34話『森人』・上
「レイミア! なに葉っぱなんか拾ってるのよ! 尋問で分かったでしょ? あのヤバい山賊団が『森狩り』をしようとしてるのよ。早く逃げなきゃ!」
器用にもアマロが小声で叫ぶ。
タンガーリという名の悪漢を尋問して、山賊ギルド『夜更けの切望』が『森狩り』をしていることを突き止めたのだ。
当然、狙っているのは『銀色の髪の乙女』ミーシャス・ジーネ・イチノセである。
「分かってるよー。逃げるために、葉っぱを拾っているの。逃げたいんなら手伝ってよ」
「え? そうなの……逃げるために…?」
アマロは戸惑ったものの、『赤毛の狩人』の二つ名を持つレイミアのことは信頼している。
意味はわからなかったが、葉っぱを拾い集めた。
「あのイングレッドって人のことだけどさ……鉄色の髪の男だって言ってた……これを聞いてなにか思い出さない?」
「ええ。あなたが先の村の宿屋で話しこんでた人、……彼が、追跡者イングレッドだったってことでしょ」
「あの男の靴には、この森の葉と土がついてた……。つまり、この森は彼の『庭』だったんだろうね。この森で仕掛けてきたのは、彼がもっとも得意とする場所だから」
レイミアの言葉に、呑気さが消えている。非常事態だからだとアマロにも分かる。
「街道よりも森を突っ切った方が、早くフェレチの街に着くと教えてくれたのは、宿で話したイングレッドだからねぇ。
街道沿いには強盗団が出るとも言われたし……うまく誘導されたねー」
レイミアは喋りながらも、マントに目の細かい網を貼り付け、そこに葉っぱを挿していく。
手早く作業を進め、葉っぱがまとわりついたマントを作り上げた。
「これは、父から教えてもらった『森人のマント』だよ。正式名称は知らないし、有名かどうかも知らないけど……効果は折り紙つき。これを羽織って動かなければ、絶対に見つからない。それと猟犬よけに、そこの泥を塗って、匂いを消しておいてね」
「…分かったわ。でも、結構時間使っちゃったわよ。早く、もう一着作らないと……」
焦るアマロの言葉に、レイミアは反応しなかった。独り言のようにつぶやく。
「私、森によくいるでしょ?」
「え? うん」
「やっぱり、街育ちには変に思われてるらしくて、結構酷い扱いをされたりしたんだよね。陰口を叩かれたり、意地悪をされたりね。だから、ますます、森にばかり入り浸って、街には近づかなくなったんだけど」
「今する話じゃないでしょ。早くマントを作らないと……」
慌てて葉っぱを集めるアマロをレイミアは制した。
レイミアは、アマロの言葉には反応しなかった。自分の思いを確かめるように、言葉を紡いでいく。
「でもアマロット。あなたと、イレーネ様、それにイチノセちゃんだけは、私を、私としてみてくれた。普通に接してくれた……。
『士は己を知る者の為に死す』っていうでしょ。私を大切にしてくれた人を助けるためなら、私は『命を懸けられる』よ」
むしろ昂然と胸を張って、レイミアは宣言した。
「……まさか、レイミア一人であいつらを倒すつもりなの? 無茶よ。自殺行為だわ」
レイミアは、大人びた微笑みで、アマロに告げた。
「山賊のタンガーリに聞いた話だと、輪を狭めるようにして勢子が迫ってくるみたい。だから、山賊たちが通りすぎるのを待って、森の外に行けば、きっと助かるよ」
「で、でもレイミアはどうするの? 追跡者や山賊と戦うつもりなの?」
「大丈夫だよ、アマロ。ありがと。……山賊を倒せば、輪に穴が開くでしょ。そこで、山賊たちの待子……おそらく、追跡者のイングレッドがそこにいる。イングレッドさえ倒せば、なんとかなるよ」
レイミアは、アマロに『森人のマント』を羽織らせて寝そべるように示す。
さらに矢立てを取り出して、紙片にこれまでの情報を書きつけた。
侍っている耳長狼のルーシェンに、紙片を括りつけて、イレーネ様に届けるように頼む。
「よし」
すべてを終わらせて、レイミアは伏せているアマロに言った。
「最後に秘密を、もう一つ話すよ。みんな誤解しているけど、私が名乗った二つ名は『赤毛の狩人』じゃないんだ。本当は『赤毛の森人』。森に住まい、森と共に生きる一族『森人』なの。父は、その出身だっていってた。誰も、そんな一族は聞いたことがないらしいけどねー」
レイミアは、外套を翻して、走っていった。
さっきまではアマロのために、ゆっくり移動していたのだろう。レイミアは、枷が外れたように、素早く、軽やかだった。
***
(うぅ……)
アマロは森人のマントを着こみ、泥を顔に塗りたくったまま泣いていた。
声を出しては、山賊に気づかれる。
だから、声を出さずに泣いた。
(レイミアは、あたしたちを助けるために囮になった……。イチノセやイレーネ様を守るために。あたしは、見捨てて逃げようとしたのに…)
レイミアの覚悟を知った後も、アマロは動けなかった。言われたとおり動かなかったのではなく、恐怖によって動くことが出来なかったのだ。
(あたしは…、あたしがレイミアと仲良くなったのは、優越感を得たかったから! 冒険者として芽が出ずに腐ってた私は、街のことは何も出来ないレイミアと友だちになることで、密かに優越感を感じていた!)
