設定集『騎士団』(1/2)
騎士団の設定集です。
たぶん、ほとんどの人が興味ないと思いますが、自分は書いてて楽しかった!
私みたいな設定好きには、楽しんでもらえるのではないかと思います。
◇騎士団の成立までの歴史◇
・騎士団成立以前
高く作りすぎた砂の城が崩れていくように、世界の半分を支配していた統一帝国は、長い時間をかけて崩壊していった。
帝国の統治機構は寸断され、小王国が乱立する「動乱期」あるいは「諸国乱立時代」と呼ばれる時代に、騎士団の前身は生まれた。
同志団。戦友団。紐帯団。地域によって名称は様々であるものの、蛮族や魔物が跋扈する時代に、人々が自分の身を守るために団結し、生まれた自警団的組織が、騎士団の前身である。
簡便性のために、この自警団的組織を以下「戦友団」と呼称する。
戦友団の特徴を一つ挙げるならば、強力なカリスマ性をもったリーダーによって、まとめ上げられた集団であるという点だ。
リーダーが死ねといえば喜んで死ぬのが、この時代の戦友団のあり方であった。
逆に言えば、それほどの信頼と忠誠を勝ち得なければ、戦友団は魔物の襲撃を跳ね返すことが出来なかったのである。
彼らは、弱き者達(病人、老人、孤児、寡婦)を守ることを主是とし、リーダーへの忠義、戦友への同志愛を誉れとした。
弱者の保護や、戦いでの結束力は、今日の騎士団にも受け継がれている思想である。
しかし、なぜ、遠く離れた地域にあっても、各々(おのおの)の「戦友団」は似たような文化を育んだのであろうか。
むろん、ある程度の情報の伝播はあった。だが、より大きな理由は、忠義や結束がなければ、生き残れなかったからである。
彼らは、公的に認められた警察や軍隊では無かった。この時期の「戦友団」は、あくまで自警団であり、その費用は皆が出しあったり、ある程度の資産家が自腹を切って与えるものであったのだ。
言い換えれば、命の保証がない仕事に、対価として十分な金額を差し出せない状況である。
だが、十分な対価がないからといって、魔物から家族や財産を守らないわけにもいかない。
リーダーへの忠誠と、過剰とも言える名誉を重んじる文化は、このような環境の中から生まれ育っていったのである。
リーダーは、高価な武具や金銭を褒章として与えたが、それ以上に名誉を与えることで、メンバーをやる気にさせなければならなかった。
忠誠心を刺激し、名誉への願望を煽り立てるリーダーに恵まれなかった戦友団は求心力を失い、それを支える地域社会とともに衰微し、果てには滅亡するしか無かったのだ。
やがて「戦友団」は、さまざまな王国の支配者階級から、傭兵として雇われるようになる。このことが「戦友団」が自警団的組織から脱皮させる契機となるのであった。
・騎士の誕生
さて、統一帝国が緩やかに解体され、中小の王国が乱立していた動乱期。
それぞれの王国は、支配者階級と、非支配者階級に分けられていた。
各国の支配者階級は、一言で言えば魔術師たちであった。彼らは統一帝国の遺産である魔術装置や高度な魔術知識を独占することで、その支配権を確立していた。
特に重要であったのは、魔物を生み出し使役する魔術である。彼らは、魔物の襲撃というカードをちらつかせることで、民衆を恐怖によって支配し、また隣国との戦争にも魔物を使った。
魔術師たちにとって、軍隊は必要なかった。わざわざ人間を雇わずとも、魔物がその役目を果たしていたからである。
とはいえ魔物に知性はない。
たとえ、魔物によって敵戦力を粉砕できたとしても、重要拠点を占領・統治するためには、どうしても知性ある軍隊が必要であった。
当初、支配者階級である魔術師達は自ら杖をもって、兵役をこなしていた。
