32話『どこから来たのか、何者なのか、どこへ行くのか』・下
「……そろそろ、イチノセの秘密について話してくれない? 冒険者として日が浅いことはわかるけど、それでも鳥の解体をしたことがないとか、名前を隠すとか、白シーツで身を隠すとか、奇妙なことが多すぎるわ」
夕食を食べ、一行が程よくお腹を満たした頃、アマロがミーシャに尋ねてきた。
「……」
話してしまえば、アマロやレイミアとの関係性が壊れてしまうかもしれない。正直なところ、ミーシャは気が進まなかった。だが、いつまでも黙っているわけにもいかない。
炉の中で踊る炎を見つめて、ミーシャは静かに口を開いた。
「……まず、ありがとうって言わせてくれる? 危険を承知で、私をアゲネから助けてくれたこと、本当にありがとう」
ミーシャは率直に頭を下げた。
これから、ミーシャの秘密を告白せねばならない。結果、道を違えるのだとしても、いや、だからこそ、ミーシャは説明責任を疎かには出来なかった。
「でも危難が去ったわけじゃない。私はまだ追われているんだ。むしろ、アゲネではなく、女魔術師ゼファー・エンデッドリッチの方が首謀者だったんだ。
……だから、私と一緒に行動すれば、ゼファーに追われ続けることになる」
反応を確かめるために、ミーシャはしばらく黙った。炉の火が、天幕に四人の影を揺らめかせている。皆は、静かに言葉を待ってくれていた。
ミーシャは再び口を開いた。
「白シーツで顔を隠していたのも、追手を欺くためなんだ。とりあえず、二人とルーシェンには迷惑をかけないようにした……と思ってる」
「なるほどね。でも、どうしてゼファーに追われているの? あなたに何の用があるわけ?」
どことなく不可解な表情で問いただしてきたのは、アマロだった。
一方のレイミアは座り込んだまま、片手で耳長狼の背中を撫でている。質問する役割は自分じゃないと思っているのか、対話はアマロにまかせて、茫洋と二人の会話を聞いているだけだ。
「……アゲネは私が『不死』のために必要だと言っていた。ゼファーと対峙した時の会話からも、それは間違いない。おそらくゼファーは、人の体に別人の魂を移植することによって、死を免れようとしているんだと思う」
「……なにそれ。そんな夢物語みたいなこと、出来るわけないじゃない」
アマロは馬鹿にした顔で言った。こんな時になんの冗談のつもりだとでもいいたげだ。
反射的にミーシャは苦笑した。まったく、我が身に起こったことでなければ、自分もアマロのように本気にしなかっただろう。
「実は。私が、その生き証人なんだ」
左手で、自分の胸元を抑えて、ミーシャは言った。
「『イチノセ』は、この身体の持ち主じゃないんだ。この身体の本当の持ち主は『ジーネ』。ゼファーはどうやら、『ジーネ』の肉体に『イチノセ』の魂を移植する実験をしてたらしい。なにより、私はこの世界の人間じゃない」
「あの世から、蘇ってきたとでもいうつもり?」
「うん」
ミーシャは即答した。
「この身体の……『ジーネ』の記憶はほとんどないんだけど、この国の言葉は話せるし、なんとなく色々なことが分かる。だから、ジーネの魂は無くなったわけじゃない。けれど、ジーネがどう生きたのかは、全然思い出せない」
「……正気なんですか?」
埒が明かぬと思ったらしくアマロは、ミーシャではなく、師匠のイレーネに尋ねた。
(まっとうな反応かも知れないけど、もう少し手心があってもいいんじゃないかな……)
