38話『poor child』・上
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「ああ、ルイス様かい? 知ってるも何も、恩人さ。たしかに、型破りな治療師様だから、色々言われるんだろうけど……。数年前、熱病が流行ったことがあってね…。その時、不眠不休で私らを助けてくれたんだよ。貧乏人は鵞鳥一羽でいい、それも無理なら、卵でいいって言ってくだすってね……」
中年に差し掛かった女性は、涙ぐみつつ、鼻をすすり上げた。
「本当に、すばらしい名治療師だよ。司祭様もいらっしゃるけど、喜捨がないと助けてくれないからねぇ…」と、中年女性は締めくくった。
ミーシャがルイスの施療院に入院してからというもの、イレーネは、さりげなく治療師ルイスの評判を周囲に聞いて回っていた。
治療師とは、薬草や按摩、瀉血、魔術などを用いて人を癒やすことを生業にする人々のことである。
だが、治療師を名乗るのに、いかなる資格も必要でないこともあって、詐欺師や、ヤブが当たり前に存在していた。
実際、聞きこみをした範囲では、治療師ルイスの腕が良いのは間違いないらしい。
しかも、患者の懐具合をみて治療代を吹っかけるところがあるらしい。
いかにも質素な中年女性には鵞鳥一匹だが、イレーネのような錬金術師には、金貨20枚もの大金を請求してくる。
一方で、少々気になる評判もイレーネは聞いていた。
「あぁ…ルイスね……いつから温泉郷にいるのかは知らんがな……無精髭のあいつだろ? 俺も治療してもらったことがあるぜ。だが、聖句も唱えねぇし、瀉血もしねぇ……胡散臭い奴だったぜ。しかも、きっちり、足元見てきやがった。人に恨まれる類の治療師だぜ、あいつ」
酒場の用心棒をしている男は、煙管から煙を吐き出しながら、そう言った。
イレーネは無言で、用心棒の男へと銀貨を弾く。情報料だ。
「おっと。ありがてぇ。せっかくだし、もう一つ教えてやるよ。
あのルイス、『使える』奴だぜ。 いつも折襟で隠してやがるが…首元に傷跡がある。ああいう場所に傷がついて、くたばってねぇのは、冒険者か傭兵か…どっちにしろ、修羅場をくぐっている奴だ」
***
「なるほど……。じゃあ、やっぱり治療師って、あんまり当てに出来るものじゃないんですね……」
イレーネの集めた情報を聞いたミーシャは、我が意を得たりと頷いた。
今は寝台に座り込み、痛む左足の下に、鎮痛のための氷嚢を入れている。
入院中の患者というのは暇なものだ。寝台の上では魔術の研究もしにくい。
暇を持て余したミーシャにとって、師匠のお見舞いは何より嬉しかった。
「何いってるの? ルイス治療師は、腕がいいって評判なのよ?」
「いえ、治療師全般の話です。聖句だとか、瀉血だとか、不合理な医療をやっているわけですから。私の懸念は間違ってなかったなーと思って」
「…まず、そこに着目するのかって感じだけれど…。そもそも、僧侶は、聖句を唱えて『奇跡』を起こすし…、瀉血も、立派な医療行為よ」
あまりに確信を持ったイレーネの物言いに、ミーシャは疑念を覚えた。
「あー、その『奇跡』って……魔術みたいなものだったりします?」
「奇跡は、魔術とは別よ? たしかに魔力振動は感じるけれど……」
「効果はあるんですか? 気休めではなく?」
「まっとうな僧侶ならね。《治癒の掌》じゃ治せない怪我もすぐに治るし、司祭様や、司教様なら病気や毒物も治せるわ。……ああ、でも、治療師の聖句は確かにインチキよ。僧侶の真似事でしかないもの」
(…僧侶にも、『奇跡』という魔術的な業があるのか…。ゲームでいえば、白魔法というところかな? しかし、『聖句』に『瀉血』……)
聞き及ぶ限りでは、治療師の医術は、民間療法に毛の生えたものでしか無い。
瀉血を例に取ってみてもそうだ。
瀉血は、前世でも民間療法として残ってはいたが、特殊な場合をのぞいては、まっとうな治療行為ではない。
(この世界の医療水準は、気休めのおまじない程度か)
そう、ミーシャは結論づけざるを得ない。
前世の歴史をみても、近代以前の医学は、ほとんど『おまじない』と変わらなかった。この世界の文明度では、瀉血や祈祷が、大手を振って医療だとされていても、ミーシャに驚きはない。
だが、それだけに治療師ルイスの存在は、奇妙すぎた。
あまりにもまっとうすぎるのだ。
これまでの治療で、瀉血をされたことはないし、聖句を唱えながらの手かざし療法をされたこともない。
