第18話 対合気道Ⅱ
銀がしかけた。
この試合はじめて先手を取り攻めにまわった。
スケートリンクを滑るように華麗に接近する。
袴で足の動きが見えにくいが、巧みにすり足をおこなっていた。
八郎は左外手刀打ちで側頭部を狙い迎撃する。
銀はしゃがみ身体を一回転させると、左腕の手首を左手で肘を右腕で掴み、真横へ移動した。
左腕を押させられた八郎が振り子めいて斜め前方に振られ、畳に顔面を打ち付けた。
〈逆半身片手取り第一教〉で肘の関節、手首を極め折ろうと力がかかる。
ギシギシと筋肉や骨がきしみ、人体の構造上どうやっても対処不可能な負荷が襲い来る。
子供が遊びで使っている人形を壊してしまうように。
八郎はサソリの尻尾めいて下半身を曲げ、右足で後頭部を叩いた。
中国雑技団のような柔軟性である。
銀が体勢を崩し極めが弱まった。
左腕を抱きかかえるように巻き取り、上半身を持ち上げ右足で蹴りを放った。
銀はそれを両手でガードし、たんっと立ち上がると後方に距離をとった。
八郎は起き上がると同時に前進し、離されないように詰める。
二人は互いに相手を撃ち落とせる位置で、真横に移動した。
機敏な動きまるで疾風のようである。
あと五歩で場外というところで二人は同時に動いた。
連続して拳を打ち蹴りを放つ。
打
打
打
打
放
放
打
打
打
放
打
打
打
打
打
打
放
放
打
百重千重にも拳が交錯し、蹴りが交わし合わされた。
もっとも銀はまともに攻撃を受けてはいない。
すべてかわしそらしてダメージを受けないようにしている。
体重さを考えて一発もらうだけで、致命傷になりうると知っているからだ。
最小の動作だけで攻め守っていた。
だがやはり殴り合いは不得手なのか、顔面に掌底を打つと下がって距離を離した。
口からフーフーと熱い息が吐き出され、少し呼吸が乱れていた。
消耗が見えた。
合気道は殺し合うための武術ではないため当然であった。
手や足や顔に擦り傷があった。
自らの挙動が捉えられつつあると知り、薄く笑った。
一方は道着のゆるみを直し、棒立ちで銀のいる方向を見ていた。
攻防の最中に何度か掴もうとしたが、結果はすべて不発であった。
体重差を用いたプランは完全に捨てたほうがいいと気持ちを切り替える。
呼吸は荒いがまだスタミナに余裕はあった。
大分コツがつかめまだまだ闘える自信はある。
構えを取っていない理由は相手に動きを悟られないためだ。
これまでのやり取りで、手段を明確に決めるのははかえって不利だと考えていた。
出方をうかがっていると、銀が言った。
「どうですか? また〈慣れ〉てきましたか?」
「ある程度はな。それに一つわかったことがある」
「なにを?」
「あんたの動きだ。柳のように打撃をいなし、体重差を覆せる理由はその目だな」
「わかりますか。意外とみなさん気付かないんですよね」
「限られた情報で最適解を選ぶ。視覚以外の感覚に頼っているから強いのだろう。映像で相手を判断しない、恐怖し竦むことがない。だからギリギリ紙一重で打撃をかわせる。視力がないのはデメリットではないということだろう」
「だいたい合っていますね。映画のセリフでもありますが、考えるよりも感じた方が良いということです。闘いなんて大雑把でいいんですよ」
「かもな。おれもやってみるか」
八郎は目を閉じた。
銀と同じ土俵で闘うつもりのようだ。
「あら。付け焼刃でわたしに対応できると?」
「感じればわかるんだろう?」
「それもそうですね。どうぞ来てください」
「ああ」
八郎が間合いを詰め右拳で打った。
銀がそれをかわし技をかけようと側面へ移動した。
肩取り第二教に入る目論見だ。
これまでなら成功しているタイミングであった。
だが実際は銀の両手は空を切り、そのわき腹に中段回し蹴りが着弾していた。
八郎が身体をひねり繰り出したのだ。
