32話『どこから来たのか、何者なのか、どこへ行くのか』・上
「いい人だったよー。色々教えてくれたしねー」
宿で出会った泊り客について話しながら、『赤毛の狩人』レイミアはナイフを振るう。木の幹を伝っていた蛇の頭が、ぽとりと落ちた。
のんびりとした口調のレイミアだが、動作は素早い。
山刀を持った長い手を鞭のようにしならせて、蔦や枝を斬り払っていく。騾馬が通れるように、獣道を切り開いているのだ。
一行は、森の獣道を進んでいた。
目的地であるフェレチに行くには、森を直進したほうが早いというレイミアの主張が通ったのだ。これも宿の泊り客に教えてもらったことらしい。
そのレイミアが、不意に感心の声を上げた。
「お、ルーシェン。よくやったぞー」
ルーシェンは伏せの体勢で一点を見つめていた。その視線の先をミーシャが追うと、かなり離れた所に鹿がいた。
「もしかして、あの鹿を狩るつもりなの?」
なんとはなしに小声になって、ミーシャは尋ねる。だが、レイミアの返答は思いがけないものだった。
「そんな勿体無いことはしないよー。案内してもらうからねぇ。 じゃ、アマロ、後はお願いー」
ミーシャが聞き返す暇もなく、レイミアは身を翻すと、ルーシェンと連れ立って森に紛れて消えてしまった。
レイミアに先導してもらっていたため、一行は身動きがとれなくなってしまった。
イレーネがアマロに尋ねる。
「これは…どういうことなの?」
「す、すみません。イレーネさま……。えぇと、たぶん、少し待って欲しいということじゃないでしょうか…? 前にもこうやって、よく居なくなることがあったので……」
「ふぅん」
イレーネはやや納得出来ない様子である。
その顔を眺めつつ、ミーシャは擁護することにした。
「ともかく待ちましょうよ、師匠。ここを動けば、レイミアもルーシェンも戻って来られなくなるでしょうし……。それに、私もう、足がガチガチで…。休ませてください」
最後のあたりは本心である。
騾馬に載せられる荷物にも限度がある。一番小柄なので、荷物も少なくしてもらっているが、小さな子供を背負っているくらいには重い。
「仕方ないわね」
イレーネも荷物をおろし、休憩の体勢に入る。近くに倒木を見つけ、そこに三人で腰掛けた。
冬の森は、どことなく寂しい気がする。
この辺りは雪が降るほどではないが、それでも落ち葉が降り積もり、風が冷たい。
なんとなく人恋しい気がして、隣に座るイレーネを見つめた。
イレーネは今はフードを被り、横顔が少し見えるだけだ。
(私は師匠のことが好きなんだろうか?)
ふと、そんなことを思う。
いや、好きなのは間違いない。だが、その「好き」が、どのような形なのか……。それがミーシャには分からなかった。
尊敬、とは違う感情だった。前世には、尊敬できる人もいた。けれども、その感情とは違う。
イレーネを想う時、ミーシャの心の中に思い浮かぶのは、『魔女の庵』で二人で暮らしていた時の事だった。
つまりは、尊敬という一方通行の感情ではなく、関係性に関わる感情なのだ。
(私はイレーネ師匠と、どうなりたいんだろう?)
恋人になりたいのだろうか。
女の人が好きだと、師匠は言った。つまり、イレーネと男女の仲がありえるのだと気づいて、ミーシャは衝撃を受けたのだ。そもそも恋愛関係を「男女の仲」と称する事自体、ミーシャの固定観念が案外に根強いことを示している。
とはいえ、当たり前だと思っていたことが、そうではないと気付かされる感覚が、ミーシャは嫌いではなかった。
しかし。
自分がイレーネと恋人になったとして、それが『打算』ではないと否定できるだろうか。師匠と一緒にいたいがために、師匠が望むであろう恋人になろうとしているのではないか。
師匠を大切に想っているのは間違いないが、下手をすれば師匠を侮辱することになるのではないか。
「ミーシャ」
「は、はい」
いきなり呼ばれたので、いささか調子の外れた返事をしてしまった。
「ちょっと後ろ向いて座ってくれる? 一応大丈夫だと思うけど、後ろから奇襲されたら、たまったもんじゃないわ」
「はい。えと、《生命の眼》、使いますか?」
「精神力に余裕ありそう? なら、お願いね」
「大丈夫。問題無いです」
ミーシャは立ち上がって、倒木をまたいで反対側に腰掛けた。
太陽はそろそろ落ち始めている。
アマロ・ヴォーンが、イレーネに尋ねた。
「そういえば、イチノセのこと、どうしてミーシャって呼ぶんですか?」
