39話『性と愛と恋』・下
大変、お待たせいたしました。
神様から言われて、ちょっと異世界救ってました。
次回、8月6日更新予定です。
ルイスは、温泉郷でも指折りの治療師である。
だが、彼の正体を知っているものはいない。彼自身、それを隠していたからだが、ルイスには姓がある。
ルイシーズ・エンジェンロウ。それが彼の本名だった。
「ルイス先生。これでいいですか?」
「ああ。さすがに魔術師は手際がいい。うまいこと、ルバーブの根を凍結乾燥させているな」
銀髪の美しい少女の問いかけに、ルイスが褒めた。
この少女は最近、半ば押しかけてきて、治療師ルイスの許で手伝いをしている。かかった治療費を少しでも浮かせたいのだという。
ルイスが試しにやらせてみると、少女は、妙に筋が良かった。
少し教えただけで、粉砕機や煆焼器を使いこなす。魔術による凍結乾燥もお手のものだ。
詮ないとは思いつつも、ルイスはこの銀髪の少女ミーシャの来歴が気になりつつあった。
「どこかで、治療師を手伝ったことがあるのかい?」
「あるような、ないような……。一応、師匠は錬金術士で、使うところは見てましたけど……」
口篭るところを見ると、なにやら、このミーシャも『訳あり』のようであった。
ルイスの許には、このような患者が来ることも珍しくない。
「金にがめつい」という悪名が、「金ずくで誰でも治す」という評判に変化しているのか、人目をはばかる者が治療に訪れるのだ。
ルイスはむろん、そういう患者には高い料金をふっかけてやる。それでよいと思っていたのだが……。
(……どうも、良心の疼きを感じるな)
横目で、乳鉢と乳棒で薬種をすりつぶすミーシャを見ながら、ルイスはそう独りごちた。
治療師という職業は、なにかと疑念の目で見られがちである。
司祭が権杖を振るって”奇跡”を起こせば、病人はたちまちに治るのだ。一方、治療師にはインチキまがいの者も多い。
縁故か、多額の喜捨がなければ、高位の僧侶に診てもらえないがために、治療師に需要がなくなることはない。だが、即効性のない治療師が卑賤とされるのは、当然のなりゆきであったろう。
なのに、この少女は、自分を「ルイス先生」と敬称付きで呼ぶ。本当に敬ってくれているのが分かる。
それが、ルイスをして、罪悪感を感じさせていたのだ。
「どうして、君は、私をルイス先生と敬うんだ?」
「私を治してくれてますし、優秀な治療師です。それだけで敬う理由になると思いますが……」
「自慢じゃないが、私は世間からは、金にがめついとか、信仰心が足りないとか、言われてるんだぜ?」
「でも、貧乏な人からは、お金を取らないという話も聞いてますよ。鵞鳥一匹でいいと言われたとか」
ミーシャは手を動かしながら、何でもないことのように言った。
「それに、治療にはお金がかかります。貧乏人に安く治療を受けさせるなら、裕福な人には高い料金を課さざるを得ません。
…まぁ、ふんだくられた側としては、複雑な気持ちですけど」
最後は肩をすくめて、ミーシャはおどけてみせた。
「……まいったな」
ルイスは、無精髭の生えた顎を撫でた。
確かに、その通りだった。
他の治療師なら、もっと安く治療してくれると文句をいう輩もいる。だが、彼らが安く請け負えるのは、実際には治療していないからだ。
役に立たぬ聖句を唱えたり、まるで効果のない偽薬を与えたり、頻繁に診察したり、病除けの護符を売るなどすれば、上手に、そして楽に儲けることができる。
ルイスには、それは出来なかった。……亡き妻は、人を騙して金を儲けることを決して赦さないだろう。
「私からも質問があるんですけど、いいですか?」
「なんだい?」
「どうして、聖句を唱えないんです?」
「どうして、と言われてもな……」
「ルイス先生は、瀉血もしませんよね?」
「ああ。私の流儀じゃないからな」
(こいつ……)
内心、ルイスは身構えた。ミーシャの物言いが探るように聞こえるのは、後ろ暗い点があるからだけではないはずだ。
「いえ…」
ルイスの様子が、変わったことに気づいたのだろう。ミーシャは口篭った。考えこむような沈黙の後、ミーシャは口を開いた。
「他の治療師は『聖句』を唱えることも、『瀉血』を行うことも、ごくごく一般的に行っています。けれど、ルイス先生は、それらが役に立たないと知っている…。どこで、治療術を学ばれたんです?」
(……俺の正体に気付いているのか…?)
ルイスの心中に警鐘が鳴り響いていた。
この温泉郷にルイスが根を下ろしたのは、湯治客を目当てに治療するためではなかった。
彼は復讐者だった。
(俺がここにいるのは――)
無意識にルイスは拳を強く握っていた。
(――妻を殺した奴らに復讐するためだ。そのためには、どんな瑕疵も残してはならない!)
