第14話 対出会い
南八郎は目を覚ました。
柔らかいすぎてかえって寝心地の悪いベッドから上体を起こす。
ここは凛子が用意したホテルのスイートルームだ。
豪奢な家具がそこかしらに置かれていた。
勝利を祝ってこの部屋をとってくれているのだろうが、あまりに良い部屋はかって落ち着かなかった。
あとでいつも使っている簡素な部屋に戻ろうと考える。
ひさしぶりに昔の夢を見た。
あれから血のにじむような努力を重ね、荒田流を使いこなせるようになったが、結局イザリのいいつけを守ることは出来なかった。
彼が亡くなったあと自分は道しるべを失い、学んだ技を金儲けのためにしか使うことしかしなかったからだ。
あの世があるのなら出会った瞬間に、確実に説教をくらうだろう。
再び人のために使おうと思えたのはつい最近のことである。
枕もとの携帯を取り出して時刻をみると午前八時であった。
鬼怒甲平戦の翌日なので丸一日は眠っているかと想像していたが、わりと早く目が覚めてしまったようだ。
八郎はTシャツやジーンズを着て身支度を整えると、朝食を食べるために一階のレストランへと向かった。
朝食はバイキング形式でどれでも好きなものが食べられるようになっていた。
パンや目玉焼きソーセージなどを選び席に着いた。
室内はかなり広いがここも貸し切りにしてあるのか他に人の姿はない。
ソーセージをフォークで刺し黙々と口の中へ運んでいく。
初めて食べた時はその味に感動したものだが、さすがに慣れてきたようで特に感想はない。
以前では考えられないことなので贅沢だなと思う。
そうして食べ進めていると、凛子がやってきた。
ジャージ姿で金髪縦ロールがぐにゃぐにゃになっていた。
片手でトレイをもちもう片手で眠そうに目蓋をこすっている。
どうやら朝に弱いようだ。
凛子は八郎の前に座ると水を一杯飲んでから言った。
「どうよくねむれまして?」
「ああ問題ない。体力もだいぶ回復してきている」
「よかったですわ。昨日の祝勝会はささやかにやりましたげど、負担になってないか心配でしたの」
「気にするな。むしろありがたい。人に褒められることは少ないからむずがゆかったがな」
ここで凛子は伏し目がちになり、それから自分の両手を八郎の手に重ね合わせた。
八郎はその様子を黙って見つめていた。
「八郎には本当に感謝してもしたりませんわ。これまで四人の格闘者が敵わなかった鬼怒甲平に勝ってくれたんですから。本当につよいんですのね」
「あまり持ち上げるな。おれは自分の仕事をしただけだ。まだ四戦あるしな」
「そうですわね。でもわたくし不思議とあなたならできる気がしますの。無責任かもしれませんけど」
「無責任だな。だが負けるつもりはない。期待していろ」
「はい!」
凛子はヒマワリのように笑って言った。
八郎の顔が少し赤くなった。
二人は他愛のない話をしながら食事を続け、終わるころに八郎が言った。
「今日はこの辺りを見て回りたいんだがかまわんか? ここに来てから同じ場所でトレーニングしかしていないからな。息抜きをしたい」
「次の試合まで二週間ありますし大丈夫ですわよ。でも真路の人間が何かしてくるかもしれませんわよ。食べ物や飲み物には気を付けてくださいね」
「わかっている。それに銃やナイフで脅されたら、ハディソンに連絡を取ればいいんだな」
「ええ。試合外の格闘者を守ることも運営の仕事ですから。あなたなら自力で片付けちゃいそうですけどね」
「これまでならな。今は闘龍試合に全力を尽くす。よけいな喧嘩はやらん」
「助かりますわ。ではいってらっしゃい」
「いってくる」
八郎は席を立ち外へ出かけた。
ホテルを出て少し歩くとセンター街が見えてきた。
幅の広いアーケードが取り付けられその下に、さまざまな種類の店舗群があった。
カジノがあった繁華街とは違い開放的、健康的な明るさがある。
大勢の人が行きかい活気に満ち溢れていた。
