第46話『Sense of Wonder』・上
更新遅くなり、申し訳ありません。
体調不良が続いてます。(現在進行中)
吊り火皿にかけられた《光明》が、あたりを照らしている。
その光の下で、レイミアは涙を目にためている。
アマロがレイミアの告白を、さんざんにこき下ろしたからだ。
「いつまでも、めそめそしないでよ。ただ、世間的には”そういうもの”だってだけだから」
傷口消毒用でもある蒸留酒を、杯に注ぎ、レイミアに突き出す。
受け取りながら、レイミアは弱々しく質問した。
「優しくしてくれたのもー?」
「まぁ、仕事の範疇じゃない?」
アマロが冷淡な様子で言うと、今度こそ、レイミアは泣きそうになった。
「しょうがないでしょ。吟遊詩人の…ヴェイリンさんだっけ? あれほどの美男なんだから、お客を取ってるって考えるのが普通よ」
『静音の鷲』の吟遊詩人ヴェイリン・シュークロアが男娼であると、アマロは考えている。
この時代、眉目の良い吟遊詩人が男娼となることはよくあったし、逆に、男娼が吟遊詩人を装うのも、よくあることだったのだ。
男娼を喚ぶとなれば何かと憚られるが、吟遊詩人であれば、そうはならぬのである。
***
事の発端は、レイミアが馬など家畜の世話と、偵察のために、外に出た時のことであった。
吟遊詩人のヴェイリンが、小屋の屋根に上がって、リュートを爪弾いていた。といって、なにか楽曲を奏でているのではない。
手慰みに弾いているといった風情である。
レイミアは、しかし、その物憂げな様子に惹きつけられていた。
日は沈みかかり、ナウスゲリア幽谷の対岸を茜色に染めあげている。
美男の遠くを見るような横顔に、レイミアは彼女らしくもなく、声をかけることも立ち去ることも出来なかった。
気配を感じ取ったのだろう。しばらくして、男のほうから声がかけられた。
「どうぞ、こちらへ。麗しの姫君。お暇なら一緒に夕日に映る岩壁を眺めませんか?」
「あ、あー…。見えてたの?」
「ええ。気づいておりましたよ」
「それじゃあ……」
レイミアは持ち前の軽捷さで、壁を蹴りつけ、小屋の屋根に登った。崖のくぼみの中に作られた小屋の屋根は、雨を気にする必要が無いため、平らである。
「あなたは…確か『赤毛の狩人』レイミアさんでしたね」
「あー…うん。覚えてたんだねー」
言いながら、レイミアはヴェイリンの隣へと座りこんだ。
吟遊詩人ヴェイリンは、そのリュートを爪弾く手を止めて、会話に専念するようである。
「吟遊詩人は伝承を詩歌にして詠いますので、職業柄、覚えが良いのですよ。二つ名の通り、赤毛だったのですね」
「うん。私はくせっ毛だからねー。野外だと枝とかに引っかかって痛いんだよー」
野外にいる時は引っかからないように、くせの強い赤毛を白い帯で包んでいるのだが、今のレイミアは、白帯を解いて、赤いくせ毛を風にさらしていた。
吟遊詩人はにこやかに微笑んだ。
「分かりますよ。僕も、男のくせに髪が長いもので、苦労してますから」
レイミアは、男の流れるような髪を見た。低い位置で結わえられたクリーム色の髪は、女でさえ羨望するだろう。
だが、そう褒めるのはレイミアにはためらわれた。なぜだか、少し揶揄する口調になる。
「んー、でも、その帽子じゃあ、もっと枝に引っかかるんじゃないのー?」
レイミアは、傍らの吟遊詩人の帽子を指さした。マウバの飾り羽をつけたつば広の帽子は、見栄えはいいが、余計に木の枝に引っかかりそうだ。
「これは、こうやって…ひっくり返して使うんです」
ヴェイリンは、帽子をひっくり返した。
「街角や、酒場で演奏してくるときに、この帽子で、おひねりを受け止めるんですよ。つば広でないと、おひねりが受け止めきれませんからね」
そう言って、吟遊詩人ヴェイリンは微笑んだ。
「さて、よろしければ、麗しの姫君に一曲を捧げてもよろしいですか?」
レイミアは、一瞬、反応できなかった。
自分が「街育ち」の人間に、”麗しの姫君”などと呼ばれたことも、このように丁重に扱ってもらったことも無かったからだ。
「……そんな、麗しの姫君なんて。お世辞を言わなくてもいいよぅー。私、今まで、人に褒められたことなんて無いしさー」
これまでレイミアは『街育ち』に褒められたことなど無かった。町の人々は、どこかよそよそしく、時に侮蔑的でさえあったのだ。
レイミアは、自分が美しいとは夢にも思ったことはなかった。
「そんなこと、ありませんよ」
こちらをじっと見つめて、ヴェイリンは言った。真摯な声音だった。
「もしかして、赤いくせ毛を気にされているのですか?」
「うん…」
レイミアは頷いた。聞えよがしに、『街育ち』の女に陰口を叩かれたことが確かにある。
