設定集『騎士団』(2/2)
◇騎士団の役職と階級◇
●役職
・騎士伯……その地域における有力者が、王より騎士伯の称号を賜ることで、騎士団を結成することが出来る。
とはいえ、王族以外で騎士伯の称号を持つものは、近年までブリコシオンしか存在していない。アイヴィゴース騎士団は、新しくできた騎士団であり、アゲネ・アイヴィゴースが政治の混乱に乗じて作り上げたものだ。
前述したように、騎士団とは一つの大きな武力集団である。王家としては、騎士団を王族以外の者に任せたくないという思惑があったのだ。
騎士伯は、騎士団の責任者であり、最終決定権を持つ存在である。
青年に達した王族も騎士に叙任されるが、王に叙任されるため、騎士団の騎士にはならない。すなわち、いびつな形ながら、この時代に文民統制がなされていたと見ることもできるわけで、興味深い点ではある。
・騎士団長(総長)……騎士団の作戦・指揮を統括する。実務における最高権力者。とくに、戦闘に関わる事を行う。
・副団長(支団長)……騎士団は、おおよそ一万前後の兵数を支団として、各地に配するのが基本であった。
騎士団の騎士や兵士たちを一箇所にまとめておかないのは、魔物や盗賊への迅速な対処を行うのに効率が悪いという理由もさることながら、食料調達の限界点であるという理由が大きい。
兵站を重視しないこの時代、食料調達を徴発によって補うことはよくあったのだ。そして、一万の兵数ならば、なんとか徴発によって糧食をまかなえるのである。
副団長は、そのおよそ一万の兵を擁する支団を実戦指揮する役職である。
・分団長……およそ五百から千の兵士を指揮する役職。分団は、騎士団における戦闘の基礎単位であった。
・隊長……およそ百人単位の兵士を指揮する役職。
・小隊長……およそ十人単位の兵士を指揮する役職。
・軍務卿……職階としては、騎士伯と同等に位置するが、騎士たちからは騎士団長に次ぐものと見られることが多い。
騎士団長が戦闘に関わる作戦・用兵を行うのに対し、軍務卿はそれ以外の兵站(日々の食事も含む)や、人事、総務、情報収集、戦利品の分配を行う幕僚の長である。
・騎士団つき司法官……騎士団内の揉め事や、騎士として正しい振る舞いをしているかを監督、時には処罰を行う役職。
・兵科総監……騎士以外の兵種の監督官。軍務卿の下に位置する。歩兵、弓兵、軽騎兵、魔術兵、輜重兵、盾兵の総監が存在する。
・書記官……さまざまな事務をおこなう役職。
・従騎士……武器の手入れ、警邏、炊事、馬の世話などを行う。主騎士の側仕えでもある。
・従卒……騎士の身の回りの世話や雑務などを行う。いわゆる使いっ走り。洗濯仕事、給仕など。
●階級
騎士団は魔物や盗賊・蛮族への対処から、常に死の危険に晒されている職場であった。
平和で余裕のある組織では無能な上司が居ても許容できる。だが、危険と隣り合わせの状況での無能な上司は、生命の危機に直結するのだ。
部下たちにとって、生き残るためには、是非とも有能な人間が上司であって欲しかった。
武力集団である『騎士団』の騎士たちも、有能な上司を希求すること並ならぬものがあった。
しかし、封建社会においては貴族の爵位がある。家柄や実家の財力も無視するわけにはいかない。
そこで、爵位と実力主義を並立させるものとして、騎士団内部でのみ通用する階級が作られたのである。
騎士団内部における階級は単純である。
すなわち、十人兵長、百人兵長、千人兵長、万人兵長である。
この呼称は、それぞれどれだけの兵を統括できるかを教える目安ともなっている。
残念ながら、爵位や家柄が全く関係しないということはない。だが、基本的には功績によってのみ、階級は決定されるのが建前だったし、実際に、有能だが家柄がさほどではない人材を高い階級に拾い上げることができた。
また階級に比して家格が低い場合、騎士伯から財産の分与を受けたり、陞爵を受けることもありえたのである。
こうして、騎士団は実力主義と貴族の序列を併存させることができたのだった。
