41話『温泉回』・中
次回、8月20日更新予定です。
(ここ最近のおれは、ついている)
オルタモルは舌なめずりした。
彼の運勢が向上を果たした分水嶺は、岩塩窟を襲うためにジーフリクに雇われた時だろう。
オルタモルは、その際に、この少女に襲われ、命からがら逃げ出したのだ。
その後、彼は少女の顔を覚えていたためにアイヴィゴース家に協力し、一時は、この『銀色の髪の乙女』を捕まえることが出来た。
といっても、情報を提供しただけであったから、ミーシャが、このオルタモルの顔を直接見たわけではない。ミーシャが覚えていないのも無理からぬ事であった。
ともあれ、オルタモルは、その功によってミスリルの短剣と、金貨五枚を下賜されたのだった。
オルタモルは、手に入れた金貨五枚を銀貨以下の貨幣に両替すると、さっさとその場から逃げ出し、古巣である自治都市フェレチへと舞い戻っていた。
交易都市フンボルトは、未だ戦争の気配が色濃く漂っていたからである。
オルタモルは戦争に巻き込まれるなど、まっぴらだった。
そして、オルタモルはフェレチでの豪遊を楽しんだ。そして、ふと、近くにある行楽地の『温泉郷』に行こうと思い立ち、こうして足を伸ばしたのである。
すなわち、ここで『銀色の髪の乙女』ミーシャと出会ったのは、完全に偶然であった。
(やはり、おりゃあ、運が向いてきている)
同行者がひとりいるが、明らかに庶民で、脅威には成り得ないし、どうやら人目につかない露天風呂に行くらしい。
男は、後を尾けながら、密かに喜んだ。この女をアイヴィゴース家に引き渡せば、今度は金貨五枚どころではない褒美がもらえるだろう。
裸になるということは、武器も持たぬということである。
(大丈夫。こっちには、この『ミスリルの短剣』がある。魔法陣を構築してから襲いかかりゃあ、絶対に、負けっこねぇ!)
こうしてオルタモルは、自分では準備万端整えたつもりで、ミーシャの前に現れたのだった。
以前、オルタモルは、少女の操ったオーガに殺されそうになった事もあるのだが、愚者というのは順境にあれば、たやすく調子にのる生き物である。
かつて、苦杯をなめさせられたことも忘れて、オルタモルは意気盛んであった。
「『銀髪の乙女』ぇ!」
《雷霆》の魔法陣を構築して、隠れていた茂みから、飛び出して叫ぶ。
少々、声が上擦ってしまったのが残念だった。
銀髪の少女は、泰然として立ち上がった。
「久しぶりだな。私を捕まえに来たのか?」
その様子に、オルタモルは、気圧された。
不意の出来事に固まるか、あるいは、後ずさるものと、無意識のうちに想定していたのである。
ここにきて、ようやくオルタモルは、自分が相手しているものが、並ならぬものであることを思い出していた。
だが、もう後には引けない。
銀髪の少女はタオルを巻いて、裸身を隠しているが、そのタオルも、お湯によって張り付いており、その見事な肢体の曲線を明らかにしている。
下卑た欲情に勇気を得て、オルタモルは思わず一歩前進した。
あの時し損なった”味見”を、出来るかも知れぬと思ったのである。
「おっと! 変な気は起こすんじゃねぇーぞ? 小娘が。いくらお前が魔術師だろうと裸ん坊じゃあ、こっちがこの《雷霆のクォーラル》を撃つほうが速いぜ。さぁ、ゆっくり、こっちへ来るんだ」
「……」
銀髪の少女は何も言わず、温泉から上がった。
流麗な眉目が顰められ、鋼色の瞳に苛烈さが漂っているが、オルタモルは気づかなかった。
オルタモルの視界の端に、太った中年女が逃げ去るのが映ったが、美しい獲物を目の前にして、気にも留めなかった。
オルタモルは、またも舌なめずりをする。
