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42話『手術』・下

なろうのサーバーが不安定だったのですが、自分だけでしょうか?

次回、9/7に投稿予定です。

 僧侶エンテースは、脂汗を体中に貼り付け、もがいていた。

 弱い《雷霆のクォーラル》で痺れさせられた後も、この老人は屈すること無く治療師を追い出そうとしていた。


 だが、痺れている間に鎮痛の奇跡が消え、腹痛が倍する痛みを伴って、ぶり返してきたのだ。


 精神を集中せねば、奇跡を起こすことは出来ぬ。

 しかし、鎮痛の奇跡を起こそうにも、痛みによって精神を集中できなかった。


 こうして、鎮痛の奇跡を起こすためには、まず鎮痛が必要であるといういささか馬鹿げた事態となって、僧侶エンテースは身動きが取れなかったのだ。


「大丈夫か?」


 声がかけられた。薄目を開けて、エンテースが眺めやると、治療師のルイスが表情を消して、こちらを見下ろしている。


「…大丈夫そうに見えるか。 治療師の目は節穴じゃな」

「そこまで減らず口がたたけるなら、大丈夫だな」

「なにを…」


 エンテースはなおも罵倒しようとして口を開いたが、痛みによってうめき声を漏らすことしか出来なかった。


「ともかくも、この鎮痛薬を飲んでください。その様子では、奇跡を使うことも出来ないでしょうから」


 やさしげな声で、ミーシャが告げた。

 しかし、僧侶エンテースは、なおも受け取るのを躊躇ためらう様子である。


「ともかくも一息つかないと、奇跡も使えません。まずは、痛み止めをしてから、奇跡で治療すればよいではありませんか。それとも、延々と痛みが引くまで待ちますか?」


 しばらくは、顔を背けたまま返事もしなかったが、ミーシャが手に丸薬をもたせて静かに体を起こすと、しぶしぶといった様子で、僧侶エンテースは丸薬を水で流し込んだ。

 だが終始無言である。

 言われたとおりにするのも癪だが、痛みに苛まされ続けるのも嫌だといったところか。


「効き目があるまで少し時間がありますから、気慰みに、お話をしましょうか?」

「……」

「僧侶の奇跡は、凄いと聞いています。傷を数時間で癒やし、死病も癒やすことが出来るとか。しかし、ならば、なぜ治療師が無くならないのでしょう」

「……」

「治療師には、治療師の役目があると、そうはお思いにはなりませんか?」

「馬鹿なことを。修道士ならばともかく、治療師に役目なぞ無いわ。愚かな民草を餌にするだけの詐欺師に過ぎぬ」

「しかし、僧侶に頼みに行けば、確実に癒してくれるのでしょう? なぜ、確実な奇跡ではなく、不確実な治療術に頼るのでしょう?」

「不信心ゆえにだ。確かに喜捨を求めることもあるし、我らは忙しく、全員を相手にすることは出来ん。だが、司祭や司教とて懸命にやっている」


 懸命にやっているからといって、救われぬ命が現実に存在することには変わりない。

 喜捨を払えず、ただ死んでいく子供を看取ることしかできない母親にも、この僧侶は、不信心を責め立てるのだろうか。


「……それでも救えぬ命があるとするならば、それこそ神の思し召しというものだ。人が死ぬのは、当然のこと。神がそう思し召したゆえに死ぬのだから、粛々として受容せねばならん」


(こいつは……)


 この老人は、自らの手に届かぬものを、神の思し召しとして恥じること無く、むしろ当然と思っているのか。


(クズだ)


 ミーシャははっきりと、この老人を軽蔑した。

 自分が出来ることは誇り、出来ないことについては神に責任を被せる。失敗しても、残念に思う気持ちがないのだから、精神的には健康でいられるのであろう。


 人が宗教を信じる気持ちを、ミーシャは理解できたように思った。

 出来ないことを自分の責任ではなく、神の思し召しに出来るのならば、これほど楽なこともない。

 誰かや何かのせいにして、生きることは楽なのだろう。


 だが、そこに成長はない。

 失敗に目を背け、悔い改めることもせず、自分が正しいと思い込み、間違っているとは一顧だにせぬ。

 その憐れな成れの果てが、この老人エンテースであった。


「……治療師も様々です。このルイス先生は、異国の技術を、妻スルガより学びました。奇跡は、創傷や感染症を治すことが出来るようですが、外科的な治療は出来ないようですね。それだけでも、このルイス先生がいる意味があると思いませんか?」

