第45話『推理回』・上
ジーフリクが示したのは『放蕩者』モルドレッドであった。
唯一、顔合わせの時にいなかった『静音の鷲』のメンバーである。
「ま、ガラじゃあねぇが、まかしといてくれや」
この男は、腹が出っ張り、頭は頭頂部まで禿げ上がっている。
ミーシャが見るところ、モルドレッドの印象は、イタリアの中年親父であった。
だが、腕は太く、眼光も鋭い。イタリアン・マフィアの映画に出てきそうな脇役といったところだ。
バンデッドメイルという、鎖帷子と小札を組み合わせた鎧を着込んでいる。
「でも、あなた戦士なんでしょう? そりゃ、闘気法でもゴーストは倒せるけど……魔術で一斉にやったほうが……。てッ! 何するのよ!」
アマロは悲鳴を上げた。
『放蕩者』モルドレッドが、アマロの尻を触ったのだ。
「へっへっへ。わりぃな、手が滑っちまった」
悪びれもせずに、この中年男は言う。
「なぁに、仕事はちゃんとやるぜ」
星形の柄頭のある鎚鉾を構えて、モルドレッドはゴーストの居る広間へと、一人で向かっていった。
ジーフリクが近寄ってきて、弁解する。
「まぁ、ああいう奴なんだが、腕はいい。 きっちり亡霊を退散させてくれるだろうよ」
ジーフリクの話を聞いて、『霧の魔女』イレーネが問いただした。
「……モルドレッドは“戦士”じゃないわね?」
「あんたは……『霧の魔女』さんだったか。 さあ、俺も新参者だからな」
「亡霊を鎮めるのは、僧侶の業よ。そして、僧侶でもなければ、魔術師の援護すら断って、一人で向かう意味が無いわ。おそらく、教会から破門された破戒僧なんでしょう?」
「他人の想像にケチをつける気はないが、それが真実とは……いや、わかったよ」
面倒になったのか、ジーフリクは降参の仕草をした。
「ヤツは過去を語らないから、はっきりとは分からないが、どうやら僧侶の『奇跡』を使えるのは確からしい……だが」
「分かってるわ。誰にも話したりはしない。冒険者の仁義があるものね」
しばらくして……。
モルドレッドは戻ってきた。息も荒げておらず、怪我を負った様子もない。
やはり元僧侶なのだろう。ふてぶてしい態度は、まるで聖職者の印象を与えなかったが。
***
一行は、断崖のくぼみを利用して作られた休憩所にて、一夜を明かすことになった。
『幽谷隧道』を作った先人たちも、ここを休憩場所として作っていたらしく、石を積み重ねて作られた宿泊小屋がいくつかある。
一行は、それぞれの小屋に分散して泊まることになった。
一つ一つの小屋は小さいが、全てを合わせれば、十八人の人間に加えて、何頭もの馬や驢馬を休ませるだけの余裕がある。
屋根と壁のある小屋は、これまでの野営と比べ格段に過ごしやすいのだが、治療師ルイスは居心地の悪さを覚えていた。
今更のことだが、女性四人の中に男性一人だと、どうしても気を使うし、いたたまれない場面も多い。
(とはいえ、『静音の鷲』の中に入れてもらうってのもな……)
頭を掻きつつ、部屋から出たところで、緩やかに波打つ金髪が目に入った。
「やぁ、イレーネどの」
「ああ、ルイスさん。ラウンジで待っててくれるかしら? これから食事を作るわ」
「……私も、やもめの時期が長くてね。料理の腕はあるぞ?」
「手伝ってもらえるってこと?」
「ぜひ、頼む。実を言うと、女性たちに囲まれて、いささか居場所がなくてね」
イレーネは笑って言った。
「私も助かるわ。こればっかりは、弟子は役立たずだから」
***
(イレーネ師匠は女性が好きだって、分かっているのに……やだな)
ミーシャは深い溜め息をついた。
その視線の先には、ルイスと一緒に楽しげに料理をしているイレーネの姿がある。
そして、ミーシャの手には、ミスリル貨2枚もする『魔法陣における論理的諸原理』という専門書が握られていた。
フェレチの街で購入したものだ。
難しい本を選んだのは、すでにミーシャの魔術の理解が高いこともあるが、分からないところを聞きに行くことで、イレーネ師匠と二人きりの時間を作ろうと思ったからである。
