第45話『推理回』・下
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「おい、ミーシャ。ふざけないでくれ。これぽっちの質問で何が分かるっていうんだ?」
ルイスは憤慨した。
あどけない少女が勿体をつけたところで、たちの悪い冗談としか思えなかった。
だが、ミーシャは気にする素振りも見せなかった。自らが構築した論理の建築物に集中しているのだ。
「十分に訓練された論理的思考力と、系統だった知識、それに注意力さえあれば、どんな小さな事からでも、多くの事実を引き出せるんですよ。例えば……」
そう言ってミーシャは、アラビア文字に似た弓なりの文字を指差した
「この文字を見ただけで、スルガさんが生まれたのは、東方帝国の南か東にある国で、貴族か商人の裕福な家に生まれ、少なくとも10代中頃までは平和に母国で暮らしていたことが分かります」
「なにッ! 文字を読んだのか!?」
「違いますって。文字から、それが推理できるってことですよ。読んだわけじゃありません」
両手の指先を重ねあわせて、淡々と言うミーシャに対し、ルイスは苛立ちを抑えこんだ声音で言った。
「ミーシャ、言っとくが、俺はお前さんを高く評価してるんだぜ。どうか、その評価を改めさせないで欲しいね」
「んー。改めなくても大丈夫です。あてずっぽうじゃなく、それぞれ根拠がある話なので」
「……わかった。そこまで言うなら、話を聞こう。だが、この『羊飼いの指輪』を賭けてもいいが、俺がその話を聞いても納得するとは思えんね」
「いいですね。でも、どうせなら、納得した時ではなく、スルガさんの家族が見つかった時にください」
ミーシャが条件を変えたのは、推理の土台となる知識が現代知識であったからである。正しさに自信はあるが、説得には自信がなかった。
「まず、明白な事実として、この弓なりの文字は、スルガさんの故郷の言語です」
「なぜ分かる?」
「弓なりの文字は、欄外に、走り書きで書かれています。こんなふうに書く文章は何か? 思いつきを備忘録的に書き留めた以外にありえません。そして、さっと思いついたことを書くのに、母国語を使わない理由はないでしょう」
「……とするなら、古代文字という私の推測は間違っていたわね」
イレーネは呟いた。思いつきを走り書きするのに、古代文字は使わないだろう。
「はい。それに師匠が言っていた”少数民族の言語”というのもあり得ません。
文字というのは実は偉大な発明で、全く新規に発明され定着するのは稀です。かつていた世界では、漢字、アルファベット、アラビア文字、インド文字とその亜種・派生を含めれば、世界中の人が使う文字を、ほとんど包含できてました」
「かつていた世界」というところで、ルイスは怪訝な顔をしたが、口は挟まなかった。
「少数民族が文字を持つことは、当然ありえます。ですが、まったく新規に文字が生まれるというのは、まずあり得ません。たいていは、すでにある文字を模倣して生まれます。
統一帝国の文字から、今のミノシア王国の文字や、メリディアン帝国の文字が生まれたように。
ですが、この弓なりの文字は、統一帝国系の文字とも、それに海洋国家のアク・テティスや東方王国リュキアの文字の系統とも全く異なっています。
つまり、これらの国々の近くに、スルガさんの故郷はありません」
ルイスははたと膝を打った。
「そうか、わかったぞ。ミーシャ。どうして、スルガの国が、東方帝国の東南にあるとお前さんが言ったのか。
東方帝国の西にあるのはミノシア王国だ。そしてミノシア王国の周辺に、この文字を使う国はない。つまり、東方帝国の西にスルガの国があるはずがない!」
ミーシャは微笑んで、ルイスの言葉の正しさを賞賛した。
ルイスも笑みを零したが、一瞬後に、顔を曇らせてしまう。
「そこまでは分かったが、東方帝国の北を除外したのはなぜだ?」
「スルガさんは褐色の肌をしていましたよね?」
「ああ」
「南方大陸の人々が褐色であることからも分かるように、暑く日差しの強い地域では、太陽から身を守るために、肌は黒くなります。ただ、戦争や民族移動などで、その領域が変わることもありえるので絶対ではないですが…」
「確かに。日中、外にいる農夫は肌が黒いからな」
「んー。ちょっと違うというか、私が言いたいのは、遺伝的な話なのですが、まぁ、その話は長くなるので置いておきます」
