37話『lose my way』・中
アマロット・ヴォーンは、行商人の娘として生を受けた。
行商人は、この時代にあっては危険な商売だ。
野盗や魔物に襲われる危険は常につきまとっている。自然、冒険者を護衛として雇うようになる。アマロは、冒険者に親しむ機会が多かった。
それは、いつしか憧れとなった。その自由さにアマロは、憧れるようになったのだ。
当然ながら、両親はそれに反対した。娘も行商人に、あるいは商人の妻にすることが両親の望みであったからだ。
商人ギルドの発行する「行商手形」は、あたらしく取るに難いが、子に継がせるには、易い。
両親が、娘を行商人にしたいと望むのも、当然だった。
ましてや、危険と隣り合わせの冒険者を、やらせたくないのは当然であったろう。
けれど。
アマロは納得できなかった。
このまま親の仕事を継いでいっていいのか、自分のやりたいことが、その先にあるのではないか。
大げんかをして、そして、アマロは家を飛び出したのだ。
現実は甘くない、それはわかっていたつもりだった。しかし、それがまさしく『つもり』でしかないことを、アマロは飛び出してから今まで、思い知ることになった。
もともと、冒険者として訓練を受けたわけではない。剣も弓も、護衛の冒険者が手慰みに教えてくれたことくらいしか出来ず、レイミアのような追跡者の技能があるわけでもなく、イチノセのように魔術の才能があるわけでもなかった。
アマロは、引退した冒険者の私塾や道場に通い、『岩塩窟』のような危険な仕事も積極的に受けて、自分を磨いてきたのだ。
だが、レイミアやイレーネのような一流の冒険者と、一緒に行動して、自分の限界を知ったように思った。
レイミアは、自分や仲間のために命を懸けられると言って、そして実行した。
(あたしは…、自分が助かることしか、考えられなかった。逃げ出すことしか考えられなかった)
実力や技能とは違う決定的な面で、アマロは自分が及ばぬことを実感してしまったのだ。
「イレーネさまは、どうして…」
アマロから、言葉が漏れ出てくる。
「どうして、イチノセを守るために、そこまでするのですか? 追われているのは、イチノセ一人だけのはずです。師匠だからって、そんな危険を背負う必要は……」
レイミアは、気遣わしげに親友を見つめた。
事が一段落して、アマロを見つけた時、その頬に涙の跡を見つけたことを、思い出したからだ。「なぜ泣いてたの?」とは聞けなかった。
「…そうねぇ。色々理屈をつけられるけれど…」
『霧の魔女』と二つ名で呼ばれるイレーネは、苦笑とも、微笑ともつかぬ笑みを浮かべた。
「放って置けないからかしら。あるいは…好きだからかしら」
「弟子だから…ですか?」
「それもあるけれど…、人を助けられるって、心地いいことだと思わない?
