4話『はじめての村』
すみません! 五期ぶり三度目の『モテ期』がやってきたため、投稿が遅れてしまいました。やー、つらいわーもてるのつらいわー。
次回から、土曜日の投稿に戻します!
二人が出会ってから、月の満ち欠けを二度ほど繰り返した頃のことである。
夏の強い日差しも鳴りを潜め、山の天辺では秋の紅葉がわずかなりしと見えるようになっていた。
イチノセの足の怪我は一月半も経つと、それなりに歩けるようになり始め、今では、先だっての約束の通り、魔女にして錬金術士であるイレーネを助けている。
しかし…。
「あなたって、本当に役に立たないわね!」
イレーネに、そう言われてしまっていた。
今は、手伝いを始めてから二週間ほどだが、イチノセは、本当に何も出来ないことを、露呈してしまっていた。
洗濯物を洗濯機に突っ込み、食器洗い乾燥機にお皿を並べればいい現代とは、何もかもが違う。
アウトドアが趣味でもない限り、火の熾し方など知る由もない。
そもそも、使い方もわからない錬金術の道具も多く、その面でも役に立たない。
けっきょく、イチノセが現状できているのは、近くにある泉から水を汲んでくることや、庵の周囲にある家庭菜園に水を撒くこと。その他には簡単な掃除・洗濯ばかりというところである。
特にひどいのは料理の腕で、もう二度と「やらなくてよし」との、お墨付きまでもらってしまった。
決して味音痴ではないのだが、手慣れない事もあってか、どうしても料理が美味しくならないのだ。
反面、魔術の腕は上がった。
その大きな理由は、家事を魔術によって済ませていたからである。
この時代の洗濯は、大変な重労働なのだが、イチノセは、《念動》の魔術を巧みに操って水流を作り、綺麗にしている。水汲みも《念動》の補助があるから楽なものだ。草取りも《念動》でやってしまう。
イレーネも合理主義者であったから、魔術で上手く出来ているのならと、咎めはしなかった。さらには、魔術の腕を急速に上げていく、少女を好ましく思っていたという理由もある。
そんなある日のことである。
イレーネが突然、街に行くと言い出した。
「…というわけで、あなたには、近場の村で預かってもらうことにしたから」
「あれ、私は連れてってくれないんですか?」
「あなた、まだ怪我が治ったばかりじゃない。そういう時は無理はしないの。
それに、私は《飛翔の翼》で飛んで行くけど、あなたまで抱えていく余裕はないから」
「んー。私にも、その《飛翔の翼》を教えてもらえないですかね……。街がどんなところか、行ってみたいです」
「失敗したら、空から落ちちゃうわよ。《飛翔の翼》は本当に危ない魔術だから、まだまだお子様には教えられないの」
「私、25歳だって言ったじゃないですか」
「どう見ても、成年前の少女にしか見えないわよ」
「いやぁ……」
少女は照れた。転生してみたら、類まれなる美少女だったという状況なので、どうにも嬉しいやら恥ずかしいやらで、過剰反応してしまうのである。
返礼のつもりで、少女は言った。
「師匠も、どう見ても20代なかばです。42歳には見えませんよ!」
師匠と呼ばれた『霧の魔女』は、ポカリと少女を叩いた。
「師匠って呼ぶんじゃないの。まだ、弟子入りを許したわけじゃないんだからね。それに、不老薬を飲んでいるから、若々しいだけよ。 さぁ、馬鹿なこと言ってないで、準備なさい」
***
イレーネの棲家である『魔女の庵』から近場の村までは、朝に歩いて日暮れ前につく程度の距離である。
少女と魔女の二人は、荷物を整えて、山を降りることにした。
魔女の荷物は、帆布のサックの中に冒険者の鍋、皮の水筒、固く焼き締めた香草入りの堅パンと、干し肉、それにドライフルーツや乾燥豆などの携帯食料、木で出来た食器一式、軽い毛布、お金に着替え、針や糸などの裁縫道具、護身用の懐剣、ミスリルの細剣、各種の魔法薬、ロープや鏡、蝋石などの小道具などで、常より万全の荷物を持ってきている。
さすがに重量はなかなかの重さになるのだが、これを抱えて動けないようでは冒険者は務まらなかった。
手慣れたもので、すぐに荷物をまとめることが出来ている。
対する少女も、師匠の指示に従って荷物をまとめていたのだが、様子を見に来た師匠に驚かれることになった。
「どうしたの、その格好? ゴーストの仮装でもしてるの?」