ミーシャは咳払いをして仕切りなおす。
「東方帝国メリディアンは、象牙色の肌が多いとルイス先生は言っていました。つまり、その東方帝国の北方はもっと肌の色が薄いはずです。褐色のスルガさんの国ではありえません」
東方帝国の東か南に、スルガの故国があることをイレーネとルイスに諒解させてから、ミーシャは先を続けた。
「そして、スルガが母国語で書いたところを見てください。走り書きですが、筆致は綺麗で迷いがありません。さらに、時々長い文章を書いています。
スルガさんは、それだけ母国語の読み書きに習熟していたということです。
これが意味することは二つ。
一つは、教育を受けられるほど、裕福な家に生まれたということ。
もう一つは、教育を受けた期間です。文字を自在に使えるようになるには、十代中頃までの教育期間は必要です」
「裕福な家なのはわかるけど、貴族と商人に限定したのはなぜ?」とイレーネが訊いた。
「この世界でお金持ちなのは、貴族か、宗教家か、商人しかいませんよ。そのうち、宗教家を候補から外したというだけです」
かつての世界の歴史から、裕福な階層というのは、近代に至るまで、宗教家、貴族、商人の三つに限定されている。
ミーシャは、それを知っていた。
「宗教家を外した理由は、簡単です。宗教家は、自分以外の宗教に寛容にはなれても、頭を下げることは出来ないからです。
スルガさんの国は、東方帝国とは全く別の文字を使っていたことを思い出してください。文字が違うことは、すなわち、宗教も違う可能性が非常に高い」
これは現代を考えてみれば、分かりやすい。
アルファベットを使う文化圏はキリスト教、アラビア文字を使う文化圏はイスラム教、漢字を使う文化圏は仏教、インド文字を使う文化圏はヒンズー教とほぼ綺麗に分かれている。
史上かつて無いほど、人々の移動距離が増えた21世紀でさえ、こうだったのだ。この世界ではより顕著であろう。
「宗教家の娘が、異教徒の技術を学ぶといって親から賛成を受けるでしょうか? また、東方帝国側が快く学ばせるでしょうか? どちらの可能性も低いと私は考えます」
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「こうして文字を見ることで、私たちは、スルガさんの十代中頃までの人生を読み解くことが出来ました」
ミーシャは総括した。ランタンに灯された《光明》が二人の顔を照らし出している。度合いは違うものの、半信半疑といったところだ。
「論理に従って、真実を見つけ出すためには、証拠を数多く集め、そこから確実に言えることを導き出すことが、第一歩です」
ミーシャは静かに論理を構築していく。
「だから、次に考えるべきなのは、スルガさんが東方帝国の治療術を修めていた点です。東方帝国に留学したのか、それとも東方帝国の治療師が故郷に来たのか?
前者の可能性が高いでしょう。東方帝国の東か南にある国から、西にあるミノシア王国までは距離が離れすぎてますから」
「そして、ルイス先生の治療術は、お手伝いしたからわかりますが、私の国とくらべて遜色が無いほどです。私の国では、医者になるには六年の専門教育と、最低二年の実務が必要でした。だから、スルガさんも八年位は、勉強する必要があったと思います。……どうですか?」
ミーシャはルイスに問いかけた。
イレーネなら、こういうとき、最後まで話を聞いてくれるのだが、ルイスはそうではないだろう。
「あぁ、確かに。私も治療術を使えるといえるまでには七年ほどかかった。そのくらいの期間は必要だな」
「ありがとうございます。素人の私が確実に言えることはここまででしょう。そして、推理の第二歩は、『最も奇妙な点から始める』ことです。
この場合、『スルガさんはどうして、ミノシア王国に来たのか?』」
「どうして、それが一番奇妙なんだ?」
「スルガさんは、故郷で15歳頃までは何不自由なく暮らしてきました。その後、東方帝国の治療術を八年学んできました。そして、手元にあるミノシア王国の診療記録は六年分あります。
そして、不老薬の処方から、スルガさんの当時の年齢はおよそ25歳。
つまり、スルガさんは、23歳ほどで治療術を修め、その後間を置かずに私達のいるミノシア王国にやってきたことになります」
「なるほど、そうね。留学までして学問を修めたのなら、普通は故国に帰るものよね。そうでなくても、東方帝国に留まるはずだわ。縁もゆかりもないミノシア王国に来るのは変ね」