助けられる能力と機会があるなら、私は、誰かのために何かをしてあげたい性分なのよ。私は、錬金術士が本業だし、それで十分食べていけるんだけど……、それでも冒険者をやっていたのは、人を助けられるから、かもね」
もちろん、なるべく収支が黒字になる方法で助けたいのだけれどね、とイレーネは冗談めかして付け加えた。
(ああ…)
アマロは、自分に欠けているものが分かる気がした。
『赤毛の森人』レイミアは「自分を大切にしてくれた人のためになら、命を懸けられる」と言った。『霧の魔女』のイレーネさまは「自分に危険が及んでも、人を助けたい」のだと語った。
彼女たちには、彼女たちを支えるものがある。
(あたしは……あたしには…、支えるものがない…! ただ、漫然と行商人になるのが嫌で、家を飛び出しただけ…)
急に、そばにいる二人が、遠くに感じられた。
***
結局、アマロは諾否を下せなかった。
「もう少しだけ、考えさせてください…」というのが精一杯だった。
アマロは、今、火守を兼ねて起きている。
イレーネは明朝早く、ミーシャス・イチノセを抱えて、飛ばねばならない。精神力と体力を回復させるために、眠らなければならなかった。
ミーシャスも解熱剤が効いたのか、さほど苦しげではない。
レイミアは、起きていた。武具の手入れをしている。
「眠れそうになくてねー」と言っていたが、アマロの事を心配して、起きていてくれているのだろう。
二人は無言だった。アマロは、自分の弱みを晒すことが出来なかったし、レイミアは、自分の親友が悩んでいることは分かっても、何を悩んでいるかまでは察することが出来なかった。
レイミアは、ただ、静かにアマロに寄り添っていた。
薪の爆ぜる音だけが響いている。
「…あたしは、やっぱり無理だわ……冒険者に向いてなかったのよ…」
ポツリと、アマロが言った。
レイミアは、武具の手入れを止めて、アマロに質問をする。
「アマロはさ、どうして、冒険者になろうと思ったのー?」
「…前にも話しただろうけど…あたしは行商人の娘だったの。色んな事を教えてもらったわ。会計簿の付け方や、相場の読み方、商品の鑑定、信頼に足る護衛冒険者の選び方、街道の選び方……。
でも、ね」
アマロは天を仰いだ。涙が零れそうだった。
「なんだか息が詰まっちゃって。たしかに、行商人は食べるには困らない仕事よ。それに『行商手形』は、子に受け継がせるんなら、簡単だしね。だけど、それってさ。『あたし』じゃなくてもいいってことでしょ」
「うん」
「ただ、『行商手形』を継いでいくために、生きていくなんて…とか、思っちゃって。馬鹿だよね! 世の中には、ご飯も食べられなくて困っている人がいるっていうのにさ。でも…」
すばやく袖口で涙を拭いて、アマロは俯いた。
「でも…そっか。なんとなく、分かっちゃったんだよね。自分がどこまで出来るのかがさ。あたし、割と一生懸命頑張るほうだから、自分が精一杯努力して、それで行ける場所っていうのが、わかった気がしたのよ。どこまで行けて、どこから先は行けないか。
行商人として、そこそこにはなれるけれど、有名な大商人にはなれない。だから…」
アマロは木の枝を炉に、強く突き刺した。
「だから……『冒険者』になりたかったんだ。冒険者になったら、あたしの隠れた才能が目覚めて、有名になれるかもしれないって。一生懸命頑張ってさ、しんどかったけど、楽しかったな。自分が『何か』になれるかもって、夢を追うことが出来たから」
「…今は、もう追えないの?」
「わかんないよ…。レイミアみたいに特殊技能もないし…イレーネさまみたいに魔術師の才能もない……いや、そういうことじゃないの。あたしには『何か』がなかったんだ」
「『何か』って何?」
「レイミアは、自分を大切にしてくれた人なら、命を賭けられるって言ったでしょ? イレーネさまは、自分を危険にさらしても、人を助けることができるって言ってた。たぶん、イチノセも、そういう『何か』を持ってる。いざって時、自分を支えてくれる『何か』が。あたしには、無かった」
「……」
「レイミアに、『森人のマント』を着せられて、あたしは、ずうっと考えてた。どうしたらいいんだろうって、どうすべきなんだろうって。でも…レイミアがもう大丈夫だって、戻ってくるまで、何一つ、答えを出せなかった」