「スルガじゃと…!? あの異国のまじない師か! あんな邪教の娘に、高貴なコンソェルフの嫡子をゆだねられるか!」


 ルイスが、それまで閉じていた口を開いた。

 静かな口調だった。


「嫡子ホルトマーは死に、そして、あなたは治療師スルガを殺した。それでも、自分の選択に間違いはないと?」

「邪教徒に、何をか言わんや。ホルトマー様の死も、神の御心によるもの。語るべき何物もないぞ!」

「では」


 ひび割れた岩肌からマグマがあふれ出すように、ルイスの顔にも言葉にも、灼熱の激情があふれ始めていた。


「おまえが、その信念とともに、苦しみ抜いて死のうとも、それも神のご意思として受容するのか!」

「…死ぬものかよ! わしの信心はお前らより深い。『神の御業が我に慈雨を降らせてくださる』」


 僧侶エンテースは、聖句を唱えた。

 奇妙な魔力振動ヴァイブレーションが巻き起こり、奇跡がエンテースの身に起こる。

 老人は、安らかな表情になり、次いで瞳が閉じられた。胸が規則正しく上下している。


「……眠ったか。《慈雨の恩寵》は、体調を正常に戻す力がある。それと麻酔薬の相乗効果で眠りについたんだろう」


 嘆息しつつ、治療師ルイスがそう説明した。奇跡によって一時的に痛みを忘れ、痛みによって繋ぎとめられていた意識が、麻酔薬の効果もあって途絶えたのだ。

 二人は、鎮痛薬と偽って麻酔薬を飲ませたのだった。「手術する」と言っては、この老人は首肯せぬだろうとの目算からである。


「いいんですか。この男は、我田引水…自分の都合に良いようにしか考えぬ愚物です。ここで助けたとしても、治療師の腕が良いのではなく、自分の信心のせいにするでしょう。報われませんよ」

「だろうな」

「私は、こいつを殺してやりたい」


 ミーシャはポツリと言った。ルイスは、驚きに目を見開いた。


「自分がしてやったことにばかり目が行き、出来ないことに対しては誰かの、あるいは何かのせいにする。

 楽に生きようとして、決して戦わない。

 もし、こいつが神の御心のせいにせず、救われぬ人々に目を向けていれば、もっと多くの人が救えた。

 それだけじゃありません。この老人は、人を救うべく努力してきたスルガさんを殺しもした……。それでも、ルイス先生は助けるんですか?」


「そう言われると、私も殺したくなる。……だが、スルガは、治療師であることに誇りを持っていた。どんな人間であろうと区別せずに、癒やすことを自分に課していた。ならば、私もそれに従うだけさ」

「本当に?」

「ずいぶんと、突っかかるな」

「私にはわからないんです。ひどく恨んだ人間を、そう簡単に許せるのか……。憎しみを晴らしたいと思いませんか?」

「許すわけじゃないさ。復讐はきっちりするつもりだ。でも、スルガの『人を区別せず助けたい』という遺志も尊重する……それだけのことだ」


 そういって、ルイスは手のひらを開いてみせる。

 そこには『指輪』が、握られていた。


「あはっ」


 治療師ルイスの意図を理解して、ミーシャは笑った。なんと小気味よい復讐だろうか!