イレーネは頷いたが、ルイスは納得いかなかったようで、疑問の声を投げかけてくる。
「そいつは、どうかな? 今の話は、憶測に憶測を重ねた話でしかないだろう。 治療術を学ぶのが四年で済んだり、10歳から東方帝国で、治療術を学んでいたって可能性もあるだろう?」
「まぁ、私も断定しているわけではありません。より確からしい年齢を代表的に挙げているだけです。
ただ、もし、ルイス先生の言うように、14歳で治療術を修めて、10年間の空白期間があったとしても『なぜ、ミノシア王国に来たのか?』が一番奇妙である点は変わりません」
「ルイス先生はよくご存知でしょうが、ミノシア王国の治療師の地位は低い。わざわざ東方帝国よりも遠くの国から、治療師として働きに来るのは、かなり妙です」
ここで、ミーシャはいったん口を閉じた。推理の続きはあるが、二人が疑問を共有するまで待ったのだ。
「そういえば昔、何故この国に来たのかと、スルガに聞いたことがあるが、言を左右にして答えてくれなかったな」
「ええ。気まぐれにミノシア王国に来るには、スルガさんの故国からは遠すぎます。つまり、スルガさんは、何らかの理由、目的があった」
「目的とは何だ? もったいぶらずに教えてくれ」
当初は半信半疑だったルイス先生も、話を聞く姿勢になっていた。
「それは、ルイス先生が教えてくれました」
「なんだって?」
「まぁまぁ。もし、スルガさんが、この地に何かを求めてきたのなら、それをするために時間を作ったはずです」
「そうか、だから、スルガが仕事以外に何か時間を費やしていないかと訊いたのか? そして、俺は『無い』と答えた」
「そうです。だから、スルガさんは何かを『求めて』やって来たんじゃない」
一瞬の沈黙が三人の間を通った。
ルイスの手が何かに気づいかかのように、かすかに震えた。
「待て。…待ってくれ。俺の妻はまさか『逃げて』来たと言いたいのか?」
「そうです。人間の動機は単純化すれば、二つしか無い。何かを『求める』ためか、何かから『逃げ出す』ためか」
「ありえない!」
ルイスは椅子を蹴り、立ち上がった。
「俺の妻は、優しい人間なんだ! 貧者にはほとんどタダで治療を施してやっていた!! 神に誓って、後ろ暗いことなどあるものか!」
ミーシャは一瞬目を見張ったが、すぐに力を込めて言葉を続けた。
「分かります。何も、悪い事をするばかりが逃げる理由じゃあありません。直接には知りませんが、スルガさんは素晴らしい人物のようですから」
「……なら、どういう事なんだ?」
妻を侮辱された訳では無いと知ったルイスは、顔を紅潮させながらも、静かに座り直した。
「ミノシア王国に『逃げて』来た事を、作業仮説として置いてみましょう。
重要な点は、スルガさんの故国にも、東方帝国にも逃げずに、このミノシア王国に逃げてきたことです。
それは、犯罪を犯したからじゃない。大体、両国にいられないほどの悪事なんて、考えられないでしょう?
同じ理由で、災害や戦乱から、逃げてきたということもありません。両国に渡る災害なんて、大規模すぎてありえませんし、それに戦乱が起きたのなら、噂くらいは入ってくるはずです」
イレーネは頷いた。冒険者の習いで情報収集を欠かしたことはないが、戦乱の噂は聞いたことが無い。
「……そう、か」
ミーシャは話を続けようとして、一瞬硬直した。次いで宙空に視線を彷徨わせる。閃きがあったのだ。
「彼女は故国の、自分自身に近しい間柄の、しかも強い権力をもった人間から逃げて来たんだ。彼女自身が、目的だったんだ」
「ちょっとミーシャ。それは、一足飛びの結論じゃない?」
師匠にたしなめられて、ミーシャは咳払いをした。
「ええと、確かに、一気に結論に飛びましたけど、たぶん間違いないです。
悪事を行ったわけでもなく、災害や戦乱から逃げてきたわけでもない。すなわち、スルガさんは、人間…脅迫者から逃げていた。
とするなら、それはどんな人物か?」
ミーシャは広げた地図のメリディアン帝国を指差して言う。
「第一に、東方帝国の伝手を頼れなかったことから、脅迫者は、東方帝国に人を遣わせるほどの権力を持っていたことがわかります」
そして、地図の外、スルガの故国があるだろう場所を指差した。
「第二に、故国なら、地縁なり血縁なりを頼って、隠れることが出来たはず。 それをしなかったということは、脅迫者は、スルガさんが頼る血縁・地縁が分かるほど、親しい関係性であったからに違いありません」
