43話『フェレチの冬至祭』・中
次回 9月14日 更新予定です。
「これから、服を買うわけだけど……せっかくだから、役立つ魔術を教えてあげましょうか?」
「どんな魔術ですか?」
《鏡像のデュオ》
古着屋で、イレーネが描いた魔法陣は、写し身を作るものであった。
ミーシャそっくりの立体映像が浮かび上がっている。
「すごい!」
「いいでしょ? これ。鏡を使わなくても、全体をチェックできるし、後ろ姿も見れるからね」
「こういうところ、この世界は良いですよね。魔術で色々出来て」
「あの世では、無かったの?」
「んー。できなくは無いでしょうけど、少なくとも一般的じゃなかったですね」
ミーシャは言いながらも、すでにいくつかの古着を見繕っている。最初に心づけを渡しただけあって、自由に見せてくれていた。
ちなみにこの時代、仕立屋と古着屋はあるが、服屋はない。
古着屋と言っても、一般庶民には敷居が高いらしい。
庶民は、自分でつくるか、あるいは、誰かからのお下がりをもらって繕うかが大半であるらしい。
そして、イレーネのような貴族や、裕福な人間は、仕立屋にいって、仕立ててもらうのが普通なのだそうだ。
つまり、言ってみれば、既製服が無く、すべて仕立て服であるのだ。
さらに、ミシンなど無いこの時代、手縫いの仕立ては比較的安く手に入るに違いない。
ミーシャは密かに、自分の服を仕立ててもらうことを目標にした。もしかしたら、イヴ・サンローランのような服も、今の自分なら似合うかもしれない。あの重々しいヨーロッパ的な感性が、ミーシャは好きだった。
古着屋で揃えたのは、以下の服である。
まず、初めに外套を購入した。散々ゴーストの扮装だのと言われたので、早く取り替えたかったのだ。
綿で出来た生成り色のクロークは、俗に「旅人の外套」と呼ばれていて、冒険者の間では一般的な品であるらしい。
布に、蝋が塗り込められていて、雨や泥を弾くという。巨大甲虫から取れるワックスを使っていると聞いた時は、少々たじろぎはしたが。
その他には、ひざ上まである、深い藍色のチュニックに、それよりやや明るい青色のケープ、ゆったりとしたドレープができるクリーム色のブリトーを購入した。
下衣は、生成り色の帆布のパンツと、革鎧に合わせるための、焦げ茶色に染めた帆布のパンツ。
縁取りが黄色の巻きスカートと、ふんわり広がるフレアスカートも購入する。
ついでに、身頃に合わせた天鵞絨の飾り帯も仕立ててもらった。
ミスリル貨3枚、銀貨1枚、真鍮貨2枚を支払う。
これだけ、いろいろ買っても金貨1枚にもならないのだ。いかに、ミスリルのバックラーが高い買い物か分かる。
その金貨24枚もした盾は、アゲネに囚われた時に、一緒に奪われてしまっていた。
代わりに、首飾りと髪飾りを頂いてきたのだが、金貨1枚とミスリル貨2枚にしかなってない。イレーネではないが、債務超過ではないか。
「なぁに、どうしたの? 難しい顔して」
「うん。けっきょく、赤字だなぁって」
「まぁ、そうね。でも、そんなの悔やんでも取り返せないもの。気にしない方がいいわ」
「そうですね、埋没費用と考えて気にしないことにします」
「そうそう。気にしないことよ。あ、そういえば、冒険者ギルドは一度行った事があるから、わかるわよね。あなたが手続きしている間、私は屋台を見て回っているから」
「え? ええ。わかりました」
ギルドの入り口まで来て、イレーネは身を翻して行ってしまった。
***
フェレチの冒険者ギルドも、フンボルトと対して変わりはない。広間に、複数の衝立と、円卓に椅子が配置されている。
ここで、ギルドの職員が、冒険者に依頼を斡旋し、あるいは依頼を受け付けるのである。
ただ、フンボルトと違ったのは、冒険者登録が非常に事務的であったことだ。
「文字は読み書きできますか」
「はい」
「では、こちらに必要事項を記入した後、提出してください」
面談も何もなく、これで終わりであった。
祭りの日なのも関係しているのだろう。ギルド員たちも、そわそわとして仕事に熱が入らない様子である。
名前の欄に「ジーネ・イチノセ」とサインし、ギルド員に手渡す。
「はい。確かに。それで二つ名はありますか?」
「えっと、『異世界の賢者』で」