この人たちは貧困層でも富裕層でもない中流階級の人間だ。
誰もが身の丈にあったささやかな幸せを感じているようであった。
日本では珍しい平和と呼べる光景だ。
八郎が歩いているのはアニメ、ゲーム関係の店が並ぶ通りだ。
今期のアニメキャラクターが描かれたポスターを眺めていると、張り詰めた神経がほぐされていくようである。
正直に言うと凛子はこういう文化が苦手なので、一人で来たのだった。
その中の一つグリーンの看板が掲げられた店舗に入った。
一階は漫画のコーナーで、すぐに平積みにされた本の山が見えてきた。
心躍る光景だ。
今日は好みの漫画の発売日でもあるため、いくつか新刊を手に取った。
ここで買うと特典がつくのだ。
すぐにはレジへ向かわずしばらく店内を歩いて、何か新しい発見がないか見て回った。
色とりどりのジャンルの海を泳いでいく。
進むたびに他の客が挙動不審になりながら八郎を避けていった。
目をそらされ過ぎてかえって不自然な状況になっている。
やはり身長一九○越えでスキンヘッドのいかつい男(おまけに目つきも悪い)は、店の客層にマッチしていないのだろう。
これのせいでオフ会に参加してもアドレスやラインを交換してもらえないのだ。
同好の士となかなかめぐり合えないのは悩みであった。
そうこうしていると後ろから声をかけられた。
聞き覚えのある声だ。
顔合わせの時に友達になろうと言ってきた男の声である。
真路製薬大将の声である
「南八郎さんですよね。お久しぶりです」
「おまえ……」
「真路愛聖です。また会えて嬉しいよ」
愛聖は白髪をいじりながら、ごく普通に言った。
ボーダーのTシャツに青色の七分袖ジャケットをはおり、クロップドパンツを履いていた。
ファッション雑誌の表紙を飾れそうなルックスである。
だが八郎にとってそんなことはどうでもよく、心臓が鼓動を上げ早鐘のように鳴った。
殺気が満ち溢れ二人がいる空間だけが別の世界のようになった。
試合外の私闘は禁止されているが、それを相手が律儀に守るとは限らない。
やってしまった後でならどうとでも言い訳ができる。
いまここで目でも潰された場合愛聖は失格になるだろうが、千年原重工としてはかなりの不利となる。
また八郎のような格闘者を探す必要があるし、いなければ次の試合あっさり真路製薬側の格闘者が勝ってしまうかもしれないのだ。
後ろ手で携帯を取り出しながら、じわじわと後退する。
だが八郎の予想に反して愛聖は何も仕掛けてこなかった。
それどころか友人と話すような気軽な調子で、
「南さんも漫画とか読むんですね。ぼくもこういうの好きなんですよ。今は欲しい本はないんですけど、こうやって見てるだけでも楽しいんです」
「……」
「あ、あれ? どうしました? すごい汗ですよ。大丈夫ですか?」
こちらの身を心配するその表情は嘘をついているようには見えなかった。
もちろん殺気もまったくない。
まったく無防備な普通の青年と変わらなかった。
「おまえどういうつもりだ? 何を企んでいる?」
「やだなあ。何も企んでいませんよ。闘龍試合に参加する格闘者同士がプライベートで話しちゃダメってルールはないでしょ? 自己紹介の時に言ったように、ぼくはあなたと友達になりたいだけです」
「なぜそう思った。おれの何がいいんだ。こんな奴格闘者ならごまんといるだろう」
「えー全然違いますよ。フィーリングっていうのかな? 初めてあった時から思っていたんですよね。この人は他の人間とは違うって。ぼくと気が合いそうだなって。ほら実際ぼくたち二人とも漫画やアニメが好きじゃないですか」
「……そうだな」
相手の思考が読めないため八郎は短く返した。
少し天然なところはあるが悪意はない様だった。
それから愛聖は、
「よかったらこの後お茶しませんか? 話したらぼくのいいところもっと南さんにわかって貰えると思うんです。それから友達になりましょう」




