35話『What's in it for me?』・下
レイミアの推測通り、尾根と尾根に挟まれた谷間に待子がいた。
待子とは、勢子と呼ばれる追い込み役が、獲物(つまり、ミーシャたちのことだ)を追い立てる先に待ち構えて、討ち取る役割の人間である。
つまり、彼らは山賊の主力なのだ。他の山賊よりも良い武装をした男が三人いる。むろん、見えていない場所にも、伏兵をしているだろう。
「話がある! 『黒き葬送』オウ・アグラ!」
イレーネは、両手を上げて近づいていった。
レイミアは、山賊たちが元々は猟師であったことを推測していた。勢子を使うやり方を見てもそうだし、罠の仕掛け方も猟師のやり方だったからだ。
「何者だ!」
山賊の一人が、そう叫ぶのを、男が片手を上げて制止する。
黒い目に黒い髪の男だ。彼が、ギルド長『黒き葬送』なのだろう。
「私の名は、トリス! アイヴィゴース家所縁の者よ! イングレッドに裏切られた! 裏切られた者同士、協力しあいたい!」
「裏切られただと? どういうことだ!?」
互いに少しずつ、距離を詰めていく。ギルド長を除いて、山賊たちに警戒した様子はない。
(弓兵を潜ませているわね……。木に登っているのが二人…。警戒していないのは、それが原因か)
《生命の眼》の魔術で、イレーネは伏兵を看破していた。
攻撃するには難しいが話し合うには十分な間合いで、山賊たちと魔女イレーネは止まった。
「どうもこうもないわ。 イングレッドの鼠頭にやられたのよ。これを見て」
イレーネは、ローブの裾をまくり上げた。
腕には包帯の跡があり、血が滲んでいる。
「魔術を修めてなければ、死んでいるところだったわ」
「おい、何なんだ。お前。どうしてここを知ってる?」
山賊の一人が声を上げた。
「まだ、分からないの? 私達は、イングレッドに嵌められたのよ。 あいつは『銀色の髪の乙女』がいるなんて嘘をついて、私をここに誘いだしたの。それで、寝込みを襲われてこのざまよ」
「ちょっと待て。詳しく、最初から話してもらおうか」
山賊の頭領オウ・アグラが、そう言った。
イレーネ扮するトリスが言ったのは、こうであった。
トリスはイングレッドの上司で、『銀色の髪の乙女』の探索を命じていた。そして、彼から、ここで『銀色の髪の乙女』が守られていると聞かされてやってきた。
野営をしているときに奇襲を受けて、自分だけがどうにか生き延びた。
「その時に見たのよ。イングレッドと、もう一人をね。鹿に乗って、逃げていったわ。もし、それを見なければ、山賊に襲われたと誤解するところだった。そして、奴の思惑通りに、山賊たちと殺しあうところだった」
「そんな与太話を信じろってか?」
オウ・アグラが、凄みを利かせて言った。
「だいたいイングレッド一人で何ができる? それに何の得がある?」
「一人じゃない。精霊使いの女と、精霊憑きの大鹿もいたのよ。それに得ならある。私が持っている活動資金の金貨300枚。それに、山賊に支払った金貨300枚。これをまるまる懐に入れるつもりよ」
「なんだと? こっちは金貨100枚しかもらってないぞ」
こう言ったのはオウ・アグラではなく、取り巻きの山賊である。
アグラは舌打ちをした。
たやすく、内情を暴露する愚か者に怒りを覚えたのだ。
「やっぱり、イングレッドは金貨を着服していたのね…」
そうイレーネは独り言のように、呟いた。
むろん、払った金貨の額は、イレーネのでまかせである。金貨を支払った事自体は、捕らえた山賊タンガーリの尋問で知っていた。
多めの額を告げることで、山賊にイングレッドに対する怒りを燃え上がらせるための謀略である。
「そこで、提案があるわ。イングレッドがこの場所を選んだのは、森こそが追跡者にとって、有利な場所だから。魔術師の私一人では不利だわ。そして、あなたたち山賊もイングレッドに騙されている」