だが、特権に慣れ、指図し、他人任せにすることに慣れた支配者階級の魔術師たちは、次第に労苦ばかりが多い兵役を好まなくなっていった。
結果、彼らが目をつけたのが「戦友団」である。時代を経るにつれて戦友団は、傭兵として雇われるようになっていく。
ひとつには、彼ら戦友団が民衆の味方となり、支配者層と対立することが多くなったことも挙げられる。支配者階級からすれば、危険な武力集団に首輪をつけ、飼いならすつもりであったのだ。
全ては仮定の話であるが、この体制が一世紀を超えて続けば、戦友団も飼いならされ、不公正さに疑問を持たなくなっていったかもしれない。
だが、歴史は一人の英雄を用意していた。
一世紀を待たずして、カリスマ性を持つリーダーが反旗を翻したのである。後に、ミノシア王国の初代国王となるアゼルスタン・トロウグリフである。
彼がカリスマ性を発揮し、人々をまとめることが出来たのには幾つか下地がある。それは皮肉にも、支配者階級たる魔術師たちが、戦友団を雇ったことに起因するものであった。
第一に、戦友団が安定した収入源を得たこと。
これまでは個人的資産や、民衆からの寄付によって、戦友団は、細々と運営するしか無かったのだ。
だが、兵士として雇われるようになってから、戦友団は豊富な装備や糧食を揃えられるようになり、より精強な存在となることができた。
第二に、支配者層たちの選民思想に対する反感が高まったこと。
もともと弱い民衆の味方として始まった「戦友団」にとって、使ってやると言わんばかりの支配者層の態度は、反抗心を醸成するのに十分であった。
豊かな暮らしを遠望するしかない状況であれば、人間の心理として、さほど妬心を抱くこともない。
だが、支配者階級の者達と一緒に働くことによって、戦友団の戦士たちは、頑然とそびえ立つ差別を目の当たりにした。
実際、戦友団は、住む場所、食事、賃金、魔法具の利用、あらゆる面で支配者階級である魔術師たちと差別された。
戦士たちが薄給で命をかけて戦っているさなか、魔術師達は、簡単な仕事を休み休みやりながら、高給を得ていたのである。
安楽に慣れきった魔術師たちを横目で見ながら、戦士たちは生死をかけた戦いに赴かざるを得なかったのだ。
彼らの内心に憤懣が滾ったのも当然と言えよう。
第三に、各地から集められた戦友団の間で交流が生まれたことである。
個々人が感じていた支配者階級に対する不平・不満が、いつしか彼ら共通の怒りとなった。
不満の種が革命という大木に育つためには、思想という豊かな土壌が必要である。自分たちが正しく、相手が間違っているという土壌が。
戦友団同士の交流は、この思想を育む温床となった。
アゼルスタン・トロウグリフは、類まれなる伝道者であった。彼は、各地をめぐって革命思想を説き、黒死病も赤面するほどの感染速度で、賛同者を増やしていった。
そして、アゼルスタンは仲間とともに反旗を翻すに至る。
その報を聞いた当時の支配者たちは「またか」とぼやくに留まった。当時、大小様々な反乱は何度も起きており、そのいずれも魔物を使役することで鎮圧できていたのである。
アゼルスタンの反乱もすぐに鎮圧できるものと、支配者たちは楽観視していた。
だが、支配者階級の余裕は打ち砕かれた。
魔術師が支配する大小様々な王国を、アゼルスタンの騎士団は次々に征服していったのである。アゼルスタンの旗が翻るところに、敗北はなかった。
その破格の快進撃の理由の一つは、後に男の伴侶となる女魔術師にある。
魔術の導体として知られていたミスリルで鎧を作ることで、魔術をいなすことができると、女魔術師は教えたのだった。
アゼルスタン配下の戦友団は、ミスリル鉱山を奪取し、その身をミスリルで鎧った。ミスリルは軽く頑丈で、しかも魔術の威力を減衰させた。
