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42話『手術』・上

次回、8月29日に投稿予定です。

 イレーネが飛翔の翼を使って、『黒絹亭』に戻ってきた時、ミーシャは、自警団の人間と話を終えて、部屋に戻るところだった。

 このとき、イレーネは急いでいたこともあって、腰帯に差し込まれたミスリルの短剣には気づかなかった。


「レイヤ…。ちょっと話したいことがあるの」


 レイヤとは、ミーシャの偽名である。イレーネを見て、ミーシャの顔が華やいだが、真剣な表情を見てとると、その顔をすぐに引き締めた。


「追っ手が来たんですか?」

 声を潜めて尋ねたが、違うらしい。


 ここでミーシャは初めて、ルイスの来歴を知った。

 ルイスは治療術を、妻スルガから学んだ。だが、その妻は、領主キーロンのせいで死に、ルイスは復讐を誓っている。

 そして、ルイスはミーシャの治療術の知識と、妻スルガの知識が同じであることから、同郷であると推測し、生国を聞きたがっていた。


「ルイスは、妻を殺した領主に命を懸けてまで復讐するつもりよ。私は、彼を助けたいわ」


 ミーシャは、イレーネのこういう優しさが好きだった。イレーネにとって、ルイスは何の関わりもない人物である。それなのに助けたいと思い、行動する。

 ミーシャもまた、イレーネの優しさに救われた人間だった。

 だからこそ。


「……助けます。私は、復讐を否定しません。それは、社会が裁けぬ不公正を裁くこともあるのだから。だとしても! ルイス先生を私は殺させません!」


 鋭気をこめて、ミーシャは言った。

 治療術は、ジーネの過去に関わるものかもしれない。またスルガは、イチノセと同じ前世持ちかもしれない。

 だが、それを抜きにしても、ミーシャもルイスを助けたかった。


「ルイス先生は、この国にはない治療術を持っている。この世界を、より良くする力を持っている。それをこんなところで、失わせやしません!」


 ***


 ルイシーズ・エンジェンロウが帰ってきたとき、施療院の前に銀髪の少女はいた。

 少女は立ち上がり、その身に生気と鋭気をみなぎらせている。


「……」

 ルイスは、何を言うべきか分からなかった。この少女は、明らかに“何か”を決心している。


「……復讐に行くつもりなんですね」

「…師匠に聞いたのか。まったく魔術師ってやつは…」

「ついていきます。…私ならば、手術の助手が出来ます。いや、私でなければ、できません」

「……私は、殺されに行く。…ミーシャまで、死ぬことはない」


 ミーシャは、一歩、ルイスへと近づいて言った。


「…ルイス先生は、私の生まれ故郷を知りたいのですよね? あなたの愛する人の生まれを知りたいと…何故ですか?」

「……愛する人を知りたいと思う。それが変なことかい?」

「いえ…」


 ミーシャは、頭を振った。


「私の生国を知りたいのなら、一緒に来てください。……ルイス先生の返答がどっちだろうと、領主の館についていきますが」

「強情だな」

「…そうですよ。 しつこいので観念してください」


 ***


 領主の館は、壁に蔦が走る広い邸宅であった。

 当然、治療師ルイスも魔術師ミーシャも、正面から入っていくつもりはない。

 ミーシャは《飛翔の翼》で壁の上に立ち、ルイスを引っ張りあげて、侵入する。

 館内は、バタバタとした慌ただしい空気が漂っていた。ルイスが盛った薬で、領主キーロンが病臥しているからに違いない。


「キーロン・コンソェルフ卿ですね」


 ルイスが扉を開きざま、そう確認した。ミーシャもすぐ後ろにつけている。

 領主のいる部屋はすぐに分かった。二人の番兵が扉の前に詰めていたからである。

