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33話『狩人』・下

 レイミアの説明では、こうであった。

 狩りにも色々な種類があるが、勢子せこ待子まちこを使う方法がある。

 簡単にいえば、大勢の勢子せこが、音や大声を鳴らしながら、鹿や狼、魔物などを追い込む。追い込んだ先で、待子まちこと呼ばれる精鋭が待ち構えて、獲物を狩るのである。


「騎士団が冬場にやる『討伐祭』じゃないの? それなら多数の冒険者が雇われたって、不思議じゃない」

「…だといいけどねー。ここはフェレチの近くの森だよ? フェレチは自治都市だから家中騎士もいないしー」


 アマロも気づいた。レイミアの言葉を継ぐ。


「騎士団が居るとしたら、アイヴィゴースの騎士団!」


 アイヴィゴース騎士団は、死霊術師ゼファーの息がかかっている。つまり、ミーシャ達にとっての敵なのだ。

 驚愕のあまり、アマロは足を止めそうになる。先を行くレイミアを、必死に追いかけながら、アマロが言葉を続けた。


「で、でも、ただ冒険者が、森に入ってきただけかも……」

「同じ装備をつけた二人を二組も見たんだよー? ありえると思う?」


 アマロは言葉に詰まった。確かに、ありえる可能性は低い。


「けど、あたし達だけなら…隙間を通って逃げられる……」

「そうだねぇ。そして向こうも、きっと同じことを考えてるよ。魔物追いの勢子せこなら、互いをカバーするように動くからねー。

 まったく見つからないんならともかく、もし見つかったら合図の笛を鳴らされて、居場所がばれるだろうなー」

「……でも、彼らが、私達を探しているって決まったわけじゃないし……、ただの通りすがりの冒険者だってふりをしてれば……」

「タイミングが良すぎじゃない? ミーシャたちを探しているのは間違いないと思うよ。『討伐祭』の噂も聞いたことがないしー」

「…そうじゃないわ」


 アマロは低い声で言った。


「ミーシャを探しているんだとしても、あたし達を探しているとは限らないって言ってるの…。あたし達だけなら、逃げられるって言ってるの!」


 レイミアは足を止めて、アマロに振り向いた。


「…そっか。アマロは、ミーシャたちを見捨てるつもりなんだ?」


 はっきりと言われて、アマロはたじろいだ。


「……もしかしたら、逃げ出せるかもしれないし…。…全員が捕まるよりは……」

「そだね……。でも残念だけど、私達のこと、ばれてるよ」

「…どうして」

「この森は大きくないけれど、簡単に通り抜けられるほど、小さくもないでしょ? あらかじめ森にいるってことが分からなければ、この森を囲むなんて不可能だよ。ってことは、この森に『四人』が入っていくところを見られたんじゃないかな―」