「美とは……」
ヴェイリンは歌うように、語った。
「美とは、世間がしばしば誤解しているように、唯一絶対の基準があるわけではないのです。
一つの音だけを聞いて、その曲の美しさを判断できないように、赤毛だからといって、あなたの美しさが損なわれるわけではありません。
……むしろ、赤毛だからこそ、あなたは美しい」
真剣な表情で言い終えると、ヴェイリンはふっと笑って、リュートを手にとった。
「この茜色に照らされた岩壁を見ながら、先ほどまで作曲をしていたのです。どうか、これから弾く新曲の最初の聴衆になっていただけませんか?」
「うん……。ありがとう…」
夕闇がせまるなか、リュートの音色は不思議と心にしみる音がした。
***
(とんだ”恋の季節”ね)
アマロットは、やや皮肉げに口角を歪めた。
自分たちの長のイレーネと、治療師ルイスがいい雰囲気になっているし、ミーシャも自由騎士ジーフリクが追いかけてきて、まんざらではないようだ。
それに加えて、友人であるレイミアが、吟遊詩人ヴェイリンに惚れたのだという。
(寂しい独り身は、私一人か……)
アマロは、アマロで深刻な悩みを抱えているのである。冒険者を続けるべきか否かという悩みだ。
だが、そんな事とはかかわりなく、目の前のレイミアは、恋に胸をときめかせている。
自分が何を悩もうと、何を思おうと世界は廻っていく。自分は主人公ではなく、その他大勢の一人にすぎない。そういうものだと、アマロは気づいた。だからこそ、冒険者をやめようと思ったのだ。
(わたしの悩みを聞いてほしいっていうのは、欲張りなんでしょうね…)
そう思いつつも、アマロは目の前の親友に優しさ半分、興味半分で語りかけた。
「ま、せっかくだし、レイミアの想い人に会わせてよ。脈はないと思うけど、脈なんて、今から作っていけばいいんだしさ」
「アマロ~。もうちょっと、手心をくわえてよー……」
そう言って、レイミアはうなだれた。脈なしというところで落ち込んだらしい。
「何言ってるの? 今聞いた話だけじゃ、死人並に脈なんて無いわよ。吟遊詩人が曲を聞かせてくれたってだけじゃない」
「うう…」
レイミアが、その長身を折り曲げて呻いているのは、どうにもうっとおしい。
背中を軽く叩きながら、アマロは彼女を慰めることにした。
「あのさ、わたしも協力するから。今日はもう遅いけど、明日からなら『静音の鷲』と交流することもあるでしょ。そこから、アプローチしていけばいいのよ」
王都に着くまでは、アマロはレイミアたちと一緒に行動することが決まっている。だが、その先は……冒険者でもないのに、『霧の魔女』さまと一緒にいる理由はない。
だからこそ、その前にレイミアに出来るだけのことはしてやりたかった。
***
翌日の隊列は多少変更された。
破戒僧らしき『放蕩者』モルドレッドが前列に移動し、治療師ルイスが後列へと移動した。
当然、中央には、貴族の子どもたちとその護衛が位置する。
レイミアと耳長狼のルーシェンは、変わらずに一行を先導している。なんといっても、この『幽谷隧道』を通り抜けた経験があるのは、レイミアだけだからだ。
『幽谷隧道』は、異なる時代に、異なる集団が手を加え続けただけあって、まさに蟻の巣のように無方図に道が枝分かれしている。
レイミアがいなければ、残りの総勢十七名は、なすすべなく道に迷うであろう。
この日の移動は、前日とは打って変わって、地中の坑道を進むことになった。
魔術師達が《光明》を灯す。地中は風がなく、さほど寒さも厳しくない。
その日は、昼食も野営も坑道の中で行う予定であった。
一応、それなりに広い場所に出たので、そこでランタンに火を灯し、食事をとる。
人間以上にホッとしたのは、馬たちかもしれない。
なにせ、人間より馬は背が高く、途中途中で、首を下げながら進まなければならなかったからだ。
魔術師として、道中《光明》をかけ続けていたアマロもようやく、一息をつけた気分だった。
《光明》はさほど難しくもなく、魔力の消費も少ない魔術だが、それでも長い間かけ続けていると、どうしても精神に疲れがたまる。
堅苦しい礼服をようやく脱いだ時のような気分で、アマロは『静音の鷲』の一行を眺めた。
(……ちょっと、これは時機が悪いわね)
レイミアの想い人というヴェイリンと、話してみたかったのだが、こんな暗い坑道の休憩所では、いい印象は持たれないだろう。
そもそも『静音の鷲』と『霧の魔女の一行』、それに『貴族の子弟たち』は、これまでも交流がほとんど無かったのだ。
男主体と、女主体のパーティの違いもあるし、それに貴族たちとは身分が違うこともあって、互いに、なかなか交流が出来ずにいた。