治療師ルイスは、じっと座り込んで、ミーシャの話を聞いていた。
「私が推理する彼女の物語は、こうなります」
「スルガさんは、裕福な家に生まれ十代半ばまで故国で暮らしていました。
そして、優秀だった彼女は、東方帝国に治療術を学ぶために留学する。その後、故国に帰り、治療師として活躍したときに、脅迫者に出会ってしまった。
脅迫者は、両親や一族に強い権威を持つ人間だった。主君や本家筋といった存在だったかもしれません。
両親は、その人に逆らうわけにはいかなかった。そして、一族に強い影響力を持つから、親族のもとに逃がすこともできなかった。
そこで、スルガさんは伝手のある東方帝国へと逃げ出した。けれども、脅迫者は東方帝国まで追っ手を差し向けてきた。おそらくスルガさんは恐慌に陥ったでしょう。
逃げなければならない。でも、南方のベルス王国や、海洋商国アク・ティティスには、行けなかった。
なぜなら、言葉が分からないからです。そして、同じ統一帝国を祖に持ち、東方帝国の言葉とほとんど変わらないミノシア王国へとやってきた」
一息に言って、ルイス先生やイレーネ師匠をみたが、どちらも黙ったままだった。
たっぷりと沈黙を活躍させたあと、ようやく、イレーネが口を開いた。
「……確かに、筋道は通っているわね。けど、本当にそうなの?」
「まぁ、この国に来たのは、単なる『気まぐれ』って仮説も成り立ちますけどね」
ちょっと茶化すように、ミーシャは首をすくめて、答えた。
ルイスが顔を上げ、ゆっくりと頭を振る。
「いや、それはない。スルガは気まぐれで行動する人じゃなかった。それに……今の今まで、覚えていることさえ忘れていたんだが、ささやかな結婚式しか挙げられなかったことを謝ったときに、スルガが言ったことがあった」
『後悔なんてしないわ。どんなに高価な贈り物や豪勢な結婚式を用意されたって、そこに真心がなければ、虚しいだけ』
『そうかい? でも実際もらったら嬉しんじゃないかい?』
『無償の贈り物なら、そうかもね。でも下心があるんなら、最悪よ』
『実際受けたことがあるみたいだ』
『そうよ。私は、結婚式をすっぽかして、この国に来たんだもの』
「笑いながら言われたから、冗談かとそのときは思っていた。でも、ミーシャ、お前さんは『彼女自身が目的だった』と言ったよな。それは彼女を手篭めにしようとしたってことも含まれるのか?」
ミーシャは頷いた。はっきりとは断言しなかったが、一番ありそうだと考えていたからだ。
「そうか。どこかのエロオヤジに結婚を迫られたってんなら、色々腑に落ちる。中央半島の片田舎で治療師をやってたのも、人の多いところで何かの拍子に見つかることが怖かったからだ。
両親と会うどころか、連絡すら取らなかったのも、エロオヤジにバレてしまうからってことなんだろう」
ルイスは、天井を見上げた。
ランタン水晶に込められた魔術の光が影を揺らしている。
そして、懐から、『羊飼いの指輪』を取り出すと、ミーシャに放った。
「やるよ。お前さんに」
「いいんですか? まだ、スルガさんの家族を見つけてないですけど」
「その『推理』ってやつに納得したんでね。もし、恩にきてくれるってんなら、家族を見つけるのに、これからも協力してくれ」
指輪を摘んで、ミーシャは満足げに笑みを浮かべた。
「では、借りときます。スルガさんの家族を見つける報酬の前借りってことで」
***
アマロは食事の後、自室に戻って、武具の手入れを行っていた。
面倒臭がって、おざなりにする者も多いのだが、アマロは日課として、ひとつひとつ丁寧に行っている。
おおよそ終わったところで、友人のレイミアがやってきていた。
戸口に立って、なんだか言いづらそうに、もじもじしている。
「どうしたの、レイミア?」
そう尋ねると、意を決したように、扉を閉めて近寄ってきた。
「な、なに…?」
「私、恋しちゃったかも……」
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すみません。インフルエンザにかかって、臥せってました。
この欄には、推理についてちょっとしたことを書く予定で、メモっぽいのを載せてました。
明日、お仕事あるんですが、休めると思うのでそのときに、あとがき欄更新します。
舞台裏的なところをみせて、ごめんなさい!




