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赤手空拳  作者: ういすき
17/33

第17話 対合気道Ⅰ

 合気道それは独特の呼吸をおこない、投げ技や固め技で相手を傷つけずに制する武術である。

 精神性が重要でその境地が技に現れる。欧米では「動く禅」とも評される。

 開祖・植芝盛平は「真の武道には敵はいない。真の武道とは愛の働きである。それは殺し合うことではなく、すべてを生かし育てる、生成化育の働きである」とも語り、本来このような場で使っていい武術ではない。

 勝ち負けや争うことを否定した技を、闘龍試合で披露してきた銀の胸中はいかばかりか。

 それは本人すらわからないのかも知れない。





 南八郎はがっしりと巨岩のように構えた。

 左腕を前に出し右腕は腰のあたりで絞る。

 空手のTの字立ちに近いが前後の足の感覚が短い。

 つま先が畳を小刻みに叩きリズムをとっていた。

 対する松永銀はゆるりと柳のように構えた。

 右足を半歩前に踏み出し右半身に構えをとっている。

 両足の重心を落とし、顔、腹、前の膝、つま先をほぼ直角に保ち、まっすぐ相手に向けていた。

 頭は一点を注視するのではなく全体を見ている。もっとも見ているではなく感じている。嗅いでいる。聴いているが正しい表現だろう。

 銀は視覚以外のすべてを使って相手を捕捉していた。

 隙というものが全くなかった。

 八郎は内心舌を巻いていた。

 千年原重工の調査で銀の経歴は知っていたが、これほどまでとは思わなかったのである。

 映像で観たのとはまったく違う実戦の感覚。

 中肉中背のこの男に圧倒されかけた。

 だがそれで負けるわけにはいかない。

 銀に背負うものがあるように八郎にも背負うものがある。

 八郎がニヤリと笑い、それに合わせて銀も笑った。

 まだお互いに間合いを計っているところである。

 チリチリと殺気が交錯していた。



 リングから少し離れた観客席に凛子と豪聖は試合のなりゆきを見守っていた。。

 道場に不釣り合いな贅をつくした椅子に座っている。

 豪聖は凛子の横顔を眺めながら言った。

 不気味なドブめいた笑みが顔に貼りついていた。

 まるでホラー映画に出てくる怪物のようである。



「ぐふふ。今日の試合が終われば妻がまた一人増える。笑いが止まらんわい。新婚旅行はどこがいい? 世界中どこでも好きな場所へ連れていってやるぞ」

「始まったばかりで大そうな自信ですこと。今回は身長・体重ともに八郎のほうが上ですのよ。格闘技の試合でこの差は絶対的ですわ。まさかコミックのように小柄な主人公が必殺技で勝つと思ってらっしゃるのかしら?」

「ああそのとおりだ。あの男松永銀にはそれができる。鬼怒甲平のようなスペック頼りとは違う本物だよ。わしもこの目で見るまでは信じられなかったがな。もし視力が回復したのなら今の倍の勝利数はかたい男だ」