「そうね。いろいろ理由はあるんだけど…ミーシャは、私が名づけたのよ。ミーシャス・ジーネ・イチノセ。これがイチノセの新しい名前ね」
「…なんだか、ものすごく増えましたね……」
アマロの言い様に、ミーシャが笑う。
「もともと、イチノセは苗字だったんだ。…もうしばらくは今まで通り、イチノセって呼んで欲しいな」
「え? イチノセって変な名前だと思ってたけど、姓だったの? というか、ジーネが名前だったの? どうして教えてくれなかったの?」
「うんまぁ、ちょっと色々あって……。というか私自身、名前がジーネだとは知らなかったというか……」
ミーシャは頬を掻いた。
「なんだか、意味がわからないんだけど……」
「この話は、ちょっと複雑で……レイミアが戻ってきたら話すよ」
「まぁ、いいけど……。レイミア、どこまで行ったのかしら」
***
レイミアが、耳長狼のルーシェンとともに戻ってきたのは、日暮れ前だった。
「やぁ、もうちょっと先に進んでくれてても、よかったのにー」
「よかったのにーじゃないわよ! なんにも言わずに消えちゃって、こっちがどれほど迷惑したのか分かってんの!」
「まぁまぁ」
アマロは怒ったが、レイミアは気にも止めてない様子だ。
「ちょうど、いい野宿の場所を見つけたんだよー。鹿に案内してもらったからねぇ。もう天幕も張っているし、行こうー!」
そういって、レイミアは、騾馬に荷物を載せ始めている。
一行も各々荷物を背負った。
歩き始めながらミーシャは、問いただした。
「野営地を鹿に案内してもらったって、どういうこと?」
「んー。”街育ち”にはわかんないかー」
枝を打ち払いながら、レイミアは説明した。
「この森、狼が出るんだよー」
「え? 狼を見かけたの?」
「見たわけじゃないけど……、んーと…、この落ち葉を見てよ」
レイミアが、地面を指さした。
落ち葉がめくれて立ち上がっているのが、ミーシャにも分かった。
「落ち葉が立っているでしょー? これは獣がここを踏んで、落ち葉を跳ね上げたってことなんだよー。ってことは、狼がいるってことね」
「ちょっと待ってよ、レイミア。獣がいるのはわかったけど、それが狼だって、どうして分かるの?」
「そりゃあ、落ち葉のめくれ上がり方とかー、あと、足跡がついてるところがあって、そこからも分かるかなぁ?」
「でも狼の足跡があるのと、鹿を追いかけるのは、どう関係があるのかしら?」
イレーネが問いかけたが、レイミアは意味がわからないとでも言うように、呆けた。
「え? 狼に襲われるの、やですよね?」
「もちろん、嫌だけど……」
「レイミアは、いーーっつも言葉が足りないのよ。森になんて、あたしたちはそうそう行かないんだから、初めからちゃんと教えなさいよ」
「んー。そっか」
アマロがちょっと怒ったように言うと、レイミアは、綺麗に巻かれた白布が解けかかるのも気にせず、隙間から赤いくせ毛を掻き回した。
「私が鹿を追ったのは、水場を探すためだったんですよー。天幕を張るにしても、水場があったほうがいいですよね? で、鹿が行く水飲み場って、狼が出ないんですー」
「狼が出ない?」
「安全なところじゃないと、鹿も安心して水を飲めないでしょ? 大抵の鹿はそういう場所を選んで、水を飲んだり、草葉を食んだりするんです。それで…」
レイミアは地面に枝で、丸を二つ並べて描く。その丸の重なるところを、指して言った。
「狼にも縄張りがあるんです。狼も別の狼や魔獣なんかとは、争いたくないから、縄張りの境界近くには近づきません。だから、鹿は、縄張りと縄張りが重なる境界を狙って集まるんです」
「なるほど、だから鹿を追えば、野営するのにちょうどいい場所が見つかるってわけね」
イレーネは感心して頷いた。ミーシャも『森育ち』の知恵に感嘆する。
「レイミアはすごいな。私にはただの森にしか見えないのに、同じものを見ても、レイミアは、もっとたくさんの意味を拾い上げることが出来るんだね」
「まぁーねー。『赤毛の狩人』の二つ名は伊達じゃないんだよー」
何の印もつけていないのに、レイミアは迷うこと無く一行を案内し、野営地まで辿り着くことが出来た。
すでに、レイミアの手によって、天幕が設置されている。
一枚布の中心を、太い枝に紐を巻き付けて吊り下げていて、全体としては円錐形の天幕になっている。