アゼルスタンはミスリルで身を覆う前から、自分たちの戦友団を「騎士団」と呼称していた。
だが、今日、皆がイメージする騎士(ミスリルの全身鎧を着込んだ騎士)は、この時に誕生したのである。
・騎士の特権階級化
アゼルスタン王の配下である騎士たちは、支配者階級である魔術師たちを、破竹の勢いで打ち倒していった。
勝利の要因は3つある。
第一に、彼らはミスリルで身を鎧っていた。魔術の威力を減衰させるミスリルの鎧は、魔術師の天敵であった。
第二に、魔物を使役する術は、魔術師の身を守るのには役に立たなかった。
魔物を使役すると言っても、手足のように動かせるわけではない。ある程度の方向性を指示するのが精一杯だ。
それゆえ、近接戦闘で魔物を使役しようとしても、かえって自分が襲われる危険性があったし、騎士団はそれを見越して、奇襲やゲリラ戦をもっぱらとしていた。
第三に、騎士たちは、支配者層の内情を些かなりとも知っていたのである。彼らの中には、かつて支配者層の警護などに雇われていた者も多かった。
都市の防衛機構の綻びがどこにあるかを、彼らはアゼルスタン王に提供したのだった。
支配者側も、魔術師だけの兵団を作ったり、形ばかりの自治権を与えるなどの懐柔策を行うなど、さまざまな策を打ったが、上手くはいかなかった。
まず、数が違ったのだ。支配者層は人口の1割強しかおらず、十分な兵力を自前で持つことが出来なかったし、誰もが安逸さに慣れて、軍隊として働くのを嫌がったのである。
とはいえ、現在のミノシア王国の版図をアゼルスタン一代で征服したわけではない。
彼の息子スヴェンが二代目の国王として、覇業を引き継ぎ、完遂させたのである。
二代目国王スヴェンは、武勇とカリスマ性を持ち、騎士団長として優れた資質を持っていた。
戦が上手く、一時は七倍の敵を退けたことすらある。
彼は、かつて戦友団のリーダーたちがそうしたように、戦功を立てた者には公平に戦利品を分配したし、”解放”した国の顕職に自らの配下をあてがって、名誉と地位を惜しみなく与えた。
圧政からの解放に民衆たちは、快哉の声を上げた。
スヴェンは、まさしく英雄だった。信に厚く、頼りになり、魅力的な人物だと年代記は記す。
だが、彼には決定的に欠けていたものがあった。
王の器量である。
スヴェンは、配下をその国の顕職に据える際、そこに居座っていた魔術師たちを正義の名のもとに斬り捨てたのである。
……あるいは、それは虐げられた民衆の怒りを代弁した行為だったかもしれない。
だが、スヴェンは理解していなかった。
国の顕職とは、名誉ある地位であると同時に、責任を伴う仕事でもあったのだ。
魔術師たちは高度な教育を受けており、また国の運営に長い経験を持っていた。何も力のみによって、魔術師たちは支配者たりえたのではない。国の運営という職責を果たしても居たのだ。
しかし、二代目国王は彼らを殺した。スヴェンは国の要職を、単に名誉ある地位としてしかみなしていなかった。
そして教育を受けたこともなく、統治の経験もない部下たちに、国家の要職を与えていったのである。
結果、何が起こったか。
国家の行政機能の壊滅的な低下である。
国の中枢は無能者によって占められることとなった。旧支配者の中にも民衆に同情的な人間はいたし、さらに言えば民衆の味方をした魔術師も多かったが、スヴェンは魔術師というだけで彼らを弾圧した。
あらゆる公共サービスは滞った。
裁判は金を持つものが有利となり、教育者や治療師は給料の未払いに悩まされた。都市整備は行われなくなり、疫病の温床となった。警察機能は低下し、犯罪が横行した。
そして、スヴェン王の蛮行はもう一つの副産物を産んだ。
