する技により八郎の攻めはすべて空を切っていた。
円運動の力で打撃を上方か下方にそらしているのであった。
八郎が毒でダメージを受けていることもあるが、それを除外しても実際すばらしい技量である。
着々と敵に痛みを蓄積させていく、華麗と凶悪を合わせもった試合運びだ。
八郎は上段回し蹴りから顔面に刻み突きを撃ちながら、考えをめぐらせていた
もちろん攻撃はヒットしていない。
オリオを防御にに回らせるためだけの攻めであった。
(……あと十分以内に勝負をつける。そこがリミットだ)
正拳突きの構えになり右拳を握りしめ、渾身の力で大衝一点を打つ。
当たれば一撃で決着をつけられる荒田流の技である。
しかしオリオの右手が螺旋を描くと、必殺の一撃はあらぬ方向へとそらされた。
八郎は唇を噛んだ。
だが大衝一点は本来受け流されるような技ではない。
イザリが研鑽した武術なのだ一度放たれれば軌道を変えることなどまずない。
ミサイルがそよ風に負けることがないように。
はじめは毒が効いているのかと思ったが、それと関係なくオリオの動きは異常であった。、
まるでこちらが次に何をしようとしているか、知っているような挙動なのだ。
うさんくさい占い師が未来を当てるように。
松永銀とも違う不可解な動きであった。
「くっ」
「無駄無駄! カロ……いい加減あきらめちまいなあ!」
オリオは身をかがめ右拳と左手のひらを合わせて、〈七寸靠〉の体勢にはいった。
七寸靠という名前の由来は肘と地面との距離が七寸であるところからきている。
瞬きの内に間合いを詰め肩から体当たりをすると同時に、右肘を打ち下ろし太ももを穿った。
激しい痛みで機動力が殺され、八郎の身体が硬直する。
オリオは間髪入れず左腕で金的を打った。
さらに激痛が走る。
骨掛けで睾丸の破裂は防いでいるが、やはり股座を打たれるのはきつい。
全身がいやな震え方をした。
八郎は今度はこちらの番だと、オリオの体を両側から抱きかかえた。
クルミ割りをイメージし両腕に力をこめる。
そのまま鯖折りに移行しようとするが、右腕をオリオの左腕で掴まれ力がだせない。
「なんだそりゃ? カロ……寝ぼけてんのか!」
逆に至近距離で掩手捶の連打を浴びてしまう。
〈勁〉をもちいる太極拳では腕を伸ばしてトルクを出す必要がないので、敵と密着した状態のほうが技の威力を発揮できるのである。
連打を受け八郎の顔面が赤く腫れあがりはじめる。
オリオが勝利を確信し絞め技に向かおうとして、
「……あ?」
自らの足が宙をかいていると気づいた。
身体が持ち上げられたのである。
どこにそんな力が残っているのか、南八郎の仕業であった。
落下防止用の鉄柵に詰め寄り外側に体重をかけた。
あと一押しで中空に投げ出される体制である。
オリオは驚愕の表情で八郎の上着を掴みながら、
「お、おい! マジかおい! 正気かてめえ!」
「正気だが?」
「ふざけろ! 離しやがれ! くそ野郎! カロ……カロ……カロ……!」
「受け身を取る準備をしろ。いくぞ」
「バカやめ――」
二人の体が宙を舞い、重力の法則にしたがって落下を開始した。
一階床に衝突するまで一秒もかからない。
眼下にはエアパッキンで梱包された積み荷とコンクリートの床があった。
八郎は身体をひねり積み荷へと着地した。
衝撃で積み荷が盛大な音をたてながら崩れ、中にあったおがくずが飛び散った。
一方オリオは床へ足から落ちた。
連続回転して受け身をとるが、肉や骨に深刻なダメージがはいった。
そのまま転がり壁にぶつかりようやく停止した。
八郎はエビのように体躯を跳ね上げ手足の動きを調べると、新体操選手めいて床に降り立った。
ここまで一分もかかっていない。
(……よし問題はない。あと五分は闘える)
手をグーパーと開き握りしめながら八郎は前方を見た。
そこには憤怒の形相で立つオリオの姿があった。
骨折しているのか右足をひきずっている。
人体の構造からしてありえない方向に足が曲がっていた。
「やってくれたな……楽には死、ん? あ?」
そこでオリオは気付いた。
口の中にアメがないということに。
舌で口内を探してみるがどこにもない。
床を見るとバラバラになったアメの欠片が落ちていた。
どうやら着地した時に吐き出してしまったようだ。
とたんに顔色が悪くなり白スーツの内ポケットをまさぐり、アメが入った袋を取り出そうとする。
だがさっきまであった袋はどこにもない。
どんどん表情が青ざめていく。
八郎がゴミを見るような目で言った。
「探し物はこれか?」
「おまえ!」
右手につままれているのは、アメの入った袋であった。
落下の最中に抜き取っていたのである。
「育ちが悪いもんでな盗らせてもらった。予知のような反応速度の正体はこれだろ? ドラッグで脳や眼球の神経を興奮させていたわけだ」
「かえせ! かえせ! かえせ! かえせ! それはオレの物だ! 今すぐかえせ!」
口元から泡を吐き出しながらオリオが吠える。
爪でガリガリと額をかきむり、目が充血していた。
端正な顔立ちは見る影もなく、狂犬病にかかった犬のような姿だ。
数分前あった余裕はどこにもない。
「中毒症状がもうでているのか。病院にいって治して来い。今後の人生のためだ」
「説教してんじゃねええええええええええええええええ! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
衝動に身をまかせオリオが突っ込んでくる。
八郎は迎え撃とうと、右拳を握り中段に正拳突きを打った。
オリオはそれを右腕で受けてから掴み下へ引きずりこもうとする。
相手が反動で起き上がろうとしたところを、背後に回り込み左手でノドを打ち、腰をひねってアゴに右拳を叩きこみ跳ねとばす。
〈閃通背〉の流れに入ろうとしたが、実行できなかった。
この精神状態で太極拳の技を使える思考力は見事であったが、速度や技のキレは格段に低下しており、今の八郎でも容易に見切れる動きであった。
現実はオリオが技を繰り出す前に八郎が丸太の様な右足を振り上げ、右横蹴りから踵を引き戻し側頭部を叩く技、〈地鋏二点(じばさみにてん〉が炸裂していたのである。
足の甲と踵で左右から脳をシェイクする荒田流の技であった。
オリオの視界がブラックアウトし、顔面から床に転倒した。
三日は目覚めないであろう。
「病院の種類が変わったな……」
八郎は背中を向けてつぶやくと、黒スーツからナイフを奪い、凛子を探しにとなりの倉庫へ向かった。
残されたのは男たちの残骸だけであった。
となりの倉庫にもカギはかかっておらず、すぐに入ることができた。
八郎の体力はとうに限界を過ぎていたのでだいぶん助かっていた。
もう窓ガラスを叩き割る気力もなかった。
ふらつく体で照明のスイッチを探しオンにした。
野菜などが積まれた段ボールのあたりを歩いていくと、ガムテープで口をふさがれ結束バンドで腕を縛られた凛子の姿があった。
匂いや表情から見て、今度は本物であった。
ガムテープは剥がしナイフで拘束を外すと、凛子は八郎に抱き着いてきた。
「八郎! 私怖かったですわ!」
華奢な身体でゴツゴツとした筋肉を掴んだ。
縦ロールがほおに当たりなんだかむずがゆい。
安心と同時に八郎の意識も闇に落ちて言った。




