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赤手空拳  作者: ういすき
13/33

第13話 対ヤクザ鰐淵

「おいてめえ! このみそ汁虫がはいってんじゃねえか!」



 昼飯どきに野菜炒め定食を食べていた男が怒鳴った。

 頬に傷のつけたチンピラ風の男だ。

 赤色のアロハシャツを羽織っている。

 八郎がテーブルに運んだ定食であった。

 茶碗の中をのぞき込んでみると、確かに小指の爪ほどのクモが入っていた。



「それは虫じゃないクモだ」

「同じことだろーがよお! 謝罪金よこせ謝罪金!」

「どうせそこらにいた奴を入れたんだろ。だれが払うか」

「てめぇなめてんのか!」



 男はさらに怒鳴った。

 怒りのボルテージがぐんぐん上がっていくのがわかる。

 イザリに相談したほうがよさそうな気もするが、あいにく彼は今便所だ。

 それに八郎は技を試す絶好の機会だと思った。



「俺は加藤組の半崎つーもんだ! ヤクザだぞヤクザ! 知れねーのかてめえ!」

「知らん。それより野菜炒め定職の二百円払え」

「よしわかった喧嘩売ってんだな! 表へ出ろ!」

「喧嘩で話をつけるんだな?」

「ああ! てめえが勝ったら金は払ってやる! だが負けたときは一万円もってこい!」

「いいぞ。やろう」



 もちろん八郎にもイザリもそんな大金あるわけないが、まったく負けるとは思っていなかった。

 二人は表へ出ると向かい合った。

 八郎は左足を真横にしその前方に右足を立てるように置く、Tの字立ちに構えた。

 半崎は素人が見様見真似でやるボクシングのような構をとった。

 そして先手をとり八郎が動いた。

 駆け引きも何もなく唐突に喧嘩が始まった。

 二歩、三歩、四歩あっという間に距離を詰める。

 八郎は左足ヒザを抱え込み、鞭のように振るった。

 側頭部に左足上段回し蹴りを打ち込み、逃げようとするところを中段逆突きで追撃した。

 半崎の胴体に右拳がめりこみ、前のめりに倒れうずくまった。

 あっけない勝ちであった。

 楽勝である。

 ここまで覚えてきたことが上手く決まり八郎は喜んだ。

 努力が実を結ぶ瞬間は誰しも嬉しいものだ。

 上手く喋れないようなので八郎は二百円を回収すると、担ぎ上げて近所のゴミ捨て場に放り込んだ。

 そのうち歩けるようになるだろう。

 食堂にもどるとイザリが何かあったのかと訊いた。

 八郎は何もなかったと答えた。





 三日後。

 八郎は草原を通って今井食堂までの道を帰っていた。

 この前の勝利に気分を良くしたのか、ここのところますます空手の練習に打ち込むようになっていた。

 今夜も店を閉めた後いろいろと技を試し、ランニングを終えた帰りであった。

 満月の夜だ。

 気持ちの良い風も吹いていた。

 かかと辺りの高さに雑草たちが生えており、深緑色の葉を揺らしていた

 もう少しで抜けるというところで、八郎の前に男たちが現れた。

 人数は六人でその中には半崎の姿もあった。

 一番背が高くガタイのいい男が言った。

 ゼブラ柄のスーツを着ていた。



「俺は鰐淵わにぶち。このまえは弟分が世話になったのう。おどれヤクザに喧嘩売ってただで済むと思っとるんか?」



 鰐淵はメリケンサックをはめた左腕を自慢するように前へ出した。

 丸太のように太い腕である。

 身長も身体の厚みも八郎を上回っていた。

 ドレッドヘアーを後ろで束ね、見るからに危険な雰囲気を醸し出していた。

 八郎の頬につーと冷汗が垂れた。

 ゴロツキ相手の喧嘩ならまだしも、こういう事態に直面したのは初めてのことであった。

 子供ではなく大の大人が暴力を振るおうとしているのだ。

 一対一ならまだしもこの状況は無理がありすぎる。

 逃げようかと背後を見たが、すでに二人の男が回り込んでいた。

 ここには盾になりそうな物もなければ、退路もなかった。



「おらいくぞ」



 鰐淵が左腕を振りかぶって殴りかかってきた。

 力はあるが軌道の読みやすいテレフォンパンチである。

 格闘技の経験があるというわけではなさそうだった。