ミーシャが肩を落としていると、思いがけないところからから援護が来た。
「イチノセちゃんの言ってることは本当だよー」
今まで黙っていたレイミアが口を開いた。耳長狼を撫でる手をとめて、レイミアはミーシャに訊く。常にない真剣な目をしている。
「イチノセちゃん、そのゼファーって、黒髪を編みこんでいて紫色の目をした魔術師じゃなかった?」
「うん。確かに黒髪を編みこんでいた。眼の色までは、はっきり分からなかったけど」
「やっぱりねぇ。私もゼファーに会ったよ。軍船を焼き討ちしている時にやってきて『死霊術』を使ってきた。死体を蘇らせてたよ」
「『死霊術』!?」
アマロは低く叫んだ。
物語にしか居ないはずの存在が、本当に居たというのか。
おぞましき死霊術師。俗世の闇に潜み、生と死を冒涜し、屍体を蘇らせ魂を弄ぶという鬼人。
「……それじゃあ、本当に、蘇った、の?」
血の気が引き、手がかすかに震えていているのが自分でわかる。アマロはようやく声を絞り出した。
イレーネが答える。
「おそらくね。死霊術は『魂』や『血』を媒体にして術をかけるらしいから、生きている体に魂を入れこむこともできる……かもしれないわ」
日常が崩れ落ちる音を、アマロは聞いた。
可愛らしい妹分と思っていたイチノセが、得体のしれぬ化物に見えた。吐き気がせり上がり、体が寒さに震える。
アマロは身震いした。
いつの間にか氷雨が降りだしている。言うべき言葉を見つけられずに、雨音だけが、やけにうるさい。
重苦しい沈黙の後に、アマロは怯えた目でミーシャを見て言った。
「ごめんなさいミーシャ。悪いけど、あたし、…ちょっと混乱してる」
「アマロ……」
(やっぱり、こうなったか……)
静かに落胆して、ミーシャは瞑目した。しかたのないことだ。アマロにはアマロの人生があるのだから。
「死霊術師ゼファーは最初、私をジーネとして扱っていた。『イチノセ』の魂じゃなく、『ジーネ』が息を吹き返したんだと想定していたみたい。
つまり、ゼファーは私を成功例だとは知らなかった。もう知ってしまった以上、ゼファーは本腰入れて私を探すと思うよ」
視界の端に、イレーネの気遣わしげな視線を感じた。
わざわざ自分から、味方を遠ざけるようなことを言わなくても良いのにと、思ったのかもしれない。
ミーシャも、実はそう思わないではない。
だが、少女じみた潔癖さの現れかもしれないと思いつつも、ミーシャは心を許した人に、嘘や欺瞞を混ぜたくなかったのだ。
「これからも私…『ミーシャス・ジーネ・イチノセ』と一緒にいたら、多分アマロ、レイミア、ルーシェンも危険になる。だから、一緒に来て欲しいなんて言えない。どんな返事でも恨まないから、自治都市フェレチに到着するまでに心を決めておいてくれる?」
再び、重苦しい沈黙に落ちる寸前、レイミアがのんびりとした声を出した。
「あのさー。イチノセちゃんはこれから、どうするのー?」
「フェレチに到着した後のことは、まだ秘密かな」
この二人が裏切るとは思わないが、だからといって、後々の計画まで暴露するつもりもない。
「そういうことじゃなくてさー。もっと遠い将来の話っていうかさー」
「あ、最終的な展望ってこと? そうだね……私は……」
言いかけてミーシャは、思いがけず黙り込んでしまった。
ゼファーの魔の手を払いのける。そこまでは確定事項だ。正当防衛の権利を捨てるつもりは、さらさら無い。
だが、その先は?