 ***


「それじゃあ、ここで一旦お別れですね。ルイス先生」

「ああ。数日で落ち合うだろうが、元気でな」


 あの後、ルイスとミーシャは、傲慢な僧侶エンテースの外科手術も終わらせ、腹痛の元である回虫の塊を取り出していた。

 処方箋とともに、虫下しの薬や増血剤なども家士ミニステリアーレに渡してある。


「もし、彼らが『虫下し』を飲んでいたら、これほど効果的に、腸閉塞イレウスを起こせはしなかっただろうさ」


 ルイスは、術後そのように語った。

 僧侶エンテースや領主キーロンは、神を信ずるあまり、治療師の手による薬を使ってこなかったのだ。

 それはミーシャの前世で、ある宗教の聖典を信じて、輸血を拒否して死んだ信徒を思い起こさせる。


 そして、ルイスは『虫下し』を飲んでいない領主を狙い撃ちにすることで、宴席に出た他の人々に塁が及ばない復讐を、やり遂げたのだった。


 ゆったりと確かな足取りで、ルイスは自分の施療院へと戻っていった。

 僧侶エンテースが目覚めれば、追手をかけてくるかもしれない。そうでなくとも、この温泉郷に居続けるのは賢いとは言えないだろう。

 治療師ルイスは、ミーシャと一緒に、荷物をまとめて王都へと逃げることにしたのだった。


 ミーシャからしても、腕の良い治療師は貴重だし、ジーネの過去を探りたい事情もある。

 それに、もしかするとルイスの妻は、自分と同じ異世界の魂を持っている人間だったかもしれないのだ。

 ここで縁を切るわけにはいかなかった。


 ミーシャとイレーネは、装備を整えるために、少々遠回りをして、自治都市フェレチへと向かう予定だ。


 ルイスと別れた後、イレーネは傍らにいる弟子のミーシャに語りかけた。


「ところで、《遠見のニューマ》で視ていたんだけど、ルイスが持ってたのって何だったの?」

「ああ…。別に珍しくもない…僧侶なら誰でも持っている指輪ですよ?」


 イレーネは首を傾げてから、はっとした。


「…えっ! もしかして『羊飼いの指輪』!?」

「そうです」


 いたずらっぽい笑みを浮かべて、ミーシャは答えた。


「な、なんてことを…。『羊飼いの指輪』は教会から下賜される大切なものよ? 言わば、僧侶の身分証明なのに、あなたたちは…」

「あれが大切な物なのは分かってます。『飛竜とドレス』で読みましたから。 ……彼、僧侶エンテースが、ルイス先生の妻を殺した張本人だったんです。

 ルイス先生は、『妻の誇りのために、命を奪うことはしないが、復讐は遂げさせてもらう』と言ってました」

「なんとまぁ……」


 そう呟いたきり、イレーネは二の句が継げなかった。


『羊飼いの指輪』は、それ自体に特別な力はなく、ただの銀無垢の指輪である。

 だが、僧侶として一人前になったときに、教会から下賜されるものであって、そのまま僧侶の身を証し立てるものであった。

 だから、信徒が挨拶するときには、僧侶へ敬意をこめて羊飼いの指輪に口付けをするのが慣習となっている。

 その『羊飼いの指輪』を失ったことは、エンテースの今後の僧侶としての活動と面目に大いに悪影響を及ぼすであろう。


(命は取らないけど…そのかわり、僧侶としての経歴キャリアに傷をつけたのね)


 イレーネとしては、その行為に一抹の忌避感も感じる。

 熱心な信徒とはとても言えないイレーネであっても、宗教的に尊敬されている人間に対して、ひどい振る舞いをするべきではないという常識、あるいは固定観念があるのだ。


「ところで……、温泉郷でけっこう目立っちゃったんですけど、自治都市フェレチに、このまま向かっても大丈夫ですか?」


 隣を歩く弟子が、そんなことを言ってきた。

 もともと自治都市には装備を整えるために、行く予定だったのだが、このように大暴れをしては、イングレッドなどが嗅ぎつけてくるかもしれない。


「大丈夫よ。というより、他に道は無いわ。レイミアやアマロとの連絡つなぎをつけるには、自治都市フェレチの街で伝言を拾わなければならないし……」


 それまでイレーネは思案げな表情だったのだが、不意に笑顔をミーシャに向けた。


「それに、予定が遅れたおかげで、冬至祭にいけるわよ」


 イレーネの声が弾んでいた。

羊飼いの指輪……先端の曲がった羊飼いの杖が刻印されている銀無垢の指輪。僧侶の身分証明となるもの。現代に比するなら、弁護士バッジとか、カレッジリングに近い。

年代などによって、微妙に意匠が異なるので、詳しい者が見れば、おおよその素性が分かるものでもある。


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