表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/98

38話『poor child』・上

大変長い間、更新が滞ってしまいました。申し訳ございません。


「ああ、ルイス様かい? 知ってるも何も、恩人さ。たしかに、型破りな治療師様だから、色々言われるんだろうけど……。数年前、熱病が流行ったことがあってね…。その時、不眠不休で私らを助けてくれたんだよ。貧乏人は鵞鳥がちょう一羽でいい、それも無理なら、卵でいいって言ってくだすってね……」


 中年に差し掛かった女性は、涙ぐみつつ、鼻をすすり上げた。


「本当に、すばらしい名治療師だよ。司祭様もいらっしゃるけど、喜捨がないと助けてくれないからねぇ…」と、中年女性は締めくくった。


 ミーシャがルイスの施療院に入院してからというもの、イレーネは、さりげなく治療師ルイスの評判を周囲に聞いて回っていた。


 治療師とは、薬草やくそう按摩あんま瀉血しゃけつ、魔術などを用いて人を癒やすことを生業にする人々のことである。

 だが、治療師を名乗るのに、いかなる資格も必要でないこともあって、詐欺師インチキや、ヤブが当たり前に存在していた。


 実際、聞きこみをした範囲では、治療師ルイスの腕が良いのは間違いないらしい。

 しかも、患者の懐具合をみて治療代を吹っかけるところがあるらしい。

 いかにも質素な中年女性には鵞鳥がちょう一匹だが、イレーネのような錬金術師には、金貨20枚もの大金を請求してくる。


 一方で、少々気になる評判もイレーネは聞いていた。


「あぁ…ルイスね……いつから温泉郷にいるのかは知らんがな……無精髭のあいつだろ? 俺も治療してもらったことがあるぜ。だが、聖句も唱えねぇし、瀉血もしねぇ……胡散臭い奴だったぜ。しかも、きっちり、足元見てきやがった。人に恨まれる類の治療師だぜ、あいつ」


 酒場の用心棒をしている男は、煙管パイプから煙を吐き出しながら、そう言った。

 イレーネは無言で、用心棒の男へと銀貨を弾く。情報料だ。


「おっと。ありがてぇ。せっかくだし、もう一つ教えてやるよ。

 あのルイス、『使える』奴だぜ。 いつも折襟おりえりで隠してやがるが…首元に傷跡がある。ああいう場所に傷がついて、くたばってねぇのは、冒険者か傭兵か…どっちにしろ、修羅場をくぐっている奴だ」


 ***


「なるほど……。じゃあ、やっぱり治療師って、あんまり当てに出来るものじゃないんですね……」


 イレーネの集めた情報を聞いたミーシャは、我が意を得たりと頷いた。

 今は寝台ベッドに座り込み、痛む左足の下に、鎮痛のための氷嚢ひょうのうを入れている。

 入院中の患者というのは暇なものだ。寝台ベッドの上では魔術の研究もしにくい。

 暇を持て余したミーシャにとって、師匠のお見舞いは何より嬉しかった。


「何いってるの? ルイス治療師は、腕がいいって評判なのよ?」

「いえ、治療師全般の話です。聖句だとか、瀉血だとか、不合理な医療をやっているわけですから。私の懸念は間違ってなかったなーと思って」

「…まず、そこに着目するのかって感じだけれど…。そもそも、僧侶は、聖句を唱えて『奇跡』を起こすし…、瀉血も、立派な医療行為よ」


 あまりに確信を持ったイレーネの物言いに、ミーシャは疑念を覚えた。


「あー、その『奇跡』って……魔術みたいなものだったりします?」

「奇跡は、魔術とは別よ? たしかに魔力振動ヴァイブレーションは感じるけれど……」

「効果はあるんですか? 気休めではなく?」

「まっとうな僧侶ならね。《治癒の掌》じゃ治せない怪我もすぐに治るし、司祭様や、司教様なら病気や毒物も治せるわ。……ああ、でも、治療師の聖句は確かにインチキよ。僧侶の真似事でしかないもの」


(…僧侶にも、『奇跡』という魔術的な業があるのか…。ゲームでいえば、白魔法というところかな? しかし、『聖句』に『瀉血』……)


 聞き及ぶ限りでは、治療師の医術は、民間療法に毛の生えたものでしか無い。

 瀉血を例に取ってみてもそうだ。

 瀉血は、前世でも民間療法として残ってはいたが、特殊な場合をのぞいては、まっとうな治療行為ではない。


(この世界の医療水準は、気休めのおまじない程度か)


 そう、ミーシャは結論づけざるを得ない。

 前世の歴史をみても、近代以前の医学は、ほとんど『おまじない』と変わらなかった。この世界(オルゼスール)の文明度では、瀉血や祈祷が、大手を振って医療だとされていても、ミーシャに驚きはない。