「治療師にとって、治療術は飯の種だからな。そうそう教えたりはできないもんさ。悪いね」
「そうですか……」
ルイスは内心の嵐とは、まったく逆の平静を装って、そう答えた。
一方、ミーシャからしてみれば、彼の治療術はまっとう過ぎる。迷信じみた治療行為をまったくせず、現代医学ともさほど距離をおいていない。
つまり、ミーシャは疑っていたのだ。
この無精髭の男は、自分と同じ異世界人なのではないかと。
「なんで、そんなことに興味を持つんだ? ずいぶんと、治療術に詳しいような口ぶりだが……、将来治療師にでもなる気かい?」
「ええと……」
ミーシャは一瞬の逡巡の後、口を開いた。
「私は…この世界の人間ではないんです。治療術については素人ですけど、この世界には無い知識を、提供できるかもしれません。といっても、基本的な原理のみですが」
「私に治療術を教えてもらうのではなく、教えるっていうのかい?」
ミーシャはあえて『世界』という言葉を使ったのだが、ルイスは苦笑いを浮かべるだけだった。
異世界人なら、何らかの反応があっても良いはずだ。
となれば、可能性は二つ。
まったくの見当違いか、あるいは……ルイスの関係者が異世界人か。
「ルイス先生の治療術の師は、どのような人物でしたか? もしかして、この国の人間とは少し違っていたのではありませんか? 違う世界の言葉を話し、違う世界の知識を持っていたのではありませんか?」
変化はあからさまだった。無精髭の治療師は表情を消し、平静さを装いきれない硬い声を出した。
「どうして、そんなことに興味をもつんだ?」
***
ルイスは改めて、目の前の銀髪の少女を見やった。
少し前まで好感を持っていた少女が、いまや化生の存在に見える。
(まさか……、本当に勘づいているのか……? 復讐を始めた……この土壇場で? だが、今更……邪魔をされてたまるか!)
すでに、最初の仕込みは済ませている。もう、『復讐』は回り始めているのだ。
今更止まることなど、できようはずがない。
――このとき、ルイスの猜疑心は過剰だった。
土壇場だというのに、ルイスは素性に気付かれたのではなかった。土壇場であったからこそ、猜疑心が、居もしない敵の影を捉えたのである。
ミーシャが探していたのは”異世界人”だけだった。ルイスの素性には何の疑念も持っていなかったというのに。
……そのミーシャの続く一言が、ルイスの心を三度、掻き乱す。
「あなたの治療術の師と、私は、同郷かもしれないのです」
「馬鹿な……」
ありえないことだ、とルイスは思った。
肌の色からして違う。妻であるスルガは、褐色の肌だった。雪のように白いミーシャとはまるで違う。
……だが、もし本当だとしたら?
「……同郷だと思う根拠は? 治療術が似ていたというだけだろう?」
「加えて、瀉血や聖句など”余計なこと”をしていないからです。それは、この国で洗練されてきたものではなく、どこか別の場所から『移植』されたことを示してます」
ルイスの徐々に増す剣呑さに気付かないミーシャではない。
だが、ミーシャにも退くことの出来ない理由がある。
「この国に来て、私は運良く今の師匠と出会うことができました。けれど、同郷の人が私と同じように幸運だったとは限りません。
もし、ルイスの師が同郷の人ならば、どうやってここに来たのか。どうやって生きてきたのか。戻れるのかどうか。語り合いたいことがたくさんあるんです」
「……くっ」
無意識に、ルイスは下唇を噛んだ。話しぶりからして、この銀髪の少女は、治療術の師であり、妻であるスルガが殺されたことを知らない。
本来なら、安堵してしかるべきだった。密かに進めてきた復讐を邪魔されないということなのだから。
だというのに、ルイスは心臓に鈍い疼きを感じていた。強く握りしめた拳を自分の胸に叩きつける。
その疼きに名前を与えてはいけなかった。復讐に、それは必要無いはずのものだったから。
「俺の、治療術の師は死んだ。とうの昔にな。残念だが」
そう言って、ルイスは話を打ち切った。
だが、この時の会話が遠因となって、二日後、ルイシーズ・エンジェンロウは、ミーシャの師匠に依頼を持ちかけることとなったのである。
煆焼器
……熱を加えて、揮発成分を飛ばすためのもの。蒸留器と組み合わせて、薬効成分を抽出するために使われる。
魔法植物
……伝承学的に言えば、魔法植物とは野生では存在し得ない「不自然な植物」のこと。
古代の魔術師たちの手によって作り出されたとされ、生育に魔術的な業を必要とする物が多い。作中のリンドレイの実は、魔法植物のひとつ。気付け薬・興奮剤の材料になる。