布の端に石を置いて、風で飛ばされないようにしてあり、天幕の中は、常緑樹の葉のついた細枝が敷き詰められている。
レイミアによれば地面は体温を奪うため、このように離す工夫が必要とのことだ。
少し離れた場所にある水場は、川というよりは沢で、流れは細いが、水の補給などには十分な量が流れている。
全体的にやや地面が窪んでいる地勢で、見つかりにくい場所であるようだ。
「いつも森に居るだけあって、手早いわね」
「まぁーねー。それに、天幕の中で火を焚けるようにも出来てるよー」
「それじゃあ、炉を設置しましょうか」
天幕の中は半径2mほどになっている。上を見れば、中心に穴が空いていて、煙をそこから逃がすことができるようだ。
「なるほどね。真ん中に火をおこせる場所を作って、煙を上から出せるようにしてるのか」
ミーシャが感心していると、アマロット・ヴォーンが不思議そうに言った。
「この形式って、わりと普通だと思うけど?」
「そうなんだ。もともと野営したこと自体少ないんだよね。この世界に来てからは、初めてだしね」
ミーシャが肩をすくめる。アマロは「どういうこと?」と訝しんだ。
話している間にも、イレーネは炉の設置にかかっていた。
炉というのは、複数の鉄板を組み合わせたもので、風よけや吸気を一度に行えるようになっている。穴の開いた鉄板の囲みの中に薪を入れるだけで火を簡単に熾せるのだ。
***
日が落ちきる前に、イレーネとレイミアが戻ってきた。レイミアは森に詳しいし、イレーネも錬金術士である関係上、野草に詳しい。二人は野鳥や食べられる野草を探しに出かけていたのだ。
余り者のアマロとミーシャは、騾馬のお守りと、枯れ枝拾いである。
二人の戦果は、イラクサ、クレソン、野バラの実、胡桃、そして雉と、蛇であった。
ミーシャが驚いたのは、蛇である。
そういえば、レイミアは蛇の頭を落としていた。彼女はその後、ごそごそやっていたが、まさか蛇を食べるつもりで取っておいたのだろうか……。
ミーシャがそう思っている間に、レイミアは蛇の皮をむき、内臓を取り出している。
周りを見ても、咎める様子も留める様子もない。
(この世界での食文化では、これが普通なのか……)
ミーシャは文明人であるから、他国の食文化を非難しないし、尊重すべきものだと思っている。
だが一方で、抵抗を感じるのも、仕方のないところだ。
野営準備でのミーシャは、良く言っても役立たずであった。
出来たことといえば、雉の羽根をむしり、産毛を魔術で焼き切ったことくらいで、解体やら下ごしらえやらは、アマロにやってもらうしか無かった。
前世ではキャンプ自体、数えるほどしかやっていないのだ。何をどうすれば良いのかもわからなかった。
イレーネが皆を呼んでいる。イラクサのお茶が沸いたらしい。
天幕の中に入ると、バターとイラクサの香りが漂ってきた。
炉に鍋がかけられて、お茶が沸かされている。
イレーネが手招きしている。近寄ると、木製のカップにイラクサのお茶を入れてくれた。
「ちょっとバターを加えてみたわ。 疲れた時にはいいわよ」
「ありがとうございます、師匠」
イラクサのお茶には、胡桃を炒って砕いたものと、ほんの少しのバターが混ぜ合わされている。お茶のイメージとは異なるが、疲れた体には染みこむように美味しかった。
「これもどーぞ」
「あ、ありがとう…」
レイミアから、蛇の串焼きも手渡された。おそるおそる口をつけてみる。甘酸っぱくコクのあるソースが塗られていて、こういう料理だと思えば、美味しい……かもしれない。
イレーネ師匠が、雉肉を切り分けていく。
「雉肉に香草を詰めて、ローストしようかとも思ったんだけど、時間かかっちゃうし、今日は雉肉と豆のスープにするわ」
「あれ、雉肉全部使わないんですか?」
雉肉の皮のついた半分ほどが、別に取り分けてあるのを見て、ミーシャが尋ねた。
「雉肉って結構ボリュームあるからね。それに脂肪が多くて、スープにするとくどくなるのよ。だから後で燻製とかにするつもり」
「へー」
今日の夕食は、雉肉と乾燥豆のスープに堅パンとなった。
堅パンは、この世界の保存食としては一般的なもので、全粒粉の小麦粉やライ麦粉に、レーズンや滋養のある香草、堅果を混ぜ込んで、焼き締めた丸く扁平なパンである。
そのまま食べるには固すぎるため、お皿の代わりにしたり、あるいはスープに浸して柔らかくなったところを食べるものだ。
味は、素朴ながら悪くなかった。