この世界に心付いてから、まだ半年も経っていない。正直なところ、自分の地歩を固めるのに必死で、この世界でどう生きたいかなどと考えるゆとりもなかった。
目の前の炉には、炎が踊っている。
それでも、あらためて自分の心を覗き込んでみると、それぞれ色合いの異なる炎がいくつか燃えているのが分かる。
ゼファーのこと。ジーネのこと。そして、イレーネ師匠のこと。
「……や。いろいろありすぎて、今はまだなんとも言えないかな。ごめんね」
その場は軽く言って、ミーシャは話を打ち切った。
***
その後、他愛のない雑談を少しして、一行は天幕の中で休むことになった。皆が毛布に包まり眠りにつく中、ミーシャは夜の見張り番を買って出ていた。
一人でじっくりと考えたかったのだ。
己の『心の真実』はどこにあるのか。自分はどうしたいのか。行くべき航路図を持てなくても、どこに向かうべきかを示す羅針盤は持っておきたかった。
ゼファーの存在は、ミーシャに問いをつきつけるものだった。
単に敵対しているというだけではなく、ゼファーはミーシャの知らない自分の過去を知っている。
異世界人であるイチノセがなぜ、この世界に落ちたのか。そして、自分は何者なのか。
ミーシャの人格は、イチノセの知識と経験が基盤となっているが、ジーネの魂が消えてしまったわけではない。異世界人であるイチノセが言葉を話せるのもジーネの魂が生きているからだろう。
自分の中に見知らぬもう一人の自分がいるというのは、ミーシャにとってさえ、空恐ろしい。
皆には話していないが、ゼファーと出会ってから少しずつジーネの記憶を思い出しているのだ。
それはどこか既知感めいた断片的な記憶なのだが、その既知感を感じるたび、自分が自分でなくなっていく気がする。
それにゼファーとの対立のこともある。
ゼファーは、このミノシア王国で何を為そうとしているのだろうか。
今や騎士団を手中に収め、ミンヘル殿下を擁し、王室に公然と反旗を翻そうとしている。
因習と律法を憎み、『諦め』を『望み』に変えたいと、ゼファーは言っていた。その言葉には、野心があり、大望がある。
一方で、『不死』を手に入れようとして、私のような存在を生み出している。
『覇業』と『不死』。
何の根拠もないのだが、ミーシャはこの二つの計画は別個のものではなく、より大きな計画の一部なのではないかと感じてもいる。
その一瞬後には、妄想じみていると頭を振る事になるのだが……。
(どちらにせよ、ゼファーを知らなければ始まらないか……)
戦うにせよ、逃げるにせよ、あるいは交渉するにせよ、相手のことを知らなければ、始まらない。
『敵を知り己を知れば百戦危うからず』とは、何も戦いに限ったことではない。
(そして、ゼファーを知るには、もう一人の自分『ジーネ』を知らなければならない……)
ジーネはかつてゼファーの弟子であり、今のところミーシャがゼファーの内情を知れる、唯一の方法であった。
(私はどこから来たのか? 私は何者なのか? 私はどこへ行くのか? ……哲学めいた問いを自分に向けることになるとはね)
ミーシャは自分自身に皮肉めいた苦笑を向けてしまう。
だが、生きるということは、このような問いに応え続けていくことなのかもしれない。
そして。
私がどこへ行くのかは、イレーネ師匠を抜きにしては語れない。
ミーシャは、炉の向こうで眠る師匠を見やった。一時は、師匠と別れて生きていこうと考えたこともあった。
けれど、今は……もう、師匠の側を離れたくなかった。
師匠のことを想うと、胸の奥に温かいものが湧き上がってくる。それが恋情なのかは分からない。
ミーシャは前世の頃から男女の恋愛を夢想したこともなく、ましてや、女性同士の恋愛は想像の地平線の彼方にある。
あるいは、これも師弟愛の範疇なのだろうか。
ミーシャは元来、理知的、合理的な人間であった。
目指すものを明らかにし、それを得るために情報を集め、何をするべきかを決め、一つ一つこなしていく理性と意志力の持ち主だった。
それは、ミーシャの人生の力強い指針であった。
しかし、イレーネ師匠への想いは、理性というよりは感情の範疇であった。自分の想いの正体を見いだせずに、ミーシャは迷っている。
自分の心がどこにあるのかミーシャには分からなかったし、イレーネの心が、ミーシャをどう思っているのかも分からなかった。
冬の夜の寒気が、ミーシャの熱を奪っていく。寒さに身震いしながら、炉に枯れ木を放り込む。
問いを抱えたまま、ミーシャの夜は更けていった。




