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赤手空拳  作者: ういすき
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第1話 対南八郎

 真夏の生あたたかい風が繁華街を吹き抜けた。

 きらびやかなネオンの下を千鳥足のサラリーマンたちが、上機嫌で通り過ぎていく。

 時刻は午前零時を回っているが、いまだに多くの人々が道を行きかっていた。

 歩道の両脇に建ち並ぶ店はどれもが誘蛾灯のようで、怪しく光り退廃的な色気をかもしだしていた。

 店の一つにカジノがあった。装飾過多の毒々しい外観で入店する人物の面構えは、お世辞にも良いとは言えない。絵に描いたような成金といった感じだ。

 そしてカジノの地下、店から三十メートルほど潜った場所に小さな部屋があった。壁が黄ばんでいて、幅の広いドアが左右にこしらえてある。地下のため窓は一つもない。

 すみの方に着替え様のロッカー、隣に木製のベンチがあった。掃除はされていないようで弁当の空容器や、飲み終わった空き缶が散乱していた。まるでゴミ捨て場のようなところだが、ダンベルやパンチングミットが転がっていることから、〈格闘者〉殴り合いで生計を立てている人物の控室だということがわかった。アンダーグランドで生きる者たちだ。

 薄い壁の向こうからは歓声と肉のぶつかり合う音が聴こえ、今まさに試合が行われている最中であった。



 部屋の中央だけはゴミが片付けられていて、そこに一脚のパイプ椅子が置かれていた。

 本来尻を置く座面の上では男が右手親指一本で、逆立ち腕立てをしていた。トレーニングの最中であった。自重が親指一本にかかり、身体のいたるところから汗がしたたり落ちた。

 腕が屈伸するたびに脚がきしみ、薄っぺらいクッション材が悲鳴を上げた。

 服装は履き古したボクサーパンツのみで、たくましい肢体を惜しげもなくさらしている。筋肉は練り上げられ、巨木のような頑強さと柔軟性をもっていることが、遠目からでも見てとれた。

 背が天井につきそうなほど高い男であった。指の皮は分厚く耳は歪な形につぶれている。目つきは鋭く、頭はそり上げられ頭髪は一本もなかった。肌色の頭部が蛍光灯の光を反射していた。

 さらにつけ加えると、男の身体には傷がいたるところに付いていた。主に切り傷、刺し傷が多いが、銃創、鉛玉で撃たれたような跡もある。

 傷口まわりの肉がぶくりと膨れ上がり痛々しい。

 控え目に見ても堅気には見えず、どちらかというと獣に近い雰囲気を漂わせていた。

 善良な一般市民が町で出くわしたら、思わず目をそらしたくなるタイプの人物だった。

 と、ドアノブが回り右のドアから痩せた小男が入ってきた。

 くたびれたグレーのトレーナーウェアを上下に着て、前歯が長く血色の悪いネズミのような顔をしている。黒い頭髪は洗っていないのかボサボサで、あちらこちらに白髪が混じっていた。

 ドアを後ろ手で閉めると、パイプ椅子でトレーニングをする男に目をやり、



「ハチロウ。もうすぐ試合なんだぜ、無理すんじゃねえぞ。オーバーワークで負けちまったら、笑い話にもなんねえからな」

「問題ないゲジ。軽く汗を流していただけだ」



 南八郎みなみはちろうは手を開き、だんっとパイプ椅子の上から床に降りた。

 ロッカーからショルダーバッグを取り出し、清潔なタオルで汗を拭く。そのままベンチに座り、ミネラルウオーターを口に含んだ。

 ネズミ顔の男、ゲジはやれやれといった様子で、頭を掻いている。このやりとりは過去何度もあったようだ。

 八郎の職業は地下闘技場で働く格闘者であり、対戦相手を叩きのめすことで給料をもらっている。ゲジはそのセコンドを務めていて、二人の関係はそれだけだった。

 プライベートなことはお互い何も知らないし、興味もない。あくまでも、仕事上だけの付き合いだった。それはこの業界では珍しいことではなく、情がわくと大抵ろくなことが起こらないからだ。

 特に金や女の関係で。

 ゲジはポケットから黄色い券出し、親指をなめるとパラパラと数を数え始めた。

 どうやら賭け事に使う券のようだ。



「今日の相手は強いって噂だぜ。気を付けねえと足元すくわれるっての。俺は今回もオッズの低いお前に賭けやったんだから、負けたら承知しねえぞ」

「相手の情報は何かつかんでいるのか?」

「ねえよ。だから噂だって言ってんだろ。おめえも対戦相手の名前くらいしか知らねえし、こっちも同じようなもんだ。例によって俺たちは前情報なしで闘うしかねえ。おめえが勝ちすぎるから、せめてものハンデってことだろ。まったく迷惑な話だぜ」

