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赤手空拳  作者: ういすき
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第11話 対システマⅡ

 八郎はコンクリートの床を転がり回り、道着についた炎を消しすことに専念する。

 剃っているのため髪に燃え移る心配はないが、皮膚を炙られる苦痛は生半可なものではない。

 生ものが焼ける何ともいえない異臭が、己の身体から発せられているのがわかる。

 肘や膝を床で打ち鈍い痛みが走ったが、そんなことに気を取られている場合ではなかった。

 いまは必死に身体を動かすのみだ。

 三十秒が経過しどうにか炎は消し止められた。

 八郎にしては何時間にも感じられた出来事だったが、実際のところ時計の針はまったく進んでいない。

 急いで立ち上がりちらと身体の具合を確認したが、どうやら目立った火傷はない様子だ。

 ただ焼けこげた布地からかすかにガソリンの匂いがした。どうやらガソリンを染み込ませた新聞紙に、ライターで着火して、死角から投げつけたようだ。

 武器アリとはいえ容赦ない手段をすぐに実行できるのは、傭兵という経験のがあってのことだろう。

 良心の呵責というものがまったくなく、それゆえここまで四連勝を築き上げることができたのだ。

 しかし肉にも骨にも以上はない。

 これなら闘いに支障はなさそうであった。



 と、甲平の姿を探そうとした八郎は絶句した。

 なぜならフロアのあちらこちらから灰色の煙が立ち昇り、視界を埋め尽くそうとしていたからである。

 煙は主に軽自動車から噴き出していた。座席からメラメラと炎が上がっている。どうやら甲平があらかじめガソリンを染み込ませ、それに火を着けたようだった。

 さらに炎が手薄な箇所は発煙筒を炊いているという徹底ぶりであった。

 瞬く間に六階駐車場は煙によって支配された。

 なるべく吸い込まないように身をかがめ、インナーをちぎって口元に巻く。



(ここに留まれば酸素を奪われるばかりだ。屋上を目指すか……)



 八郎はそう考え屋上に繋がる通路を探し進む。

 視界は煙で塞がれているため正確な位置はわからないが、駐車場の構造はどの階も同じであったため、容易に行先は特定できた。

 何歩か進むとスニーカーに何かを踏んだような感触があった。

 それはチリンという音を鳴らした。

 キーホルダーに付けられている鈴であった。

 それを外して床に置いてあった。

 トラップである。

 音に合わせて甲平のミドルキックが放たれた。

 斧めいた一撃が右わき腹に直撃する。

 


「ぐっ」



 無防備なところに攻撃を受け八郎の表情が苦痛に歪む。

 反撃を試みようと拳を打つが、すでに甲平の姿はなかった。

 煙の中に姿を隠している。

 音を頼りにヒットアンドアウェイを仕掛けてきたのであった。

 できれば動き回らずこの場で捉えたいところだが、煙が充満している今の状況がそれを許さない。

 仕方なく歩を進めるがすぐにまた鈴のトラップに引っかかり、手痛いキックを受けることとなった。

 このままではジリ貧である。

 八郎は現状について思考を巡らせた。

 不可思議なのは甲平が移動、攻撃する際に靴や衣擦れ、そして呼吸音がまったくしないことである。

 そのせいで反撃がいっそう困難なのだ。



(なぜ音が聞こえない。もう五分は経っている。息を止めるにしてもそろそろ限界のはずだ)



 八郎には知るよしもないことだが、甲平の肺活量はフリーダイビングの世界王者並みである。加えて戦場での経験により煙や粉塵に慣れていた。

 これまでくぐってきた修羅場の質が二人の命運を分けていた。

 八郎は前に進んだ。

 考え方はさっきと同じだ。

 どの道この場に長く留まっていても死が待つのみである。

 だが甲平はここまでのやり取りで、八郎の動きを完全にとらえていた。

 次に放たれるのはじわじわと体力を削るキックではなく、首筋を狙った必殺のストライクである。

 八郎が進みまた鈴が鳴った。

 甲平は拳を握り背後からストライクを打つ。

 右拳が銃弾を発射するのと同様に回転し、打ちだされた。

 自らの気配は完全に消している。

 ベストタイミングだ。



(とどめだ八郎ちゃん! 死ね!)



