37話『lose my way』・上
「最後に、なるかもしれないから…師匠にお礼を言いたいんです」
「大丈夫よ…きっと良くなるわ…」
「初めて、師匠に会えて本当に幸運でした。命を救ってくれて、魔術を教えてくれて。この数ヶ月、ほんとうに楽しかった」
「ちょ、ちょっと……」
「アマロやレイミアにも会えて良かった。リオンにも、ラヴェルヌさんにも、ミンヘル殿下にも。もちろん、イレーネ師匠にも……ありがとう……」
ミーシャはイレーネの手を手繰り寄せた。
「私は、思うがままに生きた。短い人生でも、『心の真実』に従っていきてこれた。皆に迷惑もかけたけれど…『満足』だ…」
そう言って、プラチナ・ブロンドの少女は、目を閉じた。
暗い部屋で、魔術師の師弟は、ふたりきりだった。
***
このような事態になるまでには、いくつかの状況の変化があった。
山賊の砦を制圧したイレーネは、砦をまわって金目の物を剥ぎとっていた。
盗賊を倒し、彼らの身ぐるみを剥ぐことは、『正義の報酬』として、慣習的に認められている。
イレーネを喜ばせたのは、馬が一頭、繋がれていたことであった。
この時代、馬は時に人間より重く見られることさえあった。騎乗でき、荷運びにも使え、土を起こす農作業にも使える。冒険者にとっても、有用であることは言うまでもない。
馬は、この時代、一財産であったのだ。
「確か、山賊の頭領も馬に乗っていた…。うまく金貨の場所に来てくれれば、レイミアが馬を奪ってくれるかもね」
金貨、銀貨などの貨幣、剣や鎧、弓などの金目の物を集めたあとで、イレーネは、ただ一人、生き残った人物に会いに行くことにした。
飯炊き女である。
この砦を制圧する際に、山賊たちは、すでに魔術の炎で焼きつくしたが、この女性だけは、《昏睡の掌》で眠らせていたのである。
「さて…」
倒れこんでいる女性をイレーネは見つめた。肉付きのよい肥えた体で、少なくとも暴力や虐待を受けていたということはなさそうだ。
イレーネは活を入れた。
一応、細剣を抜身で持っておく。
目を覚ました女性は、イレーネを認めると「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。
「怯えなくてもいいわ。正直に言ってくれるなら、なにも怖いことなんてしないし、ちゃんと家にも返してあげるから」
女が、言葉を飲み込むまで待ってから、イレーネは言葉を続けた。
「あなた、元々の家はどこ?」
「……は、はい。ヒフーン村です。ここから真西にある……」
「どうして、山賊の飯炊き女をすることになったの?」
「その…口減らしでございます」
飯炊き女の語った所をまとめると、次のごとくである。
街道沿いにあるヒフーン村は、もともと他の村と比べて裕福であったが、数年前の飢饉で状況が変わったのだという。
飢饉において、もっとも悲惨なのは、小金持ちである。
飢饉ともなれば、農民たちは自分の食い扶持を死守しようとする。結果、市場に出回る農作物は少なくなる。
高値がついた食べ物を買えるほどの金持ちでもなく、農民のように自分の農作物を確保することも出来ない小金持ちこそが、飢饉においては危ないのだ。
飯炊き女は蹄鉄屋の娘であったが、あるとき父が寄り合いから帰ると、このように言われたという。
「昨今の飢饉はお前も知っているだろう。このままでは、俺等の暮らしは成り立たぬ。お前は料理屋で働いていたこともある。……悪いが、山賊ギルドに、出向いて欲しい」
「山賊に身売りしろというのですか」
女は、あまりのことに、嘆くというよりも愕然とした。にわかには信じられぬことだった。
慌てて、父親は、言葉をつないだ。
「いや、身売りではない。あくまで奉公に行ってほしいというだけだ。荒くれ者の集まりだが、あそこには、お前の幼なじみの男もいる。決して悪いようにはされないし、こちらに余裕ができたら、戻れるように手配する」
女は抵抗したが、最後には泣く泣く頷いた。そうしなければ、餓死するしかないのだから。
そうして、いつか帰れる時を夢見て、今まで山賊の飯炊き女をしてきたのだという。
「……」
イレーネは、飯炊き女の話をひと通り聞き終えて、心中に頷いた。
(やはり…街道沿いの村々と、この山賊ギルドは、ある種の共生関係にあったようね。 森を直進すれば、山賊に襲われるとなれば、旅人は遠回りになることを承知で、街道沿いを進まなければならなくなる。…しかし、そうなると……)
この飯炊き女をヒフーン村に返したとしても、歓迎されるとは限らない。
イレーネは、そう判断した。
むろん、飯炊き女が生き残れたことを喜ぶかもしれない。だが、山賊が壊滅したとなれば、旅人が、わざわざ遠回りの街道を通る理由は少なくなる。
つまり、村人が損をするわけで、その怨みを、この飯炊き女にぶつけないとも限らない。
「……」
イレーネは、懐から、銀貨以下の貨幣を手頃な袋にまとめた。そして、飯炊き女に持たせて、言う。
「ここに、あなたが一年ほど生活出来るだけのお金を詰めておいたわ。とっておきなさい。けれど、いくつか条件があるわ」
女が頷くのを待って、イレーネは続けた。
「ひとつ、このお金を誰にも言わないこと。もし、森歩きが得意なら、自分だけが分かる木の根元に、お金を埋めておくのがいいと思うわ。 そして、何かあった時のために使いなさい」
ここで金貨やミスリル貨を渡さないのは、それらは、一介の飯炊き女が持てるような貨幣ではないからだ。不用意に使えば、出所を疑われることになる。
