35話『What's in it for me?』・上
え、えーと。半月ほどサボってしまいました。
ごめんなさい。リアルが忙しくて、不定期更新になるかもです……。
レイミアは弓を引き絞った。
その先にいるのは『神速の』イングレッド。左足と右肩に『牙』が突き刺さり、動くことが出来ずに、座り込んでいる。
「じゃあ、イングレッド。武器を全部、こちらに投げてもらうよ?」
「…そんなことをしなくても、俺には、もう歯向かう余裕なんてないぜ。さっさと射ろよ」
「……殺すほどじゃないよ。アマロなら、きっと甘いっていうんだろうけどねー。武器を渡してくれたら、これ以上痛めつけるつもりも、殺すつもりもないよ」
「……」
イングレッドは数呼吸の間、沈黙したが、木を背にして立ち上がり、武器を投げ出した。
ナイフ、ショートソード、礫、ボーラと次々に投げ出す。レイミアは足で遠くに蹴飛ばした後、そばに寄って、それらを拾った。
『牙』と名づけた投擲用武器も、回収していく。
「どうして、イチノセちゃんを捕獲しようとしたの?」
「理由は知らないが、ゼファー様が必要なんだそうだ。俺はもともとアゲネ様に仕える追跡者で、一度、あの少女を捕まえたことがある。そのときに、顔を覚えてたせいで駆り出されたのさ」
「追手の数は何人?」
「さぁな。だが、あの少女の顔を見知っている奴は、おおよそ駆り出されたんじゃないか? 追跡者は俺以外には一人きりだが、騎士の十人ほどは顔を覚えているはずだ」
「ずいぶんと、あっさり吐くねぇー」
イングレッドは肩をすくめようとして、顔をしかめた。
右肩に『牙』が食い込んでいたのを失念していたのだ。左手で抜き去り、レイミアに投げ渡す。
「命を救ってくれた礼だ。まぁ、今はアイヴィゴース家も騎士が一人でも欲しい状況だ。どこにいるかも分からない銀髪の少女一人に、騎士を回すことはないだろうな……『クルース!』」
突然、叫んだかと思うと、イングレッドは無事な右足だけで跳躍した。
レイミアも飛びのいた。彼女の頬先を、矢がかすめる。
どこから矢が飛んできたかわからない場合、最善の行動は、素早く伏せ、物陰に隠れることである。
レイミアは転がり、木の陰に隠れた。刺さった矢の形から、後ろから放たれたと見極める。
「悪いな、レイミア! 俺の名はイングリッド・コットゼブエ。 クルースは相棒の名だ。これで借りは返したぜ!」
レイミアは、捨て台詞を吐いたイングレッドの後ろ姿を見つめた。相棒らしき女性と一緒に大きな鹿に乗って、逃げていく。
「あの鹿……精霊憑きだねぇ。相棒のクルースは『精霊使い』なのか。やられた……あれじゃあ、追いつけない。…危機は脱したけど……あいつ…、また狙ってきそうだし、なんだか負けた気がするよぅ…」
***
「いい負けっぷりを晒したわね。イングレッド」
大鹿を御しながら、女は悪態とも慨嘆ともつかぬ言葉を吐き出した。
「悔しいが、完敗だ。追跡者としては負けてないつもりだったんだが……あの『赤毛の狩人』とやらが一枚上手だったみたいだ」
「私を待たずに攻撃し始めるからよ。一緒にやれば勝てたわ」
クルースの言葉には、少々の苛立ちがあった。なだめるようにイングレッドは言う。
「こっちとしちゃ、クルースが追いつくまで戦いを膠着させるつもりだったんだ」
「それで負けちゃあ、世話ないわよ。それで、どうする? 山賊の連中は、まだ残っているんでしょ」
精霊を宿した大鹿は、二人を乗せながらも悠々と森をかけていく。
イングレッドは、しばらく黙ったままだった。
「ジーネ・イチノセを追うのは、やめておこう。一度勝負に負けて、さらにもう一度ってのは、さすがに仁義にもとるだろう。勝負の後、命を助けてもらった恩もあるしな」
「そっちは構わないわ。でも、山賊の方はどうする? 復讐できそう?」