見ると、白いシーツを体に巻き付け、フードを深くかぶって、布で顔の周辺を覆っている。イスラム教徒の女性がつけるブルカのような格好だと言えば分かるだろうか。
少なくとも、この国では異様な格好だった。
「いえ、理由があるんです。これは、波長の短い光から身を守るための格好なのです! 実はですね。人間の老化の原因の一つは、紫外線なんです。なので、光になるべく当たらなければ、アンチ・エイジングになるんですよ!」
「なに? それも、あの世の知識なの? どうにも、胡散臭いわね」
「本当です。 まぁ、根拠を出せないのが辛いとこですけど…。
あ!そうだ。以前、魔法瓶の仕組みを話しましたよね。街に行くなら、鍛冶屋さんに、作れないか確かめてください。ちゃんと比較すれば、正しいってことが分かりますから」
以前、イチノセは異世界知識として、魔法瓶の仕組みを教えたことがある。熱は分子の振動であり、それが伝わらない真空があれば、熱を遮断できるのだと教えたのだ。
「魔法の瓶ね。ま、聞くだけは聞いてあげる。で、本当に、その格好で行くつもりなの?」
「もちろんです。せっかく美人に生まれたんですから!」
やれやれと思いながらも、イレーネは好きにさせることにした。そんな格好では、周りの警戒も出来ないだろうにと思ったが、どうせ自分が警戒すればよいのだ。
この風変わりな少女が、多少、警戒したところで、物の役にも立たないだろう。
夏の名残を惜しむかのように、セミがまばらに鳴いていた。遠くから、鳥の鳴き声が聞こえ、森の枝がこすれあって、ざわめいている。
二人は、連れ立って、森の道を歩いていく。
(いつもは、魔術でひとっ飛びだけど、こういうのも悪くないわ)
イレーネがそう思っていると、
「こういうのって、いいですね。森のなかを歩くのって。ピクニックみたいで」と少女が言った。
「そうね」
イレーネも頷いた。こんな風に気楽に、誰かと連れ立って歩いたのは、いつ以来だろうか。
しかし、それを素直に言葉に出すのはためらわれた。
少しだけ、ごまかして笑った。
「お供が、ゴーストの扮装をしてなければ、そう思ったかもね」
それはそうとして、やはり、気になることがある。
「ところで、あなたのその扮装……誰かに姿を見られたくないから、そうしているんじゃないの? 事情は聞かないって言ったけれど…。もし、村に被害が及ぶ可能性があるんなら……」
「最初っから、本当のことを言っているんですけどねー。 ただ、こっちの世界に関して言えば、記憶が無いんです。 街に行きたかったのも、だれが自分を見知っている人が見つかればって、思いがあったんですけど」
「結局、その扮装はあなたの趣味なわけね……」
「紫外線よけです!」
魔女と自称弟子の二人は、途中、昼食のサンドイッチを食べながら、村へと到着した。
日は陰り、東の空が夜の帳を広げ始めている。この村には特別の名前はない。”おらが村”で大体済んでしまうためだ。
「まぁまぁ、魔女殿。ようこそ、おいでくださいました」
村の中でも比較的大きな家から、中年女性が出てきて挨拶する。彼女が村の長であるらしい。
魔女イレーネは、頭を下げた。
「中々、立ち寄ることもできずに申し訳ありません。 頼まれていた魔法薬やアイテムはここに。あとで検めておいてください……それと、この娘ですが」
魔女は銀髪の少女を示した。さすがに、フードを外して顔を露わにし、イチノセは挨拶した。
「イチノセです。イレーネさんの弟子をしています」
「正式な弟子ではありませんが、一応、世話はしています。街に向かうのだけど、この娘を連れて行くには、まだ早いでしょうし、預かってもらえないでしょうか」
「ええ、ええ。もちろん。日頃お世話になっている魔女殿の頼みとあれば、喜んでお引き受けいたします。 それに、娘とも、いい友だちになってくれるでしょう。よろしくね。イチノセさん」
「はい。お世話になります」
村長に勧められて、イレーネも今日は泊まり、明日の早朝に出発することになった。
その日の夕食は、鳩肉のシチューに、じゃがいもを練り込んだパン、豆の入ったマッシュポテトやチコリのサラダが出てきた。イレーネによれば、なかなかのご馳走であるとのことだ。
村長の家族は、村長である中年女性、イチノセと同じ年頃の少女リオン、まだ赤ん坊の男の子レオグであった。
