33話『狩人』・上
「今日は静かだねー、アマロ。いつもなら、色々話しかけてくるのにさー」
枝を避けながらレイミアが、後ろのアマロへと呼びかける。
「あ、…うん」
「アマロットちゃんの心は、今、どの辺をさまよっているのー? ちゃんと見てないと、危ないよっと」
木の根に躓いたアマロを、腕を掴んでレイミアは受け止めた。
「ありがとう……。後ろを見てもいないのに、どうして転びそうだったのが分かったの?」
「私は追跡者だからねー。そういう感覚には敏感なんだよー。それより、何に悩んでいるの?」
「……イチノセのこと。あの世から蘇ってきたなんて……」
「…それで、狩りについてきたんだ。いつもなら渋るのにねぇ」
「あたしは、怖いよ。あの子の元々の『魂』はどうなったの? それに、死霊術師に追いかけられているなんて……」
レイミアは、巻いた白帯の隙間から頭を掻いた。
くせ毛なので巻かないと小枝に引っかかるのだが、巻きすぎると蒸れてしまうのだ。
「私は、もう死霊術師のゼファーさんに会っちゃったからなー。でも、アマロだけなら逃げられるんじゃない? フェレチの街についたら、ふつーの冒険者として、依頼をこなせばいいよ」
「……なんで、そんな簡単に言うのよ」
「私だってアマロの友達だもの。だから、危険だと分かっていることは勧めらんないよー。でも、話なら聞くけどー?」
「……」
アマロは黙った。
自分が何に迷っているのかも、よく分からなかった。ただ、恐ろしかったのだ。イチノセが、死霊術師の被害者なのは分かる。けれど死者が蘇ったのだ。神に仇なす死霊術師の手によって。
おぞましい恐怖が、体毛を逆立てさせる気がする。
「レイミアは怖くないの? 『霧の魔女』イレーネさまに、ついていくつもりなの?」
「んー」
レイミアは体を伸ばして、凝り固まった筋肉をほぐした。
「なんとなくだけどねー。イレーネさまと一緒にいたほうが、いい目にあえそうな気がするんだよねー」
「でも!」
「待って!」
声をあげたアマロを、片手を上げてレイミアは制止した。
そして、その指で、一方を指さす。遠く離れたところに、木の実を食べているらしき鹿がいる。
「狩りの獲物を見つけたから、ちょっと静かにー。三十間くらい先だから、もう少し近づかないと無理かなぁ?」
レイミアは、背中の弓をまだ外さない。代わりに腰をかがめて、身を隠す。
アマロに待つように、手で示し、近づいていった。
初冬の森だ。落葉樹の葉っぱが落ち始めていて、落ち葉を踏めば音がなる。隠れる場所もさほど多くない。
それなのに、レイミアは音を殆ど出さずに移動し、巧みに身を潜めて鹿に接近した。
弓を背中から外し、矢をつがえようとする。
鹿の首元に、矢が突き刺さった。
(えっ!?)
レイミアは、固まった。
(私はまだ、弓弦から手を離していないのに…?)
レイミアが矢を放つ前に、誰かが鹿に向けて矢を放ったのだ。
鹿はまだ絶命していない。続けざまに第二の矢が放たれて、鹿に当たる。がさがさと音を出して、鹿に近づいてきたのは二人の男だった。
レイミアは静かに矢を矢筒に戻すと、アマロのところへ戻る。
そして小声で言った。
「私たち以外に、この森に誰かがいるよ……。しかも、狩人じゃない」
「森で鹿を狩っているなら、狩人じゃないの?」
「…いいや、狩人の格好じゃないねぇ。狩人だとしたら、装備が良すぎるよ。よく見て」
男は、革の篭手をつけているが、二の腕や肩のあたりからは鎖帷子がみえている。
「鎖帷子をつけてるわね……。あれじゃあ、無駄にうるさいし、重たい……たしかに狩人がつける装備じゃないわね。でも、私達みたいな冒険者じゃないの?」
「かもねー」
そう言いつつも、レイミアは動かない。じっと、二人の男を見つめている。
「冒険者じゃないとしたら、なんだと思うの?」
「『追っ手』だろうねぇ。イチノセちゃんを探しに、フェレチの街の冒険者を雇って、森を探させているってところじゃない?」
「でも、おかしくない?どうしてフェレチで待ち構えないの? そのほうが確実じゃない?」
レイミアは、巻いている帯が乱れるのも構わずに、赤いくせ毛を掻き回した。
「んー考え過ぎかなー。でも、一度、イレーネさまのところに戻ろうよ」
***
イレーネはミーシャの額から、掌を離した。
そろそろ昼になるというのに、ミーシャの熱は下がっていない。むしろ顔が紅潮し、息が荒くなっている。
昨夜の見張り番はミーシャだったのだが、夜の寒気が彼女の抵抗力を突破したらしい。朝、イレーネが起きると、ミーシャは体調を崩して熱を出していたのだ。
ミーシャは風邪だと言っていたし、頭痛、発熱、悪寒といった症状からも、そうだとは思う。
だが、どこか釈然としないものをイレーネは感じていた。
「師匠……」