「おい、待て。お前の事情は分かったが、俺達が騙されていると、はっきりしたわけじゃねぇ」
「まだ、そんなことを言っているの? 居もしない『銀色の髪の乙女』を捕まえるために、方々に人を放ったでしょう? どうしてだと思う? イングレッドは一人ずつ、あなたたちを狩るつもりなんだわ」
「……」
山賊たちは黙った。
どうやら、私の話が本当かどうか見極めようとしているらしい。
(こういう時は、もっと大きな衝撃を与えて引っ掻き回すべきね)
「そこで一つ提案があるの。オウ・アグラ。私に雇われてみる気はない? 金貨100枚で護衛をお願いするわ」
「なに?」
(眼の色が変わった…)
イレーネは内心で、会心の笑みを浮かべる。
「あなたたち、『夜更けの切望』にフェレチの街まで、護衛を頼むわ。ここからなら、一日程度でつけるでしょう? 一日で金貨100枚。これほど割のいい仕事は他にはないわよ」
イレーネは、腰につけた布袋を、大地に放る。ジャラリと音がして、袋から金貨がこぼれ落ちた。
山賊たちに動揺が走った。
イレーネが話していたのは頭領オウ・アグラだが、標的はむしろ、取り巻きの山賊たちだ。
山賊たちにとって、イングレッドはかつての仲間だ。それが山賊ギルドを足抜けし、ぬけぬけと大金を持って舞い戻ってきていた。
残された山賊たちが面白かろうはずはない。
イレーネは、かつての仲間に顎で使われることを妬み、目の前の金に、たやすく心動かされる子分たちを標的にしたのだ。
彼らを焚きつければ、その頭領たるオウ・アグラも影響されずにはいられない。
現に今、金をイレーネに返して、断るという選択肢はオウ・アグラにはなくなっていた。
「おい、トリスとやら!」
オウ・アグラは、一瞬の内に距離を詰め、魔女の腕を掴んだ。
「金貨は受け取ってやる。だが、100枚じゃ足りねぇな」
「それは護衛代として足りないということ? それとも…」
「金貨200枚だ。 そして、護衛じゃなく協力しろ! イングレッドの奴をぶち殺すためにな」
「それこそ、私に何の得があるっていうの? 金を出して、自分の身を危険にさらす? まるで私が馬鹿みたいじゃない」
オウ・アグラは凄みを利かせた。
イレーネの腕を捻り上げる。
「いいか。ここで、金貨100枚と自分の命を失うか。または金貨200枚を使って、自分の命とコットゼブエの命を得るか。どちらかだ」
「……」
イレーネはオウ・アグラを睨みつけた。
手を封じられては、頼みの綱の魔術を使えない。仕方なく、しぶしぶ賛同する。…そういった演技をした。
「……わかったわ。追加で金貨100枚を渡すわ。それと、山賊を集めてちょうだい。このまま分かれていたら、コットゼブエに良いように各個撃破されるだけだわ」
イレーネは、山賊たちを近くの木に案内した。そして、木の根元を掘る。そこには袋があった。金貨の詰まった袋だ。
中身を確かめて、『黒き葬送』オウ・アグラは言った。
「いいだろう。『夜更けの切望』ギルドの頭領として、約束は守る」
***
イレーネの行動は、すべて演技である。
最初から、ひとつの目的、山賊たちを一箇所に集めるための演技だった。
金貨袋を渡すことが、遠くで見守っていた『赤毛の森人』レイミアへの合図になっている。
今頃は、離れている山賊を狙撃しているだろう。
(目当ての人物がおらず、かつての同僚に裏切られ、その同僚から狙撃されたということになれば……人間の心理として、一箇所にまとまろうとする)
山賊がどう反応するかによって、イレーネは、それぞれの策略を考えていたのだが、基本的発想として山賊を一箇所に集めたところで、広範囲魔術を使うつもりであった。
魔術師の中で、広範囲魔術を実用的に使えるものは、千人に一人程しかいない。さすがに、山賊にとっては想定外であろう。
一方、山賊の頭領オウ・アグラにも計算がある。