知識層である魔術師を虐殺することにより、文明が退歩したのである。
もともと動乱期には、統一帝国の崩壊により、多くの知識が散逸していた。魔術師たちは、残った知識を独占することで地歩を確立していたのだが、スヴェンは彼らを殺し、残った知識すらも闇に葬り去ったのである。
魔術装置は補修されず、やがて動かなくなった。細かな技術が失伝して、商品の質が落ちた。流通が滞り、食品が誰の口にも入ること無く、腐りはてた。
民衆の声はいつしか、快哉から怨嗟へと変わっていった。
この時期に、騎士の一人が言ったとされる憤慨の言葉が残っている。
「豊かな奴隷であるより、貧すれど自由民でありたいとは思わないのか」
だが、当時の民衆がその言葉を聞けば、目を剥いたに違いない。
騎士たちが、高い地位に見合う責務を果たしてさえいれば、彼らは「豊かな自由民」になれたのだから。
さらに言えば、民衆は「貧しい自由民」ですらなかった。高い地位は結局、騎士によって独占され、民衆は変わらず荒れた土地に住み、新しく特権階級となった騎士を羨むことしか出来なかったのだから。
スヴェン王が、魔術師の国々を征服しつくして振り返った時、そこにあったのは、瀕死の病人のごとき王国であった。
その死にかけの病人を癒やしたのが、聖者エリアンである。
聖者エリアンは、初代国王アゼルスタンの頃から騎士団の一員ではあったが、初代国王の生存中は、今ひとつパッとしなかった教会の僧侶であった。
しかし、スヴェン王の時代になると、エリアンは優れた行政処理能力を発揮し、頭角を現していく。
もともと外征より内治が得意であったのだろう。国王の顧問、あるいは諮問機関という形で、聖者エリアンと彼の率いる教会は統治機構に食い込んだ。
「騎士、魔術師、聖者」をしめす三頭飛竜の王旗が作られたのもこの頃である。
教会の僧侶たちは、旧支配者たる魔術師を除けば、ほぼ唯一高度な教育を受けた集団であった。もともとが自警団的組織から始まった騎士とは、教育の程度が違う。
やがて、僧侶たちが関与しなければ、国政は一日と回らなくなっていった。
加えて、教会の僧侶たちは、自ら『奇跡』と呼ぶ傷や病を癒す業を持ち、それによって、民心を得ることにも成功していた。
聖者エリアンは、奇跡を餌に、民衆に信仰心を植え付けた。そしてスヴェン王の王権は神から授けられたものだと説くことで、統治の正統性を与えたのである。
一面を見れば、アゼルスタン、スヴェンの二代に渡る覇業は、教会にとって渡りに船だったと言えよう。
これによって、教会の信仰はミノシア王国全土を席巻できたのだから。
ともあれ王に付き従った騎士たちは、こうして顕職を手に入れ、自らを特権階級と任ずるようになっていったのである。
顕職の名は、いつしか貴族の爵位へと変わっていった。
・騎士団の成立
さて、封建社会の主権者たる王が恐れたのは、何よりも「謀反」であった。自分の地位を脅かすのではないかという猜疑心は、専制君主の宿業といえる。
そして、有力な家臣に怯える国王たちは、その心理の赴くまま、自分の家臣の力を削ぐことを考え、制度化するようになる。
歴史を紐解けば、そのような例は洋の東西に確認できる。
江戸時代の日本では、参勤交代制度があった。
その主たる目的は、正室と世継ぎを江戸に置くことで人質に取りつつ、旅費、滞在費用を諸藩に負担させることで、彼らの力を削ぐというものであった。
中世のヨーロッパでは、移動宮廷があった。
王たちは、自分の国土を巡回し、その滞在費用や旅費をその土地の諸侯に負担させた。これもまた、有力諸侯の資金を奪い、力を削ぐものであった。
ミノシア王国における「騎士団」も、この系列で語られる制度である。