 番兵は、衛兵の格好をしたルイスが注意を引きつけている隙に、ミーシャが《昏睡の掌》で無力化していた。


「……賊か」

 領主キーロンは、低いバリトンの声で、短く、問いただした。

 頭が禿げ上がり、頭髪の名残が、側頭部と後頭部に残っているだけだ。

 豪奢な天蓋付きの寝台ベッドに体を沈めていることからして、体調を崩しているのは間違いない。


「いや、復讐者だ」

 悪びれることもなく、ルイスが言った。


「お前が処刑した治療師スルガの夫。ルイシーズ・エンジェンロウだ。覚えていないのか?」

「……覚えている。だが、夫がいたとは……」


 奇妙に反応が鈍い。鎮痛の奇跡によるものらしい。

 ルイスが話している間にも、ミーシャは、番兵を部屋の中に引き込み、扉に閂をかけている。


「それで、今更、私を殺しに来たのか」

「少し違うな。お前は、昨日の宴で、イルカを食べただろう?

 その中に、腸閉塞イレウスを引き起こす薬が、仕込んであった。今頃は、お前の腸の中で、回虫が絡まりあって『塊』と化しているだろう」

「たしかに、早朝に腹痛を感じはしたが……僧侶の”奇跡”で、もう収まっている…」

「ハン」

 ルイスは嘲笑した。


「僧侶の”奇跡”は、確かにすごかろうよ。だが、傷を癒やし、病を癒やすことが出来ても、回虫の塊を消すことは出来ん。 今、お前が無事なのは、ただ鎮痛の奇跡を受けているからに過ぎない」

「…そうか」

「私がここに来たのは、お前に選択を迫るためだ。

 ひとつは、お前が拒絶したスルガの手術の業を信じて、腸に詰まった回虫の塊を取り出してくれと、頭を下げて私に頼むか。

 もうひとつは、あくまでも手術を拒み、腹を腐らせるか」

「……」

「私の復讐とは、このことだ。お前が、どちらを選んだっていい。スルガを認め、謝罪して生きるか、あくまで認めずに、腹を腐らせ死ぬかだ」


「……ここから逃げられると思っているのか。 それに、未来あるお前の娘を、復讐の道連れにするつもりか」


 領主は視線をプラチナ・ブロンドの少女に向けた。

 ミーシャの事を、ルイスの娘と思ったらしい。


「や、私は、ルイス先生の娘ではありません。……見届け人ですよ。領主閣下。

 ルイス先生は、この国にない治療術を持っています。それを私は失いたく無いんです。ここに居るのは、ルイス先生をいざという時、助けるためです」


 領主キーロンは、眠そうな目を見開いて、初めて驚きの表情を示した。口を開いたが、言葉を生み出せずにいるようである。

 ルイスは構うこと無く、話を続けた。


「キーロン! 選択の前に、ひとつ訊いておく。 なぜ、スルガを殺した!

 たとえ、聞いたことのない治療術だとしても、そもそも僧侶では治せないから、息子を救いたいから、呼び寄せたはずだ!」


 ルイスは耐え切れず、領主キーロンの襟元を掴んだ。

 鎮痛の奇跡の効果なのか、キーロンの反応は鈍い。


「それほどまでに腹を開くのが、恐ろしかったのか? それとも異国人に頭を下げるのが、それほど嫌だったのか!」

「…あれは、私の下した指示じゃなかった」


 襟元を掴んだルイスの手に力がこもった。領主は咳き込んだが、悪びれない。


「……しかし、積極的に反対もしなかった。あれは、僧侶エンテースの仕業だ。奴にとっては、自分の領分を侵される思いだったのだろう。

 もし、自分の奇跡で治せず、治療術で治されれば、お払い箱になると思ったかも知れん」

「僧侶だと……」


 ルイスは呆然として、掴んだ手を話した。拳一つ分ほどの距離を落下して、領主の体がやわらかなシーツに受け止められる。

 息をついて、領主は続けた。


「そうだ。僧侶エンテースは、当時、病に苦しみ、思慮を欠いた状態にあった息子ホルトマーに讒言ざんげんしたのだ。おそらく、異国のあやしげな術に頼れば、魂に罪科がつくとでも脅したのだろう。