ミーシャは驚いたのだが、この世界における二つ名は、自然発生的によばれるものではなく、自分でつけるものであるらしい。
二つ名は、同じ名前の冒険者と区別し、自分を売り込むためのものなのである。
一方で、アマロット・ヴォーンのように、周囲から二つ名をつけられるまで待つものも居るのだが、イレーネはそれに反対であった。
「いい? 二つ名は、絶対に自分でつけたほうがいいわ。私みたいに、不本意な二つ名が知れ渡ることだってあるんだからね?」
ミーシャが二つ名について尋ねた時、しみじみと、師匠は言ったものである。
「『霧の魔女』は、かっこいい二つ名だと思いますけど…」
「そうじゃないのよ……」
イレーネは慨嘆して頭を振った。
「私の奥の手が、霧の魔術だって暴露されちゃってるわ。それに魔女よ? 私の本業は錬金術士なのに、そこは無視されてるし」
自分の得意技は、できるだけ隠しておくべきである。多くの人に得意技が広まれば、その分対策も取られてしまうからだ。
イレーネはそう説明した。
さらに、魔女という言い方も気に入らないらしい。どこにでも居る魔女ではなく、大学に通った上でなければ得られぬ錬金術士という称号を、イレーネは大事にしていた。
「ま、今回は適当でもいいけどね。次回、機会があるなら、二つ名は自分で考えることを強く推奨するわ」
今回の冒険者登録は、追っ手への目眩ましも兼ねているのである。
すこしばかり細工が過ぎるかもしれないが、どちらにせよ、冒険者ギルドで装備を買うためには、登録が必要なのだ。
『異世界の賢者』ミーシャは、冒険者登録を済ませると、さっそく革鎧を買うことにした。
革鎧は、手甲、肩甲、胴鎧、肘当て、脛当てからなる。中古ではあったが、なるべくサイズの合う上等品を選んだ。
イレーネが言うには、鉄の剣くらいなら、十分な防御力があるが、鋼鉄の剣には心もとないようだ。
しかし、それでも魔物の使う棍棒、爪、牙には十分な効果がある。
その他にも、いくつかの冒険者用具を購入し終えて、さてとミーシャが辺りを見渡したときである。
冒険者ギルドの扉の外で、人だかりができていた。
(なんだろう…?)
そう思いながら見やると、中心にいたのはイレーネだった。
「……どうかしたんですか?」
「あ、いいところに。ジーネ、行くわよ」
そういうと、イレーネは片手に屋台で買った袋を持ち、片手でミーシャの手を引いて、その場を抜けだした。
周りの人だかりを強引に掻き分けて、駆け出していく。
「え?」
何が何やら、ミーシャには分からない。
イレーネは、追いすがる群衆を振り切り、人気のない倉庫街へと弟子を連れ込んだ。人が居なくなったのを確認してから、ようやくに一息つく。
「えっと、どうしたんですか? 師匠」
「いえ、ちょっとね……。以前、このフェレチの街で、”やんちゃ”したことがあって……。昔のことだし、もう皆忘れていると思ってたんだけど、そうでも無かったみたいね」
髪を直しながら、そんなことを師匠は言う。
「え? やんちゃって何ですか? 人に追われるようなことをしたんですか?」
「まー、何というか……。いえ、ここに居ても、見つかるかもしれないわね。ミーシャ、飛ぶわよ」
一瞬彼方を見たかと思うと、イレーネは魔法陣を描いて《飛翔の翼》を広げた。
あわてて、ミーシャも《飛翔の翼》を構築する。
「ついてきて」
イレーネの言葉に従って、魔術師の師弟は、倉庫の屋上へと降り立った。
***
「まぁ、ちょっと早めに来ちゃったけど…場所取りだと思えば……」
いつになく歯切れの悪い口調で、イレーネは呟いている。
倉庫の屋上で、弟子は不思議そうに、その様子を見ていた。
「それで、あの人だかりは何だったんです?」
「あ、そうそう。これを見て」
イレーネは、懐から丸い石を取り出した。別にどこにでもあるような石だ。
「え? あ、はい」
「《包容する炎の掌》」
魔法陣を描き、掌に炎を生み出して、石を包む。
石が十分に熱せられると、今度は布を取り出して、石を包んだ。
「いいでしょ? 『温石』っていうのよ。熱した石を布で包んで懐に入れれば、体があたたまるわ」
「へー。カイロみたいなものですね」
「懐炉そのものよ。はい。あなたにもあげるわ」
綿布にくるまれた石を渡される。確かに手に持つと、じんわりと心地よい暖かさが広がる。