ミーシャが目を開いて、イレーネを呼んだ。
「起きたの? 体の調子は…どう?」
「大丈夫です…とりあえずは。レイミアとアマロは?」
「狩りに行っているわ。二人で」
ミーシャは少し笑った。
「なるほど。きっと、私達についていくか、相談してるんでしょうね」
「……聡いわね。相変わらず」
「そのくらいは、分かりますよ。……ついてきてくれると、思いますか」
「きっと大丈夫よ」
病身であることもあって、イレーネは気遣ったのだが、ミーシャは苦笑しつつ、小さく首を横に振った。
「おためごかしは、やめてください。師匠は予想ついているんでしょう?」
「そうね…アマロは難しいかもしれない」
木の枝で炉の火をかき回しながら、イレーネは言った。
「アマロには何の義理もないわ。レイミアは死霊術師に会って、顔を覚えられているけど、アマロは違う。それに、アマロはまだ冒険者としての覚悟ができていない……」
「冒険者の経歴としては、アマロは、私よりも上だと思いますけど……」
「確かにそうだけどね。アマロは、……こういう言い方がいいのか分からないけれど…『自分の責任で、人を殺したことがない』のよ」
「……」
「アマロは、あのくらいの年頃にしては熱心だし、色んな事を勉強しようと努力している。いい子だと思うわ。でも、ひとかどの冒険者に一番必要なのはそういうことじゃないのよ」
「人を殺せるかどうか?」
「んー」
手に持った木の枝を炉の中に放り込んで、イレーネは少し唸った。
冒険者の間では有名な言葉だが、弟子の教育に悪い言い方だったと反省したのだ。
「要は、『重たい選択を自分で選べるかどうか』かしらね。ギリギリの状況で、何か一つ正しいことを選ばなきゃいけない時に、それを選んで、結果を背負えること。それが冒険者として大成するために、大切なことなの」
『人を殺して一人前』というのは、冒険者に伝わる露悪的な箴言なのだ。イレーネは、その手の冗句を好まなかったが、それでも一面の真実はある。
「さっき、人を殺すって言ったけど、そればかりじゃなくね。たとえば悪人がいて、誰かが人質に取られたとする。でも悪人を逃せば、もっと多くの人が殺されることになる。
そんな状況で人質の危険を承知の上で、悪人を倒すことができるかどうかよ。……ミーシャなら、どうする?」
「私なら…悪人を取り囲みつつ、説得しますね。人質の危険を最低限にしながら、でも、絶対に悪人を逃さない」
「その結果、悪人が人質を殺しても? それで人質の家族に恨まれたとしても?」
「うん。そうすると思います」
「その決断を、頭の中でできることと、実際の現場でできることは大分違うのよ。実際に取り返しの付かない選択を、自分の責任で下した体験。それをこなしている人間じゃないと…背中を預けられないわ」
「……」
「アマロは、きっと誰かに言われて、人を殺したことはあると思うわ。岩塩窟での戦闘でも、魔術を飛ばしていたしね。でも、自分の判断と責任で、誰かの命を奪う体験……その覚悟がなければね」
イレーネは言い終えてから、ミーシャがいつの間にか目をつぶっていることに気づいた。
「疲れたの? ミーシャ」
「少しだけ…」
「無理はしなくていいわ。騾馬に乗れるくらいまで回復したら、街に行って、宿を取るからね」
「師匠…」
「ん?」
「さっきみたいに、手を額に乗せてくれませんか? ひんやりしてて、気持ちよかったから……」
イレーネは小さく笑って、ミーシャの額に手のひらをのせた。
(私の手が冷えているというよりは、ミーシャの体が熱いのよ……)
一抹の不安を抱えながら、そんなことを思う。
***
「これは、まいったなー」
レイミアは誰に言うとも無く、つぶやいた。
聞き咎めたアマロが、尋ねる。
「何がまずいの?」
「そこに、また男がいる。さっきの人とは別だねー」
「冒険者じゃないの?」
「二人組で、やっぱり鎖帷子をつけて? ありえないよー。これは山狩り…というか、『森』狩りだろうね…」
レイミア達は、今は倒木の影に座り込んで、身を潜めている。
長い間、地べたに座っていると体温と体力が失われていくので、一時的なものだ。
金属がこすれあう音が聞こえる。男たちの鎖帷子であろう。
「オーイ」と呼びかけるような声を出している。その声に、考え込んでいたレイミアが顔を上げた。
「……そっか。『勢子』だ」
「なんのこと?」
「狩りのやり方だよ。『勢子』と呼ばれる人たちが、狩りの獲物を追い立てる。私達は『獲物』なんだ」
言いながら、レイミアは立ち上がった。といって直立したのではない。腰をかがめて歩く格好だ。
「あとは、歩きながら話すよ。ここにずっといたら発見されちゃう……」
アマロも慌てて立ち上がり、レイミアの後を追う。
青ざめた顔を見られなくてよかったと、アマロは密かに安堵していた。




