第24話 対陳式太極拳Ⅰ
八郎は階段を上り二階へとたどり着いた。
銃弾が耳の横を通り過ぎていったため、すぐ身を伏せ射線から外れた。
相手の位置は四角形の対角線上にあった。
真反対いの方角である。
通路は落下防止の鉄柵がはられている以外は、直線的で遮蔽物は何もない。
相手はオリオ・マッサークロと黒スーツの二人で両方が拳銃を装備している。
撃ち合えばお互いただではすまないだろう。
どう攻略しようか思案していると、オリオのほうから申し入れがあった。
「なあ拳銃はなしにしねえか? オレたちは格闘者だろ? あとはケンカで決めようぜ」
「冗談もたいがいにしろ。誰がそんな話を信じるか」
「つれねえなあ。まあいいぜ仕方ねえ。カロ……それならどっちかがくたばるまでやり合おう。おら行け!」
オリオの声に合わせて黒スーツが駆け出した。
ガタイの良い男で一階にいる黒スーツの一.五倍くらいの体格の持ち主だ。
一七○キロはありそうな巨漢である。
八郎は拳銃を構え狙い撃とうとしたができなかった。
なぜならオリオの操作したクレーンが頭部めがけて突っ込んできたからだ。
位置がちょうどクレーンの可動域にあったのだ。
S字型のフックがアゴから脳天まで串刺しにしようと迫る。
横っ飛びに跳ねて寸前のところで回避した。
一秒前までいた場所の窓ガラスが粉々に砕けて、ガラスのシャワーを降らせた。
「くっやってくれたな……」
ぼやきながらすぐに状況を確認する。
手元にあったはずの拳銃は今の衝撃で一階に落としてしまったようだ。
自分のミスに歯噛みする八郎。
その顔面に黒い革靴のつま先が迫った。
反射的に起き上がりバック転をはさみながら後方へ着地する。
正面にいたのは黒スーツの巨漢であった。
そしてなんの駆け引きもなくドロップキックを繰り出してきた。
両腕を盾のように構えブロックするが威力に耐えきれない。
八郎の身体が後ろにふっ飛んだ。
回転しながら受け身をとり再び立ち上がる。
ガラスで切ったのか手の平から赤いものが垂れた。
巨漢はここがチャンスとばかりにケンカキックを放つ。
八郎はバックステップでさらに後退した。
どうやらプロレスの技を得意としているようであった。
だがここでもたついている訳にはいかない。
ここに至って銃撃をしないオリオも不気味ではあるし、なにより一刻も早く凛子を助けに行かねばならないのだ。
巨漢は地獄突きを打った。
自分のペースだと思っているのか表情に余裕があった。
八郎はかがんでかわすと正面に立ち、膨らんだ腹の中心に〈大衝一点〉を打った。
壊れたスピーカーのような叫びがあり巨漢が前のめりに倒れた。
意識を失っていた。
荒田流の技は体力、精神力の消耗が激しいため温存しておきたかったが、力の配分を考えている場合ではなかった。
八郎は荒く息を吸いながらオリオの姿を探した。
眼球を高速で移動させて二階を見回したが発見できない。
(どこへ消えた……?)