「もうひとつは、この山賊を倒したのは、イングレッドという追跡者とクルースという精霊使いだと、話すこと。私達じゃなくね」
ある程度、足跡を追わせることはイレーネの計略のうちである。
しかし、イングレッドが待ち構えていたことからして、敵は予想以上に手強いと見るべきだった。目立つ足跡は、消した方が良いだろう。
飯炊き女は、無言で頷いた。両手に金袋を抱きしめて、これからどうするか迷う様子である。
「イレーネさま」
飯炊き女との話が一段落したころ、レイミアが戻ってきた。
「あら、夜も遅いのに…」
ご苦労様と、イレーネが続けようとした時だった。レイミアの後ろから、血の気の引いたアマロが現れた。
「イレーネさま…イチノセが…!」
***
後事をレイミアに任せ、イレーネは一足先に、天幕を張った宿営地に戻ってきていた。
耳長狼のルーシェンが、天幕の入り口で見張っている。
「レイミアに言われて、イチノセを見ていたんですけど…途中から熱で浮かされたようになって……」
アマロの話を聞きながら、イレーネは額に手を載せて、熱を計った。息が荒く、心拍も速い。じっとりとした汗が肌に貼りついている。
「アマロ、水を沸かして。まずは水を飲ませて脱水症状を緩和するわ」
アマロが水を沸かすと、イレーネはそこに塩をひとつまみ入れ、さらに粉薬を混ぜた。
「ミーシャ? 自分で起きられる?」
ミーシャス・イチノセは、うっすらと目を開けて、イレーネを見つめた。
「大丈夫です…」
そう言って体を起こした。といっても、イレーネの助けが必要だったが……。
「…まずい」
あてがわれたカップの水を飲み干してから、ミーシャは不機嫌そうに言った。身体がだるく、意識が遠くなっている。周囲に気を回す余裕すらない。
「解熱剤よ…。これで少しは症状が軽くなるわ。発熱の他に、どんな症状があるか言える?」
「頭と、関節が痛いです…。あと気分が悪くて……」
(頭痛、関節痛、悪寒、それに発熱、頻脈ね…)
イレーネは魔法薬を作ることができるとはいえ、診断ができるわけではない。
それに、傷薬や、栄養剤、気付け薬などは持っているものの、冒険と関わりの少ない薬は用意していない。
《治癒の掌》は、人間の治癒力を高める魔術だが、同時に病原菌も活性化されることがあり、むしろ病態を進めることになりかねない。
「……。『温泉郷』かしら」
イレーネの脳裏に、一つの地名が思い浮かんだ。
『温泉郷』とは、その名の通り温泉の湧く土地である。そこに行けば、温泉療養のための人々を目当てにした司祭や、治療師がいるだろう。
彼らに見せれば、ミーシャの病気と治療法が分かる。
逆に言えば、イレーネの能力では、ミーシャの病気を治療することは出来ないのだ。
しかし、『温泉郷』に向かうとしても、ミーシャの体力がどこまであるかが問題である。
(ここで、様子を見るか…。山賊の砦の寝台まで行かせて寝かせるか…。あるいは、『温泉郷』まで《飛翔の翼》で飛んでいくか…)
***
結局、夜明けを待って、イレーネは温泉郷へと出発することにした。
《飛翔の翼》は、最速の移動手段だが、重量が増えれば消費する魔力も比例して増える。
イレーネの魔力では、荷物を持たない自分を、一度に二時間ほど飛ばすのが精一杯だ。
ミーシャを抱えて飛ぶことはできるが、それでどれだけの時間を飛ばせるか……。
そのような不確定要素があるのに、さらに夜間飛行を行う危険は冒せない。
この世界には、「落ちた人を助けようとして、落とし穴にはまる」という諺がある。「ミイラ取りがミイラになる」と同じような意味で、目的を達成しようと急ぐあまりに、自分も失敗してしまうことを戒める言葉だ。
気を揉むが、イレーネはそのような愚を犯すわけにはいかなかった。
それに、今のうちにしておかなければならないこともある。
「イレーネさま…イチノセちゃんは大丈夫ー?」
「解熱剤を飲ませたから…今のところは落ち着いているわ…」
イレーネは、耳長狼ルーシェンに頼んで、『赤毛の狩人』レイミアを呼び戻していた。
ここを離れるとなれば、今のうちに聞かねばならないことがある。
「…ミーシャが病気になった以上、夜明けを待って、温泉郷へと赴くつもりよ。だから、今のうちにレイミア、それにアマロに聞いておきたいの。『ゼファーに追われるけれど、それでも私達に同行してくれる?』」
イレーネとミーシャは、追われる立場である。罪を犯したわけではないが、権力者に睨まれているのだ。ここで別れても仕方がないだろう。
最初に声を上げたのは、レイミアだった。
「……んと、かまいませんよー。私もゼファーとは遭遇してますし。でも、同行するなら、一つだけ頼みを聞いてもらえませんか?」
「どんなこと?」
「私は、『赤毛の狩人』って二つ名だと皆に思われてるんですけどー、本当は、『赤毛の森人』なんです。
私を育ててくれた父さんは、『森人』という一族に属していたらしくて。
私は『森人の一族』を、ずっと探してたんです。だから『森人』を探してください。それが条件で、どうですか?」
「分かったわ…。『森人』の話は聞いたことがないけれど…情報を探してみる」
「ありがとうございます!」
レイミアは頭を下げた。
アマロはそれを見やって、曰く言い難い表情をした。
(レイミアも、イレーネさまも、自分のやりたいこと、すべきことを分かっている。でも、あたしは……あたしには何があるんだろう…)