「よーし。いい子だ。 俺の《雷霆のクォーラル》は特別製なんだぜ。命を奪うことはねぇが…痺れて動けなくなるんだ」
そう言って、オルタモルは品のない笑い声を上げた。
「それだけじゃねぇ、意識ははっきりしてるし、声だって出せる。俺は、こいつで随分、いい思いをしてきたんだ。分かるだろ? オメェみたいな魔術師だって、動けなくなれば、ただの小娘と同じよ」
「へぇ。それは面白いな」
あろうことか、この少女は興味を示した。挑発するでもなく、単に興味を刺激されたかのように振舞っている。
またしても想定を外されてオルタモルは、密かに狼狽した。
「私のような魔術師をどうやって、捕獲し続けるつもりなのか、気になってたが、その魔術で体を痺れさせ続けるというわけか」
「おう。そうよ」
オルタモルは、さも当然だというように鼻を鳴らしたが、実のところ、この少女をどうやって捕獲し続けておくかは何も考えていなかった。
冒険者の嗜みとして麻縄は持っているが、それなりの魔術師ならば、魔術で簡単に切断することが出来てしまう。
魔術師を囚え続けるのならば、せめて金属製の手錠がほしいところだった。
また、この発言は、オルタモル自身の無知を晒していた。
ミーシャは、魔術師を捕らえるならば、『魔力封じの腕輪』などの高価な品を除けば、手足をがっちりと固める以外にないと考えていた。
手足が動かなければ、当然魔法陣を描くことは出来ないからだ。
ましてや、《雷霆》の魔術で痺れさせ続けるのは、非現実的である。身体への悪影響を置くとしても、頻繁に魔術を打ち続けなければならない。
なにより、《昏睡の掌》という人を眠らせる魔術があるのだ。《雷霆のクォーラル》などを使うことはない。
ミーシャは、この会話によって、男が愚かであること、《昏睡の掌》を使えない魔術師未満の人間であることを見抜いていた。
そして、このような人物が一人で、自分の目の前にいることから、仲間がいないことも推察している。
ミーシャは敵を見切ったが、そうとは知らないオルタモルは、自身の優位性を信じて、居丈高に命令してくる。
「へっへっへ。それじゃあ、そろそろ、そのタオルを取って貰おうか? ストリップ・ショーだ!」
対する銀髪の少女の答えは、冷笑を含んだものだった。
「さっきから聞いてると、お前は、私をいたぶるつもりのようだが……本気か? お前のそのナリで、この私を? 鏡を見たことがあるのか?」
「なに、生意気言ってやがる! 痺れたくなけりゃ、言うことを聞け!」
少女は失笑した。
あてつけるように。
タオルに、手をかけている。
「いいのか? 本当に? 柄にも無いことを望めば、手痛い代償を払うことになるぞ?」
「ごちゃごちゃ御託を並べてんじゃねぇ! 良いからタオルを取って、肌を見せろ。 手で隠すんじゃねーぞ?」
少女は溜め息をついて、タオルを掴んだ。
しかし銀髪の少女は、この期に及んで、どこまでも挑発的だった。
「御託を並べているのは、お前だ! お前ごときが、私の裸身を見たいだと? 身の程を知れ! 愚昧な臆病者め! その貧相な魔術を撃つ度胸もないくせに。 さぁ! 撃てるものなら撃つがいい!」
オルタモルは、もともと我慢強い方ではない。その彼が、少女にストリップショーを強要したのは、この女が屈服するところを見てみたかったからだ。
だが、この少女は一向に恐れ入ったりしなかった。
一瞬で、オルタモルの怒りが煮えたぎる。
「うるせぇー! ぶち殺してやらぁ!」
余裕をなくしたオルタモルは、ミスリルの短剣で魔法陣を発動させる!
その一瞬。
視界が暗くなった。
衝撃が、オルタモルに突き刺さる。
――気がついた時には、オルタモルは大地に倒れ伏していた。




