36話『復讐するは誰にありしか』・上
(まったく、奇妙なことになったわ。嘘から出た真というやつね…)
イレーネはそう思わざるをえない。イングレッドは、怪我をして逃げ出したはずだった。舞い戻ってくる可能性は考えていたが、山賊の敵として戻るなど、イレーネの想定の範疇を超えていた。
オウ・アグラとイングレッドは、砦の正面で対峙している。
砦の壁上に松明が多数掲げられ、二人の男を照らしだしている。
一騎打ちのため、オウ・アグラは馬に乗り、イングレッドは大鹿に乗っていた。互いに長槍を構えている。
「てめぇを串刺しにするまえに、ひとつ聞いておく…。なぜ、今になって、この俺『黒き葬送』オウ・アグラに刃向かう? 俺に払った金が惜しくなったのか?」
「今を逃せば機会がないからな。……どうせ、分からぬだろうが…。俺は仇討ちを気取るつもりはない。だが……ここでお前を殺せなければ、一生ものの悔いが残るッ! これはケジメだッ!」
「わけのわからぬことを…。お前を仕込んだのはこの俺だ! お前はわざわざ、殺されに来たに過ぎぬわ!」
オウ・アグラは槍を構えた。
(やはり…! こいつは、右肩と左足を怪我しておる。槍を持つのがやっとだ。そんな怪我で、なぜ一騎打ちを仕掛けてきたのかわからんが……。お前の親が騎士だったことに由来するのか…? 馬鹿なことを…)
オウ・アグラは、根っからの盗賊だった。その彼が一騎打ちを了承したのは、相手の怪我を見て取ったからである。
それに、万が一、一騎打ちで負けそうになったとしても、仲間たちがイングレッドを殺す。
そういう段取りになっていた。
「……」
イングレッドも、槍を構えた。だが、オウ・アグラと異なり、槍の穂先が揺れていた。
***
イングレッドには、公的には家名がない。
父が、母と”道ならぬ恋”をして、自治都市フェレチに駆け落ちをしてきた時に、家名…コットゼブエを捨てたらしい。
イングレッドが生まれた時にはすでにフェレチで暮らしていたため、家名がないのも、貧乏暮らしなのも当たり前であった。
それに貧乏暮らしといったが、周囲と比べて暮らし向きは良かったと、イングレッドは記憶している。
おそらく、鎧兜などを売り払って、お金は沢山あったのだろう。
しかし、それでも母親は息子に贅沢をさせられないことや、家名を名乗れないことを、事あるごとに謝ってきた。
物静かな父は何も言わなかったが、それを好ましく思っていないことは子供心に理解できていた。
その父が一度だけ、自分が騎士だったと明かしたことがある。
五旬節の祭日のときだった。
少年のイングレッドは、母に頼まれて、食事ができたと父に伝えに行ったのだ。
父はイングレッドを見つけると、薪割りをしている手を止め、薪小屋の奥から紋章が描かれた盾を取り出して言った。
「これは、コットゼブエ家の紋章だ。…その昔、私の曾祖父さんのそのまた爺さんが、えらい若様をお助けした時にいただいたものなんだよ。コットゼブエという家名と一緒にな」
「ふーん」
大して興味なさげに、イングレッドは返した。実際、十歳の子供にとって、祖先の話など面白くもない。
彼にとっては、五旬節のごちそうが冷めてしまうことの方が心配だった。
父は、笑った。
今思い返してみれば、苦笑したんだと思う。
「退屈か?」
「そういうわけじゃないけど……」
そう口ごもってイングレッド少年は、家の方を見た。ごちそうが待っているのだ。
「まぁいいさ。こういう話をするのは、少し早かったかな」
父は、息子の髪をクシャクシャにして、また笑った。
「ただ、もし、これから大変なことが起きたとき、セスムサのドレープカウ家を頼るといい。ドレープカウ家のレフィット殿ならば、なんとかしてくれるはずだ」
イングレッドは今でも思う。「どうして、あの時、この言葉を思い出さなかったのだろうか」と。
そして、そんなこともすっかり忘れたある日、イングレッドが家に帰ると、意地悪な姉も、両親も、居なくなっていた。
「ただいま」と声をかけても、返事はなかった。そして変な臭いがしていた。
肉屋を通りがかった時にするような臭い……当時のイングレッドはそう思った。
――それは、血臭だった。
奥から現れたのは、オウ・アグラだった。どういう理由かは知らないが、両親と親しくしていた”おじさん”だった。
「坊主か…。…見ない方がいい。……ある意味、運が良かったな」
そう優しげに言って、オウ・アグラは少年を家から離した。
何が何やらわからぬままに、イングレッド少年の両親と姉の葬式が行われた。そして、イングレッドは、オウ・アグラの養子となった。
そして、齢20を越えるまで、イングレッドは何も疑うこと無く、オウ・アグラの元で育てられ、盗賊の技術を学んだのだった。
父母の死んだ今、オウ・アグラがどのような来歴の持ち主なのか、もはやイングレッドには分からない。
だが、推測はできる。
おそらくは、父母の駆け落ちを助けたのだろう。
(父母は、このおじさんに借りがある…)
そう思ったからこそ、オウ・アグラのシゴキに耐えてきたし、いつのまにか山賊の頭領となった時も、ついていったのだ。
……姉であるクルースが、山賊に捕らえられるまでは。
彼女から、イングレッドはすべてを聞いた。
あの時、家の中で姉は震えながらも、隠れていたのだ。
両親を殺したのは、誰あろう、オウ・アグラ”おじさん”であった。当時、金に困っていたオウ・アグラは、両親を殺し、イングレッドを養子に迎えることで、両親の遺産を奪ったのだ。
***
「うおおおお!」
オウ・アグラの馬と、イングレッドの大鹿が交差した。
咆哮とともに、槍が突き出される。
強い金属音が辺りに響いたが、その数は一つだった。
一方は盾で勢いをそらされ、もう一方は狙いをつけることさえ出来なかったのだ。
初めはイングレッドも槍を突き出せていたのだが、激突を繰り返すたびに肩の傷が痛み、今や、槍を抱えるのがやっとの状態であった。
「…そうか。思い出したぞ。イングレッド。仇討ちと言っていたが……この俺を両親の仇だと見破ったってことは、お前と一緒に逃げた女は、姉のクルースか」
槍を握りなおして、オウ・アグラは言った。
一方の、イングレッドは、槍を持つのがやっとという有り様である。
盾の中心を突かれずに、うまく力を逃せたから良いものの、このままでは落馬するだろう。
「それで俺を殺しに来たというのか。ハハハハ! こいつは傑作だ。あの女、どこか引っかかっていたんだが、母親のクロリンダに似てたのか。まさか、お前の姉だったとはな」
狙いを付けられぬイングレッドに、オウ・アグラは勝ち誇った。
「姉に言われるまで俺を疑いもしなかったくせに、仇討ちとは片腹痛いわ! 何も知らずに俺に仕えていれば、よかったのになぁ!」
いいざまに、オウ・アグラは槍を構えて突進してきた。一瞬遅れて、イングレッドも、鹿を走らせる。
だが、槍の穂先はぶれて、突き出せそうもない。……そのように見えた。
(な…!)