そして、師匠に会いに行こうと部屋を出たところで、楽しげに料理をしている場面に出くわしたのだった。
ラウンジにある椅子に座りつつ、ミーシャはうなだれた。
「どうしたのよ。溜息なんかついちゃって」
向かいの席に座ったアマロが、話しかけてくる。
「ん。ちょっとね。自分の通俗なところを発見して、落ち込んでたとこ」
「イチ…ミーシャは、妙なところで難しい言葉を使うわね。…で、どうしたのよ」
「嫉妬してる」
「嫉妬?」
「うん。私はヤキモチなんか、今まで焼いたこと無かったんだよ。
他人は他人って考える方だったし、嫉妬するくらいなら、手に入れる努力したほうがいいと思う方だったから」
「だけど?」
「だけど……。たった一つの、替えがないものを欲しいと思うと、とたんに勇気が出なくなって。なのに、ちょっとしたことで、誰かに取られるんじゃないかって嫉妬してる。あーあ。自分はもう少し、高尚な人間だと思ってたんだけどなー」
「ふーん? なるほど……」
アマロは何かを察したように、繰り返し頷いた。
「でもね。恋愛ってそんなもんよ? 執着心や身勝手さのない恋愛なんて、万に一つもないわ」
「え!? なんで…恋愛だって……」
「あなた、まるきり恋する乙女だもの。そりゃあ、分かるわよ」
「う……」
「それに、運命的な再会をしたしね。恋に落ちるのも無理は無いわ」
確かに、あの暗い地下祭室でイレーネと再会するとは、ミーシャは想像すらしてなかった。
まさか、敵の本拠地に潜入してまで、私を助けてくれるなんて。
今にして思えば、あのときこそ、感謝でも尊敬でもない感情が芽生えた瞬間だったのかもしれない。
「確かに、あのときに、恋心を感じたのかも…」
「でしょう? もう二度と会えないと思ってたのに、そうじゃなかった。運命を感じるわよね」
「うん……」
「しかも、自由騎士になってまで、ミーシャを追いかけてくれるなんてね。相手も本気だってことよね」
「え?」
「なによ。隠さなくてもいいじゃない。好きなんでしょ、ジーフリクさまのことが」
「あぁ…」
ミーシャの恋する相手を、イレーネではなく、ジーフリクだと勘違いしているらしい。
違うと言いたかったが、そうなれば、誰を好きになったのか問いただされることになる。
(それに、この世界の文明程度からみて、同性愛に寛容だとは思えないな……)
文明程度…すなわち社会の発展と、多様性への寛容は比例している。
その要因はいくつかあるが、低収入の家族と、高収入の家族を例に取ってみると分かりやすい。
低収入の家族(この場合、文明程度が低い社会)は、生きていくのにぎりぎりの収入しか無いため、全員が働くことに注力せざるを得ない。
結果として、社会的な役割分担が厳格になる。
個人の資質を見極め、それにあった教育や職業を選ばせる時間的、金銭的余裕が無いからだ。
つまるところ、それは封建的社会における血統による職業の固定…すなわち、身分制度となり、性差による役割の固定…夫は外で稼ぎ、妻は家族を育てることとなるのだ。
反対に高収入の家族(この場合、文明程度が高い発展した社会)では、短期的には損になるが、長期的には大きな利益をもたらす投資を行うことが出来る。
つまり、個人の資質や努力に応じた、教育や職業を施すことが出来るのだ。
これが近代社会における義務教育制度であり、職業選択の自由である。
前の世界でのイチノセの学士論文のテーマの一つが、これであった。社会の経済的余裕が、個人の自由を決めるのである。
そして、以上を踏まえれば、同性愛も、同様に考えることが出来る。
同性愛への不寛容とは、すなわち、個人的資質を無視して、男女間の恋愛と家族形成という役割を強要するものなのだから。
(中世か、近世か迷う程度の文明で、私がイレーネを好きだと公言するのはまずいか……)
さりとて、ジーフリクが好きだと言うわけにもいかない。
結局、曖昧な返事を返すしか無かった。
料理が完成したのは、周囲を見回ってきたレイミアがちょうど戻ってきた頃だった。