だが、今の自分こそが卑怯者で、役立たずではないか。
行商人の娘として、それなりに冒険者のことを知っていたと思ったのに、実際には何も出来なかった。
「知っていること」と「できること」に違いがあるというのも、ようやく気づいたことだった。
自分が取るに足らない小娘であることも、うすうす気づいていた。
でも、認めたくなかった。
機会があれば、上に行けると思っていた。
レイミアと友達になったのも、イチノセと仲良くなったのも、すべては打算からだ。
レイミアからは優越感を得て、追跡者の技術を盗むため。
イチノセとは、その師匠とお近づきになって、魔術を教えてもらいたかったから。
(……やっと…分かった。実力者が実力を持てているのは、修羅場を潜っているからだ。こういう時に、たやすく命をはれるからなんだ。あたしには、無理だよ……。 あたしは、臆病者だ……)
遠くから、鎖帷子の金属音が響いてきた。
アマロはひたすら身を固くして、嵐が過ぎ去るのを待つことしかできなかった。
泥と大地が熱を奪っていく。アマロの涙だけが熱かった。
***
転んだら只では済まない速度で森を駆けながらも、レイミアの心は穏やかだった。息も乱れていない。静かに思考を巡らせていく。
(タンガーリを縛りつけた後、二度、笛がなった。一つはタンガーリの方角から、もう一つは別の方角から。つまり、タンガーリ自身か見つけた人間が笛を吹き、もう一人がそれに答えた)
レイミアは立ち止まり、弓を構えた。
(イングレッドは、当然、私達が四人一組になって行動していると想定しているはず……四人でいたほうが、攻撃にも防御にも有利だから…。もし、そこでイチノセじゃない一人が、動きまわったとしたら…)
弓弦が鳴り、矢が山賊の一人の肩に突き刺さった。もう一人の山賊がすぐに地面に伏せ、笛を鳴らす。
『赤毛の森人』は、身を翻して逃げ出した。
そして、すぐにまた別の山賊の二人組を見つけると、矢を放つ。今度は胸にあたった。重症だろう。もう一人は、やはり地面に伏せて、笛を吹いた。
(このまま注意を引きつけておけば……)
さらに、山賊を見つけ矢を当てる。そのまま身を翻そうとしたところで、鋭い声が響いた。
「見つけたぞッ! 『赤毛の狩人』!」
鋭い言葉と同時に、礫が飛んできた。
とっさに樹木の影に隠れて、礫を躱す。
『神速の』イングレッドだった。一瞬見えた限りでは、革鎧を身につけた冒険者風の拵えだ。
思ったよりも近くにいる。弓の間合いではない。
加えて、見つかるのも想像より早かった。『神速』という二つ名は伊達ではないらしい。
レイミアは、あえて隠れている樹木から少し身を乗り出した。
その隙を見逃さず、追跡者イングレッドが礫を投げつける。身を翻して礫を躱すのと同時に、イングレッドの居場所と礫の射程距離をおおよそ測る。
レイミアにも、『牙』という名の鏢を飛ばす技がある。イングレッドの礫と射程は同じくらいだろう。
『牙』を手に握りこみながら、様子を伺う。
「……確かに、山賊たちは見落としがないように、横一線に並んで進んでいた。だから、山賊がどこにいるのかは筒抜けだったんだろう……だがッ! 逆に言えば、俺もお前が誰を狙うのかがわかるということだ!」
「あーなるほどねー。それは盲点だったなー」
レイミアは、わざとのんびりした声を出した。
余裕を見せつけるというより、わざと呑気にすることによって、平常心を取り戻すスイッチにするのである。
余計な緊張は筋肉をこわばらせ、視野を狭くさせてしまう。
「……お前一人か。囮になって他の三人を逃がそうとは、殊勝だが……、包囲網の穴から、お仲間が脱出するのは目に見えているぞ。それにレイミア。お前はいいのか?」
「何がー?」
互いに、木の影に隠れている。
喋りながらも、耳は言葉ではなく、物音を聞くことに集中している。どちらかが動き始めれば、戦いが始まるのだ。
「囮ってことは、お前だけが危険な目に遭うってことだ。他の三人はのうのうと、お前を見殺しにして生き延びる。悔しくはないか?」
(……)
レイミアの心のなかに悔しさはなかった。それどころか、これほどまでに自分に勇気を感じたことはなかった。
森人として、一人で暮らしてきた時には無かった感覚だった。
自分一人ならば、危機に陥れば臆病になり逃げ出そうとするだろう。だが、『誰かのため』ならば。
「大切に思うからこそ、『誰かのため』だからこそ、生まれる力がある。悔しくなんてない! 私の中にあるのは”勇気”! ”勇気”だけだ!」
イングレッドは、大笑した。
「揺さぶりにも負けず、よくぞ言った! 気に入ったぞッ! 『赤毛の狩人』!」
礫が撃ち込まれた。半身になって躱しざま、レイミアは『牙』を投擲する。
肩にかすったが、傷とも呼べないだろう。
戦いが始まった。




