40話『Long Goodbye』・下
次回更新は、8月13日予定です。
治療費が払えないと言って、ルイスは治療師スルガの助手を務めるようになった。実のところ、治療費を工面しようとすれば、出来ないこともなかったという。
だが、その頃すでにルイスは、スルガに惹かれていたのだった。
「スルガは、奇妙な服装をしていた。遠く東から来たと言っていた。
彼女は、小さなナイフを振るって、俺の腕を切り開き、骨を元通りにして、腕を完璧に治したんだ。そして驚くことに、何の痛みも感じなかった! 腕を切り開かれながら、私はスルガと話さえしたんだ!」
「私は心から打ち震えたよ。彼女に感謝した。そして、その思いはいつしか、恋心へと変わっていたんだ。スルガは、素晴らしかった。神秘的な美貌だが、笑顔になると、とても可愛らしくてね。私は、一瞬で恋に落ちたよ。どうにかして、笑わせようと必死だったな」
ルイスは懐かしむように、遠くを見た。幸せな時間を反芻しているのだろう。
「スルガは優しかった。貧乏人からは、鉄貨一枚とて貰おうとしなかった。気風が良くてね。困ったときにも、困ったなんて言わないような女性だった。知れば知るほど、好きになっていった。『運命の人』って言うだろう? 馬鹿にしてたが、まさしくスルガは『運命の人』だった」
「運命の人ね……」
ふっとイレーネは自分の弟子の顔が思い浮かんで、小さく頭を振る。ありえないことだ。
ルイスは話を続けた。
「必死に頼み込んで、治療術を手伝った。暴れることもやめた。ただ、そばに居たかったんだ。一年くらい経ったあと告白して、一度は断られた。自分が異国人だからと言ってね。でも、そんなことは構いやしない。何度も押して、ようやく結婚できることになった」
根堀りが終わった。トリカブトの根を籠に放り込み、イレーネを促して、尾根伝いに山を登っていく。
話はまだ続くようだ。
「結婚したとなれば、今までのように遊んでいるわけにもいかない。
スルガは治療師として優秀だったが、異国人ゆえに、あまり信頼されなくてね。患者は多くなかった。それなのに治療師の手伝いだけして、養ってもらうわけにもいかないしな。そこで、冒険者として出稼ぎに出るようになった」
さほどもしない内に、小高い山の頂上へとつく。そこに、大きな石が置かれていた。
つるりとした外観の石で、文字も何も刻まれていない。
「ここが、妻の墓だ」
治療師ルイスは、聖印を結んで目を閉じる。
イレーネも従いつつ、死者を悼んだ。
それにしても、なぜ、墓地ではなく、ここに墓石があるのだろうか。
「……どうして死んだの?」
「死んだんじゃない、殺されたんだ!」
今まで静かだったルイスの声に、熱がこもった。
「出稼ぎに行っていた間、スルガは領主に呼び出された。領主の息子の病を治してくれと言ってな。城付き僧侶でも、その息子の病気は治せなかったんだ。
スルガは、外科手術するしか無いと進言した…! だが、それが領主の怒りを買った!」
(…ありうる話ね)
この国では、投薬による治療はあれど、腹を切り裂いて治療する業はない。いきなり言われては、イレーネでさえ戸惑うだろう。
まして迷信深い、ただの人間では!