村長の娘リオンは、好奇心が旺盛な性質で、魔女の弟子だというイチノセに多くの質問を投げかけてきた。
イチノセは、異世界から来たという話は、さすがに信じてもらえないことは分かっていたので、記憶喪失ということにした。それがまた、リオンの興味を引いたらしく、さらなる質問攻めとなったのだが。
その日の夜。
おおよそ寝るだけになったイチノセを、イレーネが呼び寄せた。
荷物の中から、鞘に収められた懐剣を取り出して、イチノセに見せる。
「これを、あなたに渡しておくわ。ミスリルで出来た短剣ね。刃もつけてあるけれど、むしろ魔力を導く杖として使ってちょうだい。ミスリルには魔力を通す性質があるから、今までより簡単に魔術を使えるようになるわ」
イチノセは、鞘走らないように抑えている紐を解いて、短剣を検めた。細い刀身は流麗で、灰白色の刃には、吸い込まれそうな妖しい魅力がある。
何の装飾もない無骨な短剣であるが、イチノセはこれが気に入った。
「ありがとうございます。でも、どうして、今私に?」
「……この二ヶ月ほど、一緒に暮らしてきたけれど、あなたには、魔術の才能があるわ。魔力を高めるだけじゃなく、その操作も、魔法陣の構築も、もう初心者の域を超えているわ。新人魔術師は、《念動》で草むしりなんて出来ないのものよ」
魔術師としても大成したイレーネだからこそ、分かる。イチノセには、魔術師としてなら、自分を上回る素質があると思ったのだ。
だからこそ、心配になることもあるのだが。
「……本当の師匠になっても、いいと思ってる。でも、私にも秘密があるわ。そして、あなたにも秘密があるでしょう?」
「……」
イチノセは押し黙った。
前世の過去については、何も話しては来なかった。
むろん、イレーネが聞いているのは、前世ではなく、この世界での経歴のことだろう。それに関しては記憶が無いとしか言いようがなかったが、隠していることは確かにあるのだ。
「別に問い質しはしないわ。…けれども、私にも秘密があることを知っておいて。それで、もしかしたら、あなたは私から離れていくかもしれない」
魔女は、寂しそうに軽く笑った。
「いえ、むしろ、そうでない方が、私にとって危険かもしれない。……だからこそ、あなたを、そこそこの魔術師にしてあげるつもりよ。この短剣は、その第一歩といったところね」
イレーネの言葉は、自分自身に語りかけるようでもあった。
「秘密というのは、あの山荘に一人で暮らしていることですか?」
「…まぁ、関わりはあるわね」
イチノセは頷いた。要するに、魔術師なり何なり、自分が自活できた時に、その秘密を話すつもりがあるということだろう。
「短剣、頂きます。 実は、私にも秘密があります。 だから、もしかしたら、私の秘密がイレーネさんを、遠ざけてしまうことになるかもしれません。それでも『恩返し』の心くらいは持っています。だから…せめて、あなたのお役に立たせてください」
そういって、短剣を少女は懐に入れた。
「そうね。せめて、いつか美味しい料理を食べさせて欲しいわね」
魔女は、冗談めかして笑った。
***
あくる朝、イレーネは《飛翔の翼》を構築して飛んでいった。
魔女が担いできた荷物は、何かあった時のために使ってほしいと言われ、イチノセが預っている。
「はー。確かにあれなら、ひとっ飛びだ……」
飛んでゆくイレーネの姿を見つめて、イチノセは、感嘆した。ファンタジー世界に来てしまったものだと、あらためて実感する。
リオンが呼びに来た。
「イチノセちゃん。牛の乳搾り、手伝ってくれる?」
「もちろん」
張り切ったイチノセだったが、牛の乳搾りは思いの外難しかった。独特のくせがあり、上手く絞れない。
牛は手間がかかる家畜らしく、飼っているのは村長の家だけである。
リオンはまぁしょうがないといった風情だったが、役立たずであるのは心苦しいものだ。
お詫びというわけでもないが、絞った牛乳を《念動》で持ち運んであげた。
「すごい! さすがイレーネ様の弟子ね!」
「うん、最初は苦労したけれど、慣れれば結構簡単だよ」
「リオンは、魔術一つしか知らないんだ。もっと、いろいろ使えたらいいんだけど、教えてくれる人が周りに居なくて」
村長の娘は自分を名前で呼ぶ癖があるようだった。
「うーん、私も《念動》の他には2,3個しか魔術しらないけど、それでよかったら、学んでみる?」