「あたしの中に、支えてくれる『何か』がないからだよ。ただ怖くて、震えていただけ。あたしには、『何も無い』から、『何にもなれない』ってことがはっきりしただけなんだ」
「でも、正直なこと言うと、それでも、まだ何かあるんじゃないかって、意地汚く、探しているんだよ。まだ自分が出来ることがあるんじゃないかって……諦めきれないんだよ」
アマロはレイミアを見ること無く、枝を使って焚き火をかき回していた。
「んー。そんな風に肩肘張らなくてもいいんじゃない?」
いかにもお気楽そうな口調で、レイミアは言った。
その態度に、アマロはいじけた。
「結構、まじめに話したんだけど……」
「だってさー。大切な人のために命を懸けられるって、確かに言ったけどさー、その場のノリで言っただけだよ? 別に深い信念があるわけじゃないしー。アマロの言う『何か』なんて、私も持っていないよ」
「……でも」
「それより、これからどうするの? どうしたいの?」
「一度、実家へ帰ろうかな…」
アマロは、喧嘩をして家を飛び出していた。今更、どんな顔して戻ればいいのかとも思う。でも、冒険者として、これからやっていけるかどうかも分からなかった。
「実家って、たしか王都の北だっけ?」
「うん。もともと南に下ったのも、北の公爵領に行商に行く父さんと鉢合わせしたくなかったからだし…」
「じゃあ、そこまでは一緒に行こうよ。私も、アマロと離れるの寂しいしさー」
アマロは苦笑した。
割と真剣な話をしているはずなのだが、どうも調子を狂わされる気がする。
「レイミアは、なんか、あたしとは生きてる世界が違うよね。『森人』だからかな? でも、だからこそ、こんな風になんでも話せるんだろうね」
これは聞きようによっては、失礼な発言だったかもしれない。
言ってしまってからアマロは気づいたが、レイミアは気にした様子もなかった。もそもそと毛布をかぶって、寝る体勢に入る。
「それじゃあ、お休みー。明日まで、火守がんばってねー」
「あ…え…? 寝るの?」
それから幾らもしないうちに、レイミアは寝息を立て始めた。
(……すぐに寝付けたってことは、あたしを気遣って起きてくれてたんだってことなんだろうけど……でも、なんか…、すごく納得いかない……)
そもそも火守を申し出たのは、アマロ自身であるから、文句をいうわけにもいかない。
レイミアの寝顔を見ながら、アマロは思惟の深みにはまっていった。
***
朝、日の出とともに、イレーネは起きた。寝起きが良いことも冒険者としては、必須技能の一つである。
手早く朝食を調理して、イレーネはレイミアとアマロと共に食事を始めた。
腹をこしらえてから、ミーシャを抱えて『温泉郷』に行くつもりである。
レイミアが口を開いた。
「これから、イレーネさまは、王都に行くつもりですよねー?」
「えぇ。どうして分かったの?」
「王都まで行けば、騎士団が守ってくれますし、人混みに紛れられますしー。それに、そもそもイレーネさまは王都で活躍してたからー」
「へぇ。すごいわね。レイミア」
「えへへ。で、昨日話していたんですけど、アマロは、うちに帰りたいんだそうです。それで、アマロの実家は王都の北にあるんですけど、そこまではアマロと一緒に行ってもいいですか?」
「……ということは、仲間にはならないけれど、同行するってこと?」
イレーネはアマロに向かって、そう問いかけた。
「え? えぇと…そう、ですね」
アマロは頷いた。一晩中、火守をしていたせいで、頭がよく働かないままに返事をしてしまった。
言ってしまってから、それでもいいかという気持ちになる。どちらにせよ、イレーネさまも王都に行くというのなら、便乗させてもらおう。
改めて、頭を下げる。
「お願いします。王都までになりますけど…」
(そうね……。アマロを信じないわけじゃないけど、王都まで同行するとなれば裏切られる心配はしなくていいわ……。これから、別行動をとるけれど…レイミアがついているなら、大丈夫…かしら)
一瞬で、イレーネは思考をめぐらして、アマロの同行に許可を出した。
「ええ。こちらこそ、お願いするわ。それじゃあ、これからの事を話し合いたいのだけれど…いいかしら。まず山賊の砦に向かってもらって……」
イレーネは、これからの計画を話し始めた。
アマロとレイミアが居てくれたおかげで、ずいぶんとこれからの計画がやりやすくなったのは確かだった。