今は、真冬の時期ではあるが、ここらは雪も降らず、さほど寒い土地ではない。着込んでいることもあって、これだけで十分すぎるほど温かかった。
「で、さっきから話をずらそうとしてますけど…、何をしたんですか?」
「ミーシャって、本当に、可愛げがないくらいに、敏いわね。 もう少し、手心を加えてやろうという優しさはないの?」
「んー」
ミーシャは、首を傾げた。
師匠のことは信頼している。あの人だかりも、イレーネを慕ってできたもののようだ。なにか悪行を行ったわけではないだろう。
だから、問いかけを無視してもいいのだが……。
「ありません。私は薄情ですから」
いたずらっほく、そう言うと、がっくりとイレーネは肩を落とした。
ミーシャとしては、本当に聞きづらいことではないだろうと思って、それなら聞いてみようと思っただけである。
「あのね…。昔、すこし、やさぐれていた時期があって……」
「ええ」
「当時、フェレチには、三つの盗賊ギルドが互いに争っててね。それで、用心棒的なことをしてたというか…」
「……用心棒ですか?」
腕っ節に自信のある冒険者向けの仕事として、護衛とか、用心棒というものは人気がある。ごくありふれた仕事であり、あの人だかりに繋がるとは思えない。
「最初は用心棒だったんだけど、その、大立ち回りを演じた挙句、二つの盗賊ギルドを壊滅させちゃったのよね……」
「あぁ、なるほ……え?」
「当時の抗争は、激しくてね……。一般人にも被害が出てたから、わりと英雄視されちゃってて……」
「つまり……。イレーネ師匠が…単身、盗賊ギルドを壊滅させた…ってことですか?」
「私一人だけじゃないわ。色々、手伝ってもらったし……」
恥ずかしそうにイレーネはうつむく。ミーシャは驚愕に目を剥いた。
(…にわかには信じられないけど……それなら、分かる。抗争を止めたばかりか、盗賊ギルドを潰したとなったら、確かに英雄…いや、『救い主』だ。街の人達が、死の恐怖、生活の糧を無くす恐怖から解放されるんだから……。冒険者にとっても伝説になる。それなら……人だかりも出来る。伝説の人間を、一目見ようと押しかけもする…!)
ミーシャは信じられない気持ちで、自分の師匠を見つめた。
イレーネは、自分のしたことを軽く考えているのか、あくまで”やんちゃ”したことを恥じている様子である。
師匠は実力はもちろんのこと、やさしく面倒見が良いために、冒険者達に慕われているのだと思っていた。
だが考えてみれば、それだけで有名になるはずもない。イレーネ師匠は隠棲しており、近年は目立って活躍してたわけでもないと聞いている。
すなわち、彼女の名声は、中央半島に来たばかりの時に作り上げたものなのだ。
(つまり、コツコツ積み上げてきた名声というより……、一度で、大きな偉業を成し遂げたんだ……それが、『盗賊ギルドの壊滅』……)
ミーシャに戦慄の笑みが浮かぶ。そこまでの事ができる人だとは思わなかった。
息を整えてから、朗らかにイレーネ師匠に話しかけた。
「すごいですよ、師匠。 あれだけの人に慕われることを、師匠は成し遂げたんですから!」
「え?」
「誇るべきです!」
「そうかしら…?」
「師匠の想いはどうあれ、フェレチの人達は救われたんです。功を誇りこそすれ、恥ずかしく思う必要なんて無いですよ!」
「…ありがとうね、ミーシャ」
照れながらも、イレーネは、ほっとしたように笑った。
<ミーシャの購入品リスト>
せっかく物価表を作ったので、今回のミーシャの購入品を載せておきます。
○古着屋
・旅人の外套(上等品)…銀貨3枚
・藍色のチュニック…銀貨4枚、白銅貨1枚、真鍮貨1枚
・青色のケープ …銀貨2枚、白銅貨1枚
・クリーム色のブリトー…銀貨1枚、白銅貨1枚
・帆布のパンツ二着…銀貨2枚、白銅貨2枚
・ラップスカート…白銅貨2枚、真鍮貨1枚
・フレアスカート…白銅貨1枚、真鍮貨1枚
・革のミニベルト…真鍮貨1枚
・飾り帯(仕立て)…銀貨2枚
○冒険者ギルド
・革鎧一式(上等品)…銀貨4枚と白銅貨2枚
・裁縫道具…真鍮貨1枚
・包帯用やふき取り用の布…白銅貨1枚
・羅針盤…銀貨1枚と 真鍮貨1枚
・携帯用釣り針と糸 …白銅貨1枚
・手鏡 …白銅貨2枚と真鍮貨1枚
・蝋石 …白銅貨1枚
・魔術専門書 …ミスリル貨2枚




