6話『心の真実』
ジーフリクは少女の後を追った。なぜ、そんな行動をとったのか、自分でも分からなかった。
単なる情婦ではないとわかった以上、関わる気を無くしていたにも関わらず。
(だが……もし、俺の想像したとおりなら…!)
少女は銀髪をなびかせて、炎をオーガに打ち込んでいた。
洞窟の前は、開けた場所になっている。
少女は、オーガの背中に炎の矢を当てて、この怪物の注意を引いていた。
オーガは、食っていた冒険者の成れの果てを捕まえたまま、少女の方に向き直った。
「…やはり、お前! 最初からオーガを操ってなどいなかったんだな!」
少女は答えなかったが、ジーフリクは確信を持った。
(思わせぶりな剣の振り上げ! 「来い、怪物」という台詞! あれで、この女が、オーガを操っていると思い込んじまっていた…!
だが、違う! オーガがこいつを襲わなかったのは、単に奴が炎を纏っていたからだ。オーガは、炎を本能的に嫌う… …奴はそれを見越して、それらしく見せかけた…!)
ジーフリクは背中に、震えが来るのを感じた。
(恐ろしいほどの度胸! 下手すりゃ、自分も襲われかねないってのに……! だが、まだ一つ、分からないことがある!)
「どうしてオーガを攻撃する! そいつを殺して、お前に何の得がある!」
ジーフリクは返答を期待してはいなかった。だが、銀髪の乙女は、静かに答えた。
「…私は、自分の『心の真実』に従って生きていきたい。 もし、ここで怪物を逃してしまったら、きっと、こいつは、人里を襲うだろう……。私はそれが『気に入らない』。それは自らの『心の真実』に反することだ。私は、この怪物をぶちのめして、ハレバレとした気持ちで帰りたい……それが私の本心で、『心の真実』…!」
銀髪の乙女は、ミスリルの短剣で、魔法陣を描き出す。
「ゆえに! こいつをここで仕留める!」
《炎のクォーラル》が、オーガに突き刺さったかに見えた。しかし、ジーフリクは見た。
「ダメだ! オーガめ、冒険者の死体で防いでやがる!」
少女は、ひたいに汗を浮かべながら、次の魔法陣を組む。同じく《追尾する炎のクォーラル》を撃つ。
だが、またもや死体で炎の矢を受け止められ、同じ結果に終わってしまう。
オーガは咆哮し、少女に狙いを定め、突進してきた。
少女は、負けじと魔法陣を描き出す!
ジーフリクは叫んだ。
「無理だ! そもそもオーガは、異常なほどの体力を誇る魔物! いくら炎を怖がるとはいえ、炎の矢ごときでは、足止めにはなっても、致命傷には成り得ない!」
しかし、少女の書いた魔法陣は先程までとは違う。
《巨人の怠惰な錘》
オーガの巨体が傾いだ。まるで見えない重りをつけられたかのごとく、動きが鈍る。
この魔法陣の効果は重力を増すこと。
少女は、一度しか見ていない魔法陣を覚えており、それを使ったのだ。
オーガが怒りの唸り声をあげる。
少女は、開けた場所から駆け出し、森の中へと入っていく。オーガも後を追って、森の中へと消えていった。
ジーフリクにとって、これ以上関わる意味はなかった。できるだけ早く、隠れ家の洞窟へ戻り、冒険者どもの遺体から、金目の物を回収して逃げ出す。
それで良かったはずだった。
かつてのジーフリクなら、そうしていただろう。
(『心の真実』だと…! なんだ、この気持ちは……!)
(…気に入らぬ。気に入らんぞ!)