 息子は、異教徒の女を殺せとわめき、それを僧侶エンテースは、主命として実行した。私も、それを知っていたが、止めようとしなかった」


「…………そうか」


 深刻な沈黙を経て、ルイスはそれだけを言った。

 その話が本当だとしたら、領主よりも、僧侶エンテースの方が、より直接的に仇ということになる。


「結局、息子は苦しみ抜いて死んだよ。 私が死んだとて、分家が継ぐだろうが、血筋は途絶えるだろう。ルイスとやら。 もし、恨みに思うのなら、私を殺せばいい。

 確かに、私は人が羨むほどの奢侈しゃしと栄華の人生を生きてきた。

 だが、変わり映えのしない酒宴に、近寄ってくるのは、権勢のおこぼれにあずかろうとする犬ばかり。息子が死に、未だ子にも恵まれぬ。私の心は空虚だ」


 静かな言葉は、しかし、それゆえに死を前にしたものの諦念を思わせた。


「死にたいと言えば嘘になるが、それが運命なら、受け入れよう。さぁ、どうするね?」


 領主の眠たげに見えていた目は、よく見れば、木のうろのように、底知れぬ暗渠を湛えていた。


「待ってください」


 ミーシャが声を上げた。


「私達は復讐に来ましたが、殺しに来たわけじゃありません。私達が望むのは『選択』です。謝罪し、手術を受けるか。あるいは下らぬ誇りに殉じて、死ぬか」

「それに、エンテースのことも、話してくれ」


 ルイスが付け加えた。

 瞳に、復讐の炎が宿っているままだ。


「エンテースは……、おそらく私と同じ目にあっているだろう。私と同じくらい…イルカの肉を食べたからな。朝、挨拶に来た時も体調が悪そうだった」


 領主キーロンは、溜息を吐いて、視線を宙に彷徨わせた。


「謝罪してほしいというなら、謝罪しよう。すまなかった。腹を切り裂くというのなら、それでもいい」


「……」

 ルイスは言葉をつまらせたようだった。釈然としないまま、領主を睨んでいる。

 両者を等分に見つめて、ミーシャは咳払いをした。

 二人の間には、互いに意図にずれがある。第三者たる自分がそれを是正すべきだろう。


「領主閣下。何についての謝罪でしょうか?」

「…むろん、この男の妻を殺したことだ」


 ミーシャは首を振った。それでは、復讐をする甲斐がない。


「それでルイス先生は満足かもしれませんが、私は納得できかねます」

「何だと?」

「今後、同じようなことがあれば、あなたはまた誰かを見殺しにするでしょう。私は復讐を否定はしませんが、それが未来へと繋がらなければ、復讐をする価値がない」


 領主は一瞬、呆然とした顔でミーシャを見つめた。

 そして、突然に笑い出した。


「ハハハハッ! 復讐する価値か。面白いことを言う。

 そんなことなど、考えたこともなかったぞ。…復讐を見届けるために来て、苦言を呈するとは、奇妙な娘だ。

 ……確かに、周囲に流されて反対をしなかった私に罪があろう。今後、生き延びられたら、無為に誰かを死なせることはしないと誓おう。

 ……それで、良いかな?」

「ええ」


 ミーシャは頷いた。

 そして、ルイスに問う。


「どうですか? ルイス先生も謝罪を受け入れますか?」

「……」

 ルイスはすぐには、答えなかった。

 瞳を閉じて、思いを馳せるようである。


「……受け入れよう。妻のスルガもきっと、そう望むだろうから」


「では。領主閣下。ルイス先生を、この城館の皆に紹介してください」

「なに?」


 声を上げたのは、ルイスだった。これでは侵入者の自分を知らせるようなものではないか。

 むろん、ミーシャは説明をする。


「手術には時間がかかります。ましてや、僧侶のエンテースや、他に手術が必要な人間がいるとすれば、隠し通せるものではありません」

「要するに、私が正規に呼び寄せた治療師として、皆に紹介せよと?」

「そうです」

「フフフ…。まったく、面白い。そなたの名はなんという?」


 ミーシャは、この時ばかりは完璧な淑女の礼をして、答えてみせた。


「レイヤですわ。領主閣下」

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