「……ふん。それでも八郎は勝ちますから!」

「どうだかな。ほれ見て見ろ。試合が動くぞ」



 豪聖の言葉通りに闘いが動いた。

 先にしかけたのは八郎である。

 何度か拳を打ち上段回し蹴りからの中段追い突きで攻める腹づもりだ。

 だが銀は拳をさばきスウェーバックで蹴りをかわすと、背後にまわり左手で道着の襟を右手の手刀をのどに当て、そのまま投げ飛ばしたのだ。

 八郎のつま先が畳から離れ身体が宙に浮き、ピンボールめいて飛んで行った。

〈正面入り身投げ〉の変則技であった。

 受け身を取る余裕もなかった。

 背中を強打した。

 すぐに起き上がり追撃を警戒したが、銀は始めの位置から動いてはいなかった。

 場外にでることだけは避けられたが、かなりの腕前であることがわかった。

 さらに気を引き締め構えた。

 冷静で重厚な構えだ。

 八郎は己を恥じた。

 侮って試合に臨んだわけではないが、やはり心のどこかで一ミリほどの油断があったのだろう。

 これまで一○○超級の相手にも勝ち続けてきたのだ。

 体格で勝る自分は有利だという経験があった。



 銀は右手を前に突き出し。くいくいと挑発した。

 掴んでみろと言外にほのめかしていた。

 八郎は奔り両手で右手首を掴んだ。

 骨をへし折るつもりで万力の力で握りしめる。

 だが銀は右手を前方へつり出すと、身体を引きながら振り下ろし、またもや投げ飛ばしたのだ。

〈諸手取り呼吸投げ〉であった。

 今度は受け身を取りすぐに立ち上がった。

 銀はほほえんでいた。

 余裕の表情である。

 そして言った。



「楽しい人ですね。大抵の方は頭を打ってそのままなのですが。鍛えていますね」

「それはこっちのセリフだ。おれより背の低い人間に投げ飛ばされた経験は、今までに二回しかない。一人は師匠でもう一人があんただ。あんな化け物が他にもいるとは思わなかった」

「あなたの師匠もわたしと同じことを? できればご教授願いたいものですね」

「残念だがもうこの世にはいない。だが同じなら稽古と同じ闘い方をしよう」

「怖いですね。ではどうぞ」

「ああ」



 言うが早いか八郎は畳を強く踏みしめ、ミサイルのようにタックルをしかけた。

 両腕を広げ射程範囲を拡大していた。

 銀との間合いがあっという間に詰まっていく。

 組み付いてからの寝技、体重で押し切る戦法だ。

 もちろん膝を合わせられないよう警戒も怠らない。

 両側から腕を抱え込むように閉じ、捉えたと確信した次の瞬間。

 銀の姿が視界から消えていた。

 上にも下にもいない。

 気付いた時にはもう遅かった。

 銀は香港映画のように八郎の股下をくぐり、背後にまわっていたのだ。

 後ろから右腕を八郎の右肩上から出し、前腕をのどに当てつつ、自らの右腕と左腕を組み合わせる。

 裸絞め(はだかじめ)で頸動脈を圧迫しはじめた。

 赤子のようにおぶさる体勢なので、拳も蹴りもまったく届かない。



(……まずい。やられた)



 これは柔道やプロレス、総合格闘技で用いられる技で、逃げることが非常に困難とされている。

 合気道とは関係がないが今は闘龍試合の最中。

 何よりも勝つことが重要である。

 さらに銀はさらに右肩で後頭部を押し、八郎を前屈させ絞めを加速させた。

 頚動脈洞だけを圧迫した場合に限り苦痛はほとんどないが、頚動脈洞反射が起こると平均7秒程度で失神してしまう。

 つまり落ちてしまうのだ。

 八郎はすぐさま両手で銀の右袖を持ち、頭の上に引っ張った。

 こうして右腕に隙間をつくり脱出するのがセオリーであるが、なかなか拘束が解けない。

 小柄な身体から信じられないトルクが生み出されていた。

 時間だけが過ぎどんどん意識が薄れていく。



(……)



 遠くで凛子の叫ぶ声が聞こえた気がした。



「八郎! しっかりしなさい! 必ず勝つと言ったのでしょう!」

「ムダだな。ああなってはもうどうしようもない。落ちるぞあの男」

「うるさいですわ! 八郎! 八郎!」




 その時ビリリと音がして、銀の右袖が破れた。

 八郎の両手が空を切った。

 銀がよりいっそう力を込めて絞めようとする。

 が……しかし八郎は落ちなかった。

 なぜなら空振りした両腕で今度は髪の毛を掴んだからだ。

 腕の長さ柔軟性を利用していた。



「くっ」



 銀の眉間にしわがより僅かだが絞めが緩んだ。

 八郎はその隙に頭を抜き脱出する。

 ひじ打ちを胸元に打ち込み距離をとった。

 試合は振り出しに戻ったのである。

 いや、裸絞めで決めるつもりだった銀の方が体力の消耗が激しい。

 しかし八郎もまた攻略の糸口を掴んでいない。

 


「もう少しだったんですけど逃げれましたか。闘いとはままならぬものですね」

「ああ危なかったよ。ぎりぎりだった。髪のある奴で助かった」

「あら。もしかしてそのために髪を剃っていたんですか?」

「……ああそうだ。おれは負けに繋がるリスクは減らす主義でな」

「さすがです」



 二人は始めの位置に戻りまた構えた。

 どちらが誘ったわけでもない。

 呼吸が一致していた。




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