第16話 対松永銀
闘龍試合第二試合当日。
真路製薬次鋒、松永銀は病院の廊下を歩いていた。
消毒液にツンとした匂いが鼻腔を刺激した。
黒のスーツ姿の男で黒髪をオールバックにしている。
右手には花束をもっていた。
身長も体格も一般市民と変わらない。
どこにでもいる普通の男性であった。
鏡のように磨き上げられた床を進んでいくと、女性看護師に出会った。
銀があいさつをすると女性看護師もにこやかにあいさつを返した。
顔見知りのようであった。
そこからまたしばらく歩き「二○五号室」と書かれた病室に入った。
その患者専用の個室であった。
中には十四歳くらいの少女がいて、CDプレイヤーで音楽を聴いていた。
少女は銀の顔を見ると、
「おはようお兄ちゃん。来てくれたんだね」
「うん。今日の仕事にはまだ少し時間があるからね。優衣目の具合はどう?」
「ちょっとかすむかな……でもまだ見えるよ」
「そうか」
銀は花瓶に花をいけながら静かに言った。
出来るだけ落胆やあせりの感情を出さないように努めていた。
優衣も自分は病気になんかかかっていないといった調子で、なるべくいつも通りに喋っていた。
銀の妹は視神経症の病気であった。
下半分の視野が欠損し始め、暗闇で塗りつぶされようとしていた。
今はまだ見えるがやがて完全に視力を失ってしまう。
しかも明確な原因が不明で、現代の医療では対処が難しいと医師に告げられた。
また治療法を見つけるのに莫大な金と時間がかかると。
それが銀が闘龍試合に参加している理由であった。
すべて優衣のため治療費を稼ぐためだ。
そのためなら他のすべてを犠牲にしてもいい覚悟があった。
格闘者を殺すことも。
両親が事故で死に親戚にうとまれながらも、二人身を寄せ合って生きてきたのだ。
優衣の光を失わせたくはなかった。
「看護師さんたちとは仲良くしてる? 迷惑かけちゃダメだよ」
「うん。みんないい人たちだよ。お医者さんもとっても優しいし」
当然であった。
そのために高い金を払って優衣をこの病院にいれたのである。
医療設備が整い人材が有能なこの病院を。
碌な処置ができないのならせめて、メンタルのケアくらいはしてくれなければ困る。
銀は優衣と少し話してから立ち上がって言った。
「そろそろ行くね。また明日くるから」
「うん気を付けてね。でもお兄ちゃん本当に大丈夫?」
「どうしたんだい?」
「この病院すっごくお金がかかるって他の患者さんが言ってたよ。お兄ちゃんもうずっと顔色が良くないし……危ないお仕事してない?」
「平気だよ。優衣は何も心配しなくていいんだよ」
「うん……」
「全部わたしが何とかするから」
言って銀は病室の扉を開き廊下へ出た。
そこからまた歩きエレベーターを使って、一階のロビーに着いた。
正面玄関をくぐるとハディソンが声をかけた。
ずっと待機していたようだ。
せっかちな豪聖が迎えに行かせたのかもしれない。
すぐ近くに黒塗りのワゴン車が止まっていた。
「車を用意してあります。お乗り下さい銀さま。アイマスクはよろしいですか?」
「ああいらないよ。わたしは目が見えないからね」
「かしこまりました」
ハディソンがドアを開くと銀は乗り来み、シートへ腰を下ろした。
滑らかな動きであった。
十五の時に視力を失ったとは思えない動きであった。
試合会場に向かう銀の胸中で燃えるものがある。
闘志だ。
あの鬼怒甲平を倒した対戦相手は、かなりの腕前なのだろうが自分には関係ない。
優衣の障害になる者はすべて消す。
明王のような形相で銀は誓った。
◆
八郎と凛子は道場にいた。
八郎は黒の道着、凛子はまた制服だ。
隣には銀と豪聖がいた。
銀は袴の長い道着をつけ、豪聖はシルバーのスーツを着ていた。
阿門や黒服などの付き人は外で待機していた。
ハディソンやその部下たちは前回と同様にせわしなく準備を進めていた。
かなり広い道場で高等学校の体育館並みのスペースと天井の高さがあった。