感覚的なこれまでの稽古で培った反射の一撃であった。
水が上から下へ流れ落ちるような自然さがあった。
「かっ」
銀の口から痛みによる声が漏れ出た。
たまらずわき腹を押さえながら、バックステップで下がる。
八郎は獣のような俊敏さで後を追った。
おそらくここが最後のチャンスだと感じていた。
(今のはまぐれ当たりだ。二度目はない)
右拳左拳右蹴り左蹴りを直観で選択し、連続で途切れることなく打ち込む
銀はそれを凄まじい速さでさばいていった。
嵐の中で石や木材がかき回されるに近いやり取りがあった。
外野にいる凛子や豪聖には何が起こっているのかわからないだろう。
合気道の技をかけている余裕はない。
それほど八郎のラッシュが激しいのだ。
そしてごり押しが効いているのか、徐々に銀のガードがほどけていく。
柳のような動きが崩れ、元々あった身体能力の差が浮き彫りになっっているのだ。
形勢が八郎の側に傾いた。
(あと一撃。大衝一点さえ入れば勝てる)
しかしそう考えた次の瞬間、八郎のアゴが下方からの衝撃を受け、真上に跳ね上げられた。
ボクシングのようなアッパーカットをくらったわけではない。
がむしゃらに攻めているとはいえ、そこまで大きな隙は見せていない。
では一体何が起こったのか。
ひどい酒に酔ったように揺れる意識で、八郎は眼球を動かし下を見た。
そこには畳があった。
床から直角にそそり立った畳が。
足の力だけで畳を浮かし持ち上げ、ギロチンのように叩き込んだのだ。
つまり〈畳み返し〉である。
これまで一試合も使っていない銀の奥の手であった。
リング外から持ち込んだ武器ではないため、ルール違反ではない。
八郎の身体がのけぞり畳へと倒れこんでいく。
「は、はあ……いい勝負でした……」
「ぶははは! よくやった! よくやったぞ銀!」
「――」
銀が息も絶え絶えに言った。
豪聖が手を叩いて笑っていた。
凛子が口を開いたが上手く言葉は出なかった。
そして八郎が、
「この程度……問題ない」
ギロリと悪鬼のように眼を見開いた。
銀はとっさに畳を盾にして身を守った。
だがその選択は悪手であった。
回避も反撃のできず、自分の位置はここだと教えていたからだ。
八郎が右拳を閃光のように打った。
大衝一点である。
「……あ」
「……」
砲弾を発射したような轟音があり、畳が拳の形にぶち抜かれ、隠れていた銀の身体を吹き飛ばした。
ピンボールめいて床を何度も跳ね、十メートルも進んだところでようやく止まった。
片手で身体を支えどうにか身を起こす。
胸の中心が真っ赤に腫れていた。
そしてリング外に出ていた。
『試合終了! 一閃! 一打! 一撃で決着が着きました! 勝者南八郎!』
ハディソンがマイクに向かって叫んだ。
テレビの向こうでは頭を抱えている会員が多いだろう。
それだけ松永銀によせる信頼は厚かった。
「くそあの役立たずめ! 帰るぞ! 早く車をまわせ!」
豪聖が怒鳴りながら出口へ歩いて行った。
敗者の処遇に興味はないようだった。
八郎は銀の元へ進み手を差し出した。
銀は微笑んでその手を取り、二人は握手をかわした。
互いに全力を出し合ったと理解できた。
ハディソンが近づいて言った。
「恐れながら松永銀さま。ペナルティを執行させていただきます」
「はい。お願いします」
銀は八郎から離れ再びリングに上がった。
まわりに人を近づけないようにしていた。
ハディソンがリモコンのようなスイッチを操作し、電気が流された。
銀の身体が強く震えた。
痛ましい光景であった。
凛子が思わず目を背けた。
三分間きっちり流されたが、最後まで膝をつくことはなかった。
執行が終わると前のめりに倒れ伏した。
すぐに担架が運ばれてきた。
事前に凛子が病院へ連絡をとっていたのだった。
救急隊員に運ばれていく銀の姿を八郎は、静かに見つめていた。