堅パンに、じゃがいもとベーコンのガレット、野鳥の串焼き、野草とひよこ豆のスープだった。
ルイスが食前の祈りを捧げると、周囲もそれに従った。
***
「野草って、どうしても苦いイメージがあったのだけど、どうしてこんなに、まろやかにできたのかしら」
イレーネがスープにパンを浸しながら、ルイスに尋ねる。
「ああ、これか。野草の種類にもよるが、軽く湯通ししたり、高温で蒸す手間を加えるといいんだ。それに、イレーネどのが持ってきた蜂蜜が、役に立ったな」
「私の蜂蜜?」
「甘さを加えると、尖った苦味が丸くなるんだ」
「なるほど……料理に詳しいのね、ルイスさん」
「いやいや、イレーネどのこそ。野鳥の串焼きが、これほど柔らかくできるとは思わなかった」
「ああ…それは、ブライニングの要領で魔術を使って……」
イレーネと、ルイスが楽しそうに会話しているのを、ミーシャは、どことなく恨みがましそうな目で見つめていた。
分かってはいるのだ。
イレーネは女性が好きなのだし、ルイスは亡くした奥さんに操を立てている節がある。心配する必要はない。
そもそも、ミーシャはイレーネの弟子でしか無い。
口を出す権利は、どうひっくり返しても出てこない。
(なんで、そんなに、楽しそうにしてるんですか…師匠)
なのに、イレーネの楽しそうな様子に、もやもやした気持ちを抱えてしまう。
「なんか、いい雰囲気じゃない? あの二人」
師匠を見つめていたミーシャに気づいたのか、アマロが耳打ちしてきた。
「そんなこと…ないと思うけど……。それに、ルイス先生は、奥さんのことを想っているはずだよ」
「奥さんの故郷を探してるんだっけ……? でも、いつまでも死んだ人を忘れられないってのも、健全じゃないわよ。過去は過去として、新しい恋があってもいいと思わない?」
「うーん」
ミーシャがなんとも言えず、唸っていると、レイミアが「でも、ただ一つの恋に添い遂げるのも素敵だよー?」と口をはさんでくる。
「そりゃあ、物語の中なら綺麗だろうけど…。あたしが思うに、現実だとさぁ……」
アマロとレイミアが恋話に夢中になっていくのを、半ば聞き流しながら、ミーシャは思いに沈んだ。
(自分の気持ちは、はっきりと分かる。イレーネが好き。…師匠としてじゃなく、友達でもなく、恋人として。師匠の特別になりたい…でも)
イレーネはルイスと楽しそうに会話している。
(師匠は私の事…嫌ってはないと思う。 フンボルトの城館に潜入してまで、助けに来てくれたし…)
ただ、『嫌っていない』と『好き』の間には、大きな隔たりがあるはずだ。
それに、弟子として好きだという気持ちと、恋人としての好きも、違うはずだ。
師匠は私のことを、どう想っているのだろうか。弟子として好きなのだろうか。面倒見がいいだけなのだろうか。それとも、恋人としての好きはあるのだろうか。
(好きって何なんだろう。愛するって何なんだろう)
ミーシャは自分の恋愛スキルが、まるで無いことに気づいた。よく考えれば、前世も含めて、本気で恋愛したことが無かったのだ。
「ミーシャ、どうしたの? 食が進まないみたいだけど…」
「え、や、ちょっと、旅で疲れてるみたいです」
心配そうに覗きこんでくる師匠に、心臓が跳ねる。
ああ。心はこんなにも分かりやすいのに。
「そう…? あなたが良かったら、今夜、ルイスさんの所にお邪魔しようと思ったんだけど…」
「えっ? なんでですか!?」
「なんでって……。ほら、オルテッセオ家の領内で合流してから、ようやく私達だけの時間が持てたじゃない。今のうちに、ルイスさんの奥さんについて調べ物をしておこうと思って」
「あぁ…、そうですよね…」
ミーシャは苦笑いした。
よりによってイレーネ師匠がルイス先生と逢瀬を持つと誤解するなんて。
「でも、調子が良くないなら、先に私だけでも……」
「いえ! いえ! 大丈夫です! 資料見るくらいなら出来ますから!」
勢い込んで、ミーシャは言った。
今でさえ、やきもきしているのに、自分の居ないところで二人きりなんて気が気じゃない。