(そういえば、あっちにはモルドレッドとかいう変態がいるのよね。下手に近寄って、嫌がらせされたくないわ……)
アマロは破戒僧モルドレッドに尻を触られたことがある。なるべくなら近づきたくなかった。
どうにかしてモルドレッドを抑えつつ、吟遊詩人ヴェイリンを品定めしたい。今は駄目だが、別の機会にしよう……。
そんなことを思っていると、ミーシャが「あれ?」と言った。
「どうしたの?」
「や、通路の先に、人影が見えた気がしたんだけど」
「ちょ、ちょっと、そうやって脅かすのやめてよね! 下半身がちぎれた亡霊がでたとか、言うんじゃないでしょうね?」
「アマロー。語るに落ちてるよー」
曰く言い難い表情で、レイミアが口を挟んだ。ミーシャも苦笑して、アマロに尋ねた。
「この世界ならゴーストも《理力のクォーレル》で倒せるんだよね? そんなに幽霊を怖がる必要ないんじゃない?」
「あのねぇ。怖くないって言ってるでしょうが! だいたい音も気配もなく、ぬっと現れるのが嫌なのよ。怖いんじゃなくて、嫌いなの。しかも、頭が半分ない奴とか、ブツブツ喋ってたりとか、いきなり叫んだりとか…もー!」
アマロは喋りながら怖くなってきたので、叫んで発散させた。
平静さを装って、話を続ける。
「いい? もう一度言うけど、怖いんじゃあ無いわよ。嫌いなだけだからね! ……だから、その生暖かい目をやめなさい!」
「わかった。わかった」
ミーシャは慌てて手を振った。だが、唇が苦笑の形に歪むのは仕方がない。
(にしても……)
アマロとの会話で忘れそうになったが、ミーシャが不審な人影を見たのは嘘ではない。
(一瞬見えた人影は子供みたいだった。しかも、ゴーストのように、地に足がついていない様子でもなかった……)
とはいえ、こんな所に子供がいるとは思えない。
ミーシャは気になりつつも、そのことをイレーネ師匠にだけ伝えることにした。
***
『静音の鷲』との交流は、中々取れなかった。
ようやく交流の時間が持てたのは、二日後の昼時であった。蟻の巣のような隧道を降りたり上ったりした挙句、『ナウスゲリア幽谷』の中腹にある台地へと到着したのである。
ここで、ようやく折り返し地点であるらしい。
「ここからずっと登りだし、頂上にある修道院まで休めるところが少ないから、今日はここで一晩休んだほうがいいねー」
レイミアが一行に説明した。
「……寒いわね」
イレーネが小さくぼやいた。場所は広いから、休むのに不都合はない。だが冬の寒風が吹きすさび、寒さで体力が奪われていくようだ。
レイミアの主導によって、野営地が設営された。風を遮るようにそれぞれの天幕を岩壁を背に半円状に設置し、その真中に焚き火が焚かれた。
寒いことには代わりはないが、風よけが出来た分まだ、ましである。
そして『静音の鷲』との交流のきっかけとなったのは、自由騎士ジーフリクだった。
「やぁ、ミーシャ。ご機嫌伺いに来たぞ」
ジーフリクは『霧の魔女』一行の天幕に入って、にこやかに挨拶をしてくる。こうやって彼は、暇を見つけてはミーシャに構いたがるのだ。
「ジーフリク……『静音の鷲』のほうに居なくてもいいのか」
ミーシャの態度は邪険の一歩手前のそっけなさだ。一時は敵だったのだ。そうそう、態度を軟化させられるものでもない。
「一期一会と言うだろう? あれらとは後々仲良くなれるが、ミーシャとは今の時機しかないだろうからな」
「そういえば、そうか……」
ミーシャは、思案げに首肯した。
「たとえ家名を捨てようと、私の敵の係累であることは確かだしね……王都でも仲良くとはいかないか」
自由騎士ジーフリクは、アイヴィゴース家当主の弟である。自由のために家名を捨てたが、血縁は捨てられぬ。
人目のある王都で彼と親しくすれば、敵側に自分の情報が漏れてしまうかもしれない。
ミーシャはひとしきり頭を巡らせた後、一つの提案をした。
「そういえば、吟遊詩人がそっちにいるんだろう? レイミアとアマロと一緒に行くから、同行の誼で一曲奏でてくれないか?」
「それはいい考えだ。旅の無聊を慰めるのにちょうどいいな」
ジーフリクは了承し、ヴェイリンの承諾ももらったため、耳長狼のルーシェンを除いて『霧の魔女』の一行は、『静音の鷲』の天幕へと招かれることになった。
ルーシェンは留守番である。
耳長狼には、人間の音楽はうるさく感じられるらしい。天幕の中で伏せながら、興味なさげに尻尾を振って、皆を見送った。
さらに言えば、狼であるルーシェンが天幕の外にでると、馬たちを怯えさせてしまう。天幕の脇に馬や騾馬をつないでいるので、ルーシェンは不用意に動けないという事情もあった。