 これならかわして前蹴りを股間に打てる。

 そう思った次の瞬間、八郎は背後にいた男たちに組み付かれ腕と足を封じられた。

 まるで案山子かかしのような格好で棒立ちになる。

 その無防備などって腹に鰐淵の左拳がハンマーのごとく打ち込まれた。

 メリケンサックによって強化された衝撃が骨をその下の内臓を打ちのめした。

 あまりの痛みに口からヒキガエルのような声がでた。

 頭の中が真っ白になった。

 さらに拳が四、五発打ち込まれた。

 今度は目から星が飛び出るかと思った。

 八郎は血を吐きながら口を動かし、



「ご、ごめんない。おれが間違ってました。許して下さい……」

「ああん!? 今更許すわけあるかい! おどれはここで死ぬんじゃい! 死体は肥料にでもしてやるわ!」

「う、うそだよな……」

「うるさいわ! おら!」




 鰐淵が今までで一番大きく左拳を振りかぶった。

 八郎はみっともなく小便を漏らし、股間をビショビショにしていた。

 目をつむり目蓋の裏側に走馬灯が走るのがわかった。

 一秒が一時間にも感じられた。

 だがいつまでたっても決定的な瞬間は死は訪れなかった

 うっすらと目蓋を開くと、そこには仰向けになった鰐淵がいた。

 その足元に老人がいた。

 どうやら足払いで転ばせたようだった。

 八郎の雇い主イザリであった。



「まったく手間ばかりかけさせるのう。ただ働き二か月延長じゃな」

「――」



 そう言うとイザリは構え電光石火のように奔った。

 腕が足が舞い散る花びらのごとく、美しくそれでいて凶悪な打撃をはなった。

 肉を叩く鈍い音が何度か聞こえた。

 八郎はあっけにとられていた。

 なぜなら股間や耳を打たれ瞬きの内に、男たちがなぎ倒されていったからだ。

 どうやったのか半崎の身体が宙で一回転して地面に落ちた。

 八郎に組み付いていた二人もアゴを叩かれたのか、糸の切れたマリオネットめいて昏倒した。

 これをすべて七十を超えた老人がやっているのである。

 夢か現か幻か己の正気を疑う展開である。

 だがこれは現実の出来事であった。

 最期に残ったのは鰐淵だけだ。



「ほれもう帰れ。これでお互いさまじゃろ」

「う、うるせえ! これは夢だ! こんなこんなバカなことがあってたまるか!」



 鰐淵はでたらめに左拳を打った。

 メリケンサックが月の光でキラキラと輝いた。

 イザリは合わせるように右拳を打った。

 両者の拳が正面からぶつかり合った。

 パンッと軽快な音が響き波が起こった。

 三秒ほど両者はにらみあっていた。

 しんとした空間に風が吹き、虫の鳴き声が聞こえた。

 そしてメリケンサックが縦に真っ二つに割れた。

 指をはめる鉄製のリングが両断されたのだ。

 鰐淵はあまりのことにその場へ尻もちをつきへたり込んだ。

 よだれが垂れ眼がうつろに草原を見ていた。

 腰が抜けて立ち上がることができないようだ。

 すぐ近くで八郎も似たような表情をしていた。

 イザリが肩を貸し立たせた。

 八郎が大きいのでだいぶんアンバランスであった。

 そうして二人は家までの道を帰り始めた。



「……なあいまのどうやったんだ。魔法か?」

「ほほ。そんなわけあるかい。あれは技じゃわしがやっとる荒田流のな」

「あらたりゅう?」

「そうよ。荒田流〈大衝一点〉極めれば金剛石も砕くぞ」

「おれにも教えてくれないか。調子に乗ってなさけねえこと言っちまった。今まで喧嘩に負けたことなんてなかったのに……」



 八郎の瞳から悔し涙がこぼれた。

 とたんにさっきまでの恐怖がよみがえり、足がガクガクと震え出した。

 イザリは落ち着いた口調で、



「おまえはまだ若いこれから何度でもやりなおせる。強くなっていつの日か後悔を乗り越えられればええ。だが己のためだけに拳を振るうな。暴力を返せば暴力で返される。もっと自分を相手をよく見るんじゃな」

「わかった……」



 八郎は鼻水をすすりながら言った。

 そしてこの日から正式に弟子となった。





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