36話『復讐するは誰にありしか』・下
イレーネは、イングレッドの一騎打ちを奇貨と見なした。
一騎打ちとなれば、ほとんどの山賊がそれを見物しようとするだろう。イレーネは、その隙に砦の内部を制圧するつもりだった。
《豪炎のラングレッジ》
魔法水晶を嵌めた篭手が輝き、死をもたらす業火を辺りに撒き散らす。
出会い頭の一撃に、山賊たちは誰も対応できなかった。警戒すら出来ず、炎のシャワーに全身を焼かれて、山賊はひとり残らず絶息した。
そうして、イレーネは砦を隅々まで巡り、山賊を倒し、金目の物に見当をつけて、再び、砦の崩れた二階へと出たのだった。
砦の二階では、見物人となった山賊たちが、頭領と養子の一騎打ちに歓声をあげていた。
砦は死屍累々たる有り様だが、勝負に熱中していて、気づいたものはいない。
(ふむ…。山賊の中に、弓に弦を張っている者がいるわ…。頭領が危なくなったら、矢を放って、イングレッドを殺すつもりのようね)
だが、その悪巧みに、イレーネが従わなければならない理由は、どこにもない。
《衰弱の霧》
そして《昏睡の掌》
《衰弱の霧》を吸いこめば、強い酒精を呷った時のように、気づかぬ内に感覚がぼやけ、運動機能が低下する。
《昏睡の掌》によって、触れられた者は深い眠りへと誘われる。
元々、イレーネの『霧の魔女』の二つ名は、彼女の対多数戦術を指して名付けられたものである。多数の山賊を気付かれぬ内に、制圧するなど、イレーネには赤子の手をひねるようなものであった。
山賊たちを衰弱させ、また触れて静かに眠らさせていく。
(おっと!)
イレーネは物陰に隠れた。
イングレッドからの視線を感じたのである。こちらを窺っているようだった。
(見ぬかれた…? もう、ここにいる山賊は全員、制圧したから問題はないけれど…)
物陰から盗み見たところ、イングレッドは勝負に出たようであった。左手の盾を捨て、槍を両手で突き出し、オウ・アグラを落馬させた。
「いいや。姉は関係ない。…俺は『聞いただけだ』。…お前の愚かなところは、自分の側だけで物事を考え、敵が何故そうするのかを考えていないことだ」
イングレッドの声が聞こえてきた。
(『聞いただけ』…か。 私達の計略を盗み聞いて、今日でなければ仇を討てないと知って、一騎打ちを申し込んだのね。
こちらを見ていたのは、イングレッドは、伏せられた弓兵に気づいていたから。……それで私が山賊を倒すまで、彼も勝負を仕掛けなかった。そういうことかしら)
そう推測しながら、イレーネは内心頭を抱えた。もし、推測通りなら、イングレッドは超一流の追跡者というしか無い。
今回、共闘したような形になっているが、イングレッドとは、盟友ではない。それどころか、ミーシャを狙う敵なのだ。
その技が自分たちに向けられるのは、ぞっとしない。
「……」
イレーネは警戒心を維持しながら、身を潜めた。これから、イングレッドと戦闘になる可能性も、大いにありえるのだ。
そこに、イングレッドの声が投げつけられた。
「感謝するぞッ! レイミアと仲間たち! ここは退く!」
男は、悠然と鹿首を巡らして、去っていった。
***
「は、は、はは。 …馬鹿な奴! ここで俺を逃すとはな!」
オウ・アグラは闇雲に逃げ出したわけではなかった。彼には一つの算段があったのだ。
(トリスと会合していた場所……、あそこで、あの魔女は、別の場所をチラリと覗き見ていた。もし、俺の考え通りなら…あの辺りに金貨が隠されているはず!)
盗賊はトリスと会合した谷間まで戻ると、月明かりの中で目を凝らす。
「やった、土が掘り返されている後だ!」
オウ・アグラは喜び勇んで、土を掘った。スコップは無く両手で掘り進むしかなかったが、想像通りに、固い手応えがあった。金貨の入った袋だ。
「やったぞ! 金貨100枚だ! ハハハ! これで再起できる。この金で身を隠して、いずれあの姉弟に復讐してやるぞ!」
「『いずれ』なんて、お前のような男にあると思うの?」
ランタンの覆いが外され、あたりに光が満ちた。
イングレッドの姉のクルースが、手にランタンを持って佇立している。
「……あ、ぐっ」
オウ・アグラは二の句が継げなかった。
下からの明かりに照らされて、クルースは不気味な表情を浮かべていた。仇への『怨嗟』と、復讐の『歓喜』がないまぜになった、恐ろしい表情。
「『森』は、人々に豊かな恵みを与えもするけれど……、同時に、森にまつろわぬ無礼者には容赦なく奪いもするわ。あなたは、どちらかしら」
クルースは、何の武器も携えていない。静かに話しかけただけだ。だが、静かな口調がかえって、オウ・アグラに威圧を与えた。
「私は、あなたから隠れるために、『森』に逃げ出さなければいけなかった。
当時16歳の私には、『森』は過酷だったわ。何度も死にかけた。その時、分かったの。『森』は観ている。私が恵みに値するか否かを『品定め』しているって」
「ま、待て! お前がイングレッドと戻ってきた時、俺は、赦しただろう? 本来なら、山賊に捕まった人間が生き延びられるなんて、そんな幸運はないんだぞ?」
「まさか、それを恩に着れというの?」
声に、冷ややかな怒りが混じった。木の枝を掴んで、クルースが一歩近づく。
「…そ、そうだ! この金貨を山分けにしよう! これで、姉弟仲良く暮らすといい!」
言うやいなや、オウ・アグラは金貨を投げつけた!
