43話『フェレチの冬至祭』・下
すみません。先々の推敲のため、次回更新はしばらく休みます。
一ヶ月後くらいには、幕間をいれたいです。がんばります!
「そういえば、師匠…。『飛竜とドレス』を読んで気づいたんですが……」
「なに?」
「フィユスールのことです。どうやら、皆、死後の世界から、私が蘇ったと思っているみたいなんですけど…」
「違うの!?」
「や、えと、違わないかもしれないんですけど、そうじゃなくて…」
ミーシャは頬をかいて、自分の考えを解きほぐそうとした。
「要するに、私が今まで言ってたフィユスールは、死後の世界という意味じゃなくて…そのままの意味の、もう一つの世界という意味だったんですよ」
「んー?」
「つまり、人がいて、生きているのは同じなんだけど、違う歴史を歩んでいて、文化も違っていて……この世界と似ているけれど、でもやっぱり違う。そういう世界が、少なくとも、もう一つあるんです」
「んー、やっぱり良くわからないわ」
「それじゃあ……この星空を見てください」
ミーシャは、上を指さした。
暮れつつある夜空に、星々がまたたき、か細い光で精一杯の自己主張をしている。
「この星の一つ一つが、太陽と同じものなんです。小さく、またたいているのは、遠くにあるから。この星の数ほどある星々のどれかには、ここと同じような世界があって、きっと、そこにいる人々も、悩んだり、笑ったり、戦ったり、愛しあったりしているんです」
「ミーシャは、ロマンチストね」
ミーシャは頭を振った。
「いえ。これは、確認されたことはないけれど、確率的に、ほぼ間違いない話です。
そして、星々がたくさん煌めいているように、世界も一つじゃないんです。きっと、たくさんの世界があって……、その中の一つが私の……イチノセの生まれ故郷なんです」
「……イチノセは外国の生まれではなく、この世界の生まれでもないけれど、天国でも地獄でもない、もう一つの、似たような世界から来たと……そういうことね」
「そうです! ……なんの証拠もないことですけど」
「…信じるわ」
イレーネは、波打つ自分の髪の毛を結いまとめた。
「信じる。他ならぬミーシャの言葉だもの」
「ありがとう。良かった。師匠にだけは、信じてほしかったから……」
師匠の言葉にミーシャは顔をほころばせた。
信じてくれるのは、これほど心地よいことだったのかと思う。
「この世界に来て、自分が本当にもう一つの世界に生きてきたのか、本当は不安だったんです。前世の事はただの妄想でしかないんじゃないかとか、この世界が本当は夢で、目を覚ますと寮の一室で目覚めるんじゃないかとか…色々怖かったんです」
「…私は、あなたじゃないから、その苦しみの全てはわからないわ。でも……」
イレーネはミーシャの髪の毛にそっと触れた。
「決して疑いようのない事が、一つだけあるわ。…あなたが、それを記憶しているということよ。たとえ、誰一人証明してくれる人がいなくても、あなたには思い出があるでしょう? それは、誰に侵されることもない神聖なものよ」
その言葉を聞いて、ミーシャは微笑んだ。
空を見上げ、手を伸ばし、星を掴み取ろうとする。
「この星のどれか一つに、私の居た世界があったとしても、戻れないことは確かです。前世での出来事は、けっしていい事ばかりじゃなかったけど、いい思い出も、たくさんありました。
そして、大切な思い出を、この世界で作っていくこともできるし……『思い出を、語ることも出来る』」
ミーシャはイレーネに顔を向けて言う。
「聞いてくれますか。記憶が色を失う前に。私がかつて、どう生きて、どう思ったのか…ぜひ、師匠に聞いて欲しいんです」
それは、イレーネが気後れするほどの真摯な視線であった。
その鋼色の眼に貫かれて、イレーネは思った。
(ああ…)
イレーネは、かつて、人生の伴侶がほしいと思ったことがある。女性同士では子供は生まれない。
(けど、二人の思い出が積み重なるのなら、それは無為じゃない)
そう思ったのだ。
それは、二人で、思い出を共有するということではないだろうか。
「ええ。話して。ミーシャ…いえ、イチノセの半生を、私も聞きたいわ」
イレーネは今まで、以前の弟子のこともあって、ミーシャとの関係を師弟のそれに留めようとしてきた。だが、この一瞬だけは、その戒めを知らず解いていた。
***
イチノセは、自分の人生を語った。
両親が育児放棄をし、自分は養護施設に保護されたこと。けれど、弟は間に合わず、死んでしまったこと。
それが今でも心の傷になっていること。
そして、養父母に引き取られて、そこで初めて愛情を受けたこと。
苦労して人間性を得て、努力して勉強し、アメリカに留学するまでに至ったこと。
これから、という時になって気がつけば、この世界に来ていたこと。
話し終わった時には、宵はとうに過ぎていた。
イレーネが持ち込んだ屋台の食べ物も、もう無くなっている。
「……本当に、別の世界…だったのね」
全てを聞いた時のイレーネの感想がこれであった。
ミーシャは憤慨してみせる。
「信じてたんじゃなかったんですか?」
「もちろん、信じてたけど…。ここまで、違うとは思ってなかったわ」
床を指で弾いて、イレーネは立ち上がった。
「予想以上に、ここに長居しちゃったけど…かえって良かったかもしれないわね。今のうちに、屋台で食べ物を買ってくるわ」
