第46話『Sense of Wonder』・下
地味に、投稿から確か一周年です。
読んでくれてありがとうございます!
「もちろん演奏はさせていただきますが、僕もこれを生業にしている身。対価なしで歌うわけにはいきません。他の吟遊詩人の手前もありますのでね」
吟遊詩人ヴェイリンは了承したものの、無償で歌うことは拒否した。
(吝嗇な……)と思わないでもなかったが、イレーネ自身、魔術の行使をただでやれと言われて、閉口したことが何度もある。
理は確かにヴェイリンにあろう。
「いくら払えばいいのかしら?」
イレーネが問いかけると、ヴェイリンは微笑みを浮かべた。
「さて。『技能交換』をするというのはどうでしょうか。手の内を明かすところまではいかなくとも、互いに何をできるのかを知り、学び合うのは役に立つと思いますよ」
『技能交換』とは、冒険者独自の文化であり、彼らがいまだ流刑者と変わりない存在であった黎明期に端を発する。
寄る辺のない冒険者たちにとって、唯一、自分で練り上げた技能だけが頼りであった。そして、彼らは、自分の技能を独占しようとはしなかったのだ。
困難な時代であったからこそ、冒険者達は、互いに助けあい、互いに得意とする技能を教えあったのだった。
その伝統が、現在にも『技能交換』として残っている。ヴェイリンは、互いに得意技能を教えあおうと持ちかけたのであった。
「どうでしょう。私は吟遊詩人ゆえ、歌唱と演奏しかできません。なので曲を演奏することで、対価としたいのですが」
「ちょっと待って」
声を上げたのは、ミーシャだ。
「ヴェイリンさん、あなたは魔術師じゃないの?」
「どうして、そうお思いになるのですか?」
「あなたの肩の上に、魔力振動の気配を感じる。《浮遊する力場の槌》か何かを浮かべてるんじゃないか?」
ヴェイリンは驚いたようだ。
「凄いですね……。《目》も使わず、この距離からそこまで分かるとは……。しかし、魔術ではありません。ミーシャさんは魔術師でしたね。ぜひ《魔力の目》でご覧になってください」
言われたとおりに、ミーシャが《魔力の目》で見ると、ヴェイリンの肩にあった……いや、いたのは、銀色に輝く妖精であった。
半透明の翅を持ち、飾り房のある衣装を着ている。
「彼女は、僕の精霊で…『門渡る風 (ピルグリム・ウィンド)』と言います。僕は風の精霊使いですが、精霊と心通わせる業は、教えられるものではありませぬゆえ。決して隠していたわけではないのです」
(なるほどね……精霊使いは、冒険者の中でも百人に一人ほどしかいないって話だけど、クルースといい、結構居るね)
『静音の鷲』は名高い冒険者パーティである。その理由は、僧侶の業を使えるモルドレッドがいることばかりではなく、精霊使いまでいることにあるのだろう。
「あのー」とレイミアが、声を出した。いつものようにのんびりとした口調だが、すこし声が上擦っている。
恋わずらいは、呑気なレイミアさえも緊張させるものらしい。
「精霊と心通わすって、どんな感じなのかなー? どうやったら、精霊とお話ができるの?」
「そうですね……。精霊使いは、まず世界を観るのです。砂丘に風が描く文様を。風の息遣いが指の間を通る感触を。冬に吐く白い息が、空に溶けゆくさまを」
ヴェイリンの声には、歌うような響きがある。
「知ってましたか? 風は息遣いのように、吹いて止んでを繰り返していることを。季節にをよって、空気が異なることを。冬の澄んだ空気に、夏の重い空気を。
当たり前に存在しているのに、気付かれない世界の”驚異を観る”ことができれば、いずれ世界もまた、僕を”観ている”ことに気づくのです。それが精霊と語らうということであり、同時に精霊術の奥義でもあります」
そこまで言ってから、ヴェイリンは微笑んだ。
「これで、僕の秘術をお教えしました。『技能交換』に応じていただけますよね?」
***
パーティごとに、『技能交換』のための話し合いが持たれた。
もともと相互扶助の精神は、冒険者の間で仁義として根付いている。『静音の鷲』も『霧の魔女一行』も、技能交換には前向きであった。
だが、その中で、教えるものがないと突っぱねた者が、パーティに一人ずつ出た。
破戒僧モルドレッドと、女冒険者アマロット・ヴォーンである。
この二人を除いて『技能交換』をしても良かったのだが、イレーネは気が進まなかった。というのも、アマロが冒険者としての自信を喪失しているようなのだ。
このうえ、技能交換から省かれるというのは、アマロのみならず、イレーネ自身、気分が良くない。
余計なお世話かもしれないと思いつつ、一行の長であるイレーネは、アマロに教えることはないかと訊いた。