どれほど魔術が巧みでも、魔法陣を構築するのには時間が掛かる。それまでに斬りつけるなり、押さえつけるなりすればよいのだ。
イレーネは、護衛という名目の山賊に取り囲まれて、山賊のねぐらに案内される。すでに全員帰還の合図となる笛が鳴らされ、四方へ散った山賊たちも戻ってくるだろう。
山賊どもは、トロウグリフ王朝以前の砦を補修して使っているらしい。二階や屋根は一部崩れ落ちているが、石造りの一階と地下は無事なようだ。
砦の地下で、食事が振る舞われた。20人ほどが出席している。太った飯炊き女が、食事をより分けている。
「他の人間は?」と、イレーネは隣の山賊に尋ねた。
「コットゼブエに、矢を受けて治療中だ。あと数人は、砦の見回りだ。夜襲されるかもしれないからな!」
「なるほど……」
イレーネは会話をしながらも、砦の構造を頭の中に入れている。雇い主とはいえ、不用意に動きまわっては警戒されるだろう。
寝静まった頃に、作戦を始めるつもりだった。
(懸念は…本物のイングレッドが戻ってくるかどうか、それにタンガーリね)
イングレッドは、すでに山賊たちに敵とみなされているし、怪我もしているから、積極的に関わろうとはしないだろう。そして、山賊に殺されるような人間でもない。せいぜいが、誤解を解こうとして山賊と接触するくらいだろう。
一方のタンガーリ……情報を得るために捕まえた男だが、すぐに目隠しをしたし、自分だと分かる情報は何も渡していないと、レイミアは言っている。イングレッドの相棒クルースも女だ。彼女が尋問したと思うだろう。
(……ミーシャが、病気で足止めされてなければ、山賊を無視して逃げることも出来たのだけれどね…。まぁ、言っても詮ないかしら)
面倒なことになったと思いつつも、ミーシャを見捨てようとは脳裏にかすめもしないイレーネであった。
***
角笛が響き渡った。
「敵襲だ!」
叫び声に続けて、山賊が武器を掴んで砦の中から出てくる。
イレーネも砦の崩れかけた二階に、身を潜めた。二階には、山賊の弓兵が数名、潜んでいた。軽く会釈だけを交わす。
「イングレッド! この裏切り者の脱走者め! のこのこと殺されに来やがったな!」
山賊が野次を飛ばす。
男は泰然として、答えない。
イレーネは二階の物陰から、イングレッドを見た。鋼鉄のような灰色の、なでつけた髪の男だ。意志の強そうな釣り上がった眉が印象的だった。
目立つ松明を掲げて顔を晒しているのは、勇敢なのか、無謀なのか。
矢が届かないぎりぎりの間合いで精霊憑きの大鹿に乗っている。
イングレッドは大声を張り上げて呼ばわった。
「『黒き葬送』殿に、話がある!」
(まずいわ…)とイレーネは思った。
不意の遭遇ならともかく、これでは部下の手前、『黒き葬送』オウ・アグラは話を聞かざるをえない。
イングレッドが敵であるという嘘が、暴かれてしまうかもしれない。
(ここまでね…)
イレーネは印を結び、精神を集中させて、マナを励起していった。
『黒き葬送』オウ・アグラが、砦の上に姿を表した。
手には太刀を握り、傲然と姿を晒している。さすがに、人を率いるだけあって、こそこそと隠れるような真似はしない。
「わざわざ縊り殺されにきたか! イングレッド! みなしごのお前を育ててやった恩を忘れやがって!」
「恩? 恩だと? 我が父母を殺し、姉と引き離したのは貴様だ! それを俺が知らないとでも思ったか!」
「ちっ」
山賊の頭領は舌打ちしたが、反論はしなかった。
ということは、確かに、このオウ・アグラはイングレッドの両親を殺し、それをひた隠しにしていたのだろう。
嘘から出た真というべきか、イレーネがついた嘘は、奇妙な真実味を帯び始めていた。
「アイヴィゴース家付き追跡者、『神速の』イングレッドが、オウ・アグラに一騎打ちを申し込む! 尋常に勝負しろ!」