イングレッドは、肩の状態を確かめた。
まだ痛みがある。
「悩ましいな…」
「そう…。それなら、ジーネの一党に期待させてもらいましょうか。
さんざん非道い目に合わされたのに、あの山賊ギルドの奴ら、こっちが恩義を感じているつもりでいるのよ。
ここで決着を、つけておきたいわ」
「まぁ、レイミアは凄腕の追跡者だしな。期待はできるだろう。全滅させてくれるんなら、それでもいい」
密やかに笑いあって、大鹿に乗った二人は、この森を軽やかに駆け抜けていった。
***
天幕が、はためく音を立てた。
『霧の魔女』イレーネが見ると、耳長狼ルーシェンが静かに近寄ってきている。
「どうしたの、ルーシェン? レイミアに何かあった?」
ルーシェンは伏せて、首の当たりをイレーネに見せた。そこに結いつケラrたこより状の紙を開いて、イレーネは視線を走らせる。
(……)
ミーシャは、イレーネの顔から血の気が引いたのを、見逃さなかった。
「……なんて書いてあるんですか? 師匠?」
「ミーシャ、起きていたの? なんでもないわ。定期報告のようなものよ」
「……やめてください。師匠」
身体を起こそうとして、ミーシャは、それが意外な難事であることを知った。めまいを感じ、重力に引かれるまま、力なく倒れこむ。
吐き気を意思の力で封じ込めながら、いそいそと毛布にくるまって、ミーシャは言った。
「私は『やさしい嘘』よりも、『残酷な真実』を教えて欲しいんです。不治の病に罹ったら教えて欲しいかって話を、友人としたことがあるんですけど、私は、教えて欲しい。嘘では結局、現実を変えられませんから。それが私の信念なんです」
「……真実を知ったからといって、どうすることも出来ないことだってあるわ」
「人は死にます。その真実は変えられませんが、その死ぬまでの時間を、より充実したものに変えることは出来ます。どんな状況にだって、やれることはありますよ」
イレーネは息をついて、紙片をミーシャに渡した。
「……あなたを狙っている『追っ手』が山賊ギルドを雇って、山狩りを始めたらしいわ」
「山賊ギルドは、強いんですか?」
「冒険者と同じでピンきりよ。レイミアは追跡者だから、森の中では彼女に分があるでしょうけれど……」
「助けに行ってあげてください。私も自分の身くらいは守れます」
起き上がれぬほどの病身でありながら、ミーシャの灰色の眼には、力強い意思の輝きがあった。
「あなたは今、病気なのよ? それに今だって、体を起こすことすら苦労してる。無茶よ」
「この紙片には、レイミアがわざと山賊の一部を襲撃して、囮になると書いてあります。そして、アマロは逃すと。レイミアが囮を徹底するなら、山賊たちは、逃がさないように集まるしかない」
「だからって、ここに山賊たちが来ないとは限らないのよ」
「レイミアもアマロも、私の友達なんです。全員が生きて帰るためには、これが最善策です。師匠の広範囲魔術なら、集まった山賊を打ち倒せるはずです」
「ミーシャはどうするの? 病気のときは、精神力だって落ちる。それはつまり、魔力が落ちることに他ならないわ。自分の身を守れるかわからないのよ」
「それでも、ミスリル装備のない数人程度なら、十分に勝てます」
ミーシャの声には、強い覚悟があった。人によっては頑迷と言われるだろう。だが、自分のために、アマロやレイミアを失いたくはなかったのだ。
「…なぜなら、彼らの目的は私を『捕獲する』こと。殺せないなら、手荒なことは出来ません」
「それが、相手の手加減になるってこと? だからって……」
「心配してくれるなら、あっちを早く片付けて戻ってきてください。師匠なら、できますから」
イレーネはため息をついた。
「分かったわ。そこまでいうなら…。ルーシェン。レイミアの所まで、案内してくれる?」
耳長狼のルーシェンは低く吠えることで了承を示した。