飴色にひかる床板が前面に張られ、美しい光沢をはなっている。
道場の正面には「烈義勇忠」と達筆で書かれた掛け軸があり、山のような存在感があった。
そして中央の部分に畳が置かれ、一辺が八メートルでできた正方形を形作っていた。
リングだと思われた。
準備ができたのかハディソンがマイクを握りながら言った。
『大変お待たせいたしました。これより真路製薬次鋒、松永銀と千年原重工大将、南八郎の試合を始めさせて頂きたいと思います!」
天井につるされた監視カメラがハディソンがいる方向へ首を動かし、この場所にそくわない異質な雰囲気を醸し出していた。
中継が開始されたのだ。
『お二人はまずこのシールを胸に貼り、畳に上がっていただけないでしょうか』
八郎と銀は部下から手渡たされた白いシールを胸元に張った。
絆創膏のようなもので真ん中にしこりがあった。
かなり粘着力が強く簡単には剥がれそうもない。
それから畳に上がり向かい合った
互いに臨戦態勢だ。
『それではルールを説明します。試合形式は時間無制限のデスマッチ。畳でできたリングで闘っていただきます。そして場外に体が出た格闘者が敗退。ちなみに今回武器の使用は禁止となっております。ご了承下さい』
「なんだえらく平和的なルールだな。日和ったのかハディソン」
「わたしはこれでかまいませんけどね。今までのルールが悪趣味すぎるんですわ。火のついたリングで闘うとか、有刺鉄線が巻かれた柵の中で闘うとか」
豪聖と凛子が口を挟み、ハディソンが今回の要を話した。
『いえわたくしはデスマッチと申しました。凛子さまや豪聖さま他の会員のみなさまに、スペクタクルをお届けしたいと考えております』
「どういう意味だ」
「はっきり言ってもらいましょうか」
今度は八郎と銀が言った。
ハディソンはもったいつけて間をとると、
『お二人が胸につけたシールからは高圧電流が流れる仕組みになっております。流れる時間は三分間。リングから出たつまり敗者は電気のイバラに抱かれていただくことになります!』
監視カメラの向こう側で歓声が上がった。
会員たちは刺激が人の苦しむ様を好む人物が多いのだ。
そのためだけに会員証を手に入れた者までいる。
「なるほどこれは面白い。負けるなよ銀」
「はい社長。全力を尽くさせていただきます。」
「は、八郎あの……その……」
「問題ない。おたおたするな凛子。勝てばいい」
反応は四者四様だがそれにかまわず時間は過ぎる。
そしてすぐに試合開始かと思われたが、その前に銀が口を開いた。
「一つだけよろしいですかハディソン」
『何ですか。棄権は認められませんよ』
「いえそうではなく、ここは道場ですので、礼法をまもりたいと思うのです。南さんにもやっていただきたいのですが」
「おれはいいぞ」
「ありがとうございます。それではやりましょうか」
銀と八郎はまず向かい合い〈礼〉をした。
背筋を伸ばして両手を軽くふとももの上に置き正座する。
畳に手をつき腰から体を折る。このとき背中は丸めない。
そして正座に戻った。
次に二人は道場の正面、掛け軸に向かって礼をした。
やり方はいまさっきやった通りである。
「これで思い残すことはありません。正々堂々と立ち合いましょう」
「ああこい」
ハディソンがマイクに向かって叫び選手紹介をした。
東と西で格闘者の立ち位置を分けていた。
前回と同様に八郎の紹介が終わり、次は銀の番である。
『次に西の方角にいきましょう! 盲目というハンデをものともせず、数々の勝利に貢献してきたこの男!柔よく剛を制すという言葉が嘘ではないと教えてくれました! 真路製薬次鋒、松永銀です! 年齢は二七歳。闘龍試合戦績は八二戦、八一勝、一敗! 身長一七○センチ。体重六八キロ。戦闘スタイルは〈合気道〉! 明治から脈々受け継がれてきた技巧で敵を翻弄します!』
笛が鳴らされついに試合が始まった。