さらに騎士団における階級は、実力を測るものとして、爵位の相続にも関わることがあった。
当主が息子たちを騎士団に入団させ、より高い階級に上ったものに爵位を継がせたという逸話も数多く残っている。
◇騎士団の種類◇
ミノシア王国には、公的に騎士団は5つある。正式名称は別にあるが、分かりやすさ優先で以下のように呼称する。
・王都騎士団……ミノシア王国の中央に位置する王都を守る騎士団。
・双頭騎士団……東北に位置する公爵領にある騎士団。王太子隷下の騎士団。
・大公騎士団……王国最西端に位置する大公領にある騎士団。
・ブリコシオン騎士団……王国最東端に位置する騎士団。領都ブリコシオンに駐屯する。「王国の剣にして楯」と称揚された。
・アイヴィゴース騎士団……中央半島の南部にある騎士団。最も新興の騎士団であり、政局の混乱のなか生まれた。
一方、王国で正式には認められていないが、通称として騎士団を名乗っているものもある。
・開拓騎士団……王国北方の辺境に位置する騎士団。盟主は辺境伯の称号を持っているが、騎士伯ではない。
蛮族や魔物から自衛のために、自然発生的に組織化したものであり、通称として騎士団と呼ばれているが、公的には騎士団と認められていない。
・教会騎士団…教会が保持する騎士団。ただし、それぞれの司教領に散らばっているため、総数は不明。おおよそ8万人ほどであるとされている。
教会騎士達は、回復の奇跡を使え、さらに組織化され、聖遺物を多く抱えていることから、その実力は、普通の騎士団の数倍とも噂されている。
◇騎士団の文化・習俗◇
・実力主義……貴族の息子たちは皆、成年に達すると騎士となる。当主が死ぬか引退して、爵位を譲り渡すまでは、たとえ侯爵の息子であっても、士爵の息子と同じ騎士階級でしかない。
それゆえ、騎士団は騎士たちを階級以外では区別しなかった。
むろん、実家の財力によって、装備や馬、供回りが変わってくるし、高位の貴族の息子ならば、周囲の見る目も違ってくる。
それでも騎士団は、命がけの職場である。財力や家格も実力のうちと見なされ、強い者を称揚する気風が騎士団内部にはあった。
・武勲詩……騎士たちに好まれた物語。おおむね、忠誠心にあふれた主人公が、仲間との結束のなかで、困難に立ち向かい、主君や国家、あるいは神のために勝利するという物語となる。
勇壮な物語だが、特徴的なのは、主人公が死ぬことも多かった点だろう。
主人公は死ぬが、それは堂々たる戦いの結果によってであり、誉れあるものだとされる。
ここに騎士の価値観が現れている。臆病者のように逃げて生き延びるより、勇敢に戦って死ぬことに、騎士たちは価値を置いていた。
・宮廷愛……騎士たちの多くは、自らの伴侶を得るのに苦慮していた。貴族の爵位は長子相続が基本である。
次男や三男は騎士として成り上がらなければ、身分にあった結婚さえ出来なかった。
また、騎士団には基本的に男しか居ない。騎士団として共同生活を送る彼らには、女性と出会う場が少なかった。
夜会とよばれるパーティにて、女性と知り合う機会は設けられていたが、逆に言えば、そのくらいしか女性と出会う機会はなく、騎士たちの多くは女性に慣れていなかった。
女性と中々出会えず、たまに会うとすれば、綺麗に着飾ったパーティで会うのみ。その帰結として、騎士たちは、女性に対して崇拝にも似た愛情を抱くようになったのである。
あえて現代に例えるならば、宮廷愛とは、もてない男がアイドルに熱狂するような気持ちに近い。
宮廷を受ける女性は、美しさや作法が優れていることはもちろん、道徳心や慈愛を持っていることが重視された。つまり、騎士たちは宮廷愛の対象に理想の偶像を求めたのである。
宮廷愛は、精神的な愛にとどまり、肉体的な愛に至ることは殆ど無かった。
道徳的で美しい淑女に対し、剣を捧げ、礼節を持って献身的な愛を捧げるのだ。それに対し、淑女はその美と慈愛によって、感謝を示すのである。
宮廷愛は実際の騎士の文化であったし、また物語で人気のテーマでもあった。
