第44話『遺跡の谷』・下
「彼がオルテッセオ家のホルサ様だ。私はサフィール。お見知りおき願おう」
護衛対象は、ミーシャよりも若い、十二歳かそこらの少年のホルサと、おそらくは三十代であろう男盛りの騎士サフィールであった。
一言で、顔見せは終わった。こちらと会話しようともせぬ。冒険者の自己紹介をうけようともせぬ。
冒険者のごとき下民とは付き合わぬということらしい。
(けど、三週間もの間共に過ごすんだから、ある程度仲良くしていたほうが利口だと思うんだけどな)
オルテッセオ家にあてがわれた部屋で、ミーシャが疑問を口にしたが、「それは違う」とイレーネは反論した。
「これは、あなただから話すのだけれど…、貴族さまも、ただの人間だって分かったら都合が悪いのよ」
「どういう事ですか?」
「権威ってのは、知らされてないからこそって一面があるの。下手に内情を知られたら、敬われなくなるのよ。小人は知ればこそ、良からぬ思いを抱くものだしね」
「…そういえば、師匠も男爵家でしたよね?」
「ええ。爵位は当主だけが持つから、私はせいぜい男爵家令嬢でしかないけれどね」
ミーシャは頷き「私は師匠のこと、貴族とか関係なしに、すごいと思ってますよ!」と輝く笑顔を見せた。
ミーシャは今や、はっきりと自分の恋心を自覚している。『恋に落ちる』という言葉の意味を、初めて理解したように思った。
あっという間に、坂道を転がるようにイレーネに惹かれていったのだ。
冬の最中なのに、彼女のそばにいると温かい。イレーネがかけてくれる言葉が、寒々しい空気に負けない心の熱さを与えてくれるのだ。
「ありがとう。でも、ひいきの引き倒しにならないようにしてよね」
師匠は、少しだけ、はにかんで答えた。
その表情も素敵だなぁと、ミーシャは思う。
イレーネは、ゆるやかに波打つミルクティーのような色合いの髪を、すらりと伸びた指でつまんでいる。
その仕草一つ一つに、ミーシャは見惚れてしまう。
ギリシャ彫刻のような硬質な美貌もさることながら、所作に気品があるのだ。
椅子に座るときも、背筋を伸ばして、背もたれに軽くつけるだけだし、物を拾う時も膝を折らずに、腰だけを曲げて拾う。
一つ一つの動作に優美さがある。このような所作はやはり特定の家庭環境……貴族でなければ身につかないものなのだろう。
かと思うと笑った途端に、少女のような印象になる時もあるし、聖母のように慈愛に満ちた印象になる時もある。
色彩豊かな魅力と少女は思っているが、何の事はない。つまるところ、ミーシャはイレーネに惚れてしまっているのであった。
***
『霧の魔女』イレーネの一行と、『静音の鷲』の一党、そして、オルテッセオ家の御曹司ホルサと御付きの騎士サフィールは、数日の日程をこなして『幽谷隧道』のある『ナウスゲリア幽谷』の麓にまで到着した。
「もしかして、あの横溝を進んでいくの?」
ミーシャは案内役の『赤毛の狩人』レイミアに語りかけた。
「そうだよー。二人がなんとかすれ違えるくらいの幅しか無いから、騎士団が通るはずもないしー。それに、騎士団が来ても大勢で追って来れないでしょ?」
「う…ん。まぁ、荒涼の美があるかな?」
ミーシャは『ナウスゲリア幽谷』を振り仰いだ。
花崗岩でできた山を河が貫き、峡谷を作っている。
草の合間から黄白色の地肌が露出しており、その切り立った峡谷の岩壁に、明らかに人の手によって掘られた横溝があった。
隊列は、この道を通り抜けたことのあるレイミアと、耳長狼のルーシェンを案内役として先頭に置き、イレーネ、ミーシャ、アマロ、ルイスと続く。
イレーネ達は、騾馬を一頭、驢馬を一頭、馬を二頭、所有しているが、これらは、それぞれの隊列の合間に挟んでいる。
耳長狼が先頭にいるのは、イレーネ一行が持っている馬や騾馬が怯えるためである。大分、馴らしたものの、不測の事態は避けるべきだった。
レイミアとルーシェンを除けば、残りはほぼ、魔術が得意な順である。この地には、魔術や闘気のこもった攻撃しか効かない亡霊や幽鬼が出没するのだ。
「この『ナウスゲリア幽谷』には、二つの歴史があってね。一つは、水晶採掘用の坑道としての歴史。もう一つは、坑道を利用した上水道としての歴史ね」
ふいに、おどろおどろしい口調になって、イレーネは言った。
「上水道を開通するときに、坑道跡に水を流したんだけど、確認せずに流したものだから、残っていた鉱夫たちが、たくさん溺れ死んだって話よ? それ以来、この『幽谷隧道』には恨みを晴らそうと、鉱夫のお化けが襲ってくるんですって」
「もー、師匠。そういう脅かしはいいですから。実のあることを言ってください」
「そういう噂があるのは、本当よ?」
「第一に、水を流す前に確認するのが、普通です。
第二に、坑道をそのまま上水道にできるわけがないでしょう。勾配をつけたり、水漏れしないように水道管なり、モルタルなりで補強もしたはずです。そこに人がいるとは考えにくいです。
第三に、うっかり死んだ人が居たとしても、数人でしょう。モンスターとして事前に周知されるほどの数が死ぬとは思えません」
イレーネは嘆息してみせる。
「まったく、脅かしがいのない弟子ね。アマロは、怖がってくれたわよ」
ミーシャが振り返ると、確かにアマロは、少し血の気が引いたような顔をしている。
「大丈夫?」