ルイスの治療は、どこか近代医学の匂いがする。
(あまりに、奇妙だ……。ルイス先生の腕がいいことじゃない。無意味なことを何一つしていないことが……)
たとえ、その行為が意味のないことだとしても、意味がありそうに思えるなら、その行為は残っていくものだ。
現代においても、そのような話はある。
前の世界で、イチノセが友人を見舞った時の話だ。
毎朝、手術後の傷を消毒されるのが面倒だと、友人は嘆いていた。
「治療のためなら仕方ないよ」とイチノセは慰めたのだが、友人はそうではないという。
手術創は、二日もすれば上皮が出来て傷が塞がってしまう。だから、消毒しようがしまいが、傷に菌が入ることはないから無意味なのだと友人は言った。
実際、イチノセが後に調べたところ、友人の言葉は間違いではなかった。だが、昔からの習慣で手術後の傷を消毒し続ける医者も多いらしい。
現代医療でさえ、習慣として間違った治療が続けられている例がある。
ましてや、この世界では、治療効果のあるなしを簡単に調べられない。無意味な行為であれ、意味がありそうに見えるなら、残っていくだろう。
聞けば、聖句を唱えるのは、ほとんどの治療師が行っているそうだ。
ミーシャにとっては、単なる「おまじない」以外の何物でもないが、この時代の人間にとっては「ありがたいお経」であり、効果の有りそうなものだ。
なのに、なぜ、ルイスは、聖句を唱えないのだろうか?
***
「ありがとうございました!」
「おう。だが、まだ完治じゃないからな。一日置きに来てくれよ」
治療師ルイスの施療院に入院してから、ちょうど一週間後、ミーシャは退院した。
迎えに来てくれたイレーネと一緒に、宿屋までのんびりと散策することにした。まだ左足が少し痛むものの、歩く程度なら問題ない。
『温泉郷』を新鮮な思いで、ミーシャは見て回った。
ここに来た時には熱にうなされていて、その後は入院生活だった。『温泉郷』を見て回る余裕などなかったのだ。
『温泉郷』は、その名の通り、温泉が多数湧き出る土地である。
その土地柄から、行楽地目当ての客と、湯治目当ての客が混在している。
温泉郷を二つに割るように、広い川がせせらぎ、その両岸に宿泊施設が立ち並んでいる。さらに向こうには山々が連なっていた。
道を行き交う人も、フンボルトの街に比べて、身なりが良い。
一種のリゾート地なので貴族や豪商が集まるのだろうし、湯治目当ての客も、長期滞在ができるくらいには、裕福だからなのだろう。
「町並みに、どこか、古代ローマ風の雰囲気がありますね……」
「ローマ?」
町並みを見て、ポツリとそんな感想をこぼしたが、イレーネには通じなかった。
異世界の昔の帝国のことだと説明する。
イレーネは曖昧に頷いた。未だに、ミーシャの言う”フィユスール”が何か、測りかねているのである。
「さあさあ、遊びに来た人も、湯治に来た人もよっといで。熱いお湯で汗を流し、香り高い石鹸で体を洗おう! うちにはサウナもあれば、按摩もあるよ。たっぷり疲れを癒やした後は、楽しい遊技が待ってるぞ!!」
温泉宿の前で、小太りの男が呼び込みをかけている。
面積自体は小さいが、温泉郷は、活気にあふれている場所だ。小太りの男に会釈をして、イレーネとミーシャは温泉宿の門をくぐった。
イレーネが泊まっている温泉宿は『黒絹亭』という。
程々の等級の温泉宿で、清潔感のある白亜の建物だ。建物全体が漆喰で覆われており、柱廊の突き当りには一角獣のフレスコ画が描かれていた。
木の扉を開けて入った部屋は、最小限の家具と寝台が二つあるだけの殺風景なものだったが、少なくとも綺麗に掃除されていて、清潔感がある。
それだけで、ミーシャとしてはありがたい。
これまでの旅で入った宿は、雨漏り、隙間風は当たり前。当然の帰結として、ノミやシラミも多い。水瓶のなかで芋虫が屈伸運動をしているのを見た時は、さすがのミーシャも身を震わせたものだ。
『虫よけの香水』や、腐った水を浄化する魔術がなければ、ノイローゼになっていたかもしれない。
「ミーシャ、荷解き終わったら、何かおいしい物でも食べに行きしょう。おすすめの料理屋をみつけてあるのよ」
「いいですね。ちょうどお昼時ですし」
かつての宿の思い出を追いだそうとして、頭を振っていたところで、イレーネがそう提案してくれた。
もちろん、ミーシャに否やはない。連れ立って、お昼を食べに行くことになった。