「骨が突き出るほどの怪我を治したのも、スルガの手術だ。今じゃ、なんの障害もない。
だというのに! 試してみることもせず、ただ進言したというだけで、領主は妻を殺した!!」
ルイスの口調が荒くなっていた。
私ではなく、俺という一人称を使っている。
「墓地にすら埋葬されず、俺が帰った時には死体すら焼き尽くされていた! これを許せるか! 俺は復讐してやると誓った!」
「それじゃあ、この墓には…」
「妻の遺品が眠っている。骨の一つとして眠ってはいないが、それでも妻の墓だ」
興奮した気持ちを抑えるように、ルイスは拳を握りしめて続けた。
「復讐のために、俺はこの温泉郷へと来た。妻の仇は、いつもこの時期に、温泉郷に逗留するからな」
イレーネは密かにマナを励起しはじめた。
「今日採った植物……トリカブトに、ベラドンナ。どちらも有名な毒草だわ…。あなたの仇敵は、今、温泉郷に来ている領主キーロン・コンソェルフね? そして、彼を毒殺するつもりなのでしょう? この毒の根を使って」
イレーネの指先に魔術光が灯る。
だが、ルイスは薄く笑った。
「前半は正しいが、後半は外したな。
確かに妻の仇は、今、温泉郷に来ている領主キーロンだ。だが、毒殺しようとして、トリカブトとベラドンナを集めたわけじゃない。正真正銘、薬として使うつもりでね。…それにもう遅い。」
「遅い……? …どういうこと?」
「ああ。この前、海からイルカが運ばれてきただろう? 山奥の温泉郷にありながら海の幸を食うのが、最高の贅沢ってことらしいな。俺は、そのイルカの泳ぐ桶に、薬を投げ込んだんだ」
「…すでに、領主を毒殺したっていうの?」
「いいや。投げ込んだのは、寄生虫である回虫を活性化させて、一塊にする薬だ。つまり、回虫を腹の中に詰まらせて、腸閉塞を起こさせる薬だ。運が良ければ助かる」
ルイスは、手を広げた。
「……これが、『復讐』だ。
ここらで、手術して腸閉塞を治せるのは俺だけだ。奴は、キーロン領主閣下は、自分が否定したもののために、自らの命を救えずに死ぬのさ」
ルイスは、引きつったように笑った。不健康な、熱に浮かされた哄笑だった。
イレーネは魔術光を消して、腰に手をおく。
「すでに…準備は終わらせていたということね。……だとしても、私に、このことを話した理由は何? 私は何も知らなかったわ。知ったとしても、手術の知識は持っていない。あなたを止める手立ては何もないわ」
「…そうだな。いろいろ理由はあるが、話を聞いて欲しかったんだろうな。
そして、話はまだ、終わりじゃない」
***
領主への復讐を吐露したルイスは、続けて自分の半生を語り始めた。
どうしても、語りたいらしい。
「妻が領主に殺されてずいぶん経った時、施療院に、一人の患者が来た。妻が殺されたことを知らず、わざわざ遠方からな。
初めは追い払ったんだが、つい、同情してしまってね。見よう見真似の業だったが、どうにか治してやることが出来た」
何も書かれていない墓石を見つめながら、ルイスは語り続けた。
「それが、きっかけだった。妻は人を救えることを無邪気に喜んでいた。そのスルガの心を理解できたように思った」
「その頃の俺は…自分の浅ましさに荒れていた。
スルガを『運命の人』と思っていたのに、だんだんと記憶が薄れていくんだ。いつの間にか、その声も笑顔も、思い出しにくくなっていった。
辛かったよ。
でも、スルガの残してくれた本や、日記や、診療記録を読んでいる間は、スルガを近くに感じることが出来た。
スルガを思い出すことができたんだ。
女々しいって笑ってくれてもいいぜ。時には、涙を流してまで、俺はそれを読みふけったんだ」
「……」
「スルガを近くに感じ、いつしかスルガの知識が自分のものになった。患者も増え、自分が治療師と言われるまでになった。こうして、冒険者ルイシーズ・エンジェンロウから、治療師ルイスが生まれたんだ」
ルイスは、立ち上がって、イレーネを見た。
これまで、ずっと墓石の前でひざまずいていたのだった。
「ここに来る度に、いつも俺はスルガに語りかける。だが、それでも…やはり少しずつ……スルガとの思い出が消えていくんだ。
俺が、復讐をしようとしていることもスルガに話した。けれど、まぶたに浮かぶ妻は沈黙したままだ。
スルガは俺に、領主キーロンへの復讐を求めているのか。