そう考えていると頭上に気配があった。
クレーンの鎖にしがみついているオリオの姿だ。
巨漢と闘っている間に鎖を上っていたのだ。
月光にきらめくものがあった。
アーミーナイフの刃であった。
急いで身をかわすが間に合わない。
ナイフが肩をかすめた。
作業着が切り裂かれ血の線が引かれた。
だが幸いなことに傷は浅いようである。
薄皮一枚切られただけだ。
「カロ……おしいな。あと少しで頸動脈からシャワーを拝めそうだったんだがよ」
「……」
くるくるとナイフを弄ぶ姿にはどこか余裕がある。
絶好の奇襲を外したのにだ。
八郎はそれに不気味なものを感じていた。
何か算段があるのか。
すると突然視界がぼやけた。手がしびれ足が震える。毒物を打たれた時の症状だ。
「おっ効いてきたか。カロ……猛獣用のマヒ毒だ人なら一瞬だぜ。死体は魚のエサにでもしてやるから安心して倒れな。カロ……これが実戦ってやつさ。いまさら卑怯とは言わねえだろ?」
「そうだな。ちょうどいいハンデだ」
八郎は不敵に笑った。
しびれはあるが倒れてはいない。
闘志は衰えていなかった。
オリオが動揺を隠すためか激しくアメをなめながら言った。
「カロ……カロ……カロ……ウソだろ。マジかこのオヤジ」
「貧民街出身をなめるな。毒物なら生まれて時から喰っている」
「……化け物かよ」
「御託はいいからかかってこい。こっちは暇人じゃなんでな」
「カロ……そうかい。なら本気でいかせてもらうぜ」
言うとオリオはナイフを捨てた。
キンギンと床に刃がこすれた。
そして構えた。
右手を大きくゆったりと伸ばし半身になる。
右足を前に出し金的の可能性を考えてやや内側に向けた。
正面からの攻撃部位を減らす〈太極拳〉の構えであった。
「元殺し屋の格闘者オリオ・マッサークロ。年齢は二二歳。闘龍試合戦績は四五戦、四二勝、三敗。身長一八九センチ。体重一○○キロ。戦闘スタイルは〈陳式太極拳〉。凛子から渡された資料にはそう書かれていたな」
「カロ……解説どーも。さっきは驚いちまったがなんてことはねえ。カロ……このオレがフラフラのオヤジ一人に負けるかよ!」
オリオは右腕を引いて中段に右拳に打った。
引いてはいるが腕を伸ばしてはいない。
両手でナイフを持って腹を刺すような格好である。
〈掩手捶〉勁力が伝達された拳が八郎の腹筋を叩いた。
内臓を揺らされ口から熱い息がでる。
歯をくいしばりえずきながら、その場で踏み止どまった
防御する時間はあったはずなのだが、身体が思うように動いていなかった。
続けてオリオが攻める。
左手を前に右手を握り後方に構える。
そして全体重を乗せた右拳を半月のように振るった。
〈圏捶〉遠心力を利用した打撃である。
左腕で防御したが圏捶の拳は弧を描くように、腕の上からこめかみを殴った。
「ぐっ」
「いける! やっぱり今この状況じゃオレがつええ!」
さらに右拳左拳と圏捶が打ち込まれる。
ストレートパンチと違い軌跡が読みにくく、次々と拳が突き刺さった。
上下左右どこからでも必殺の一撃を与えられるのだ。
強くないわけがない。
八郎は前蹴りや二本貫手で急所を攻めながら闘うが、オリオの動きを捉え切れてはいなかった。
明らかに動きがのろかった。
オリオが一気呵成に攻め立てる
拳
拳
拳
拳
拳
拳
拳
拳
拳
拳
拳
蹴
拳
拳
拳
拳
蹴
拳
拳
星の数めいた打撃が八郎に叩きつけられる。
血を吐き視界が蜃気楼のようにゆらめいた。
皮膚は青黒く染まり骨は折れる寸前であった。
オリオはさも楽し気に、
「どうしたどうしたあ! 元気がねえなあおい! 夜はまだまだこれからだぜ!」
「チープなテクニックだな。まったく感じないぞ」
「ならこいつはどうだ!」
どうにか強がりを言う八郎にオリオはとどめの一撃を仕掛けた。
身体をひねり両腕を後方に出す。左足を上げて勢いをつけると竜巻のように空中で一回転し跳び蹴りを放った。
〈旋風脚〉本来は後方の敵を蹴り倒す大技である。
今回は前面の敵を蹴っているので、正確には半旋風と呼ぶのが正しい。
そして旋風脚の目的は対戦相手の顔皮膚を、靴の側面でこすりつけて蹴ることにある。
紙ヤスリのように肌をすりおろすのだ。
単なる威力だけ考えればハイキックのほうが強いだろうが、ここに旋風脚の怖さがあった。
八郎の左ほおが剥がれピンク色の肉が露出した。
悲鳴こそこぼさないが顔に苦悶の色が浮かぶ。
かなりのダメージだ。
後退しながらどうにか空手の構えをとる。
全身からねばついた汗が噴き出していた。
オリオはそれを眺めながら悪魔のように笑った。
月明かりが照らすそれは人のようには見えなかった。