だが、ジーフリクは、少女の後を追った。
自分自身でもわからないが、少女の顛末を見届けたい、と強く願ったのだ。
***
その頃、イチノセは、かなり厳しい戦いを強いられていた。
てっきり逃げるものだと思っていた騎士が、追ってきているし、オーガも魔術で動きを鈍くしたとはいえ、少女であるイチノセとは、歩幅が違う。
追いつかれないでいるのは、イチノセが小柄で、森の僅かな隙間を通り抜けられるからにすぎない。
ましてや、魔力疲れの懸念もある。
《念動》
魔力が枝をしならせ、オーガの顔を狙う。
バチンと破裂音がして、オーガの顔に当たる。オーガはさらに怒り猛った。
「馬鹿野郎! そんな攻撃がオーガに効くものかよ! ますます怒らせるだけだ!」
騎士が叫ぶ。
(こいつ…何がしたいんだ?)
イチノセは騎士を訝しんだ。
騎士の狙いは、オーガと自分を、互いに争わせて漁夫の利を得ることだろう。
私が死ねば、それでおしまいだが、もし私が勝ったとしても、疲弊した私を捕まえるのは訳ないはずだ。
なのに、大声を上げて、オーガや自分に注意を向けさせる危険を犯すとは……。
正直な所、騎士に勝てる見込みは全くない。
こちらは、魔術を習い始めて二ヶ月ほどの新米なのだ。剣道をかじったこともあるが、あくまでかじっただけで実践で使えるレベルではない。
山賊だか冒険者だかの輩を倒したのは、あくまでオーガであり、私は、ペテンにかけたに過ぎない。
本格的な戦闘になれば、人間相手に勝てなどしないだろう。奇襲か、隠れるか、逃げるか。
そう考えている間にも、オーガは私を追ってくる。
怒号らしき声を喚き散らし、まだ手に持っていた死体をこちらに投げ飛ばしてきた。死体は森の太い枝にぶつかり、少女には、何の被害もない。
オーガは、さらに怒り心頭といった様子だ。
巨大な人間のような見た目だが、やはり知性は劣っているらしい。
《念動》で枝をしならせるだけの余裕もなくなってきた。折れた枝を投げつける行動も織り交ぜて、オーガの顔を執拗に狙った。
さすがにオーガは腕で顔をかばった。
(ようやくか…!)
ようやくイチノセの目論見は、成功しつつある。
***
オーガは、逃げていた獲物が急停止したことに気づいた。奇妙、と考える知性もあったかどうか。
次に目に入ったのは、崖だった。森を抜けた先は渓谷になっていたのだ。オーガはむろん、本能に従って、足を止めようとした。
だが、その刹那、オーガは、自分の体が急に軽くなったことに気がついた。さらに、その次の瞬間、後ろから、何かが押してきていた。
イチノセは、オーガが気づく一瞬前を狙って、《巨人の怠惰な錘》を解除し、さらにオーガの後ろに回りこんで、《念動》で首の根元を押したのだ。
人間は背中を押されても、案外前には進まない。
本能的に、立ち続けようとする力が働くからだ。
だが、肩を押せば、重心が崩れる。そして本能的に重心を保とうとして、今度は体を前に歩ませるのだ。
オーガも構造としては人体によく似ている。急に軽くなった肉体の統制を取り戻せずに、オーガは、首の根元を《念動》で押され、つんのめり、もんどりうった。
こらえることが出来ず、深い渓谷の崖を、オーガは転げ落ちていく。
イチノセが《念動》の力点を首の根元にしたのは、もうひとつ理由がある。そのまま、《念動》のパワーによって、頭を地面に叩きつけることだ。
落ちていくオーガの頭が、念動の力でさらに加速していく!