 しかし拳が到達することはなかった。

 甲平の胸元、空手でいう胸尖の部分に、八郎の左ひじが突き刺さったからである。

 ゴボッと口が開かれ肺の中の空気が残らず吐き出された。

 ため込んでいた酸素が空である。

 煙を吸って盛大にせき込みながら甲平は吠える。



「ご、ごほっ……どうしてオレの位置がわかる! い、イカサマでもやってんのかテメエ!」

「勘だ」

「はあっ!? かん!?」

「二度蹴られて適当にお前のパターンを読んだ。あとは大よその位置を殴ればいい」

「――」



 甲平は絶句した。

 必殺の一撃を勘で迎撃されるとは思いもよらなかったのだ。

 さすがにこんな奴は戦場にもいなかったからだ。

 だがどういう理屈であろうと、今のやりとりで空気もすべて吐き出してしまい、もう自分のアドバンテージはない。

 一目散に最上階へ後退を決め走る。

 八郎はそのあとを追った。





 最上階に軽自動車は二台しか置かれておらず、二人が闘うには十分すぎるだけの広さがあった。

 甲平は新鮮な空気をブリージングで吸い込み、メンタルを平常に戻す。

 追って八郎も到着し呼吸を整えた。

 六階は炎と煙につつまれもう一階の出口を通って、リタイアすることは叶わなくなっている。

 決着はどちらかの死亡か最上階から飛び降りる以外の選択肢はない。

 八郎と甲平は互いに構え向き合った。

 二人の距離は五メートルほどである。

 そしてやはり先に動いたのは甲平であった。

 気が短く待てない性格だ。

 先手必勝が信条とということもあった。

 右拳を握りストライクを胸、アゴ、側頭部、胸、顔面の順番で打つ。

 〈デュアルヒットストライク〉、相手の身体をゴムのように利用し、反動を使って連続でストライクを打つ技だ。

 打撃が重く体に突き刺さる。

 しかし八郎はガードをしなかった。

 自信の直観がここを攻め時だと判断していたからだ。

 正拳突き、鉤突き、底掌突き、貫手突き、双手突き、二本貫手突き。

 最期に目突きを入れながら連続で突きを打つ。

 


 瞬きも許さぬほどの攻防の中、ついにチャンスを甲平が掴んだ。

 放った7フロントキックが八郎の股間にめり込んだのである。

 確かな手ごたえがあった。

 睾丸が潰れ動けないと思った。

 八郎は思わず股間を押さえてその場にうずくまる。

 甲平は頭部を掴むと右膝蹴りをバルディッシュめいて放った。

 アゴを砕いてからの絞め技で殺すつもりである。

 だがそれを八郎は両手で止めた。

 逆に甲平のアゴに頭突きを入れ、胸元を掴み膝をつき、しゃがんで背負い投げを放った。

 受け身を取ることが困難ため、練習禁止にしているところもある技だ

 甲平はコンクリートの床で強かに背中を打ち、もんどりを打ってのたうちまわった。

 八郎の睾丸は潰れてはいなかった。

 うずくまったのは演技だ。

〈骨掛け〉、腹筋を使い睾丸を恥骨の奥に引っ込めたのだ。

 すぐさま腕挫十字固めに移行し、肘関節を極めブツンと左腕を折った。

 絶叫があった。

 だが甲平の戦意はまったく衰えておらず、どうにか腕を振りほどいて立ち上がると、右手だけで構え言った、

 立っている場所は最上階の端であり崖っぷちだ。

 落下防止用の手すりは外されて今はない。

 背後には何もない空中が広がっていた。

 後退はできない背水の陣だ。



「まだだ! まだ終わってねえ! 来いよ! オレが死ぬまでこい!」

「終わりだ。消火器を探して火の勢いを弱めてやる。出口から退場しろ」

「ふざけんな! ありえねえ! オレが負けるなんてありえねえだろうが!」

「……わかった」



 八郎が駆けた。

 甲平は迎え撃とうと最後の力でハイキックを繰り出す。

 ダメージを感じさせない素晴らしいキックだ。

 八郎はそれをしゃがみかわして、一度足を床に縫いとめると、全身の筋肉を引き絞り右拳を打った。

 凄まじく速い拳だ。

 ごうっと風が吹いた。

 着弾と同時に甲平のつま先が床からはなれ、一九○センチを超える巨大な体躯が宙に浮かび上がった。

 


「あ゛っ」



 どこか気の抜けたセリフがあった。

 そのまま重力に引かれ地面へと落下し、地上で伸び放題になっている垣根に突っ込んだ。

 派手な音を立て枝葉が折れていく。

 骨の折れる音も混じっているらしかった。

 一瞬の出来事であった。

 モニターで観戦している凛子や豪聖たちには何が起こったのがすぐにはわからなかった。

 勝負を決めたのは〈大衝一点たいしょういってん〉、荒田流の奥義だ。

 力とは質量と加速度の掛け算である。

 体重一一○キロの肉体をフルに使い、コンマ数秒間隔での正拳突きを素早く同一箇所へ二撃、正確に打ち込むことによって、一点に圧倒的な破壊力を生み出すのだ。

 その分体力、精神力の消耗は激しいが直撃すれば、獅子を倒すとも言われている。

 みながあっけにとられる中、ハディソンがやや遅れて言った。



『――鬼怒甲平場外! よってこの勝負南八郎の勝利となります!』



 モニターの向こうでワットと歓声が上がった。

 大穴が勝ったのだ。

 声の主は凛子や八郎に賭けた会員たちである。 

 とくに凛子は嬉しさのあまり阿門と手を取り合い、涙まで流している。

 豪聖は苦虫を噛み潰したような顔で足早に立ち去った。

 八郎は最上階の端から下を覗き込んだ。

 甲平が垣根から頭を上げ、自力で起き上がろうとしている最中だった。

 この高さから落下したというのに、信じられないタフさである。

 このぶんなら自力で病院まで行けそうだ。

 さらに運営の人間が火を消すために、入り口に集まってきているのが見えた。

 じきに出られるようになるだろう。

 八郎は降りられるようになるまで、ここで昼寝をすることにした。

 全身クタクタである。

 大の字に寝転がり空を見ると、トンビが一匹飛んでいた。

 緊張の糸が切れ眠ってしまいそうであった。




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