顔に一つ、喉元に一つ。
この距離では、どちらも躱すことは出来ない、そう睨んでの不意打ちだった。
だが。
「無駄よ」
クルースが、掴んでいた木の枝を離すと、金貨の礫は2つとも、木の枝に弾かれてしまった。
「話が途中だったわね…。私は、『森』を知った。そして『森』も、私を知ってくれた。そして『森の精霊』と語り合い、私は『森』の『精霊使い』になった」
「精霊使い…」
オウ・アグラは、血の気が引いた。精霊使いは、魔術師ほどには有名ではない。努力や学習してなれるものではなく、すべてが天性に左右されるからだ。
しかし、それだけに、精霊が司る分野においては、魔術以上の力と応用性があると言われている。
(クルースは『森』の精霊使い…。そして、ここは『森』のど真ん中…!)
オウ・アグラは絶体絶命に陥っていた。
まさか、ようやくイングレッドから逃げ出したというのに、その姉に捕まるとは……。
「クルース! お前の弟は、俺を見逃してくれたぞ。……だ、だから」
「そう、弟が…」
苦し紛れの一言だったが、クルースは初めて興味を示した。
「まったく、イングレッドは甘いというか、鷹揚というか……。コットゼブエ家の再興も熱意が欠けているように見えるし…ほんと、仕方ないわね」
「そ、そうだろう! なら、助けてくれ!」
「嫌よ」
クルースは言下に否定した。
「仕方ないといったのは、弟に対してよ。弟は、父が騎士だった頃を知らないし、お前に両親が殺されたところも見ていない。
弟の言うとおり、オウ・アグラ”おじさん”は、自分の都合でしか物事を量れないのね」
風もさほどないのに、葉擦れの音が嘲弄するかのように大きくなった。
「私は、お前が父を殺すところを、見ていたわ! 母にしたことも、かまどの中に隠れて見ていた! その私が、お前を許すかよ!!」
山賊の頭領にして『黒き葬送』オウ・アグラは、小さな悲鳴をあげた。
今度は、葉擦れの音が、唸るように喚き立てている。
「お前は『森』の木の枝に、金貨を投げつけた! 無礼を働いた者を『森』は決して許さない!」
限界だった。
オウ・アグラは、恐怖に抗えず、逃げ出した。
否、逃げ出そうとした。
「うわっ」
数歩と歩むこと無く、男は木の根に躓いた。
暗闇の中、とっさに両手をつこうとする。だが、昨日の雨を吸った苔が、彼の両手を滑らせてしまう。
オウ・アグラは、頭から地面に突っ込んでしまった。
あろうことか、そこには枯れ枝が落ちていた。ささくれだって尖った枝が、ちょうど彼の瞳の位置に来るような枯れ枝が。
「~~~~~~!!」
本当に強い痛みは、人を黙らせる。全力で、ただただ痛みに耐えるしか無いのだ。
ゆえに、クルースが言った言葉を聞き取れたかどうかは、オウ・アグラにしか分からないだろう。
「眼球が串刺しになって、両目が見えなくなったでしょうけど、ここまでは両親の分。私の分は、これよ」
クルースは、ナイフを取り出して、足首のあたりを斬りつけた。
「足の静脈を傷つけたわ……。大丈夫、失血死するほどじゃないわ。あなたのおかげで『森』の精霊使いになれたようなものだし…まけといてあげる」
オウ・アグラに慰めがあるとすれば、この時のクルースの表情を、見なかったことだろう。
呻くオウ・アグラに、クルースは、冷酷に続けた。
「両親の分の『眼球』、私の分の『足首』、弟の分の『肩』……。これで復讐はおしまい。……後は『森』の裁きに任せるわ。
ねぇ、知ってるわよね? この『森』には狼が出るのよ。
血の匂いを漂わせ、目も見えず、思うように動けないでしょうけれど、あなたに天運があれば、きっと助かるわ」
森の葉擦れがゴウッと鳴った。
***
「『赤毛の狩人』のレイミアさん?」
ひとまず復讐を果たしたクルースは、そう辺りに呼びかけた。
音も立てずに、レイミアは木の枝から飛び降りた。
レイミアがここに居たのは、理由がある。
そもそも、イレーネがこれ見よがしに、金貨の袋がある場所を見つめていたのは、山賊をここにおびき寄せるためだった。