「いいの? 魔術って習うのに、たくさんお金がいるって話しだけど…」
「そうなの? ……じゃあ、代わりに料理とか教えて。それでお相子ってことで」
実際、どんな簡単な魔術であっても、最低ミスリル貨一枚以上はかかってしまう。魔術師ギルドが価格統制を行っているせいだ。
農民にとって、午前中はとても忙しい時間である。井戸から水を汲み、畑の雑草を抜き、虫を丹念に取る。
牛や豚、鶏、鳩、家鴨などの家畜の世話も必要だ。
イチノセは、《念動》の魔術を駆使して、どうにか役立たずとは言われない程度には働くことが出来た。
その彼女を驚かせたのは、村の人達には、昼食を取る習慣がないことだった。昼食を食べるのは、騎士や、冒険者くらいなものだという。
なるほど、師匠も元冒険者だったから、三食だったのだろう。前世での習慣を崩されなくてよかったと思ったが、急に昼食を抜くことになって、イチノセは空腹を抱えることになった。
そうしたところ、リオンがこっそりと言った様子で、イチノセに目配せした。
イチノセがリオンに近寄ると、声を潜めて、こういった。
「ねぇ。イチノセちゃんは、甘いの好き?」
「好きだけど……」
「秘密守れる?」
イチノセが頷くと、リオンは手を引いて、村の離れに連れて行った。
そこに半分、地下に埋まった倉庫があった。温度変化がすくないため、保存に適しているのだろう。
「リオンのところは、村長の家だから、お酒とかも作ってるのね。で、麦からお酒が作れるんだけど、その仕込みの途中で、甘い飲み物になるの」
そういって、リオンは壺の中から柄杓で、飲み物を汲み出した。
「飲んでみて」
イチノセが飲んでみると、確かに、さわやかな甘味がする。どこか麦茶のようでもある。
なるほど、甘酒のようなものかと、イチノセは納得した。
「美味しいね」
「でしょう~! でも、あんまり飲んじゃうと、お母さんに怒られるからちょびっとだけね」
リオンも柄杓ですくった甘酒を飲んだ。
「でも、あんまり美味しいから、ついつい飲み過ぎちゃうんだよね」
そう言いながらも、リオンは、柄杓を止める様子がない。
立て続けにゴクゴクと飲むものだから、イチノセはさすがに心配になった。
「もう、その辺にしておいたら?」
「うーん、もう一杯だけ」
もしかしたら、酔っているのかもしれない。甘酒も少ないとはいえ、アルコール分があったはずだ。
まだ、十代半ばの少女がアルコールを摂るのは望ましくないだろう。
どうにかなだめすかして、離れを出た。
そこに待ち構えている者がいるとも知らず。
***
男たちが、離れの周囲を取り囲んでいた。
村人でないことは、手に持った武器で分かる。粗末なショートソードしか持っていない男が、総勢5人。
そして、甲冑を纏った男が一人。この男が、リーダー格であろう。
イチノセは、リオンをかばうように、一歩前に出た。密やかに、マナを励起させる。
「なるほど、確かに絶世の美人だな。"銀色の髪の乙女”。それじゃあ、一緒に来てもらおうか」
甲冑を纏った男が言った。この男は、他の山賊風の男とは違って、人品卑しからぬ風体である。青年と言っていい年頃の男で、長い栗色の髪を後ろに流していた。
(記憶に無い、私の過去に関わりがある…ということか。 それにこの口ぶりからして、私を直接知らずに頼まれて探しに来たらしい……)
甲冑の男は長剣を佩いてはいるが、抜いては居ない。だが、なかなかに使えるのが分かる。口ぶりに剣呑なところはないが、逃げ出そうとすれば、ためらわずに剣を抜くだろう。
後ろで、リオンが震えているのがわかった。
「この子は、関係ないだろう?」
「まぁ、な。あんたさえ連れて行けば、こっちとしちゃあ問題ない。行け」
村長の娘は躊躇っていたが、イチノセが促すと走りだしていった。
・麦汁
…エールになる前の液体。発酵させる前もので、甘い味がする。実際にビール工場見学などで試飲できる。
アルコールを生み出す酵母には糖が必要なため、お酒の生成過程では、必ずといっていいほど、甘い液体が精製される。
イチノセが、麦汁を指して甘酒のようなものだと感想を抱いたのは、日本酒やどぶろくを作る前段階の『米麹』が、甘酒の原料になるからである。
ちなみに、リオンが飲んだ麦汁には、すでに酵母が投入されているため、多少のアルコールがあるという設定。またリオンがこんな風に開けて飲むため、この村のエールは出来が悪い。