「ねえ、アマロ。『技能交換』は教えあう技能の良し悪しや、多寡を量るものじゃないの。自分なりに出来ることを出し合って、協力しましょうって理念なのよ」
「分かってます。けど、わたしは……」
アマロは言葉に詰まった。
自分が何も出来ないと、思い知らされてしまう。自分が手にしているのは全て、目の前の『霧の魔女』や『赤毛の狩人』から学んだものばかりだ。
「わたしは、何にもできないんです。『霧の魔女』さまの仲間になれたのが、おかしいくらい……。それに、もう…いいんです。わたしは、王都に帰ったら、冒険者を辞めるつもりですから……」
レイミアやミーシャに、こんな情けない姿を見せたくなかった。けれど、自分ができないのは、動かしようがない。
「アマロ、それは違うよ」
ミーシャの鋼色の瞳が、アマロを射抜いた。
「何にもできない人間なんていない。アマロは二十年近く生きてきたんだよね? その中で、絶対に身につけていったものはある。それに、アマロは気づいていないだけだよ」
「…………ほっといてよ」
長い沈黙の後、アマロはポツリと言った。
「ミーシャみたいに、あたしは魔術がうまくないし、レイミアみたいに追跡者の業があるわけじゃないの! どれだけ頑張っても、そこそこにしかなれない気持ちが、あなたにわかるの!?」
アマロの声はだんだん熱を帯びて、最後には怨み言と化していた。歯止めが効かなかった。
「私は、料理ができない!」
アマロの声をかき消すように、ミーシャが叫んだ。思いもよらない言葉に、アマロは絶句する。
「肉を炒めようとすれば鍋を焦がすし、かまどの使い方だってよく知らない。木の深皿にスープを注いだら師匠に怒られたけど、何が悪かったのか未だに分かってない」
「……だから、なに?」
「人には向き不向きがあるってことだよ。誰もが魔術師にならなきゃいけないわけじゃない。誰もが料理をうまく出来なきゃいけないわけじゃない。オーガより力が強くなくても、馬より足が速くなくてもいいんだ。それでも、人類が繁栄しているのは、なぜだと思う?」
「……」
「皆で『助けあう』からだよ。弱みを補い、強みで支えあうからこそ、人は強い! だから、本当に大切なことは『何をしてやれたのか』で、『何を出来るか』じゃあない」
「だからって…」
反論しようとするアマロを、半ば無視してミーシャは続ける。
「アマロはすでに、沢山の事をしてくれてるよ。それに、私にも、レイミアにも無いものをアマロは持ってるから」
「それって……」
「それが何かは、自分で考えてみてよ。それがきっと『技能交換』につながると思うから」
「……」
質問を封じられて、アマロは黙りこみ、そのまま物思いに沈んだ。
(……わたしにしか出来ないこと…じゃなくて、わたしが出来たこと……)
***
『技能交換』の話はまとまった。
『静音の鷲』のパーティも、話し合いがついたらしく、破戒僧のモルドレッドは、不死者に対する武器と闘気法の優劣について教えることになった。
「不死者には、ゴーストみたいな幽体と、ゾンビやワイトみたいな実体のある奴がいるが…。どっちにしろ、コイツが有効だ」
そう言って破戒僧は、星形の鎚鉾を掲げてみせた。
「幽体なら、闘気をこめなきゃ意味が無いが、逆に言えば闘気をこめさえすれば、広範囲を”抉りとれる”。それにワイトなんかは、痛がらねぇし、物理的に動ける限り、動く。だから、体全体をぶち壊したほうが楽だ」
(なるほど…)
ミーシャは心に頷いた。
(これなら、戦士の技能だと強弁できる。元僧侶であったとは、どうしても公にしたくないらしいね)
傭兵のゲーンカティは剣の振り方を、魔術狩人のキーシエからは、罠の仕掛け方を、自由騎士ジーフリクは短剣術を、従者テオは斥候術をそれぞれ教えることになった。
『霧の魔女』側も、イレーネは魔法薬の見極め方を、治療師ルイスは傷や打ち身に効く薬草を、追跡者レイミアは、自身の『牙』に代表される印地打ち(投石術)を、ミーシャは魔術の《念動》による応用を教えることになった。
そして、アマロット・ヴォーンは考えぬいた言葉を、皆を目の前にして述べる。
「わたしは、行商人の娘です。なので、冒険者に護衛を頼むことがよくありました。ただ、それだけに”もったいないな”と思うこともあって……」
この時代、冒険者は自分の力を恃むことが多いゆえか、他人、特に依頼主になりうる商家や貴族との繋がりを重視することを「潔くない」として、蔑む傾向があった。
だが、それだけに損をしているとアマロは感じていたのだ。
「大切なのは、”覚えてもらうこと”と、”覚えること”です。