イレーネは、討ち漏らした山賊がこの谷間に逃げこむように、あらかじめ餌を撒いておいたのだ。そして、レイミアは、金貨の袋を埋めた近くの木に登って、盗賊が来るのを見張っていたのである。
……精霊使いのクルースが現れるのは、想定外だったが。
「素直に現れてくれるとは、思わなかったわ」
「『森』の精霊使いがいるのに、『森』に隠れるほどマヌケな話はないからねー」
「それも、そうか。……で、お願いがあるんだけど…、この金貨100枚を、私にくれない?」
レイミアは逃げるべきか、戦うべきか、判断がつきかねた。
精霊使いは数が少なく、能力も千差万別だ。そして、厄介なことに、外見では実力を見抜きにくいのである。
「嫌だ…って言ったら?」
レイミアは、話し合って時間を稼ぐことにした。
「あーっとっと。別に今のところ、あなたと敵対するつもりはないわよ。仇討ちを終えたばかりで、そういう気分じゃないしね」
予想に反して、クルースは手を振って、敵意のないことを示した。
レイミアは無言のまま、様子を見守っている。
「ただ、山賊に支払った分の金貨100枚を回収したいだけ。代わりにってのはアレだけど、山賊の砦にある宝は、あなたたちの好きにしていいし…。むしろ収支はプラスになるはずよ」
「……ゼファーの『追っ手』じゃないの?」
「いや? 『追っ手』ではあるわよ。ただ、御家再興のための仕事でしか無いからねぇ……。命かけてまでやる気はないわ」
あくまで仕事だというように、クルースは飄々(ひょうひょう)としている。
「んー。まぁ、そうねぇ。あなたたちのお陰で、親の仇討ちも出来たようなものだし……半月ほどは、ゼファー様に報告しないであげるわ。…で、この金貨100枚を、もらっても良いわよね?」
言いながら、すでにクルースは金貨の袋を持ち上げている。
「なるべくなら、永遠に敵になってほしくないなぁー…」
「悪いけど、私達も必死なのよ。鎧一式揃えるのにも、金貨で250枚はかかるし、家名を名乗れるように、武勲も立てなきゃいけないからね」
話が終わるのを見計らったように、精霊憑きの大鹿が落ち葉を踏みこんで現れた。
暗がりの中で、何故かうっすらと光っているように見える。
クルースは鹿の首を撫でつつ、「なに? イングレッドを落としてきたの? 仕方ないわねぇ」などと、鹿に話しかけている。
レイミアを警戒した様子もない。精霊使いは、鹿に飛び乗った。
「それじゃ、今度会った時は、恨みっこなしってことでね」
そう言い置いて、クルースは去っていった。鹿の行く先を、森の木々がまるで避けるかのように、左右に割れていく。
レイミアは我ながら珍しく、長い長い溜息をついた。
***
精霊を宿した大鹿が森をゆく。
『精霊憑き』には、不思議な力が宿る。闇夜の森の中でも、昼間と同じように鹿は歩いていた。
「どうしたの『森の踊り手』?」
精霊使いのクルースが、鹿に声をかけた。なぜか、鹿が歩みを遅くしたのだ。
鹿は、ついには立ち止まり、答えないままに、体を伏せてクルースを降ろそうとしてくる。
「なんなのよ…もう」
言いながらも、クルースは鹿から降りた。
鹿は、クルースに顔をすり寄せて、フードを跳ね上げた。枯草色の髪が顕になった。
そして、鹿はクルースの涙を舐めとる。
そう、クルースは泣いていたのだ。
「そうね…森の踊り手……。私はさ、姉ちゃんだから…泣くとこなんて、弟に見せらんないわよね……。
イングレッドを落としてきたのも、私のためだったの? 私が泣いてるところを弟に見られなくてすむように?」
鹿は、キュウンと鳴いた。
「なんだろうな……仇を討てて、嬉しいはずなのに、なんだか、泣けてくるんだよ……」
クルースは鹿の首を撫でてやった。
「ありがとう……月が、あの枝にかかるまで……それまで、泣くわ」
森の静寂の中で、彼女は泣いた。
「父さん…母さん…!」
その声は、『森』の静寂と暗闇に、紛れて、溶けて、消えていった。