7話『イレーネの事情』
次回、もしかすると早めに投稿するかもしれません。
フンボルトの街は、近隣の村から『魔女の庵』と呼ばれる、イレーネの棲家から、最も近い都市である。
畢竟、『霧の魔女』イレーネの顔なじみも多くなるし、また多くなるよう、イレーネは心がけてもいた。情報通信の発達していないこの時代、「顔をつなぐ」ことは、常に大きな価値がある。
イレーネは、その顔なじみの一人、冒険者ギルドの親方を訪ねていた。
「これは、これは、久しぶりです。イレーネ殿。さぁさ、こちらで、ゆっくりなさってください」
「ありがとうございます。フレイクギル殿も壮健そうで何よりです」
声も大きく、フレイクギル親方は歡迎してくれた。
イレーネとフレイクギル親方が、親交深いのは、一つには元冒険者としての誼があるからだが、最も大きいのは、チェス仲間としてである。
フレイクギルは、無類のチェス好きであった。そして、「好きこそものの上手なれ」ということで、そこそこ強い。
だが、それだけに好敵手になかなか巡り会えなかった。
部下や、冒険者とチェス盤を囲むこともあったが、やはり、立場の上下がある以上、相手は気を使ってしまう。
それに、冒険者には無頼が多く、チェスを嗜む人自体が少ない。
かといって、市井にその相手を求めようとしても、うまくいかなかった。
フレイクギル親方の堂々たる偉丈夫ぶりが、逆に、相手に警戒心を与えるらしい。髭を短く刈り揃えるなど、雰囲気を和らげるよう、努力はしているのだが。
その点、イレーネの腕前は、フレイクギルとほぼ同格である。元冒険者ということから、気兼ねすることもない。
こうして、フレイクギル親方は、イレーネとのチェス勝負を、楽しみにするようになったのだ。
***
いつもの流れで、イレーネとフレイクギルが、チェス盤を囲んで、久方ぶりの勝負を楽しんでいたところである。
お茶を淹れに来たフレイクギルの部下が、何食わぬ顔で、大きな爆弾を落としていった。
「そういえばイレーネ様は、 お子様がいらっしゃったんですね。私、全然知りませんでしたわ」
イレーネは、危うくお茶を吹き出すところだった。いったいどこから、そんな話が出てきたのだろう。
「いえ、先ほど、下の商店で子供向けの絵本を買われておりましたよね。文字を学ぶための。ですから、お子様がいらっしゃったのかと思ったのですが、違ったのですか?」
「おお、そういえば、イレーネ殿は引退して五年ほどになりますな。当時は不思議に思っていましたが、子供を産み育てているのならば、納得がいきます」
冒険者ギルドの親方フレイクギルは、膝を打って祝いを述べた。
「いや、ケチくさい。言ってくれれば、誕生祝いなど包みましたものを」
話が変な方向に進みつつある。イレーネは慌てて否定した。
「あ、いえ、そうではなく。 私が保護している子が居まして、その子のためにと買っただけです。 私に子供はいません」
「へー。お優しいんですね。その子は、お幾つなのですか?」
はたと困った。あのプラチナ・ブロンドの少女が言うには、25歳である。だが、せいぜいが15歳かそれ以下にしか見えない。
「えぇと、まぁ、ちょっと変わった子でして。歳の頃は15ほどなのですけれど、自分は25歳だと、言い張ってまして…」
「あら」
フレイクギルの部下は、残念そうな顔をした。もっと、年若い幼子を想像していたのだろう。
親方の方といえば、太い腕を組んで考えこむ素振りである。
「15歳で文字も読めないのか…田舎じゃあ珍しくはないが……」
あの子が、どうにも誤解されていそうである。いや、実際、自分も理解しきれないところはあるのだが……。
「いえ、変なところはあるんですけど、でも人並み以上に利発な子ですよ。…ええと、自分の弟子にとろうかと思うくらいには」
どうにも変な言い方になってしまったが、あの子のことを悪く言ってほしくはなかった。イチノセは、頭がよく、気立ても良い子なのだ。
しかし、親方は組んでいた腕をほどいて、追求してくる。
「イレーネ殿の好きになさればいい事ではあるが……。
自分の歳も分からない、文字も読めない、しかも歳かさの子供を弟子にとるのは、大変ではありませんか?」
親方の頭のなかでは、田舎者の無学な人間が想像されているのだろう。
そうではないと叫びたかったが、まさか、”あの世から蘇ってきた”などというヨタ話を話すわけにもいかない。
話したとて、さらに「おかしな子供」であると、思わせてしまうだけだろう。
結局、イレーネは、適当にごまかしつつ、チェスを続ける他なかった。
チェスの戦績は、負け越しだった。
***
いつもならば、冒険者ギルドでのチェス勝負は日が落ちるまで続けるのが、常である。
イレーネは、そこでの世間話などから、冒険者ギルドの動向を、それとなく掴むようにしていたのだ。