騎士団にかかる費用は、周囲の貴族からの進貢によって賄われている。当然、有力な貴族には、より多くの資金援助が求められた。
さらに貴族たちは、爵位に応じて、決まった数以上の騎士を入団させなければならなかった。
騎士というのは金食い虫である。まず、ミスリルの武具一式が高価である。軍馬も高価で、替え馬を含めて何頭も養わなければならない。
これらの諸経費は、騎士個人(つまり、騎士の親である貴族)が賄わなければならなかった。
また、騎士は貴族の息子でなければなれなかったから、騎士団は騎士を人質として抱え込む役割も持っていた。
このようにして騎士団は、有力な諸侯の力を削ぐための制度として確立されていた。
参勤交代でもなく、移動宮廷でもなく、騎士団という形式が取られたのは、この世界が魔物が跋扈する危険な世界だという点が大きい。
魔物の襲撃に備えるために騎士団という軍事組織はどうしても必要だったのである。
なお、物語時点では、アイヴィゴース騎士団があるが、これはアゲネ・アイヴィゴースが、政局の混乱に乗じて認めさせたものである。
新興のアイヴィゴース騎士団を除けば、騎士団は元来四つしかなく、その内の三つは王族が直接支配するものである。
王室がいかに騎士団を重視していたかがこれで分かるだろう。
王室にとって、騎士団は3つの機能を持っていた。
外敵や反乱から身を守るための軍事機能。
有力諸侯の力を削ぎ、収入を得るための徴税機能。
そして、反乱を未然に防ぐための人質の囲い込み機能である。
四代目の国王ルクリーシアは柔和な笑顔を絶やさず、喜怒哀楽をめったに表に出さなかった女性であると伝えられている。
女王は「敵を作らず友人を作ることが、王統を保つ道である」と事あるごとに述べ、実際、女王と意見を異にする人物は居ても、政敵は居なかったと年代記は伝えている。
彼女は、騎士団体制の基盤を作り上げた人物であり、その他にも行政運営の法典など、法整備に力を尽くした。
当時、個人の罪や徳目について定めた教会の律法は、実質的に法的拘束力を与えられており覆すことは出来なかった。しかし、ルクリーシア女王は行政法典を王室主体で成立させることで、教会の影響力を限定させた。
言ってみれば民法・刑法は教会の管轄として残したが、ルクリーシア女王は行政法典を制定することで、行政法・税法は王室の管轄であると確定させたのであった。
特筆すべきは、女王ルクリーシアは、これらの行為をほとんど反発を受けずに成し遂げたことである。
上記で見たように、騎士団は有力諸侯の力を削ぎ、王室の権力を高めるものであった。行政法典も、教会の影響力を減じさせるためのものであった。
当然、貴族諸侯や教会から反発を受けるべき政策である。
だが、諸侯たちは『騎士団』という名称に、かつての英雄たちの面影を見て好意的であった。
また、教会も行政法典の作成を歓迎した。行政法典内に、僧侶の関与が明記されていたからである。しかし『明記されていない事柄には、僧侶は口を出せない』ということには、教会は気付けなかった。
こうしてみると、女王ルクリーシアの「敵を作らず友人を作ることが、王統を保つ道である」という言葉は、別の意味を帯びてくる。
少なくとも、女王ルクリーシアは単なる「善意の融和主義者」ではなかった。論評は差し控えるが、相手の損になる提案をこころよく受け容れさせる政治力の持ち主であったとは言えるだろう。
彼女は貨幣鋳造権を王室に限定したり、商業都市を王室自治都市にしたり、鉱山や肥沃な土地を公爵領にするなど、王権を確立するための種々の政策を行った。
騎士団の制度も、王権を確立する一環として作られたものであった。その騎士団の社会的構造は、複雑であるため、別の項にて詳述する。