 そこまで言って、レイミアはあることに気づいた。


「ってことは、敵にも追跡者トレーサーが居るってことかー。しかも、主力なんだろうねー」


 レイミアにも、追跡者トレーサーとしての自負がある。自分を尾行している人間が居れば、よほどの腕でない限り分かる。

 レイミアが気付かなかったとすれば、相手も、自分と同じく追跡者トレーサーなのだろう。


 森という舞台を選んだことも、その考えに拍車をかけた。

 遠距離攻撃で戦う魔術師にとって、遮蔽物が多い森は不利だ。逆に、追跡者トレーサーにとって、森は自分の力を活かせる場所である。

 近距離でも遠距離でも両方こなせる追跡者トレーサーなら、木の陰に隠れて忍び寄ったり、危ない時には逃げ出したりできる。


「本当にたまたま、討伐祭とかで私達と関係ないってことは無いの…?」


 アマロがそう言った。

 レイミアは何かを思いついたように、ぽんと両手を叩いた。


「そうだねぇ。どっちにしろ、確かめないといけないねー」


 ***


 タンガーリは不満であった。

 栄えある山賊ギルド『夜更けの切望』が、良いように使われることに対してもそうであったが、雇い主である追跡者トレーサーについても、気に入らなかった。


 追跡者トレーサーイングレッドは、ギルド長の覚えもめでたく、重要な仕事をよく任されていたのにもかかわらず、山賊たちがさらってきた女と駆け落ちしたのである。

 それだけでも許しがたいのに、抜け抜けと自分たちの眼の前にふたたび現れたのだ。

 アイヴィゴース騎士団つきの追跡者トレーサーとして。


「くそったれが」

 短く悪態をつく。

 山賊にとって、抜けるというのは大罪である。相互に監視しあい、抜けだそうとするものを告げ口するのが、山賊の社会なのだ。


 だが、イングレッドは、それをあざ笑うかのように逃げ出してしまった。

 飄々(ひょうひょう)と牢を開け、気障きざな口説き文句を吐いて、枯草色の髪をした美人と手に手をとって逃げ出したのだろう。

 タンガーリはその場面を実際に見たわけではない。だが、脳裏にまざまざとその想像が浮かぶのだ。


 そのイングレッドは、金貨の詰まった大袋を『黒き葬送』の二つ名を持つオウ・アグラに渡していた。

 イングレッドは、アイヴィゴース家の追跡者トレーサーとして、『夜更けの切望』ギルドを雇いに来たのだ。

 タンガーリには、それ以上のことは分からなかった。

 ギルド長のオウ・アグラと長いこと話していたと思ったら、山賊ギルドをあげて森の探索をしろと命じられたのだ。


「……」

 タンガーリは無言のまま、そばの木を蹴りつけた。

 森のなかで、タンガーリは一人だった。

 二人組をとれと言われたが、知ったことではない。あてがわれた男とは、折り合いが悪かったこともあって、タンガーリは単独行動を取っていた。


 不意に風が吹いた。


 かと思うと、後ろになにかがドサリと落ちた音がした。


 タンガーリが振り返ると、茶色く丸い物体が目に飛び込んできた。同時に、かんさわる羽音が唸りを上げる。


 スズメバチだ!


 落ちた巣から、大量のスズメバチが飛び出してくる。


「う、うひぃぃいい」


 タンガーリは、情けない声をあげて逃げ惑った。

 初冬のスズメバチは数も少なく活力も弱いのだが、タンガーリは知らない。そして素早く動くものにこそ、スズメバチが襲いかかることも知らなかった。


 タンガーリを絶好の獲物と評するのは、蜂に失礼かもしれない。スズメバチにとっては、ただの防衛反応なのだから。


 泡を食ってタンガーリは逃げ出し、そして20間ほど進んだ先で、派手に蹴躓けつまずいた。

 木々の間に、縄が低く渡してあったのだ。


「ぐっ」


 転んだタンガーリは起き上がろうとしたところを、押さえつけられた。あっという間に、目隠しをされ、首に刃物が当てられ、手首に縄をかけられる。


 ここまでの全てが、レイミアとアマロの『仕掛け』であった。


 スズメバチの巣を、レイミアが特製の矢で射落とし、アマロはタンガーリの逃げる先に縄を仕掛けておいたのだ。

 森は、どこにでも行けるようでいて、実際はそうではない。

 獣道があるように、人間にも通りやすい道というのがある。そこを狙って、縄を渡しておけば、ほぼ間違いはなかった。ましてや、蜂に追われて切羽詰まった状況では、周囲をよく見る余裕もない。


 追跡者トレーサーであるレイミアの思惑通りに事は運び、こうしてタンガーリは尋問を受けることになったのであった。


 ***


『冒険者の鍋』と一般に言われている料理鍋は、鋳鉄で作られている。

 鍋の蓋も鋳鉄で作られており、一般とは異なり凸形ではなく凹形の形状をしている。この蓋に熱した石や炭などを置くことによって、上下からオーブンのように調理することができるのだ。


 イレーネは、『冒険者の鍋』に水を入れ、火にかけた。

 堅パンを割り、周囲から採取した野草ハーブ、魔術で冷凍した雉肉を、細かく刻んで食べやすくする。

 せっている弟子のために、『パン粥』を作ってやるつもりなのだ。

 時々、味を見ながら、塩やチーズを足していく。


 パン粥を少し味見してイレーネは「うん」と頷いた。


「ミーシャ、起きてる?」

「…すこし、うつらうつらしてました……」


 そう言ってミーシャは体を起こした。匂いで食事の時間だとわかったのだ。


「いつもすみません。師匠……」

「いいのよ。困ったときは、お互い様でしょう?」


 ふと気がついて、ミーシャは笑った。イレーネが訝しむのを見て、説明する。


「いえ、前の世界(フィユスール)での喜劇コメディを思い出したんです。図らずも、同じような受け答えをしてしまったので」

「あら。どんな筋立てなの?」


 ミーシャは簡単に説明をした。さすがに大昔のコントであるし、面白く話すほどのスキルもないのだが、それなりに興味深く聞いてくれたようだ。

 話題が途絶えた頃、ミーシャはスプーンをおいて、イレーネに尋ねた。


「ねぇ、師匠は……、私の前の世界(フィユスール)のこと、どう思ってます? というか、信じてくれてます?」

「……そうねぇ。死霊術師まで関わってたのだから、イチノセの魂がジーネの体に埋め込まれたというのは信じるわ。でも、それが天国(フィユスール)にいた魂だと言われると、ちょっとね。 遠い外国ってことはないの?」