「な、何言ってんのよ。そ、そんな作り話に、怖がるわけないでしょ!」
「なら、いいけど……」
ミーシャから見ても、虚勢を張っているようにしか見えない。
だがミーシャは、ここでからかったりはしない。見て見ぬふりをするのが、大人の対応だろう。
ミーシャはこう見えて、大人なのである。
「何よ! その生暖かい目は!! 怖くないって言ってるでしょうが!!」
「えっと、ごめんね」
(顔に出てた…)
ミーシャは、顔をぐにぐにとマッサージした。まだまだ大人の修行が足りなかったらしい。
「まぁ、それはともかく。師匠。ゴーストやらレイスやらは、人間の霊魂なんですか? それとも、そういう魔物ってだけなんでしょうか?」
「ん? どういうこと?」
「や、つまり、人間の霊魂なら意思疎通ができるんじゃないかと。意思疎通ができるなら、戦いを避ける事だって出来るでしょうし、それに倒すのは……えーと、つまり、同胞を殺してしまうことに、なるんじゃないでしょうか?」
「あぁ、それね……」
イレーネ師匠は、指先に髪の毛を絡めた。
「まぁ、難しい問題だわ。ただ、彼らのような霊魂は、生前の人格をそのまま残しているわけじゃないのよ。何かに執着していたり、延々と同じ行動を繰り返していたり、たまに意思疎通ができるようでも、どこか返答がおかしかったりするしね」
「うーん……」
イレーネの言うことは分かる。
けれど、逆に言えば、人格を多少は残しているということではないか。
それは、ある種の精神病患者や、認知症患者、あるいは知的障害者を思い起こさせる。そういう人たちを、一絡げに殺していいのだろうか。
その行いは『心の真実』に適うだろうか。
アマロが見かねたように、口を開いた。
「ミーシャの気持ちは分からなくもないけど。けど、アッチは、お構いなしに襲ってくるのよ? 撃退しなくちゃ死んじゃうのは、人間相手の時と変わらないでしょ?」
「…ま、それもそうだね」
(襲ってくるなら、倒す。そうでないなら、不用意に傷つけない。その方針で行こう)
ミーシャは、そう決心した。
自分の手で何もかもを、救えるわけじゃない。幽霊たちを哀れには思うが、自分の出来る範囲でやっていかなければ。
(…それにしても、霊魂がたいてい人格が壊れているというのなら、どうして、私…イチノセの魂は無事だったんだろう? 異世界の魂だから? 『魂の移植』が成功した理由もそこにある?)
ミーシャは天を仰いだ。憎たらしいほどに、冬空は澄み切っている。
(やれやれ、精神年齢は25歳なのに、自分探しに、恋の悩み……まるで中学生だ)
ミーシャは慨嘆したが、この思いを口にすれば呆れられるに違いない。見た目は、まさに中学生くらいの少女そのものなのだから。
***
『幽谷隧道』は、奇観の美がある。
黄白色の岩壁に、切込みを入れるように横溝の道がある。所々は、桟道になっており、張り出したモルタルの上を歩かねばならない。
右手には宙空が広がっているだけで、視線を下にやれば、木々の隙間から濁った河が流れているのが見て取れる。
左の岩肌にはロープが差し渡してあり、それを掴みながら、一行は進んでいった。
おそらく、古代においても荷役馬などが通ったのだろう。馬が通れるほどに天井は高かった。
半日ほどは、何事も無く進んだ。
貴族の子どもたちも、泣き言を言うこともなく、楽しげにお喋りをしている。遠足のような気分なのかもしれない。
石畳の階段を昇っていくと、やがて広間に出た。
自然に出来た崖のくぼみを利用しているらしく、地面が均され、簡単な居住施設がいくつかある。
そこに亡霊が佇んでいた。
「……」
レイミアが腕をあげて一行を止める。
練達の冒険者揃いだけあって、皆、すぐに意を察した。貴族の少年たちは少し騒いだが、家中騎士たちが抑えた。
ミーシャはマナを励起しつつ、ゴーストを観察していく。
基本的に人間の姿をしているが、全体に白い膜が貼ってあるかのように、ぼやけて見える。
もう少し近づけば、顔の造作なども確認できるだろうが、攻撃される危険性も増えるだろう。
「……」
レイミアが無言で動く。他にもゴーストが隠れていないか探りを入れるためだ。
ゴーストは、常に敵対的というわけではない。むしろ、大半は無害なのだが、それを外見や会話で判断できないのが厄介なのだ。
倒しきらなければ、安心して休めるものではない。
「外に二人。今、見えてるのと、路地裏にいるねー。あと、屋内に三人いるよー」
偵察から戻ったレイミアが告げた。
「こちらは、大所帯だからね。どうしてもゴーストと接触の危険があるし、放置しておけないわ。《理力のクォーレル》で、遠くから一気に仕留めたほうがいいわね」
「……そうですね。可愛そうですけど」
ミーシャはそう答えながらも、アマロに視線を移した。
口数の少なさが気になっていたのだ。
ゴーストが怖いのだろうか。
視線に気づいたアマロは「大丈夫よ。 ちょっと疲れただけ」と笑った。
「まぁ『静音の鷲』と協力して、魔術を使える人を集めましょうか」
イレーネがまとめたが、そこに口を挟む者がいた。ジーフリクだ。
「悪いが、待ってくれ。こっちのパーティに使いたい奴がいる」
twitterはじめました。
→「 https://twitter.com/ema_katsuhara 」
物好きな人がいたら、是非見てください。