気味の悪い音がして、オーガが大地に叩きつけられた。
「…灰色の脳細胞ってやつがはみ出しているな。 とにかくも、決着がついたか…」
「……木の枝をオーガの顔にぶつけていたのは、顔を庇わせることで、視界を遮って、渓谷に気づかせないためだったのか…。ありえねぇ…全くイカれてるぜ…」
イチノセが気づくと数メートル先に、あの騎士が居た。
魔法陣を描くには、近すぎる距離だ。
「前世でも、よく言われたよ。私は、思い切りがいいだけだって、思っているんだけどね」
嘆息して、イチノセはそう言った。さり気なく騎士との距離をとる。
警戒するイチノセに気付き、騎士が慌てて言葉をつなぐ。
「いやぁ、もう、やりあう気は失せちまった。お前さん、すごいな」
「…お前に褒められても、大して嬉しくないな。 やりあう気がないんなら、用は何だ?」
「用、か」
騎士は、少し考えこむ仕草を見せた。
「お前さんの『心の真実』ってやつが気になったんだ。 そいつが一体何なのか、気になってね」
イチノセは仕草で騎士を促し、崖沿いを歩くことにした。むろん、十分な距離をとった上でだが。
「別に大したことは言ってない。自分が『気に入ることはやる』。そして『気に入らないことはやらない』。私の言う『心の真実』とは、ただ、それだけさ」
騎士と少女の二人は、つれだって渓谷沿いを歩いた。
そして、橋が架けられている所に到着する。少女の両手に縄をかけて歩かせてきた場所だ。
少女は、その時に、この地勢を覚えていて、オーガを倒すのに利用したのだ。
知性、度胸、そしてやり遂げる行動力。
先だってジーフリクは、少女の美貌は、色街にも居ないと評したことがある。だが、むしろ、際立っていたのは、この少女の内面だった。
騎士は、自分がこの少女に惹かれるのを感じた。いままで誰にも感じたことのない気持ちであった。
「本当に、やりあう気がないんだな。 いいのか? ここで帰しても」
橋のたもとで、銀髪の乙女は、そう問いかけてきた。
「ああ。 雇い主には、見つからなかったって言っておく。 どうせ真面目に探す気もなかった」
銀髪の乙女は一つ頷くと、橋を駆け渡っていく。
「俺の名はジーフリク! 『銀色の髪の乙女』の名前を教えてくれ!」
遠ざかる乙女に、大声で話しかけると、乙女は笑っていった。
「恥ずかしい名前なんでね、秘密だ!」
そして、ミスリルの短剣で、吊り橋を支える綱を、斬り払う。
橋が落ちていく様子を、ジーフリクは呆然と眺めた。
(……どこまでも、油断していない! 密かに後をつけられないようにしたのだな)
ジーフリクは、ひとしきり笑うと、身を翻した。
これから、洞窟で冒険者から遺品を剥ぎ取る仕事が残っていた。
***
イチノセは、リオン達の村へと歩いていた。
魔力を使いすぎて、頭が重い。やはり、魔力疲れが、知らぬうちに忍び寄っていたらしい。ジーフリクとかいう騎士に、あれほど接近を許したのも、魔力疲れのせいだろう。
オーガ退治に興奮していた時は気が付かなかったが、事が終わると一気に、疲れが吹き出していた。
実際、ジーフリクと連れ立って話していた時には、すでに意識が朦朧としていたのだ。
どうにか、察せられずに切り抜けられたが、橋を渡ってしばらくすると、へたり込んでしまった。
(魔力疲れは危険だと聞いてたけど、予想以上に辛い……)
どれだけ、へたり込んでいたのかわからないが、ようやく歩けるようになった時には、東の空に夜の帳が落ちかかってきていた。
もっと、休みたい気持ちもあったが、歩かなければ、リオン達の村にはいつまでたってもたどり着けない。
無理にでも、足を動かすしかなかった。
暗闇が森を支配し始めてきている。
重い頭を叱咤して、両手を重ねあわせて、マナを励起する。
《浮遊する光明》
魔法の光源が森を照らしだし、暗闇を駆逐した。
歩く。歩く。歩き続ける。
イチノセは、そのつもりだったが、ふと気づくと、歩みは止まっていた。力尽きるその瞬間、どうにか最後の意識で、近くの樹木に寄りかかる。
イチノセは、意識を失った。
《光明》の魔術が、最後の精神力をイチノセから奪ったのだった。
・オーガ
…立ち上がった熊と同じくらいの背丈、剛毛だらけの灰色の肌をした、人型の魔物。
基本的に肉食で、主に山岳地帯に生息する。人喰い鬼であり、人間を好んで食べると言われている。並の冒険者を圧倒するほどの膂力と体力を誇る凶悪な魔物。