「あ、じゃあ、一緒に行きますよ」
「それもいいけど、この席をとっておいてよ」
「席って、ここ倉庫の屋上ですよ?」
「ここからがフェレチの冬至祭の目玉なのよ。あ…。始まったわね。ミーシャ、市場通りの方角を見て」
イレーネの指の先に視線を向けると、屋台の灯籠が次々と消えていった。完全な暗闇になると思えた頃、市場通りに、光の木が現れる。
それは、枯れ木の枝先に、《光明》を灯したものであった。
ミーシャの眼には、一風変わったクリスマスツリーのように見える。
それが、何本も連なって、一つ一つ運ばれていく。
よく見ると、山車のように下に車輪がついているが、その上に乗っているのは…
「船?」
「そうよ。フェレチでは、冬至祭に『光明樹』を運河に流すのよ」
イレーネが屋台の料理を持って、ミーシャのそばに立っていた。
いつの間にか、料理を買ってきてくれていたらしい。
温かいミルクスープに、パンに腸詰め肉を挟んだホットドックのようなもの、白身魚のパテなどを袋から出す。
「なるほど、倉庫の屋上からなら、良く見えますね」
「ええ。それだけじゃあないけどね」
ミーシャの反応を予想して、イレーネは楽しげに笑った。
***
沢山の光が、『光明樹』が、運河を滑るようにゆったりと流れていく。
舟に同乗した楽隊が音楽を奏でている。
気付けば、倉庫の屋上に、何人もの人がいるのが分かる。恋人同士、夫婦同士で見ている人も多いようだ。
ミーシャもイレーネも、なぜだか息を潜めて、その幻想的な光景を見つめていた。光の木が明滅して流れていく光景は、華やかで神秘的だった。
「ミーシャ。そろそろ、花火があがるわ」
「花火?」
ミーシャは首を傾げた。
花火は言ってみれば、火薬の塊だ。この世界では、火薬は発明されていなかったはずだが……。
その疑問は、ひと目で氷解した。
楽隊の音楽が、いっそう軽快なものに変わるやいなや、『光明樹』から、《光明》が溢れだし、空へと立ち昇っていく。
それはまさに”花火”だった。
色とりどりの光が、打ち上がり、光の飛沫を周囲に撒きらす。
ひときわ輝く一瞬の光芒が、周囲を照らす。
前世の花火と違い、音は鳴らない。しかし、楽隊の音楽に合わせて、明滅する魔術の花火は、前世と勝るとも劣らない美しさだった。
「きれいね…」
イレーネが呟くように言った。
(そっか…)
夜空の花火に映るイレーネの横顔を見る。
彼女は、目を輝かせて花火に見入っている。
瞬間瞬間に映るイレーネの姿は幻想的なのに、これ以上ないくらいの臨場感がある。
イレーネは美しかった。
(どうして、気づかなかったんだろう。師匠の声色も、仕草も、眼差しも、全部、私のことを大切に思ってくれていたのが、今なら分かる)
ミーシャは自分の心のさざなみの正体を知った。
イレーネが動くたびに、空気がざわめいて、波が起こる。それが自分の心をも震わせていたのだ。
その全てが愛おしかった。
(理屈じゃないんだ……忘れてた)
ミーシャは胸を押さえた。心臓が脈打つ音が伝わってくる。
(……この胸の高鳴りが、好きだってことなんだ)
イレーネから視線を外して、ミーシャは思う。
(もしかしたら……、恋愛関係になることを師匠…イレーネは、望んでいないかもしれない…でも)
だとしても、手を伸ばせば届くこの二人の距離を、もっと縮めたいと、ミーシャス・ジーネ・イチノセは、強く強く願ったのだった。
***
「ねぇ、私達も花火を打ち上げましょうか?」
花火が一段落して、楽隊の音楽も静かなものに変わりつつあった頃、イレーネはそんなことを言った。
指先に、魔術光が灯っている。
意図を理解して、ミーシャは笑って頷く。
「いいですね!」
二人して、魔法陣を描く。
《光明》の魔術文字に従って、夜空が輝いた。
二人は、次々に魔法陣を描きながら、魔術の光による花火を夜空に打ち上げていく。
イレーネが魔法陣を描くと、ミーシャがそれを参考にして、もっと凝った魔術の花火を即興で描いていく。
光彩が輝き、はじけていく。
それに気づいた楽隊が、イレーネとミーシャの花火に合わせて、音楽を華やかなものに変えた。
色とりどりの《光明》が、流星となって夜空を彩る。
楽隊の音楽に合わせて、鮮やかに光明が踊る。
二人の魔術が、夜空の星々と共演し、人々が歓声を上げる。
心が満ち足りて、ミーシャは思わず叫んだ。
「時よ、止まれ! 汝は美しい!」
「え? あ、ありがとう…?」
意味が分からずに礼を言う師匠に、ミーシャは晴れ晴れとした笑顔を向けた。
『時よ止まれ、汝は美しい』
……ゲーテが書いた『ファウスト』の言葉。ファウストは真理を探求するため、悪魔に若さと力を求める。すべてが満たされたその瞬間に、自分の魂を譲り渡すと約束して。
そして、ファウストは幾多の愚行を経て、人生の最期に最大級の幸福に包まれ『時よ止まれ、汝は美しい』と独白し、絶命する。
ミーシャの言葉は、『ファウスト』の言葉を受けたもの。
すべてが満たされたような気分になっただけではなく、自分にとっての真理……つまり、イレーネの恋心を自覚した喜びも含まれている。
ちなみに、この世界に『ファウスト』はないので、時よ止まれという言葉は、完全にミーシャの自己完結したひとりごとである。
……恋心を自覚したこのエピソードを以って、タグの「百合(予定)」から「百合」へと変えます! 長かった……ッ!