「そうか」



 八郎は短く言った。どうでもよいといった感じだ。

 その目の前をハエが横切っていった。

 不衛生な環境のため部屋にはよく虫がわいていた。

 なら片付ければよいのだが、そういうまっとうな考えをする人間はこの地下にいなかった。

 誰もが自分さえ良ければいいと思っていた。他人の不利益など知ったことではなく、面倒なことはどこかの誰かがやるものだと。

 ハエはゲジの顔の前を通り過ぎて、部屋の中をぶんぶんと飛び回った。羽音が耳障りだ。



「てめえ! うっとうしいんだよ!」



 床から新聞紙をつかみ取り、丸めてハエを叩こうとする。ハエはそれを素早くよけていった。球速の速いピッチャーにバッターが翻弄されるような格好だ。

 活きのいいハエであった。

 やがてゲジは新聞紙を落とすと、膝に手をつきゼエゼエと肩で息をした。

 かなりの運動不足だった。

 ゲジなどというあだ名をつけられるのも、このみっともなさが原因だと思われる。



「はぁ、はぁ……ハチロウ。おめえがやれ」

「ああ」



 八郎は床からつまようじを拾うと、先の尖った部分を前に突き出し、ダーツのようにハエめがけて投げた。慣れ手つきであった。

 ぷつんと羽音が途切れ、ハエは床に落ちてゴミの一部になった。

 胴体を正確に串刺しにされていた。



「ふん。まあまあだな」

「……」



 なぜかゲジがふんぞり返って言った。

 それから遅れて携帯電話に着信があったことに気付いた。

 急いでリダイヤルする。



「あっはい。すいやせん。すぐに準備させますんで! それでは!」



 電話の相手は闘技場のオーナーからだ。

 欠員が出たため八郎の試合を、繰り上げて始めるということだった。

 ゲジが通話を終えて振り返ると、八郎はすでに手早く着替えを終わらせていた。

 真っ黒な空手道着を着込んでいる。

 帯の色は血のように赤く実際に血痕も付着していた。

 客を盛り上げるために、オーナーが用意させた物だ。



「やるぞ! 気合い入れていけよ!」

「そうだな」



 八郎は無感情に言った。

 声色にあきらめが濃く出ていた。

 生きるためには金を稼ぐ必要があり、自分には闘う以外に能がないことは重々承知していた。

 今ここで働いているのはこれまでの人生の帰結、自業自得だろう。

 ただむなしかった。

 人を殴って壊すばかりの人生が。

 恥ずかしげもなく言うと「いい人」になりたかった。

 人にやさしくできるような人物に。

 しかしそのためにはどうすればいいのか、八郎にはわからなかった。

 道徳をあまり学ばず育ち、大人になった男であった。



 二人は左のドアをくぐり闘技場へ向かった。

 薄暗く細長い通路を抜けると、鉄でできた両開きの扉があった。かなりの重量があるようで、左右に開閉用のスタッフが待機している。

 鉄板を挟み、怒号とも歓喜ともつかぬ雑多な声が聞こえてくる。今日は女の声が多いようだ。

 次の闘いをいまかいまかと待ちかまえているのだ。

 八郎が前に進むと、しめやかに扉が開いた。

 まばゆい光が差し込み歓声がさらに大きくなった。

 目を細め歩を進めていく。

 そこには何百人もの観客がいた。



 闘技場はコロシアムめいて円形に観客席が造られ、金持ちたちがワイングラス片手に座っている。

 やたらに着飾った者が多く恐ろしい値段の宝石類を、指や胸にあてがっていた。

 中心部分には金網でできた六角形のリングがあり、そこが八郎の仕事場であった。

 白いカーペットでできた花道を進み、右側から短い階段を上り、金網のドアを開けリングに乗り込む。

 リングの広さはボクシングで用いられるものと近く、約六メートル程度だ。

 中にいるのは八郎一人で、まだ対戦相手は到着していない。

 実況から声が上がった。

 選手紹介だ。



『きました! ライトコーナーからチャンピオンが入場しました! 貧民街で育ち、日常それは修羅場! 闘いに言葉はいらないただ殺す! 南八郎です! 年齢は三一歳。戦績は五二戦、五二勝、○敗! 身長一九六センチ。体重一一○キロ。戦闘スタイルは〈古武術荒田流〉! さらに空手、柔道、喧嘩技! ありとあらゆる手段で対戦相手を排除します!』



 大げさな物言いに地下闘技場の現チャンピオン、南八郎は嘆息する。

 先代チャンピオンを倒してから二年間この立場を維持していた。。

 しばらくして、対戦相手が姿を現した。

 闘牛のようなゴツイ肉体をした黒人男性だ。

 体のどの部位も分厚く、髪型は坊主頭に剃りこみをいれたバリアートであった。

 グローブにトランクスそしてシューズの形から見て、ボクサーだと思われた。



『そして今! レフトコーナーから挑戦者が入場しました! マフィアの用心棒を務め、オーデコロンは硝煙! 最強? 俺のための言葉だろ? デニス・バーンズです! 年齢は二六歳。三か月前に格闘者として登録され、戦績は二三戦、二三勝、○敗! 身長二○一センチ。体重一六○キロ。戦闘スタイルは〈ボクシング〉! その拳は今宵も生贄を求めています!』



 八郎の冷めた心境とは裏腹に、会場のボルテージは最高潮に達しようとしていた。




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