 ミーシャは静かに頭を振った。


「私の世界では、どこにどういう国があるのか、どういう民族が住んでいるのか、全て分かっていました。トロウグリフ王朝もなかったし、魔術も無かった」

「あなたの世界は、いいところだったのね」

「ええ」


 ミーシャは遠い目をした。不意に思い出すのは、子供の頃の通学路の陸橋や、夜遅く帰ってきた時のコンビニの光、そんな断片的な記憶だった。

 だが、それも日に日に遠く、朧気おぼろげになっていくようだった。


 義理の両親と弟は、元気にしているだろうか。

 師匠に話を聞いたのも、誰かに信じて欲しかったからだ。自分が何者なのか、自分でも分からなくなりそうだったから。

 いや、私は、本当に私なのだろうか。


「私は、死んだのでしょうか?」


 ミーシャ、いや、イチノセには、死んだ記憶が無い。アメリカで大学院生をしていたという記憶が、最後のものだ。日本に一度帰ろうとした矢先に、この世界に来た気もする。

 イレーネに聞いたところで、確かな答えが得られるはずもない。だが、聞かずにもいられなかった。


「アマロやレイミアには、ジーネの記憶が無いと言いましたけど……。私の心のなかに『ジーネ』という箱があるのが分かるんです。

 でも、箱があるのを知りながら、私は開けるのを戸惑っているんです。私が、何者なのか分からなくなりそうで……私はイチノセなのか、ジーネなのか…」


 ミーシャの心のなかにあるのは、静かな海に沈んだ箱だった。無意識の海の底深くに仕舞い込まれた『ジーネ』と書かれた箱…。


「けれど、自分の心にさざなみが立つと、箱の蓋も、ゆらゆらと開いていくんです。死霊術師のゼファーと戦った時、私自身は礼拝堂に一度も入ったことがなかったのに、地下祭室があることを分かってました。礼拝堂には、地下祭室がつきものだということを、なんとなく知ってたのです」

「ミーシャ……」

「それに、あの何とかというチンピラを倒した時、私、急に激昂したでしょう? ジーネの記憶が断片的に蘇ってきたんです。この世界の残酷さを思い知って、怒りを覚えて、それで……」


 ミーシャは言葉を続けなかった。

 背を丸めて、縮こまる。


「私は何者なんでしょう。見知らぬ土地に、見知らぬ身体、見知らぬ記憶。私が『ジーネ』の体に入った死者の魂だというなら、私はジーネの人格を押さえつけている加害者でしかない……」

「ミーシャ、それ以上は体に障るわ…」

「かといって……、師匠。もし、それが可能だったとしても、私は、死にたくないし、この身体も明け渡したくないんです。……私は、自分の生みの親のように自分勝手にはなりたくないって、公正な人間になりたいって、ずっと思ってきたのに、『ジーネ』を踏みつけにして、それを良しとしているなんて!」


 ミーシャの声は段々と、苦しげで大きな声に変わってきていた。

 毛布に水滴が落ちた。


「私は何者なんでしょう…。誰も異世界のことを信じてくれない。自分じゃない身体に、自分じゃない記憶……もう、嫌です…」

「ミーシャ!」


 イレーネが大声を出して、ミーシャの言葉を止めた。背中をさすりながら、声をかける。


「私はあなたに名前を贈ったわ、ミーシャ。それが、貴女よ。ミーシャス・ジーネ・イチノセがあなたの名前。ジーネの身体に、ジーネの記憶があるイチノセの魂が、貴女なの。誰も『生まれ』を選べないし、『過去』も変えられない。でも、『この先どうするか』を決めていくことはできるわ。今は何も出来ないかもしれないけど、それでもミーシャ、貴女は自分の境遇を受け入れて、そこから進むのよ」

「ごめんなさい…。ありがとう」


 複雑な思いを、ミーシャは平凡極まる言葉に代弁させた。

 確かに生まれは選べない。前世であれ、今世であれ、それは変わらない。経緯はどうあれ、ミーシャとして心づいたからには、その中で最善を尽くすしか無い。

 内心に溜め込んだものを曲がりなりにも吐き出すことが出来て、ミーシャは多少、気が楽になった。


(そういえば、師匠にだけは…自分の弱さを晒せている…)


 幼いころに、親の愛情を知らずに育ったミーシャにとって、誰かに心を開くというのは大変な努力を要することだった。

 それなのに、病気で理性のたがが緩んだせいもあるのだろうが、イレーネ師匠には、自然と胸襟きょうきんを開いている。


 ミーシャには、それが不思議にも当然にも思えるのだ。

『不思議』は自分…イチノセのこれまでの経験からであり、『当然』はイレーネがこれまでしてくれたことであった。


(師匠には助けてもらってばかり……。私も師匠を助けることができればいいのに)


 イレーネが作ってくれたパン粥を平らげて、ミーシャは毛布に潜り込んだ。

 もう一晩ほど寝れば、旅ができるまでに回復するだろう。そんな予感があった。


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