オウ・アグラは、信じられぬものを見た。
イングレッドが盾を捨てたのだ。そして、槍を両手で掴んだ。
(なるほど、両手で槍を支えようというわけか。…馬鹿め。肝心の胴が、がら空きだ! 串刺しになるのはお前のほうだ!……死ね!)
イングレッドは、両手で持っているというのに、未だ槍の穂先すら、安定させることができていない。
勝利を確信したオウ・アグラは、自信満々に馬を走らせた。
そして、交差の一瞬前。
集中力によって、伸ばされた時間感覚の中で、オウ・アグラは見た。
不意に槍の穂先が定まり、突き出されるのを。
その先は、喉元だった。
(やべぇ!)
オウ・アグラは仰け反って、とっさに槍を躱そうとした。
***
衝撃を受けて、オウ・アグラは落馬した。
一瞬後に、槍の軌道が変わって、オウ・アグラの肩を突いたのだ。
「やはりな…。オウ・アグラ”おじさん”。アンタ、抜けているぞ」
落馬したオウ・アグラを大鹿の上から睥睨して、イングレッドは言った。
「姉を逃して禍根を残し、せっかく俺の両親から奪った金銭も使い果たし、果てはフェレチの盗賊ギルドから追い出されて、ここでお山の大将を気取っている……。憐れだな」
だが、オウ・アグラに怯えはなかった。むしろ大笑する。
「フハハハ……抜けているのは、イングレッド、お前の方よ! 射手共! こいつに矢を放て!!」
山賊の頭領は、砦にいる配下に向かって叫んだ。
砦には射手が潜み、合図とともにイングレッドに矢を放つ目論見であった。
「何をしている! 早くやれ!!」
焦って、オウ・アグラは叫んだ。飛んで来るはずの矢が、一矢として降ってこなかったのだ。
「だから、言ったろう? 『抜けてる』ってな」
呆れた様子で、追跡者・イングレッドは言った。
「 ……お前は、俺が怪我をしているのを見て取って、しかも部下の前で力を示そうと、射手の保険までかけて勝負を挑んだんだろうが……。
どうして、今、俺が怪我を押してまで、一騎打ちを申し込んだと思う?」
「ま、まさか、クルースが砦の射手を始末したのか?」
「いいや。姉は関係ない。…俺は『聞いただけだ』。……”おじさん”の愚かなところは、自分の側だけで物事を考え、敵が何故そうするのかを考えていないことだな」
オウ・アグラは、尻餅をついたまま言葉も出せない。
「自分の側の都合だけ考えて、戦略を考える。それじゃあ、海千山千の盗賊ギルドには勝てないぜ。今更言っても、しょうがないがな……」
その言葉が、死刑を執行する宣言なのだと、オウ・アグラは気づいた。
山賊の頭領は喘ぐ。
「おい、ま、待って…。俺は、お前を『我が子』のように育ててきたんだぞ。…そ、それに、一騎打ちじゃあ、落馬したところで勝負は終わりだ。…これ以上、戦っても意味が無いだろ?」
「負けを認めるのか?」
「…ああ! もちろんだ。砦も捨てるし、もう、お前の前には顔を見せない。だから、頼む!」
イングレッドは槍を引いた。
「”俺は”、もう構わん。最初に言ったとおり、仇討ちを気取るつもりはない。一応の決着をつけたかっただけだ。どこへなりとも行け」
「あぁ…ああ」
オウ・アグラは何度も頷いて、馬に飛び乗り、逃げ去った。
イングレッドは、奴の後姿を油断なく見張っていたが、不意に槍を捨てた。
否、持っていられなかったのだ。
「……やれやれ。怪我をした状態で、槍を持つのは、やはり無茶だな。レイミア達が砦を襲う計画を盗み聞かなければ、こんなに焦ることもなかったが……」
そう独り言を言って、イングレッドは鹿首を巡らす。
「俺の知ったことじゃないが…果たして、自分の都合しか考えないオウ・アグラ”おじさん”は、この『森』から逃げられるかな? 」