それとも、俺に、もっと多くの人を救えと言っているのか。
……分からないんだ」
「それは…」イレーネは言葉に詰まった。
「別に師匠さんに、聞きたいわけじゃない。
聞きたいのは、別のことだ。夫なのに、スルガの生国すら俺は知らない。だが…ミーシャ、あの娘は、スルガの生国を知っているんだろう?」
「……どうしてそう思うの?」
「俺がスルガから教わった治療術は、この国のものとはかなり違う。ただ…ミーシャ、あの娘は、その治療術が正当なものだと知っていた。つまり、ミーシャは、スルガと同郷、もしくはスルガの生国を知ってる人間なんだろう?」
「なるほどね……。でも、どうして私に訊くの? 本人に訊けば済むでしょう?」
「訊いたが、答えなかった。……あんたらが、追われているってことは百も承知だ。答えにくいのも分かる。だからこそ、俺の秘密を話したのさ」
「秘密を話したから、こちらも秘密を話せって? そんなもの、私に何の得もないじゃない」
「フ…」ルイスは乾いた笑いを漏らす。
「俺がしたいのは……、『一生に一度のお願い』さ。あんたらはきっと、お人好しだからな……。俺の『お願い』を聞いてくれる。ここまで話した本当の理由はそれだ」
「あなたの主観にケチを付けるつもりはないけど、それは……」
イレーネの言葉を、ルイスは途中で遮った。
「俺は、領主に謁見して『全てを明かす』。妻が殺されたことも、復讐のこともだ」
「なっ…、そんな事をすれば…」
イレーネは絶句した。
それが本当なら、わざわざ領主に、殺されに行くようなものだ。
「そう…殺されるだろうな。だから『一生に一度のお願い』なんだ。 もう、死んだっていい。俺は死んだっていいんだ。
復讐こそが、俺にとっての『救済』なんだ。
ただ…そこで、スルガの生国を知っているらしい人間に出会った。どうせなら知ってから死にたい。末期の頼みだと思って、教えてくれ」
ルイスの眼に力強い光があった。
死地に向かうゆえなのか、目だけがギラギラと苛烈な光を放っている。
イレーネはたじろいだ。だが、答えられなかった。
ミーシャ・イチノセの生国は、師匠の自分でさえ知らない。
「悪いけど…知らないわ。イチ…ミーシャと会ったのは、彼女がこの国に来てからだもの」
「…………そうか」
操り人形めいた動きで、ルイスは立ち上がり、歩み去ろうとする。
「……なら、それでもいいさ。ああ、心配しなくていい。このベラドンナもトリカブトも、毒として使うわけじゃない。これは麻酔薬だ。痛みを感じること無く、手術をするための薬でね」
「……領主のために?」
「ああ。……手術すれば、治せるからな。…さっきも言ったが、俺の復讐は、領主自らが救いの手をはねのけることで完成するんだ」
「……」
「話を聞いてくれて、ありがとう。最期に、自分の胸の裡を、誰かに話しておけて良かった。もう一度言うが、ありがとう」
「待って!」
立ち去ろうとする治療師を、イレーネは呼び止めた。ここで終わらせる訳にはいかない。
「人は、どんなに仲良くなったって、心の奥の底はわからないものよ」
「……何の話だ?」
ルイスは歩みを止めて、肩越しに振り返った。
「あなたの奥さんが、どんな人間かなんて、永遠に答えの出ない問題だってことよ。復讐を望んでいるのか、人を助けたいと望んでいるのかなんて、永遠に答えなんて出ないわ」
大声で言った。
そして、言い切らなくては。
「問題は、あなたが愛したスルガを、どちらの姿で覚えておきたいかよ! 復讐を望むスルガなのか、人を助けるスルガなのか。
どちらの妻を、あなたは愛してるの?」
ルイスは下唇を噛んで黙ったが、さして長い時間ではなかった。息をついて平静な声で答える。
「……そうだな。温泉郷に戻るまで、ゆっくり考えるとするよ」
話を拒むように片手を上げて、ルイスは、木々の向こうへと消えていった。
***
イレーネはマナを励起し、魔法陣を構築する。根の詰まった籠を下ろし、《飛翔の翼》を広げた。
この魔法の翼で、ルイシーズ・エンジェンロウに先回りするために。
・イルカ食について
……実際に、中世のヨーロッパでは、イルカはご馳走として食べられている。そのほか、クジラを食べることも多かった。現代に比べ、一般的に近代以前の社会では、ジビエに頼る面が大きい。
おそらくは現代に比べ、狩猟採集の要素が色濃く残っていたからだと思われる。