今回、オルテッセオ家に、王都への避難の依頼を持ち込んで、了承を得ることが出来ました。これは、高名な『霧の魔女』さまの名前を、貴族の方に”覚えてもらっていた”からこそ、了承を受けられました。
そして、オルテッセオ家がそう望んでいると推測できた……つまり、貴族の家と、その志向を”覚えていた”ことが、依頼に繋がったんです」
アマロが教授したのは、行商人がどういう視点で冒険者を選ぶかであった。
実力をどう証明するか、野盗に変貌することはないと信頼させることや、御用聞きによる営業など……どうすれば、依頼人からよく見てもらうかについての技法である。
「言うまでもないことですが、冒険者の主だった依頼元は、貴族、教会、商家の三つです。
その人たちが、常々何を欲しがっているかを覚えておくことは、行商人にとって大切な事柄ですし、冒険者にとってもそうだと思います」
アマロの言葉は、想定以上の好感をもって受け止められた。『静音の鷲』も有力なパーティであるだけに、関心があったらしい。
アマロは決して、何も出来ないわけでも、何も貢献してこなかったわけでもないのである。
実際にアマロが先回りをして、依頼をとってきてくれたからこそ、イレーネ達は楽ができた。
これこそ、ミーシャやレイミアには、出来ないことであった。
***
技能交換が一段落したところで、吟遊詩人のヴェイリン・シュークロアがリュートを取り上げた。
「『技能交換』を生み出した『冒険者の高祖』に捧げます」
簡単な挨拶の後、リュートの旋律が流れた。
冬の風にも負けぬ力強い音が、嚠喨と天幕内に広がっていく。
「こは、遙かなる時の流れにありし物語…」
「我ら迷い人にあらず、流刑人にあらず、冒険者なり…」
「年旧る人ぞ曰く。冬は巡り、春が来れり。先は金貨のごとく輝き…魔も剣も銀の煌きを宿す…」
「今こそ、奮い立ちけれ。馬を駆りて剣を抜き…」「永久の栄はあらずとも、生き死に超えんとするが人の業なり…」
「いざ、我ら自由の民となりて、館を去りぬ」「西風よ、七つ河を抜き、届かせよ。久しく帰らぬ我に代わり、便りを伝えよ。我はジークロイ。我は館を去り、死を抜け、自由の王となりぬ」
この叙事詩は、伝説的な冒険者の高祖を歌ったものだ。
時に力強く、時に哀切に歌われる高祖の伝承は、冒険者ならば誰もが知っているものだ。
しかし、聞き慣れたはずの叙事詩が歌い終えられた時、冒険者たちは誰一人として動けなかった。
それほどまでに、彼の紡ぎだす心象に入り込んでいたのである。
(これは…確かにタダではやりたくないはずね)
イレーネは、彼女らしい感想を抱いた。風の精霊使いとしての技量は分からないが、吟遊詩人としては一流だ。
(領主の邸宅…いえ、王宮に招かれても、何ら遜色ないほどの腕前だわ……)
そう感嘆していると、天幕の入り口がめくられた。
家中騎士の一人グヴィンディグスである。
「失礼…。我が主家の惣領が、貴公の歌にひどく感心召され、こなたにて演奏してもらいたいとのこと。むろん、恩賞も用意している。来てもらいたいが、いかがか?」
「お呼ばれに答えるのが、吟遊詩人の務め。もちろん伺います」
ヴェイリンは優雅に笑って了承すると、冒険者たちに一礼した。
「そういう事になりましたので、一つ務めを果たしてまいります。ご用命があれば、金貨の音にてお知らせください」
吟遊詩人らしい諧謔を残して、ヴェイリンは貴族たちの天幕へと向かっていった。
「あれって、どういう意味なんですか? イレーネ師匠」
「去り際の言葉のこと? 要するに、もっと聞きたければ、お金を払えってことよ。しわいというか、ちゃっかりしているというか……」
肩をすくめて、イレーネは言った。ヴェイリンとやら、貴公子然とした風貌ながら、家計は苦しいのかもしれない。
(お金払って呼び戻すなんて、ホストクラブみたいだね……)と、ミーシャはズレた感想を抱いた。一度も行ったことはないが、指名するたびにお金がかかるシステムだと聞いたことがある。
「にしても…こういう時には、向こうから声を掛けてくるんですね。貴族って」
やや不満気にミーシャは呟いた。
これまで、貴族の子弟は、こちらを積極的に無視してきたのだ。レイミアが道行きを伝えても、返事どころか会釈すらしないのだ。傍から見ても聞こえていないのではと疑ったほどだ。
失礼にも程があるとミーシャは内心憤ったが、貴族というのは、こういうものらしい。下々の者とは直接言葉を交わさぬことで、その権威を見せつけているのだ。
一応、家中騎士は多少の返事をくれることもあったが、気に入らないことには変わりない。
「……」
今後の旅路に問題が起こらないことを、貴族の天幕を見るともなしに見ながら、ミーシャは信じてもいない神に祈ることにした。