・闘技会……一騎打ちや、バトルロイヤル、その他さまざまな戦いを行う大会である。時には、魔物を生け捕りにして戦うこともあった。
城塞都市や王都で闘技会は開かれ、騎士たちが武勇を競った。これは一大娯楽であると同時に、騎士たちにとっては金銭と名声を得られる格好の機会でもあった。
参加料を支払わなければならないが、勝てば賞金を得られるし、チャンピオンともなれば、大きな名声を得られるのである。
参加資格は、騎士、従騎士もしくは傭兵であること。王都には常設の闘技場が作られている。
・討伐祭……魔物の跋扈するこの世界において、魔物を間引きすることは、騎士団にとって重要な仕事であった。
討伐祭は、騎士団が一団となって魔物を討伐する仕事であり、同時に祭りでもあった。
騎士団が花形であるが、冒険者や傭兵も雇われて魔物の討伐が行われる。農民も雇われて炊き出しを行うし、倒した魔物の品評会とオークションも行われた。
地域によって違うが、討伐祭は主に冬場に行われる。理由はいくつかある。
農閑期に行うことで、農民への仕事を与えるという福祉政策の一面があったこと。葉が落ちた冬場に行うことで見通しが良くなること。餌の少ない冬場であれば、魔物も冬眠あるいは体力が落ちている可能性が高いことなどによる。
そして、これは騎士たちが武勇を示す格好の舞台でもあった。特に好まれたのは、トロフィーとなる角や爪を持つ魔物たちである。
騎士たちは、自分で仕留めた魔物の皮をならして鎧に使い、魔物の角を兜飾りにして、自分の武勇を誇示した。
・騎士叙任式(刀礼)
貴族階級の男子は、20歳前後に騎士に叙任される。その際に行われるのが、騎士叙任式であり、剣の腹で肩を打つ「刀礼」は、その一部である。
騎士叙任式は、貴族階級の男子にとって、成年になるための通過儀礼であると同時に、忠誠を尽くす主を決める儀式でもあった。
あえて現代に例えるならば、騎士叙任式は成人式と入社式を合わせたようなものと言える。
そして、誰に刀礼を施されるかによって、同じ騎士といえども差が生まれることになる。
たとえば、王族は王からしか刀礼を受けない。これは王にのみ忠誠を尽くすことを意味する。
騎士団の騎士となるためには、騎士伯(あるいは代理で騎士団長)から刀礼を受ける必要がある。また条件として、このときまでにミスリルの武具一式を、自前で揃えておかなければならない。
ミスリルの武具を揃えられなかった者は、自分の家の当主か、あるいは他の有力な貴族から刀礼を受けることになる。
彼らは、家中騎士と呼ばれる。
中には物語におけるジーフリクのように、ミスリルの武具を揃えながらも家中騎士となるものもいる。
彼の場合は、長男が死亡した場合の家督相続の予備として、騎士団に入団させられなかったのだ。戦闘中に長男ともども死なれては困るというわけである。
騎士叙任式は、正式なものであれば、入浴して身を清め、新品の白いリネンのローブをまとい、主から騎士団の象徴物と剣を授けられ、刀礼を行って、騎士としての誓いを述べるという手順を踏む。
◇それぞれの立場から見た騎士団◇
・王室から見た騎士団
先述したように、王家は部下である貴族諸侯が有力になるのを恐れていた。
『騎士団』は、貴族たちの息子を取り込むことで人質としつつ、騎士にかかる費用を負担させて、諸侯の力を削いでいる。
さらには、騎士伯の地位を王族が占めることで、武力を王族が独占する形とした。
王室にとって、騎士団は支配を確立させるための装置であった。
・貴族諸侯からみた騎士団
爵位を持つ当主から見れば、騎士団はお金のかかる代物である。
だが、当主もかつては騎士団の騎士であることが多かったから、ある種の愛着を感じて、進んでお金を出すことも多かった。
それに当主から見ても、騎士団は利点がないわけではなかった。
第一に、扱いにくい年頃の男を厄介払い出来る点があげられる。反抗期が始まる前に、寄宿寮に入れるようなものである。
第二に、騎士団ともなれば、騎士同士で交流が持てる。