だが今回は、どうも調子を崩されてしまった。イレーネは、そそくさと逃げ出すように、冒険者ギルドを後にした。
(にしても……『子供』か…)
欲しくないと言えば嘘になる。だが、「子供が欲しいか?」と聞かれたとしても、すぐには是と答えられない心境にイレーネはあった。
イレーネが愛することが出来るのは、女性だけだった。もう長いこと生きてきて、男に惹かれたことがなく、女性に惹かれるばかりなのだから、そうなのだろう。
イレーネは、女性のやさしい仕草に、しなやかな体に、何より女性らしい心に惹かれる性質だった。
だが、当然のことながら、女性を抱いたとしても、子供を授かるわけではない。それは虚しい行いだろうか。
イレーネには分からなかった。
女性との恋は、これまで何度もしたことがある。
恋が実ったことも、あった。
しかし、結局それは、人生の伴侶を見つけるまでには至らなかった。
イレーネが望んでいたのは、ともに人生を歩んでくれる女性だったのだが、その想いに答えてくれる女性はいなかったのだ。
気持ちは分からなくはない。同性愛は、教会の律法に反する行いとされている。一夜の遊戯には応じられても、生涯を誓うには、世間の目が厳しすぎた。
フレイクギル親方は、引退したことを疑問に思っていたと言ったが、結局のところ、隠遁生活を始めたのは、自分の恋心に疲れ果てたからである。
生涯を誓うことが出来るのならば、愛の営みは虚しいものではないと、イレーネは思う。それは積み上げていくものだからだ。たとえ、子供が授からなくとも、互いを大切に思う気持ちが積み上がっていくし、思い出が残っていく。
けれど、いわゆる「一夜の戯れ」は、なにも残らない……気晴らしでしか無い。
「お酒が飲みたいわ……」
イレーネはため息を吐き出した。酔いたい気分だった。このことを考えるほど、延々と落ち込んでしまう。
気晴らしを求めて、イレーネは酒場の扉を開けた。
***
娼婦ラヴェルヌの家についたのは、いつもよりも遅かった。すでに日は落ち、星々が夜空に瞬く。
「いらっしゃいまし。イレーネさま……どうされたのですか?」
「ああ…ごめんなさい。少々飲み過ぎたみたいね」
イレーネは、酔っていた。
酒を過ごすなど、何年ぶりだろうか。しかし、ラヴェルヌに会えるのは、今日しか無かった。明日は、海の男達が戻ってくる日だ。繁忙期に、お邪魔することは出来ないだろう。
ラヴェルヌは、すばやく寝椅子にクッションを敷き、香り高いローゼルのお茶を持ってきた。
「そこまでしてくれなくても……」
イレーネは恐縮したが、娼婦は手際よく準備を整えてしまっている。
断るわけにもいかず、イレーネは寝椅子に横になった。
「魔女さまは、いつもキリリとしておいでですから、今日は新鮮で楽しいですわ。なにかあったのですか?」
「ちょっと嫌なことがあってね……」
言葉を濁して、イレーネは、お茶を口に含む。
ローゼルのお茶は、目の覚める味がした。
「ありがとう。美味しいわ」
「どういたしまして。 いつも助けられていますから、このくらいはお安い御用です。私など、ただの女に過ぎませんが、どうか、もっと頼ってくださいまし」
イレーネは迷ったが、酔いの波濤が躊躇を押し流したようだった。
「……あなたを抱きしめさせてくれる?」
ラヴェルヌはふわりと笑って、魔女に体を預けた。イレーネは、そっと抱きとめる。
(ああ…)
イレーネはため息を漏らした。ラヴェルヌはいい香りがする。さわやかなハーブの香水の匂いだ。
そのまま、静かに、時間は流れていった。
***
「例の、ジーフリク・アイヴィゴースですけれど」
一息ついた後に、ラヴェルヌはそう切り出した。
「場所までは、はっきりとは言いませんでしたが、『岩塩窟』の村を襲うおつもりのようですね」
「岩塩窟……。私の庵からも程近い場所にある村ね。この近辺ではあそこだけが教会の管轄でなかったはず」
イレーネは素早く、頭を回転させた。
ローゼルのお茶のお陰で、酔いはすっかり醒めている。
「アイヴィゴース家の当主アゲネは、やり手という話よね。……でも、岩塩窟を奪ったところで、教会からの横槍は目に見えてると思うのだけれど」
教会は、塩の専売を行っている。
塩は生きていくために絶対に必要なものであるから、どんなに高くても、人々は買わざるをえない。
教会はそのことを利用して、暴利を貪ってきた。教会の腐敗の一側面であろう。
だが、岩塩窟があるために、教会は塩を独占できず、この近辺の塩の値段は、ほかと比べて低い。
それだけに岩塩窟と、それを治める領主は、塩の独占を崩すとして、睨まれてきた。
しかし、岩塩窟を領するサルザーリテ家としても、貴重な財源である。そうそう手放す気にはなれない。
教会とサルザーリテ家の間には、長い間、軋轢が生じていた。
(アイヴィゴース家は、塩を握るつもりかしら。……しかし、教会と事を構える?)