 だが、それだけに治療師ルイスの存在は、奇妙すぎた。

 あまりにもまっとう(・・・・)すぎるのだ。

 これまでの治療で、瀉血をされたことはないし、聖句を唱えながらの手かざし療法をされたこともない。

 ルイスの治療は、どこか近代医学の匂いがする。


(あまりに、奇妙だ……。ルイス先生の腕がいいことじゃない。無意味なことを何一つしていないことが……)


 たとえ、その行為が意味のないことだとしても、意味がありそうに思えるなら、その行為は残っていくものだ。


 現代においても、そのような話はある。


 前の世界で、イチノセが友人を見舞った時の話だ。

 毎朝、手術後の傷を消毒されるのが面倒だと、友人は嘆いていた。

「治療のためなら仕方ないよ」とイチノセは慰めたのだが、友人はそうではないという。

 手術創は、二日もすれば上皮が出来て傷が塞がってしまう。だから、消毒しようがしまいが、傷に菌が入ることはないから無意味なのだと友人は言った。

 実際、イチノセが後に調べたところ、友人の言葉は間違いではなかった。だが、昔からの習慣で手術後の傷を消毒し続ける医者も多いらしい。


 現代医療でさえ、習慣として間違った治療が続けられている例がある。

 ましてや、この世界オルゼスールでは、治療効果のあるなしを簡単に調べられない。無意味な行為であれ、意味がありそうに見えるなら、残っていくだろう。


 聞けば、聖句を唱えるのは、ほとんどの治療師が行っているそうだ。

 ミーシャにとっては、単なる「おまじない」以外の何物でもないが、この時代の人間にとっては「ありがたいお経」であり、効果の有りそうなものだ。


 なのに、なぜ、ルイスは、聖句を唱えないのだろうか?


 ***


「ありがとうございました!」

「おう。だが、まだ完治じゃないからな。一日置きに来てくれよ」


 治療師ルイスの施療院に入院してから、ちょうど一週間後、ミーシャは退院した。

 迎えに来てくれたイレーネと一緒に、宿屋までのんびりと散策することにした。まだ左足が少し痛むものの、歩く程度なら問題ない。


『温泉郷』を新鮮な思いで、ミーシャは見て回った。

 ここに来た時には熱にうなされていて、その後は入院生活だった。『温泉郷』を見て回る余裕などなかったのだ。


『温泉郷』は、その名の通り、温泉が多数湧き出る土地である。

 その土地柄から、行楽地リゾート目当ての客と、湯治とうじ目当ての客が混在している。

 温泉郷を二つに割るように、広い川がせせらぎ、その両岸に宿泊施設が立ち並んでいる。さらに向こうには山々が連なっていた。

 道を行き交う人も、フンボルトの街に比べて、身なりが良い。

 一種のリゾート地なので貴族や豪商が集まるのだろうし、湯治目当ての客も、長期滞在ができるくらいには、裕福だからなのだろう。


「町並みに、どこか、古代ローマ風の雰囲気がありますね……」

「ローマ?」


 町並みを見て、ポツリとそんな感想をこぼしたが、イレーネには通じなかった。

 異世界(フィユスール)の昔の帝国のことだと説明する。

 イレーネは曖昧に頷いた。未だに、ミーシャの言う”フィユスール”が何か、測りかねているのである。


「さあさあ、遊びに来た人も、湯治に来た人もよっといで。熱いお湯で汗を流し、香り高い石鹸で体を洗おう! うちにはサウナもあれば、按摩もあるよ。たっぷり疲れを癒やした後は、楽しい遊技が待ってるぞ!!」


 温泉宿の前で、小太りの男が呼び込みをかけている。

 面積自体は小さいが、温泉郷は、活気にあふれている場所だ。小太りの男に会釈をして、イレーネとミーシャは温泉宿の門をくぐった。


 イレーネが泊まっている温泉宿は『黒絹亭』という。

 程々の等級の温泉宿で、清潔感のある白亜の建物だ。建物全体が漆喰で覆われており、柱廊の突き当りには一角獣ユニコーンのフレスコ画が描かれていた。


 木の扉を開けて入った部屋は、最小限の家具と寝台が二つあるだけの殺風景なものだったが、少なくとも綺麗に掃除されていて、清潔感がある。

 それだけで、ミーシャとしてはありがたい。

 これまでの旅で入った宿は、雨漏り、隙間風は当たり前。当然の帰結として、ノミやシラミも多い。水瓶のなかで芋虫が屈伸運動をしているのを見た時は、さすがのミーシャも身を震わせたものだ。

『虫よけの香水』や、腐った水を浄化する魔術がなければ、ノイローゼになっていたかもしれない。


「ミーシャ、荷解き終わったら、何かおいしい物でも食べに行きしょう。おすすめの料理屋をみつけてあるのよ」

「いいですね。ちょうどお昼時ですし」


 かつての宿の思い出を追いだそうとして、頭を振っていたところで、イレーネがそう提案してくれた。

 もちろん、ミーシャに否やはない。連れ立って、お昼を食べに行くことになった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