困ったときに騎士団時代に培った友情によって、難を逃れるというのは、当時の物語でよく使われたパターンである。
そこまでいかずとも、貴族同士で情報交換ができるのは、情勢を読む点でかなり有利に働いた。
第三に、騎士団は教育機関でもあった。
騎士団で暮らすことによって、礼儀作法や武術、読み書きを身につけることが出来たのである。
・騎士から見た騎士団
この時代、騎士であることは大いに名誉なことであった。魔物が我が物顔で闊歩する時代において、貴族たち支配階級が拠って立つところは、民を魔物の脅威から、守るということである。
それゆえ、騎士団の騎士ともなれば大きな誉れとされたし、民からも頼りにされたのである。
騎士となるには、ミスリルの武具一式を自前で揃える必要があった。武具を用意出来た者は、おおむね20歳頃に騎士伯により刀礼を施されて、騎士に叙任される。
騎士にとっての関心事は、見栄であった。彼らは毎年の討伐祭や闘技会で戦功を競った。
さらに騎士たちは、装備の良し悪しや装飾でも優劣を競った。むろん、その費用は親元に行くのだが、彼らにはその実感は薄い。
騎士たちのこうした見栄は、全体としてみれば、騎士団の練度を上げ装備の充実を齎すとともに、諸侯の財力を削ぐことになった。
有力な騎士の場合は、将来爵位を継いだ後のことを考えて、自らの派閥づくりや人脈形成をも行った。
有能そうな従騎士達を取り込んで、味方につけることは後々の宮廷政治においても大いに役立ったのである。
つまり、彼らにとって騎士団は青田買いの場でもあったのだ。
・従騎士から見た騎士団。
およそ15歳頃になると、従卒は、従騎士に任じられることになる。そして、従騎士には、主となる騎士が割り当てられて、身の回りの世話をしたり、甲冑の着替えの手伝いや、客人の接待、その他重要な仕事が任せられるようになる。
そして従騎士ともなれば、ある程度戦力としての期待を持たれるようになった。
有力な騎士の従騎士になることは、出世の道が開けることと同義であった。
極端な例を言えば、士爵家の三男でミスリルの武具を用意できない従騎士であっても、公爵家の騎士に見込まれれば、ミスリルの鎧・武器を下賜されて、騎士となれる可能性もあったのである。
そこまでいかずとも、有力諸侯の息子と仲良くなることは、位の低い従騎士にとって得になることが多かった。
自分が有能であることを示せば、騎士に取り立てられることもあったし、騎士団を抜けた後も、高位の貴族からの”お声がかり”で王都の職にありついたり、家督争いに有利になることもあった。
そのような役得を得るために、従騎士は能力を磨いたし、また世渡りの方法も学んでいったのである。
・従卒から見た騎士団。
貴族の子供は、10歳になるとよほど病弱な人間を別として、すべて騎士団に預けられる。
そして、騎士団の中で下働きをしながら、宮廷作法や音楽を学び、また基礎的な運動、武芸、水泳、乗馬などを教えこまれる。
また、文字の読み書きや、簡単な計算や魔術も教えられた。
子供ゆえ、戦力としては数えられないが、騎士団内の雑務を任されたし、この頃から武術の訓練も施された。
・社会学者から見た騎士団。
騎士団は、ミノシア王国の制度の要諦であった。騎士団がなければ、魔物の被害は多くなり、流通は分断されて、ミノシア王国の繁栄は短いものになっていたに違いない。
さらに、騎士団という(有力諸侯の力を削ぎ、武力を独占する)システムは、トロウグリフ王朝の支配を盤石のものとした。
ミノシア王国がおよそ400年の平和を享受できているのも、騎士団があればこそだろう。
だが、この騎士団というシステムにもデメリットはある。
武勇が尊ばれる騎士団の性格上、知識が疎かになる弱点があった。
騎士団の騎士たちはやがて、爵位を継いで貴族となるのである。貴族たちは、騎士としての経験から、内治よりも外征に傾き、知恵よりも武勇を賞賛し、何事も武力で解決しようとする傾向を持つこととなった。
更新再開は、12月24日からになる見通しです。