イレーネが出ていこうとするところを、ミーシャは呼び止めた。
「あ、待って、師匠。大勢と戦うなら、ひとつ策があります」
***
レイミアは息を短く吸って、長く吐いた。呼吸に合わせて、全身の力をリラックスさせていく。
そして、足を自然に開いて立ち、闘気を体の中心に集めていく。
大地にしっかりと立つ大樹のように、闘気を整える。戦士が用いる闘気法において『大樹の構え』は、基本の体構えである。
これはレイミアが集中力を取り戻すための儀式の一つでもあった。
魔術師に魔力を高める儀式があるのと同様に、戦士にも集中力を高める儀式があるのだ。
(山賊の数は40人だって、タンガーリは言ってた。二人組をとっているはずだから、20組いるはずだけど…)
とりあえず20組の山賊を倒せば切り抜けられると、心に刻む。
本来ならば、レイミアは、倒すより逃げ出すことを選択する。だが、イチノセが病気で思うように動けない今、レイミアとしても山賊を引きつけ、殲滅するしかない。
そう思う間にも、レイミアは矢を放っている。矢は過たず、山賊の一人に命中した。
その矢が当たるのを確認する前に、レイミアは駆け出している。
追跡者として、なにより森人として、森のなかを隠れつつ進むのは、基本技術の一つであった。
高く、狼の遠吠えが聞こえた。
山賊の誰も、その意味するところは分からなかっただろう。
だが『赤毛の森人』レイミアには、分かった。相棒ルーシェンの鳴き声だったからだ。
そして、近くに来てほしいという合図なのも、レイミアには分かった。
すでに狙いをつけていた山賊を狙撃して、レイミアは、ルーシェンのいる場所へと駈け出した。
レイミアが合流した時、ルーシェンと『霧の魔女』イレーネは、小さな丘に立っていた。
「アマロは、どうしたの?」
「隠れてます。山賊たちが居なくなってから、逃げ出してって言ってあります」
手早く情報交換をする。こうしてイレーネも、現在の状況を知る事ができた。
「分かっていると思うけど、ミーシャが病気で身動きがとれない以上、山賊たちを全て倒さなければ安全に移動できないわ。『山賊を全員倒す』。それが私達の生き残る道よ」
次いでイレーネは、ミーシャが提案した山賊を一網打尽にする戦略を伝えた。二人で話し合い、細部を検討して、幾つかの工夫を付け加えた。
***
「正直、今回のことは、私のミスだわ」
イレーネは半ば自分に向けて、考えを述べた。
「あの『アパング愚連隊』が言っていた『夜更けの切望』ギルドのことを、フェレチの盗賊ギルドだと思い込んでしまった。
森を突っ切れば、かなり早くフェレチの街に到着できるのに、”森に街道がない”ことを、不思議に思わなかった」
「んーどういうことですー? イレーネさま」
「あるはずのものが無いということは、必ず理由があるのよ。森に街道が出来なかったのは、それを望まぬ者が居たから。
今回の場合、街道沿いの村でしょうね。森を突っ切れば旅人は、村にお金を落とさなくなるからね……。どこまで関与しているかは分からないけど『街道沿いの村は、山賊を支援している』んだわ」
イレーネの篭手が、金属質の音を立てた。
自分の愚かさに憤りを感じて、拳を握りしめたのだ。
「うかつだったわ…。ちゃんとアパングの村で情報収集をしておけば……。そうでなくても、怪しいと思うべきだった。我ながら、冒険者の勘が鈍っていたみたい」
「イレーネさま……私も同罪ですよぅ。森を通ろうって言い出したの自分ですしー…」
『神速の』イングレッドが森を突っ切るように誘導し、それにうまうまと乗せられたことをレイミアは伝えた。
しょぼくれるレイミアを「気にしなくていいわ」と慰めて、イレーネは短く息を吐きだした。
「お互い、後悔をしても始まらないわ。これからの予定を立てましょう」