「どうも、よく分からないわね」
イレーネは、淹れなおしてくれたハーブティーを飲みながら、考える。
「襲う、という情報が確かなら、塩の供給源を一つ手に入れるのは、確実。領主も岩塩窟には守備兵を置いているけれど、アイヴィゴース家とは地力が違う。確実に奪われるでしょうね。でも教会から睨まれるのに、そこまでするかしら」
ラヴェルヌが、レーズン入りのビスケットを摘みながら、何気なく言った。
「そういえば、アイヴィゴース家の次男は教会騎士として、この司教区で働いておりますね」
「…ああ! アイヴィゴース家からすれば、次男が所属している教会と対立するはずないわ。つまり、岩塩窟は、教会との交渉材料なのね!」
「ええと、どういう事なんでしょう?」
「こういうことよ。アイヴィゴース家は、岩塩窟を手に入れる。教会は岩塩窟が欲しい。そのために、教会は、アイヴィゴース家の頼みを聞くでしょうね。たぶん、教会に仲介を頼みたいことがあるんじゃないかしら」
「けれど、教会も、りっぱな教会騎士団を持っていますよ。どうして自分から、岩塩窟を襲わないのでしょうか?」
「それはもう、外聞が悪いからね。教会騎士団は世俗のことには関わらないのが原則だし、あからさまに岩塩窟を奪ったとなれば、教会への反感が増すわ」
ラヴェルヌは、朗らかに微笑んだ。
「となりますと、これから塩は値上がりすますわね。間違いなく」
「そう思うわ…ひとつ、お願いしておこうかしら?」
「ええ」
イレーネは、金貨を2枚、娼婦に渡した。
「これで、なるべく多く塩を買っておいてもらえる?」
「値上がりする前にですね。承りました」
岩塩窟が教会の支配下になれば、塩の供給源は教会に独占され、結果、塩は値上がりするであろう。
今のうちに、塩を買っておけば、後々高値で売れるという目算であった。
***
「そういえば…ジーフリクは、もう一つ、妙なことを話しておりましたわ」
イレーネの帰り際に、ラヴェルヌがそのような事を言った。
「なんでも、『銀色の髪をした乙女』を探しているのだとか」
魔女は驚いた。
「『銀色の髪』…?」
「ええ、詳しくはジーフリクも、教えてもらえなかったようで。
生かして捕らえろとの命令から、きっと親父から逃げ出した情婦か何かじゃないかと、推測してましたけれど」
嫌な予感がした。
岩塩窟は、魔女の庵からも、近くにある。珍しい銀色の髪となれば、最近保護したイチノセという少女の事としか思えない。
もしかしたら、あの子が襲われているかもしれない。
イレーネは、居ても立ってもいられなくなった。
「ラヴェルヌ。今度は早めにお邪魔するかもしれないわ。またね」
挨拶もそこそこに《飛翔の翼》で、飛び出していく。
夜間飛行は、非常に危険な行為である。暗闇の中で飛べば、すぐに方向感覚が失われる。地面に激突する危険もあった。
しかし、幸いというべきか、空は晴れ渡っており、月も出ている。
イレーネは一時の焦りを抑えて、慎重に高度を上げて、ゆっくりと飛行することにした。
それでも徒歩で行くよりはずっと早く、夜のうちにイチノセを預けた村に、着くことが出来た。
村に、いつもは焚かれることのない篝火が、あった。
村に降り立つと、村長が、走り寄ってくる。
「申し訳ありません! イレーネどの! …イチノセが……山賊共に拐かされました!」
「わかったわ。まさかとは思っていたけれど……。拐かされたのはいつ? それから、山賊に動きはあった?」
問いかけながら、イレーネは、すでに拐かした人間が、山賊ではないと見抜いている。
まず間違いなく、岩塩窟を襲うというジーフリクが、偵察でイチノセを見つけたのだろう。イチノセが主なのか、岩塩窟が主なのかまでは分からないが…。
村長と、その娘リオンの話から、山賊がこちらには来ていないこと。そしてリオンが逃がされたことから、イチノセが目的だったと確信する。
この村が目的ならば、リオンを逃がすはずはない。
(……さすがに、この闇の中、闇雲に探しに行くのはまずいわね…)
魔女イレーネは、心の中で地図を広げた。魔女の庵からみると、この村は、およそ徒歩半日の場所にあり、そこから岩塩窟の村へは、さらに、徒歩一日といったところだろう。
魔女の庵から岩塩窟へは、徒歩1日というところだろうか。
おおよそだが、『岩塩窟』を頂角とし、『村』と『魔女の庵』を底角とした二等辺三角形をなしている。
(魔女の庵から、この村に行くまでに、イチノセが見つかったとは考えづらい。あのゴーストの扮装をしていたものね。
……とすると、イチノセが見つかったのは、この村。
岩塩窟を襲うことも考えていたはずだから、岩塩窟の近くに山賊の隠れ家があるはず。偵察に行くとしたら、せいぜい徒歩半日の半径内にある場所。
つまり、岩塩窟から徒歩半日の半径をもつ円内と、この村から徒歩半日の半径を持つ円内が重なる場所に、自称山賊の隠れ家があるはずだわ……。
となれば、この村と岩塩窟を結ぶ中間地点が、一番ありそうな場所ね…)
しばらく考えて、イレーネは、イチノセが居るであろう場所の当たりをつけた。
(しかし、重要なのは、山賊に見つからないこと。見つかれば警戒されて、救い出すことが難しくなる。さらに早く助けださなければ、移動してしまう)
ここで、《光明》を使って探しに行くのは愚策だろう。夜に明かりを灯せば一発で見つかってしまう。
とはいえ、早く見つけ出さなくては……。
イレーネは村長に部屋を借り、座り込んで瞑想した。
そして、魔法陣を構築する。
《命見通す遠見》
この魔術は、遠見の術と、生命の眼を組み合わせたものだ。
イレーネにとっても高度な魔術であり、集中しなければ使えず、距離と比例して魔力消費も激しくなる。
瞑目したイレーネの目蓋に、幻視が浮かぶ。
幻視は、村長の部屋を出て、村の離れに行き、推定した山賊の隠れ家まで、向かっていく。
暗闇の静かな森にも、生命が息づいている事が分かる。狐に狼、栗鼠に様々な鳥。その中で、イレーネは人間を探していた。
おそらく山賊は隠れ家に、見張りを立てているだろう。それを見つけるのが、イレーネの目的だった。
「……あれ?」
集中して遠見を操作していたイレーネは、間抜けな声を上げた。
人が一人、木の幹に体を預け、座り込んでいるのである。《生命の眼》では、命の輝きは見えるものの、細かい人物の風体まではわからない。だから、それが探しているイチノセだとは気づかなかった。
「…見張り?」
山賊の見張りが眠り込んでいるように、イレーネには見えた。まさか、イチノセが、そこにいるとは思いもしない。
山道の近くに見張りを立てるのもおかしな話だし、眠り込んでしまうのも奇妙な話ではあった。
しかし、まぁ、それらしいものが見つかったのだ。
確かめてみるしかない。
山賊が現れたということで、夜通し監視している村長にお願いして軽食を作ってもらい、腹ごしらえする。そして、自らに魔術をかけた。
《風巻く繭》
これは自分の周囲に渦巻く風を作るものだ。矢避けにもなるし、音が伝わりにくくなるために消音の結界としても役に立つ。
闇夜に紛れるように、黒い服を着こみ、人が眠り込んでいた地点に向かった。
「イチノセ?」
果たして、そこには、プラチナ・ブロンドの乙女が座り込んでいた。
・ローゼルのお茶
…いわゆる「ハイビスカス・ティー」。ローゼルの赤い実を煮出したもの。赤色をした液体で、酸味が強く、目の覚める味がする。クエン酸とビタミンが豊富で健康によい。
ラヴェルヌは、酔醒ましのために、このお茶を淹れた。
この世界においては、南方王国からの輸入品であり、貴重なもの。